福島 フクシマ FUKUSHIMA

津波被害と原発震災に立ち向かう人々とともに

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【論考】福島における原子力と官僚支配〔下〕 ~出向官僚の内堀氏が福島県知事に~

【論考】 福島における
原子力と官僚支配 
〔下〕 
~出向官僚の内堀氏が福島県知事に~



 
uch002.jpg 
(アンケートに答える各候補。右端の内堀氏は「ビジョンがあるのか」の問いに〇と☓の両方を挙げている/昨年10月の公開討論会)


 〔上〕〔下〕にわたる本稿では、昨年10月の福島県知事選挙で、総務省から福島県に出向していた内堀雅雄氏が当選したという事柄を巡って論を進めている。
 既に掲載した〔上〕では、内堀氏がその副知事時代に、プルサーマルの受け入れ決定や原発事故への対応において果たした役割について検証した。また、そのことを通して、中央省庁による地方自治体に対する支配とそこにおける出向官僚の役割という問題を見て来た。
 もっとも、大半の県民にとって、〔上〕で見たような事実は、知らないことではなかった。そういう事実が多かれ少なかれ知られている中で、内堀氏が知事に選ばれた。これはどうしてなのかという問題を〔下〕では考えてみたい。
 
 その問題を掘り下げるために、〔下〕では、一旦、視点とスパンを変えて、明治以来の近代化の歴史、敗戦から高度成長を経て今日に至る歴史の中で形成されてきた、中央と東北・福島との関係、<中央による支配、地方の依存>構造という問題について論及したい。そのことに踏まえながら、知事選の結果を検討し、そこから、震災と原発事故から4年、依然として様々な困難が存在する中で、その困難の基底にあるものは何なのか、そしてその突破の可能性はどこにあるのかを探りたい。



目次
 【Ⅰ】 プルサーマルと内堀氏
 【Ⅱ】 人命より秩序維持を優先
 【Ⅲ】 地方出向による支配        
   ‥‥以上は〔上〕に、以下は今回の〔下〕に掲載‥‥
 【Ⅳ】 <中央の支配、地方の依存>構造  
   (一) 中央主導の東北開発の歴史
   (二) 転換の可能性はあるか
   (三) 中央に対する意識
   (四) 知事選の結果と「脱原発」



   ・     ・     ・



【Ⅳ】 <中央の支配、
      地方の依存>構造




 さて、ここまで、福島県の原子力行政と原発事故対応、そこにおける出向官僚である内堀氏の動きを検証し、中央省庁による地方自治体に対する支配と、そこにおける出向官僚の役割という問題を見てきた。
 ここで、視点を変えて、中央(中央政府と中央資本)と福島県との関係の問題、つまり、明治以来の近代化の歴史、敗戦から高度成長を経て今日に至る歴史の中で形成されてきた<中央による支配、地方の依存>構造という問題を見ることにしたい。そして、脱<支配・依存>構造という現在的なテーマについて考えたい。


(一) 中央主導の東北開発の歴史


 明治から今日に至る東北・福島の歴史の中について、はっきり次のことが言える。すなわち、富国強兵・殖産興業、戦争遂行、経済成長、原発推進、経済のグローバル化といった中央政府・中央資本が主導する国策がまずあり、東北は、その国策遂行のために開発する対象とされてきたということだ。
 そして、中央主導の東北開発は、常に、東北の自生的な動き、内発的な方向性、自立の意思といったものをことごとく摘み取り、中央に依存する以外の選択肢を事実上認めないという形で推し進められてきた。
 その結果もたらされたものは、あらゆる資源の中央への集中と東北の疲弊であり、常に中央を意識し、政治も経済も文化も、中央を基準に見るという意識の支配であった。そして、中央の支配とそれに依存する東北・福島という関係の構造としての固定化であった。
 ごく概括的に、中央と福島の関係史を見てみよう。【*1】

*1 『福島県の百年』 大石嘉一郎 山川出版 1992年11月
「復興期における只見川電源帰属問題と東北開発」上・中・下 仁昌寺正一 東北学院大学論集 経済学 123号 124号 128号 1993年
『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』開沼博 青土社 2011年6月
『なぜローカル経済から日本は蘇るのか』 冨山和彦 PHP新書 2014年6月

