福島 フクシマ FUKUSHIMA

津波被害と原発震災に立ち向かう人々とともに

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国と村長にものを言う議員を    ルポ 飯舘村議選


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 9月22日、飯舘村議会選挙の投票が行われた。定数10人に対して、11人が立候補(現職8人、新人3人)、22日夜、新たな議員が決まった。〔開票結果は下表〕
 原発事故によって全村が避難を余儀なくされている中で、村議選としては今回が初めて。村民が各地に分散しているために投票率の低下も心配されたが、4年前の90.09%に対して、今回は73.03%と、前回より下がったものの、大方の予想を上回った。
 「除染して帰村」という、国の意向に沿った路線を強引に進める菅野典雄村長のやり方を、村民は「村長の暴走」と感じている。さらに、そういう村長にものをいえなくなっている村議会にたいして、「そんな村議会ならいらない」という声もあがっていた。しかしまた、地縁血縁で固められた村社会の中で、政治の変化をつくり出すことも容易ではない。
 そういう中で行われた今回の村議選では、村議会の中で孤軍奮闘してきた佐藤八郎氏(61 共産・現職)が前回より得票を伸ばし、2位という高位当選を果たした。さらに、渡辺計氏(わたなべはかる 55 無所属・新人)が、「村民をこれ以上被ばくさせない」「年間1ミリシーベルトになるまで補償・賠償の継続を」「帰村したい人、できない人、それぞれの選択の尊重を」などと訴えて当選した。

 渡辺さんの選挙運動を取材した。


飯舘村議選開票結果
(定数10 カッコ内の数字は当選回数)
670  高野 孝一 61 無新(1)
447  佐藤 八郎 61 共現(6)
412  飯樋善二郎 69 無現(2)
334  松下 義喜 61 無現(2)
316  伊東  利 66 無現(3)
309  菅野 新一 71 無新(1)
279  佐藤 長平 62 無現(7)
267  大谷 友孝 62 無現(6)
261  渡辺  計 55 無新(1)
248  北原  経 59 無現(2)
243  志賀  毅 66 無現
(当日有権者数は5262人 投票率は73.03%)




【Ⅱ】  仮設住宅で訴える



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(松川第一仮設住宅 福島市内)


 全村避難の中での選挙運動は、困難を極めた。
 飯舘村の村民の総数が約6700人、そのうち県内避難者は約6200人、県外避難者が約500人。県内避難者のうち、仮設住宅が約1200人、借上住宅が約3800人。
 しかも、村民がどこに避難しているかは、村役場しか分からない仕組みになっている。たとえば、富岡町は、各地に避難している町民同士がつながるために、町民の連絡先を本人の了承のもとに掲載した「町民電話帳」を発行している。しかし、飯舘村役場は、個人情報保護を理由にそれをつくっていない。
 そういうわけで、渡辺氏の選挙活動は、仮設住宅を回ることが中心になった。
 ところが、仮設住宅を回ってみると、場所によっては、チラシ配りや演説を禁止したり制限するといった締め付けが行われた。これには、「それはおかしいよ」「異常だね」と疑問の声も上がっていた。

 
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 渡辺さんは、仮設住宅の村民を前に、次のように訴えた。

        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 いまの村政は国の方ばかり向いていて、村民の方を向いていません。そういうところに疑問を感じました。村議会も、村長さんにものを言えない議員が多いのではないでしょうか。国や村長にものが言える議員が必要だという思いで、立候補に至りました。

◇復興住宅の早期建設

 私は、皆様が、今後、安全・安心・安定して生活ができる環境づくりを目指したいと思います。
 そのために、まず第一に、復興住宅の建設です。
 2年以上、この狭い仮設にいるストレス。そして先の見えない生活。そこから脱却していただきたい。そのために、一戸建ての復興住宅、お孫さんと暮らせる二世帯住宅を国に求めてまいります。

◇原子力損害の完全賠償

 二番目は、補償・賠償の完全化です。
 今の皆様がもらっている補償は、避難のための補償です。でも、村に帰った、復興住宅に入った、家を買ったとして、その先の生活の補償は何もないんです。
 今回の事故は、東京電力と国の責任です。私たちには何の責任もないのです。
 村長は「2年後に帰村宣言をする」と言っていますが、そうしたらその1年以内に補償・賠償は止まります。飯舘に帰っても、首を絞められるような生活をするしかありません。
 向こう10年、20年、年間1ミリシーベルトに戻るまで補償・賠償の継続を求めてまいります。

