福島 フクシマ FUKUSHIMA

津波被害と原発震災に立ち向かう人々とともに

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5月の久之浜

津波から2カ月たつ久之浜。漁師町として賑わいのあった町が、津波と火災によって、一面焼け野原。戦災のあとのようだ。
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被災した車。津波の力でアルミ缶のようにひしゃげ、火の勢いで焼けただれている。
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砲撃を受けた後のように見えるマイクロバスCIMG1459_convert_20110716111358.jpg


ポストの変形が、津波と火災の激しさを物語る。CIMG1386_convert_20110716102407.jpg


土台だけ残った家の跡に花束が。
「おじさん 早く帰って来て下さい ばあちゃんも、みんなも待ってます」という添え書き。
久之浜で49人が亡くなり、14人が不明に。
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家は跡形もない。庭だったことも言われないわからない。でも泥の下からお母さんが植えた草花が。
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津波到達時刻を指したまま。
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「捜索終了」の張り紙。この家の人はどうなったのか・・・CIMG1457_convert_20110716110534.jpg


漁協に残る看板。高木よしおさんは、久之浜を代表する形でいわき市議をつとめていた。津波の第一波は逃れ、救援に奔走する中、第二波に飲まれた。誰に聞いても「いま、よしおさんがいてくれたら…」と残念がる。
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海岸近くにある幼稚園。園児たちと職員は、この向かいにある高架の上に避難して全員無事。
しかし園児の無事を確認した後、自宅を様子を見に戻ったお母さんが、第二派の津波に飲まれた。

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3月11日以前と以降で海の見え方が違うとも言う。地盤が大きく沈下したため、海が高く見えるようになったらしい。
漁場であり、遊び場であり、ずっと親しんできた目の前の海のことを、あれ以来、地元の人は気持ちの上で遠ざけているように見える。

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ツバメが来た。変わり果てた風景に、戸惑っているようだ。
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大きなクロハエが大量発生。水産加工業が多く、そこから流れ出たイカやタコが腐敗し悪臭を放つ。
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「何度来てもないなあ」
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遠藤十九二さん(とくじ 77)は、避難先から散歩がてら自宅跡を見に来ている。土台だけ残った自宅前で、遠山さんに会った。
「ここは加工場、向こうの祠は、子どもの頃の遊び場で、思い出の場所」
「何度来てもないなあ~」。流された自宅はもうそこにはない。自身に言い聞かせるようにそうつぶやいた。

遠藤さんの家は堤防の際にあった。ここで息子さんと2人で漁具を商っていた。久之浜にあがった魚は、「常磐もの」と呼ばれ、筑地で良い値がついたという。200カイリの設定で、サケ・マスなどの遠洋漁業が打撃を受け、大きなところが廃業に追い込まれる中、久之浜の漁民は、いわき沖の近海魚で漁業を続けてきた。

「みんな、ここで家を直して暮らすことに、二の足を踏んでいる」。なぜなら、「舟はあるけど、家はないから」。地震発生直後に、津波を避けて舟を沖に避難させたので、舟が残った漁師は多い。が、漁師の家が堤防よりに多く、ほとんどが家を失った。
しかしそれだけではない。「本当はいまはシラス。6~8月は禁漁で、9/1からまた漁が始まる。でも原発事故で海が汚染しているからね。もう無理だろう」。

原発にたいする怒り、それを受け入れてきた経緯にたいする憤りが吹き出す。
「原発ができた頃、40年前から不信感をもっていた。人間がつくったもので、完全なものはない。作ったものは壊れる」
「(反対運動はどうだったのかという問いに)ムシロ旗の話もあったけど。半農半漁だから、金が入って、行動にならなかった」と無念そうに語る。
「福島第一原発(1~4号機)を1基つくるたびに、補償金が入っている。それは全部、船主と乗り子で分けてしまった。そして、家を立て直したり、借金の返済や赤字の穴埋めに使っちゃった」。
「電源三法で何ができたって?小学校の照明、中学校の楽器、村の運動場、消防が手押しのリアカーから車になった。そんなぐらい」
漁具商である遠藤さんは、漁業の一環ではあるが、漁師ではない。だからこれまで一切補償金はもらっていない。
今回初めて、久之浜が4月22日まで屋内待避地域に指定されたため、東電から100万、また家屋を失ったため、県から見舞金45万を受け取った。
その点で、漁期が限られ、半農半漁で行くしかなく、常に借金を抱えている漁師の大変さに理解を示しつつ、漁師が金に負けたことにたいして、厳しい批判を持っている。
「はっきりいって(漁師とそうでない人との間には)溝がある」
 

しかし、遠藤さんはそのあとにこう付け加えることを忘れなかった。
「なんで東京に原発をつくらないのか。東京の人間のためになんでこんな目にあわなければならないのか。それが本音。原発との共存共栄なんてありえない」

 遠藤さんは、厳しい言葉のあと、それを和ませるように、「まあね。ソフトボールの審判を25年もやってたからね。ものごとをはっきりさせたい性分なんだ」と笑いかけてくれた。






30キロ圏内の久之浜末続地区


久ノ浜駅までは5月中旬に開通したが、この駅には電車は来ない。

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末続地区の住民の数はもともと少ないが、海岸線の家はほとんど壊滅している。
久之浜全体の復旧が遅れているが、その中でも末続地区は5月末にやっと重機が入るという遅さ。放射能の危険についてもどこからも通知はない。住民は捨て置かれていると感じている。

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  1. 2011/06/01(水) 11:18:56|
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