  ◇富国強兵・殖産興業と資源収奪

 明治の中央政府は、富国強兵・殖産興業のために、東北開発を構想した。その一環として、福島では、まず、小名浜の築港、安積の開拓、道路の開設などが進められた。そして、中央政府が、福島に求めたものは、米、繭、石炭、電力、兵力といった資源の供給であった。石炭も電力も、中央資本によって京浜地帯のための開発として進められた。
明治の初期の段階では後進県であったわけではない福島が、明治の末期には、中央に資源を供給するだけの後進県に転落している。そして、中央政府・中央資本の支配と福島の側の依存という関係が構造化していく。
 そして、30年代の恐慌から世界大戦に至る中で、戦争体制に徹底的に動員され、犠牲を払い、激しく疲弊させられた。

  ◇経済成長路線に翻弄

 戦後になって、地方自治が認められるなど、形の上での転換はあったが、基本構造に転換はなかった。
 敗戦からの復興を急ぐ中央政府にとって、復興とは東京の復興であった。しかも、敗戦により海外の植民地を失ったことから、その代替として、東北の開発に向かった。そしてその一環として福島では只見川地域電源開発が取り組まれた。その電源開発は、新潟・群馬・福島の三県の主導権争いがあり、東北電力と東京電力の水利権争も絡んだが、結局のところは中央主導で東京の復興のための開発として進められた。
 さらに進んで、中央政府は、京浜・中京・阪神・北九州の四大工業地帯を産業基地とした経済成長路線を追求した。それに対して、東北・福島に与えられたのは、労働力やエネルギーの供給地としての位置だった。それは、東京などの都市部への人口と産業の集中、地方の人口の流出と衰退をもたらした。
 四大工業地帯を中心とする経済成長路線に遅れて、福島でも常磐・郡山地区の新産業都市建設が取り組まれた。それは、中央政府の財政的支援によって道路・港湾を整備し、中央資本の工場の誘致を目指すものだった。人口も所得も増加するというバラ色の未来を期待したものだった。福島県は、「中央に直結する県政」「後進県からの脱出」といったスローガンを掲げ、官民を挙げて取り組まれた。
 しかし、実際には工場誘致は期待したように進まず、福島にもたらされたのは人口流出と農業の衰退、公害問題と県政の汚職であった。そして、高度経済成長が行き詰まる中で、公共事業に対する依存度だけが高まって行った。

 ◇原発に依存するしかない

 原子力発電所の誘致は、新産業都市の計画と前後して着手されている。
 それは、国策のための電力供給地という歴史を引き継ぐものであるとともに、企業誘致による地域開発を期待するものでもあった。また、原子力によるエネルギー革命という幻想に導かれたものであった。
 石炭でも石油でもなく、原子力というエネルギー革命がおこり、その最先端の未来都市が浜通りに生まれるかのように、当初は吹聴された。国策である原発の誘致は、国や東電による働きかけや工作があったことは言うまでもないが、「中央に直結する県政」「後進県からの脱出」を掲げる福島県の側からの強い働きかけがあったことも事実だ。
もっとも、原発の地域経済に対する貢献度が低く、被ばくと環境汚染という問題が明らかになるのに、そう時間はかからなかった。
 しかし、むしろ、そこから福島県の原発への依存度が高まっていった。経済成長が行き詰まり、企業誘致もとん挫する中で、公共事業への依存度が高まることと軌を一にして、交付金や補助金を目当てに、県も立地町村も原発への依存度を高めて行った。

  ◇グローバル化の中で

 2000年代に入る頃から、中央政府と中央資本は、経済のグローバル化に対応して、グローバル展開にシフトしていく。しかし、グローバル企業が、高度成長期のように世界を席巻し、それが日本経済をけん引するといった話は全くの幻想だ。しかも、福島の中小企業の中には世界で勝負できるような技術力を持ったものもあるのは確かだが、地域経済は、圧倒的に農業と小売りや流通やサービス業であり、グローバル経済との連関性は希薄だ。むしろ、福島で考えるべきことは、これを機に地域経済に重心を移しその建て直しを図ることだ。しかし、福島県が選択した道は、「ふくしまの将来を支える成長産業の創出」として、自動車部品、電子部品、医療機器などの先端分野の企業誘致と産業集積に期待するというものだった。
 その結果は、当然の如く、人口も雇用も所得も右肩下がりが続いている。