◇一人ひとりの選択の尊重

 三番目は、選択の自由です。
 帰られる方もいるし、帰りたくても帰れない方もいます。若い人たちの中には、もう飯舘に戻れないからと、別に家を求めた人もいます。
 それは、移住の自由であって、人権なんです。それぞれを認めていかなければなりません。先ほどの補償と同じように、それぞれの選択が尊重され、それぞれの選択で生活ができるように、環境をつくらなければならないと思っております。

◇納得のいく除染を

 四つ目は除染です。
 現在、除染は遅々として進んでおりません。環境省の人は、「小宮、大倉の人は同意率が高かった」というので、7割ぐらいでもいったのかと思って訊いたら35%。それで国は高いと言っているんです。(村長の地元の)佐須でも3割しか同意していないんです。
 なぜかといえば、国の除染のやり方にみんな不満を持っているからです。国は仮置場ができないから除染が進まないと言っていますが、そんなことではないんです。
 家の周り20メーターの除染だけでは、われわれは生活できないんです。森林、河川、溜池などの除染について、国は何一つ言っていません。
 国は最終目標1ミリシーベルトと言っていますが、1ミリシーベルトになるまで何十年かかるのか、そしてどういう工程でいくのか、何も発表しておりません。そのために皆様が今後の生活の目途が立たないでいると思います。1ミリシーベルトまでの年数、工程をはっきりさせるように国に求めてまいります。

◇子どもの育成資金

 第五に、子どもたちの育成資金です。
 現在、村では、村の学校に通っている人には1万円、村外の学校に通っている人には5千円。そういう差をつけております。でも、みんな子どもたちは飯舘に住所を置いたままなんです。そんな差別をしちゃいけません。
 今後、何年かかるかわかりませんが、子どもたち、孫たちが、飯舘に戻るまで、育成をきっちりしてまいりたいと思います。ここがじいちゃん、ばあちゃんが生まれたところなんだと思って、帰って来れるような環境づくりをしたいと思います。
 私は、国や村長に対してものを言う議員になります。そして、皆様の声をよく聞き、それを村政に届けたいと思います。よろしくお願いいたします。


        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


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 渡辺計さんの演説を聞くために、仮設住宅の住民が集まった。
 その中の一人の女性(60代)が、村民の置かれている状況や心境を次のように語ってくれた。
  「よくマスコミが来て、『今の希望は何ですか』なんて無神経なことを訊いてくるけど。希望なんかあるわけないよ。いろいろモノとかイベントとか、持ってきてくれる人もいるけど、それも違うの。
 せめて仮設住宅では死にたくないんだよ。仮設なんかでは死にたくない。これが今のみんなの気持ち。元の自宅じゃなくていい。飯舘じゃなくてもいい。復興住宅でいい。そこから棺を出してもらいたい。希望はそれだけ」
 「『戻れ、戻れ』ばっかりの村長のやり方もおかしいと思うけど、村議の人は、いままで2年間何をやっていたんだといいたい。今頃になっていろいろ言っているけど。村長に右へ倣えをする議員ならいらないよ」


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 この日、すでに投票は始まっていた。
 村民が各地に分散しているために、期日前投票が、3カ所の仮設住宅、さらに福島市内と南相馬市内などで各一日ずつ設定された。ただ仮設住宅での投票時間が午前10時から午後4時までと不便そうだ。
 また、県外に避難している村民には、避難先での不在者投票が行われた。
 そして、22日の投票は、村役場の飯野出張所と福島市内の2カ所で行われ、午後6時に投票箱が閉められた。
 



【Ⅱ】  選挙事務所は仮設の一室



 22日の夜、伊達東仮設住宅(伊達市内)の一室に、村民が集まっていた。選挙活動をいっしょに担った支持者やご家族など。渡辺さんの一家が避難している部屋が、選挙事務所になっていた。


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 7時半から開票が始まった。開票の現場に立ち会っている人から電話を待つが、なかなかかかって来ない。だんだん言葉数が少なくなる。
 8時15分にようやくツイッターで第一報が入り、11人の候補全員が100票と。さらに8時半の第二報でも全員が200票。横並びの激戦の様相に緊迫した。9時過ぎに「ただ今精査中」と連絡。
 そして、しばらくのちに、「当選した」


