福島 フクシマ FUKUSHIMA

津波被害と原発震災に立ち向かう人々とともに

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区域再編後の浪江



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(請戸小学校から請戸の町があった方向を見る)


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(請戸小学校の正面玄関にある大きな地図)


 全町が避難区域となった浪江町。
 その浪江町で、4月1日、避難区域の再編が行われた。

 下図のように、概ね常磐線より海側が避難解除準備区域、常磐線と山麓線(県道いわき浪江線)の間が居住制限区域、そして山麓線より西側は帰還困難区域に再編された。
 面積では町の8割が帰還困難区域、人口では町民2万人の約8割が居住制限区域および避難解除準備区域になる。


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 解除後の浪江町を走った。




6号線から幾世橋へ



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 南相馬市から6号線を南下、請戸(うけど)川をわたると信号のある交差点に出る。
 ここで左に行くと請戸方面、右に行くと114号線で浪江の中心市街地から帰還困難区域の室原(むろはら)。
 まず、左折して請戸方面に向かった。
 交差点の東西にバリケードがあり、町が手配した警備員がいる。


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 幾世橋(きよはし)に入るとすぐに倒壊した家屋が目に入る。

 看板を見つけた。ひとつは、「浪江小高原発準備本部」。


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 こ先にある棚塩(たなしお)地区で、東北電力が原発立地を計画していた。
 
 もう一つの看板は、住民が出したもの。


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 憤りが替え歌に込められている。




原発立地計画のあった棚塩



 幾世橋の住宅街を抜けると、開けた視界に一戸だけぽつんと。
 

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 ここは棚塩地区。広く豊かな水田地帯だった。しかし北の小高いところを除いて、ほとんど津波に流れてしまった。

 棚塩集会所の前に壊れた碑があった。碑文は佐藤雄平知事によるもの。
 

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 読んでみると、明治期には大凶作があり、その救済事業として農業基盤整備が行われたこと、また、戦後は食料の増産や機械化に応じて圃場の整備が進められたことなどが記されている。
 が、後段になると、原発立地の話になり、その見返りとして、県道整備や保養施設建設が行われたという話になっている。
 
 1968年、当時の木村守江(もりえ)知事が東北電力浪江小高原発建設の構想を発表。
 しかし、棚塩の農民たちは、戦前戦後の労苦を経て豊かな農地をつくってきた誇り高い人びと。彼らは反対同盟をつくり、様々な切り崩し工作を受けながら、ついに原発建設を許さなかった。

 原発の建設は許さなかったのだが、津波によって壊滅的な被害を受けた。さらに助かった者も原発事故によって避難を余儀なくされた。
 
 碑は、津波の衝撃で、奇しくも原発立地の話のところで割れてしまっていた。

 なお、東北電力は、今年の3月28日、浪江・小高原発新設計画の取りやめを正式に発表した。




漁師町だった請戸



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 請戸川では、鮭狩りが盛んだった。
 少し上流にヤナ場があり、東北随一の漁獲高を誇っていた。

 橋を越えて請戸の町があったはずのところに入ると、船が。


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 漁港から押し流れた漁船だ。
 港にはほとんど残っていない。


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 請戸の歴史は古く、小型船の漁港としては福島県内で有数の規模だった。


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 港から南を眺めると、第一原発の排気塔や作業のクレーンが。
 ここは第一原発から約6キロだ。


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 家が軒を連ね、活気のある漁師町だったことだろう。
 今は土台を残すだけ。
 主のいない家で、水仙が花を咲かせていた。


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 供養塔が建てられている。
 浪江町で津波による死者は184人、その大半が請戸地区だ。


 
 
奇跡的に犠牲のなかった請戸小



 沿岸から500メートルの請戸小学校。


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 正面玄関から入ると、下駄箱があり、大きな地図や絵が迎えてくれる。
 が、ひっそりとしている。


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 1階の教室はどこもこの惨状だ。


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 給食室に入ると、大きな鍋が。
 しっかりと固定されているために流されていないが、その分、蓋が激しく歪んでいた。
 そして壁には、3月11日の給食の数が。


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 3月11日は卒業式だった。
 体育館の床が水圧で陥没している。
 時計が、津波で電源の落ちた時刻を指していた。


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 2階には津波の被害は及んでいなかった。
 黒板から児童たちの学校生活がしのばれる。

 津波が学校を襲ったのは、地震から約40分後。
 生徒と職員はその前に避難し、奇跡的に全員が無事だった。
 校舎を最後に出た教頭先生は、押し寄せる津波に追いかけながら逃げたという。
   



両竹地区に小さな鯉のぼり



 浪江町の南端まで行ってみた。
 ここは両竹(もろたけ)地区。


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 ここから先は帰還困難区域。少し先が双葉町との境だ。
 もっともこの地点の空間線量率は、手持ちの線量計で毎時0.30マイクロシーベルト前後。
 原町、小高と同じように沿岸部は比較的低線量だ。
 