  ◇3・11後も続く

 これが3・11以前において進行してきた真実の姿だ。そして、福島原発事故は、<中央による支配と地方の依存>構造がもたらした帰結であったともいえる。その結果、双葉郡を中心に取り返しのつかない汚染と破壊を受けた。しかし、なお<中央による支配と地方の依存>の構造から抜け出せてはいない。
 佐藤雄平知事を引き継いで、副知事から知事となった内堀氏が掲げる政策の柱のひとつが、 福島・国際研究産業都市=イノベーションコースト構想である。これはアベノミクスにも位置づけられた国策であるが、要するに、原発事故で産業基盤が失われたところに、「国際的な廃炉研究拠点」「ロボット研究拠点」「原子力関係の研究室の集結」で産業基盤を再構築するというもの。原発事故の後もやはり原子力ということだ。

 
(二) 転換の可能性はあるか


 では、<中央による支配と地方の依存>構造から転換する可能性はあるのかを考えてみたい。
 まず、これまでの歴史の中で、転換の可能性はあっただろうか。やや大雑把になるが、明治から今日の歴史の中で、何回かその可能性を垣間見せるものはあったとみることできある。

  ◇三島県令と自由党派豪農の対立

 1880年代の三島県令(県知事)による道路建設を巡る問題である。中央主導で強権的に進める三島県令の開発路線に対して、会津地方の豪農たちは、地域の開発は住民の意思に沿って進めるべきだとして対立した。自主的内発的なものの萌芽がそこにあった。
しかしそれは自由民権運動の弾圧と軌を一にして押しつぶされ、中央依存に転向・吸収されていった。【*1】

*1 『福島県の百年』 大石嘉一郎 山川出版 1992年11月

  ◇只見川電源開発めぐる中央と東北

 1950年代の只見川地域電源開発を巡る問題である。それは、開発計画をめぐる新潟・群馬・福島の三県の対立、東京電力と東北電力との水利権争いなどが絡み合って展開した。
 しかし、本質的には、敗戦からの日本の復興を、東京を中心とした京浜地帯の復興と考え、そのための電力を只見川上流地域の開発をもって得ようという中央政府と、明治の早い時期に内的発展の道を閉ざされてきた歴史を克服しようと考える福島県および東北地方との対立と見ることができる。その決着は中央政府の側の求める方向に収れんされた。
 そして、地域の主体を押し潰して進められた開発は、福島県内でも豊かなであったこの地域を、典型的な過疎地にしてしまった。【*2】

*2 「復興期における只見川電源帰属問題と東北開発」上・中・下 仁昌寺正一 東北学院大学論集 経済学 123号 124号 128号 1993年

  ◇プルサーマル撤回と自立化の動き 

 上で大きなテーマといて扱ったプルサーマル受け入れを巡る問題である。
 当時、地方分権の議論が活発になっていた。その議論の中には、一方で、グローバリズムの流れに乗って、国の政策をグローバル企業中心に転換し、地方もそれに準じて使えるものは使い、それ以外は切り捨てるという方向の議論があり、他方で、戦後も一向に地方自治が進まないことに対して、中央と地方の歴史的な関係を変えようという方向の議論が起こっていった。
 佐藤栄佐久知事の時代、福島県では、国に依存した県政と経済を自立的なものに転換しようという機運が芽生えていた。そして、県政と経済を自立的なものに転換しようと模索したとき、福島の県政と経済をゆがめてきた原子力政策に対する疑問に不可避に行き着いた。
 しかしそれは、国、原子力推進派、自民党、立地自治体の首長などの圧力の中で押しつぶされて引き戻されて行った。【*3】

*3 『福島原発の真実』 佐藤栄佐久 平凡社 2011年6月

  ◇災害の中でも住民らの協同

 東日本大震災と原発事故への対応を巡る動きである。
 原発事故に対する県の対応の問題は上で検討したが、同時に、それとは別次元で、被災直後から、至るところで、被災した住民が協同し、あるいは外部からのボランティアが合流し、救援や助け合いの活動が取り組まれた。国や行政が対応不能に陥った被災直後の混乱はある意味で支配の空白であり、命の危機に対して、社会的地位や思想信条にとらわれることなく、人びとが協同した瞬間であった。そこには、自治的なものの萌芽が生まれていた。
 しかしやがて、国・行政の巻き返しがあり、あるいは、売名や営利や政治を目的とする人びとの影響力が増大していく中で、自治の萌芽は次第に変質し、あるいは行政的なものに吸収され、あるいは排除され、やがては、元の通りの国・行政による支配に引き戻 されて行くという過程を、現在進行形ではあるが辿っている。
 それは、上述の『災害ユートピア』に描かれている通り、古今東西の災害の中で繰り返されてきた推移であるともいえる。