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 よかった、やったー、あめでとう、ありがとう・・・。
 張りつめた空気が一気にはじけたようだった。
 ほとんど同時に渡辺さんの携帯電話が次々となり、勝利の報告とお礼に追われた。


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 事務所もなければ本部もない。ほとんどお金をかけていない。選挙のプロは誰一人いない。ただ、いまの村政を何とかしたいと思って行動を起こした人たちが、渡辺さんを押し立てて村政に新しい風を起こした。




【Ⅲ】  地殻変動は始まっている

 

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(飯舘村で行われている農地の除染)


 3・11から2年半、「除染して帰村」という幻想は大きく崩れ始めている。ただ、そういう中でも、村長を中心とした村政のあり方はいまだ崩れていない。そういう中で今回の村議選を迎えた。


「反核の旗手にならない」


 除染の同意率の低さに、村民の不信と批判が込められている。飯舘村の除染の進捗は宅地で3%、農地で1%(2013年7月末時点、環境省)と、当初の計画から大幅に遅れている。遅れの理由は仮置場が決まらないことだけではない。いまの除染のやり方にたいする村民の不信だ。
 この間の除染で明らかになっているように、除染しても、生活できるような空間線量にまで到底下がらない。それなのに、村長は年間5ミリシーベルトで帰ると公言している。そして帰らない人、帰りたくない人にたいして、補償を打ち切ってでも、戻そうとしている。村民はこの村長のやり方を「村長の暴走」と言っている。
 村長は何をそんな焦るのか。その根本にある考えは何か。
 飯舘村が高濃度の放射能に襲われたことがわかり、村民の被ばくを少しでも避けるために直ちに避難を含めた措置を取る必要があった2011年4月、村長は、わざわざ首相官邸まで出向いて「提案書」を届けている。そこにはこう書かれていた。
 「本村はこの事故のみをきっかけとして『反核の旗手』になるつもりはない」「放射能汚染被災地の範となって、復旧・復興を果たすことこそが、・・・日本の最大の利益・・・、もって世界の範となるものと考える」
 被ばくさせられている村民にとって到底飲み込めない言葉だ。さらにその言葉の意図を、後に出版された村長の著書で次のように解説している。
 「とにかく、村民が村を出てしまえば、この飯舘村はなくなってしまうのだから。・・・村を潰さないでできることは何か。・・・提言書を出すことに決めたのである」
 「『食えない理想』ではなく、『政府と折り合いをつける現実的な可能性であり、村民への実利』なのである。その気持ちを誤解せずに、くみ取っていただきたいと願う」
 「政府を悩ませる脱原発問題では煩わせないことを約束する」から、「放射能から蘇らせるモデルケースとして」「他の自治体に先駆けて集中的な投資先にしてもらいたい」と。
     〔『美しい村に放射能が降った』菅野典雄飯舘村長著 2011年8月刊〕
 この村長の判断に対して、村民の間には、「村長は、飯舘村を自分の作品だと勘違いしている」「村長が守ろうとしているのは『自分の作品としての村』であって、村民ではない」という批判がある。
 逆に、村長の判断は、福島原発事故によって窮地に陥っている国や原子力産業にとってまさに救いの神であり、事故の被害を過小に評価し、事故などなかったように原子力政策を推進しようとしている側にとって、泣いて喜ぶような話だ。そして今進められている「除染して帰村」という路線も、こういう村長の考え方の延長にあるものだった。


簡単ではない村の政治


 では村民の不信を買って、村長は孤立しているのかというと、そう単純ではない。
 村長は、村の権力を握っており、それをフルに活用している。
 たとえば村の中でポストがあると、村長の息のかかった人に声がかかる。仮設住宅の自治会長とか、何かの管理人とか。そういう形で、回りを固めている。逆に村長から離反すると、排除という仕打ちを受けることになる。そういう話が村民から聞かれた。
 さらに村議会も、「村長の暴走」に対してものを言えなくなってきた。
 村議は、行政区や村内の団体の役職などをやったあと、そこから推薦を受けて議員になるのが習わし。いわば議員は名誉職。大半の村議は政治活動らしい活動をしていない。今回の選挙でも、名刺配りをはじめたのがようやく2か月前だという。
 そういう具合だから、3・11以前から議員は働いていないという声があったが、被ばくと避難という事態の中で、村議会は本当に何の役にも立っていないと、村民は見ている。
 そのために、「村長の暴走」に対して、村議会がチェック機能を全く果たせなかった。今回の選挙に出馬せず引退した村議の一人が、引退の理由として、「村長の独走を止められなかったから」と反省の弁を述べているという。事態の深刻さを物語っている。

