福島 フクシマ FUKUSHIMA

津波被害と原発震災に立ち向かう人々とともに

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

福島県民が文科省を追及 20ミリシーベルト基準の撤回を

福島から東京へ


5月23日8時すぎ、福島駅と郡山駅から、大型バスが出発した。2台で約70人。文科省が4月19日に通知した「毎時3・8マイクロシーベルト=年間20ミリシーベルト」基準を撤回させるために、福島の父母らが文科省に乗り込むのだ。文科省への要請行動は今回が3回目。1回目は4月21日に1人でおこなわれ、2回目は5月1日、10人が参加。今回は参加者が一気に増えた。〔主催は、「子どもを放射能から守る福島ネットワーク」〕


CIMG1480_convert_20110715170736.jpg


約4時間の行程。バスに、30代のお母さんが数人。子どもたち4人も参加。自然食品の喫茶店を営む女性。中学生の親で勤務医の男性。家族を松本に避難させている男性。避難所で活動している70代男性など。バスの中では、みな少し興奮気味にしゃべっていた。同じ思いの仲間といるからだろう。今日の行動にたいする思いもあるだろう。
車中、ネットワーク代表・中手聖一さんの携帯電話が頻繁に鳴る。取材の申し込みだ。この行動が、大きくなりそうな予感。
首都高速に入る。高層ビル群と車の多さに一同しばし見入る。そこへ、「『福島県民、ただいま被ばく中』なんてゼッケンに書いて歩いたらどうだ」と年輩の男性。
40代の男性は、「大臣や官僚を前にしたら、怒りで何かしてしまいそう」。回りもほとんど同意した。




文科省に乗り込む


CIMG1486_convert_20110715170910.jpg


12時半頃、霞ヶ関に到着。文科省の正面玄関で、首都圏などの仲間と合流。福島県民を中心に文科省内に入る。ところが、通されたのは、部屋ではなく屋根のない中庭テラス。雨模様なのに、コンクリートの上に座らされる。これが、文科省の態度だ。「ひどい」。一同、怒り。
座り込む福島県民の回りを、首都圏からの参加者が囲む形になって、午後1時半頃から交渉が始まった。




逃げた高木大臣


応対にでてきたのは、渡辺・文科省科学技術・学術政策局次長。この場で決裁できる高木文部大臣や政務三役の出席を事前に要請していたのに。
「大臣を出せ」と詰め寄る。渡辺次長は「どこにいるかわからない」と、ふざけた態度。門前払いという意味だ。冒頭から、怒りが高じて激しい言葉が飛び交う。
子どもを連れて福島市からきたお母さんが、要請文を読み上げる。「私たちの苦悩と悲しみがどれほどのものか、大臣はお分かりでしょうか。私たちの我慢も、もう限界です」。読み進むにつれ、不安や思いがこみ上げ、涙が溢れて言葉が詰まる。途中から中手代表に交代した。この要請文は、福島県民の気持ちだ。



CIMG1523_convert_20110715171029.jpg
「みんなをまもってください。わたしと、わたしのおともだちをまもってください。おねがいします。」



怒号と涙


4月19日、文科省は、福島県にたいして、「(学校について)毎時3・8マイクロシーベルト=年間20ミリシーベルト」という基準を通知した。この「20ミリシーベルトまでは安全」という基準を、県や自治体、教育委員会、校長が現場に強制。子どもたちは、高い線量の校庭で活動を強いられている。「子どもを守れ」と、この基準に反対する親や教師が、孤立させられる事態まで起こっている。まるで戦前のようだ。
「この通知をただちに撤回し、あらゆる被ばく低減策を、国の責任で取れ」。これが要請の核心だ。
この要請にたいして、渡辺次長は、「年間20ミリシーベルトは基準ではない」と発言。「それなら通知を撤回し、新たな通知をだせ」と迫ると、「モニタリングの結果を踏まえ、夏休み後に見直す」と答弁。いま刻一刻と子どもに被ばく量が積算されているのに、まったく意に介していない。
みな悔しさで目に涙をためながら、怒りの視線で次長をにらんでいる。



CIMG1538_convert_20110715171524.jpg

CIMG1537_convert_20110715192610.jpg



その後、次長は、「1ミリシーベルトを目指すのが、文科省の方針」とも発言。しかし「だったら文書で自治体に通知しろ」という要求には応えない。
そう言ったかと思えば、「100ミリシーベルトまで問題ない」などと、ICRP(国際放射線防護委員会)でも認めていない最悪の基準を口走る始末。
さらに、放射線量の具体的な低減策について、1回目の要請からすでに1カ月が経っているのに、「これから調査して…」などと言う。何もやっていないことが判明。いっせいに怒りの声が上がる。


CIMG1654_convert_20110715174918.jpg

CIMG1544_convert_20110715173631.jpg

CIMG1585_convert_20110715174540.jpg

CIMG1648_convert_20110715174707.jpg



700人が2時間


当初、交渉は1時間ということだったが、言を左右にするだけの次長にたいして、福島県民が怒りの訴えと追及で頑張り、制限時間をこえて、2時間にわたってやり合った。700人ぐらいの人びとが、この場を包囲、騒然たる雰囲気になっていた。最後の方では、文科省が若手職員を配置、力づくでうち切ろうとしていた。


CIMG1658_convert_20110715175128.jpg

CIMG1529_convert_20110715171205.jpg

CIMG1693_convert_20110715175257.jpg
山本太郎さんも、最初から最後まで行動に参加、ときに声をあげていた。「お仕事は大丈夫ですか」ときくと、「とにかくやらないといけないことだから」と。
タレントということで先入観をもっていたが、この人はごくまじめな人だと感じた。



午後3時半頃、《文科省での検討と回答を、立ち会った議員を通して報告する》ことを確認し、この日の行動を終えた。



これが官僚か


「《主権在民》で官僚は《公僕》のはず。でも全然違った。今日、来てよくわかった。それが一番の収穫だ」。須賀川市から来た男性が吐き捨てるように言う。参加者はみな、異口同音に「これが官僚か」「こんなにヒドイとは」と、驚きと憤りの混じった表情で語り合った。
「日本で一・二を争うがまん強さ」と自認する福島県民が、いま、我慢するのではなく、あちこちで集まりを開き、自分の意見を述べ、活発に議論している。仕事や子育てに忙しく、昨日まで政治に全く関心がなかったという人が、今日は官僚を追及している。
「3・11」は、日本の支配体制が、とてつもない虚構と偽計の上に成り立っていたことを暴き出した。襲いかかる命の危険を前にして、政府や行政、あらゆる既存の組織が、まったく助けてくれないということが突きだされた。人民自らが力を合わせて行動に立ちあがる以外に、命を守る術はない。そういうことがいやおうなしに自覚させられた。



文科省 20ミリ基準を断念


4日後の27日、文科省は「今年度、年間1ミリシーベルト以下を目指す」として、子どもにたいする「年20ミリシーベルト基準」を事実上、棚上げする文書を、福島県に通知した。基準の撤回にまでは至っていないし、課題もあるが、福島県民の運動の力でかちとった重要な前進である。


関連記事
スポンサーサイト

テーマ:東北関東大震災 - ジャンル:ブログ

  1. 2011/06/07(火) 19:27:53|
  2. 対政府交渉・訴え
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<6月の久ノ浜  | ホーム | 5月の久之浜>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://fukushima20110311.blog.fc2.com/tb.php/7-909f8f3f
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。