(三) 中央に対する意識


 以上のように、〈中央による支配と地方の依存〉構造からの転換の可能性を孕んだ機会が、実は歴史上、何回か存在したと見ることができるのではないか。そして、現在もまた、そういう可能性を孕んだ歴史的な過程にあるのではないだろうか。
しかし、その可能性を現実の転換としていくためには、やはり、過去において、どうして転換できなかったのかという問題を掘り下げる必要があるだろうと思う。さらにいえば、そもそも転換の可能性があったということを、歴史認識として掘り起し広く共有していくという作業が必要であろう。
 ここでは、ただ、以下のような問題を指摘しておきたい。
 それは、自治体の首長や地域の有力者たちを規定しており、そのことによって住民の多数派の意識をも規定している<東京が中央>であり、<東北は中央に対する周辺>であり、<中央に逆らっては生きていけない>という意識である。
 「中央はどういっているんだい?中央の話を聞いてから決めるよ」
「中央とのパイプがあるかどうかってことが地方の政治では大事なことなんだよ」
「雇用とか、財源とかというときやっぱり中央と繋がっていないとね」
 こういう会話が現実に日常的にある。<中央>という言葉が独特の響きを持っているように感じる。
 常に中央=東京を意識し、政治も経済も文化も、中央を基準に見て、<東北は遅れている>と感じる。そこには、<中央=東京を中心にした日本の発展と豊かさ>に対して、<それを見習い、追いかけるしかない遅れた地方>という固定観念がある。
このようなあり方がまさに支配というものだが、しかしそれが支配としてなかなか自覚されることはない。
 もちろん、そこには、本当に自分たちの考えで自分たちのことを決めようとしたら、後でひどい目に合う。排除され、叩かれ、地域で生きていけいない状態にされる。だからそんな犠牲の大きいことをするべきではない。あるいは、自分たちで決めようとしたら、中央の方から切り捨てられ、そうなったら地方・地域が成り立たなくなる。そういう恐怖が支配している。それゆえに、むしろ地方の側から中央にしがみついて逃さないようにすることの方が大事ではないか。そういう考えになる。
 <国による支配と地方の依存>構造は、このような意識によって支えられている面を持っているのではないか。たしかに支配には実体がある。しかし同時に、そういう支配を支える意識がある。その意識を対象化すること自体の重要性を強調したい。
 これまでの開発政策の問題も、原発の問題も、それをただただ上から押しつつけられただけで成り立つものではない。こうして、支配と依存の関係に組み込まれ、その中心に原発があった。だから、そこから転換しようにも簡単には転換できない体質にさせられてきた。


(四) 知事選の結果と「脱原発」


 さて、【Ⅰ】~【Ⅲ】で、プルサーマルの受け入れ決定および原発事故への対応において、出向官僚の内堀氏の動きを検証し、【Ⅳ】(一)~(三)で、<中央による支配、地方の依存>構造とそこからの転換の可能性、および住民の意識にかかわる問題を見て来た。
 最後に、以上の論及に踏まえつつ、出向官僚であり原子力行政に深く関わってきた内堀氏が知事に当選した福島知事選挙の結果を振り返ってみたい。
昨年10月26日に投票が行われた知事選の結果は内堀氏の圧勝であった。上で見たように、総務省の官僚であり、プルサーマル受け入れや原発事故への対応を指揮してきた人物である。
 ちょうど同じ時期に沖縄では、辺野古に新たな米軍基地の建設を強引に推し進める国に対して、それに反対する翁長候補が、容認の現職候補に大差をつけて当選し、大きな変化を見せている。対照的に、福島はどうなっているのかと見る向きは県内外にある。


福島県知事選の投票結果
49万0384内堀雅雄
12万9455熊坂義裕
 2万9763井戸川克隆
 2万5516金子芳尚
 2万4669伊関明子
 1万7669五十嵐義隆
有権者数:159万9962人
投票総数: 73万3625人
 投票率:  45.85%