 
国とぶつかり、村長とぶつかり


 「国や村長にものを言えない議員なんていらない」「おかしいと分かっているのにそれに対して行動しない。そこがこの村の良くないところなんだ。俺はそれを変えようと思ったんだ」
 渡辺さんは、賠償を巡って、除染や仮置場を巡って、国や村長のやり方を繰り返し批判し、復興庁や環境省と直接掛け合い、何とか村民の意向を通そうと奔走してきた。本来なら村議がやってしかるべきことだろう。しかし村議たちは動かなった。渡辺さんの行動力は、周囲の人が目を見張るものだった。
 そうやって国とぶつかり、村長とぶつかる中で、自分が議員になる必要があると決意を固めていった。そして、村政を変えたいと思っている人たちが、渡辺さんを押し立てて行こうとなっていった。
 上述のように、村議は、通例、行政区や団体の役職やって、そこからの推薦で出るもの。そういうものが一切ないのに、選挙に出るというのはかなりの冒険だ。またそういう人を応援することは、勝てばいいが、もしも負けたら、その後、どんな仕返しを受けるかもわからないというリスクを伴う。さらに、誰かは誰かの縁戚という形で、村民同士が地縁血縁でつながっている中で、正論を掲げて押し渡ることは少なからぬ軋轢を生むだろう。
 実際、「出馬を決めたら、早速、村長や議長、教育長から圧力がかかったよ」と渡辺さんは教えてくれた。また、一旦は引退を決めていた村議が、渡辺さんも通りそうだということになったら、わざわざ再出馬してきたという。


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(飯舘村の朝ぼらけ。夜明け頃の気温は10度を切る日もある)


同情でなく自分の問題として


 2011年3月以来のこういう経緯の中で、今回の村議選はあった。
 この選挙運動を支えた一人で、渡辺さんと同じ小宮地区の伊藤延由さんが、次のように総括している。
 「たしかに、もっと若い人たちが何人も出ればよかったが、でも、そうならなかった。村社会の枠組みを超えて反対するのは簡単ではない。でも地殻変動は始まってますよ。村の体制を支えてきた人びと、菅野村長とともに村をつくってきた人たちが、村長から離れている。地縁血縁ということの難しさで、思ったより票は伸びなかったけど、風は吹いた。浮動票なんか1票もないような田舎の選挙で、村政にものを申して、新人が通ったわけだから」
 飯舘村で起こっていること、この村議選を巡って動いたことを、どこにでもある田舎の話として片付けてはならないと思った。
 伊藤さんが次のように続けた。
 「もしここで飯舘村の問題がきちんと解決できなかったら、次に原発事故が起こったとき、いやほとんど確実に起こりますよ、そうしたとき、今のような原発推進路線だと、飯舘村に押しつけられたやり方や基準が、日本中のすべてに、あるいは世界のどこにでも押しつけられていくんですよ。20ミリシーベルト以下になったら帰れとか。
 他所に行って、飯舘村のお話をする機会があると、よく『どういう支援をしたらいいですか』って訊かれるんですが、私は、支援だとかという話ではないんですよと言うんです。この飯舘村の状況は、事故が起これば、日本中どこでも起こりうることなんです。そうなったときのことを考えて、飯舘村の実情を自分の問題としてとらえてほしい。20ミリシーベルト以下になったら帰らされる。それで本当にいいのかってことを、自分の問題としてとらえてほしいということをいつも言うんです」
 同情などいらない。明日は我が身なんですよ。そう思ったときあなたは何ができるか考えてほしい。そういう問題提起がされていると思った。
 原発事故の前、飯舘村は、経済成長一辺倒の社会のあり方にたいして、それとは違う価値観を静かに実践してきた。その飯舘村が、いま、放射能と原子力政策、あるいは国とその支配、都市による農村の収奪といった問題に対して、日本全体がどう向き合うべきかを、村民たちが直面している苦闘を通して、われわれに問うているように感じた。 (了)






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テーマ:「原発」は本当に必要なのか - ジャンル:政治・経済

  1. 2013/09/25(水) 17:00:00|
  2. 飯舘村
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:9
<<汚染水より深刻  使用済み核燃料の取り出し ――収束作業の現場からⅡ | ホーム | 「裏切られた。撤回してほしい」    福島で支援法基本方針の説明会>>

