福島 フクシマ FUKUSHIMA

津波被害と原発震災に立ち向かう人々とともに

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常磐線・原ノ町駅 運転の見通しなし

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常磐線の原ノ町駅。
南相馬市の中心部にある駅だが、ひっそりとしている。
3月11日以来、電車は動いていない。
案内板には次のように書かれている。

・広野駅~原ノ町駅 
 福島第一原発20キロ圏内は警戒区域のため運転の見通しが立っておりません。
・原ノ町駅~相馬駅~亘理駅
 駅・線路流出のため復旧の目処が立っておりません。

 常磐線の上野方面が原発事故で、仙台方面が津波災害で、不通になっているのだ。
 ただ、原ノ町駅から、仙台方面には、バスによる代行輸送がおこなわれいる。それで、電車が来ないのに、原ノ町駅の窓口は開いていた。

 
「何かが終わったような・・・」

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 原ノ町駅のホームに、特急「スーパーひたち」と普通車両が。あの日以来、ここを動けなくなっているという。写真の奥の方が上野方面。

 あの日以来、止まったままの風景に、地元の年輩の男性が、次のように述懐した。
「常磐線は、相馬地方にとって、明治以来の近代化の歴史だった。それがいまこんなことで不通になり、復旧の見通しも立たないなんて。おそらく10年先、20年先も・・・。何かが終わったような気がする」

 常磐線が全線開通したのは1897年。日本が、日清戦争から日露戦争へと、急速に近代化と対外膨張に突き進んだ時代。常磐炭鉱の石炭を東京に輸送する目的で敷設された。原ノ町駅には機関区も置かれ、いち早く発展したという。
 その後、石炭と鉄道に象徴される近代から、石油と自動車、原発に象徴される現代に至る変遷があった。それは、東京によって<開発>され、東京に近づくことで<発展>をというものであったが、それは結局、東京によってどんどん<収奪>され、<隷属>させられていく歴史であった。 
 とすると、原発災害によって、突如、復旧の見通しのない<断絶>を強いられたが、それは、東京による<収奪>と<隷属>の歴史が、もはや立ち行かなくなったという意味でもあるのではないか。
 そして、今、この地で、放射能を放置する政府のやり方に立ち向かい、自らの力で生きようとしている人びとの姿がある。ここに、近代と現代をまとめて超えようという何かがあるように感じられた。
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テーマ:東北関東大震災 - ジャンル:ブログ

  1. 2011/08/14(日) 16:03:23|
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