  ◇「レールが敷かれる」

 知事選をめぐる状況について、歎息をもって見ている南相馬市の住民が、次のように説明してくれた。
 「もうレールが、ビシッと敷かれるというか、はっきりと(中央の意思が)わかるんだよね。それに対して、どうしろというんだい。そういう気持ちなんだ、多くの人は・・・」
 「レールが敷かれる」とは、選挙が告示される前に、候補者を「オール福島」で一本化する動きがあったことを指す。自民党県連が候補者選びの過程で分裂したが自民党本部が介入し、また、民主党も独自の候補出馬の動きがあったが潰され、そして、大熊町、双葉町など、原発の立地町であり深刻な被害を受けた自治体の首長らが内堀副知事の出馬を要請するという儀式をもって、内堀氏の出馬が決まった。この時点でほぼすべてが決まった。県民にとって、知事選の本番に入る前に候補者の選択が絶たれてしまっている。
 住民に選択を許さない。ここに中央による支配の姿がよく現れている。

  ◇住民の投票行動

 たしかに、投票率45.85%と史上2番目の低さという事実はある。内堀氏は得票率では66.8%だが、有権者数160万人から見たら、内堀氏への投票は49万人で30.6%、棄権数と他候補への投票数を合わせると、111万人で69.35%。
 しかし、そういう中であれ、49万人の有権者が内堀氏に投票している事実を過小評価するべきではないだろう。
 棄権数と他候補への投票数を合わせて111万人の有権者が内堀氏の名前を書かなかったという点を強調する見方もある。しかし、棄権をすべて内堀氏への批判とするのは無理があるだろう。棄権には内堀氏への消極的な承認も少なからず含んでいる。
 やはり、住民の中の多数が、投票ないし棄権という形で、内堀氏を選択し承認したというものとして結果を見据える必要がある。そして、そこには、<中央>を意識した選択があったと見るべきだろう。
 
  ◇脱原発の候補は選択肢ではないのか

 さらに、「脱原発」を掲げる候補が何人か出ていたが、それは住民にとって選択肢ではなかったのかという問題である。
 残念ながら、その候補者は、多くの住民にとって選択肢に入らなかった。
 「脱原発」は争点ではないのか。脱原発ということが原子力の是非の問題として言われているのだとすれば、そのスローガンはやはり住民の多数とはかみ合わないのではないだろうか。
 それを理解するためにも、次のことを考えてみてみたい。
 「企業誘致が進まない中で、財源確保、雇用確保に原発は必要」【*1】。これは、双葉郡の首長らが、プルサーマル推進を要求したときに出た言葉で少し古いが、ここに原発に依存する論理と心理が滲んでいると思う。
 この首長らも含め、原発の利権にまみれている人びとのほとんどが、原子力に対して信念や確信をもっているわけではない。ただ原発を受け入れることで付随してくる交付金、寄付金、公共事業などが必要なんだという話だ。そこにある論理というより心理は、原子力がいいとか悪いとかという判断はしないで、それどころか危険も限界も承知の上で、原子力であろうが、ハコモノであろうが、先端産業であろうが、なんでもいいから、中央に依存して生きて行くしかないという呪縛であり、中央に依存して行けば恩恵がもたらされるという幻想である。
 その呪縛と幻想は、3・11以降も依然として継続している。
 問題は、「脱原発」を掲げて出馬した候補が、こういう呪縛と幻想を打ち破るような対抗軸になっていないことだ。あるいは、そもそも、原発を成り立たせてきたものが、このような呪縛であるという点を捉え損ねている、つまり、「脱原発」のスローガンが、原発に依存する側の論理を捉えていないのではないだろうか。
 「脱原発」は、脱<中央による支配、地方の依存>構造という問題として打ち出されてはじめて住民の多数の気持ちを捉えていく。中央依存の世界とは180度転換し、中央から自立した世界へ進む。政治も経済もその重心をグローバルから地域に置き換える。成長を追い求めるのではなく定常的な社会に移行していく。中央集権ではなく地域自治を、上から下ではなく下から上へのシステムに作り替えて行く。そういう文明的な転換を進めて行くという希望が必要なのだ。
 誤解なきようにいえば、こういうスローガンを掲げれば選挙で勝てたという話をしているのではない。そういう転換ということがいかに重いものであるかを福島の歴史は示している。しかしまた、福島の歴史を学べば、やはりどこかで転換が必要であるし、可能であるということも見えてくるはずだ。
 そして、そういう文明的な転換が、地域の中での運動として姿を現していくとき、呪縛からの解放が始まっていくのではないだろうか。

*1 『福島と原発』 福島民報社 2013年6月

                                    【了】






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テーマ:「原発」は本当に必要なのか - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/03/07(土) 16:00:00|
  2. 福島県・行政
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
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