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 女性が鯉のぼりを見つめてたたずんでいた。

 
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 土台だけ残った自宅。藤崎さんは、ここで娘さんとお孫さんを亡くしている。
 お孫さんは当時4歳。生きていれば今年が小学校の入学。そこで供養のため、鯉のぼりを立て、ランドセルを買ってあげたのだという。

 この近所だけでも10人が亡くなった。そこら中に遺体がごろごろしていた。それでも消防団が30人ぐらいは助け出していた。
 が、原発が危なくなったと避難指示が出て、救助活動も中止に。ガレキの中でまだ声がしているし、助けられる。なのに見捨てなければならなかった。
 そういう話をしてくれた。

 藤崎さんの家は、津波で流された上に避難区域となって入れなかった。東電賠償の対象にもなっていない。今は南相馬市で借り上げ住宅に暮らしているが、ここにはもう戻らないという。


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 浜風に吹かれて、鯉のぼりが元気よく泳いでいた。




114号線を西へ




 浜を離れて、114号線に入り、西に向かった。


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 市街地を通り過ぎて進むと、室原地区の手前でゲートにぶつかる。


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 ここから先は許可証がないと入れない。


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 帰還困難区域のすぐ手前の家に戻っている人がいた。
 この家は居住制限区域、隣りは帰還困難区域。なんとも不条理な区分だ。
 なお、この地点の空間線量率は、毎時0.40マイクロシーベルト。

 建設業を営む赤間さんは、ここに自宅と事務所がある。
 この日、電気が復旧する。井戸なので汲み上げるのに電気が戻れば水も使えるという。

 赤間さんは、事故後、郡山に避難。しかし、ここでの事業再開のために戻ってきた。東電の計算方式による賠償額では、自宅と事務所を他の場所で再建することができないからだ。子どもも独立しているので、ここで事業再開を目指したいと考えている。ただ、従業員がそろわないので、なかなか目途が立たないという。



 
線量の高い市街地



 114号線を戻り、浪江町の中心市街地へ入った。


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 商店街の中心をなしていた新町通り。


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 ところどころに倒壊した家屋が。
 昨日まで営業していたかのような店も。


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 役場機能は二本松市にあるが、区域再編とともに職員が一部戻っている。
 独身者が中心、新入の若い職員もいるという。
 

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 向こうに見えるのは浪江駅の駅舎。
 線路が草のつるに取られている。


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 運休を知らせる掲示がそのまま。
 乗り捨てられた自転車もそのまま。


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 駅のホーム付近の草地で空間線量率を測ってみた。
 表示は、毎時3.16マイクロシーベルト。地上1メートルでだ。
 アスファルト上でも毎時0.50から1.00マイクロシーベルト。
 想像よりも高い。
 ここは避難指示解除準備区域。その基準は年間20ミリシーベルト以下。なので、こういう数字が出ていても解除に向かおうとしている。

 が、果たして、この環境で生活すると、どういう影響があるのか。また、これから除染をするというが、この市街地をどう除染するのか。それが町の再建につながるのか、あるいは、住民の生活の再建になるのか。
 簡単には答えの出ない問題が山積みである。

 

(了)

 

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テーマ:「原発」は本当に必要なのか - ジャンル:政治・経済

  1. 2013/04/06(土) 16:45:24|
  2. 浪江町
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1
<<浪江町  「戻る、戻らない」を超えて――町民自身による復興のために | ホーム | 原発事故  そのとき病院が直面した現実   ――ある医療従事者の体験>>

コメント

感謝。

おはようございます。
現地の現況報告ありがとうございます。
どの基準が安全なのか、事故前は年1mSv、事故後は20mSv。低線量被曝の問題が明らかになっているのに、この線引きはむちゃくちゃであると思います。
また原発の事故収束作業を東電に丸投げしている国策原発政策の結果は更なる被害拡大に繋がることとして非常に心配しています。
他の原発が制御不能になることの無いようにすること(燃料棒を取り出してキャスクに収めること)、そして福島第一の事故収束に国をあげて立ち向かうこと、住民を安全な場所へ移動させること:六ヶ所村の問題も大きくのしかかっていますが、福島第一がこれからどんな展開になるのかまったく予測のできない今、とても住民に被災地に戻れと云えるような状況ではないと思います。
原発政策を推進してきた政党が政権の座に返り咲いているのですから、責任を明らかにし、何はともあれ、福島の状況が(周縁近県地帯もそうですが)これ以上悪化しないようにするのが先決と思います。こんな危ない状況で五輪招致や観光誘致などと騒いでいる神経は理解しかねます。
  1. 2013/04/12(金) 05:56:43 |
  2. URL |
  3. yokoblueplanet #-
  4. [ 編集 ]

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