コメント

うん。いい。
とてもいい。

久しぶりに、頬がこわばる感動を味わった。
渡辺どんもいいが、それを書いている筆者の熱い、緊迫した思いもいい。
飯館村の人たちは素敵だ。

ありがとう!!!
  1. 2013/09/25(水) 19:09:58 |
  2. URL |
  3. 田中冽 #mQop/nM.
  4. [ 編集 ]

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  1. 2013/09/27(金) 02:40:35 |
  2. |
  3. #
  4. [ 編集 ]

現地がわかる

いつも拝見しております。現地の様子、人々の考えが分かる素晴らしいルポです。IAEAの論考も素晴らしい物でしたが、今回もそうですね。今後も期待いたしております。
  1. 2013/09/29(日) 22:31:24 |
  2. URL |
  3. 高橋正芳 #a3hBVw6g
  4. [ 編集 ]

うーん・・・個人的意見としては・・・

ちょっと主旨が違うように思います。

確かに早期復興住宅の建設はやって欲しいけれど・・・・

>>◇原子力損害の完全賠償

 二番目は、補償・賠償の完全化です。
 今の皆様がもらっている補償は、避難のための補償です。でも、村に帰った、復興住宅に入った、家を買ったとして、その先の生活の補償は何もないんです。
 今回の事故は、東京電力と国の責任です。私たちには何の責任もないのです。
 村長は「2年後に帰村宣言をする」と言っていますが、そうしたらその1年以内に補償・賠償は止まります。飯舘に帰っても、首を絞められるような生活をするしかありません。
 向こう10年、20年、年間1ミリシーベルトに戻るまで補償・賠償の継続を求めてまいります。

これは違うと思う・・・ただでさえ飯舘村民は、賠償をもらっていることで、避難先から冷たい目で見られているのに・・・・・10年も20年も続けてしまったら・・・避難先にいられなくなってしまう。

東電に家を住めなくされたのだから復興住宅などの住む場所の提供はしてほしいとは思いますが、何十年の補償・・・これは逆にやって欲しくない・・・働いて稼げば生活できるんだから・・・・それによってまた避難先の人間関係が悪くなるのは嫌です。

それより、浪江町でやっていた血液染色体の検査などを飯舘でやって欲しいな~とは思います。今後は賠償より私達が健康であると言う証明ができるような検査を重点的にやるべきではないか?

染色体の異常がないことを長期にきちんと検査できれば今後、子供達が安心して生活できるようになると思う。

http://www9.nhk.or.jp/nw9/marugoto/2013/09/0927.html

補償よりむしろこういった取り組みの方がやって欲しいと思いますが・・・・



  1. 2013/10/02(水) 15:18:00 |
  2. URL |
  3. 杏美 #-
  4. [ 編集 ]

追記・・・

私はやっと今の避難先で出会った人とうまくいきつつ自分達の生活を頑張っています。

なのに・・・飯舘村民がまた賠償・賠償と騒がれたら・・・・人間関係がまたうまくいかない気がします。

もう・・・やめてほしいです!今ここで生活していて、周りの人は賠償もらっていません。

私は賠償より今の生活でうまくやっていく事を取りたいのに(T_T)

避難してある程度生活再建のメドがつけば、あとは自分で歩いていかないと、駄目なのではないでしょうか?
  1. 2013/10/02(水) 19:03:09 |
  2. URL |
  3. 杏美 #-
  4. [ 編集 ]

除染物質の焼却施設建設

 10/10付けの新聞各紙では「苦渋の決断」となっていたが、村民として反対運動はなかったのだろうか?
  1. 2013/10/10(木) 23:45:42 |
  2. URL |
  3. 二瓶 宏孝 #hNNoYE7M
  4. [ 編集 ]

そのとおり

杏美 さん。まったく同感です!
  1. 2013/10/11(金) 01:21:50 |
  2. URL |
  3. たくき #ZTGLyrdM
  4. [ 編集 ]

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このコメントは管理人のみ閲覧できます
  1. 2013/10/17(木) 20:35:43 |
  2. |
  3. #
  4. [ 編集 ]

物によっては...

しっかりした除染できると思うのですが...

http://ansinanzen888.blog.fc2.com/blog-entry-8.html

↑チェルノブイリ原子力発電所事故当時には無かった技術。
  1. 2013/12/16(月) 12:06:33 |
  2. URL |
  3. 藤村 #/5lgbLzc
  4. [ 編集 ]

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