福島 フクシマ FUKUSHIMA

津波被害と原発震災に立ち向かう人々とともに

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6月の久ノ浜 

5月中、行政は、壊滅状況の久之浜にほとんど何もしなかった。8社の零細な解体業者を手配しただけだ。

久之浜の住民は、屋内待避が4月22日に解除されるまで動きがとれず、その後も、今後の津波対策や原発事故の状況から、久之浜にこれから先、住むことができるのかどうかと、不安を抱いている。そして、誰からも明確な方針が示されないことに、先が見えない苛立ちを募らせている。

そういう中で、久之浜といわきの青年たち数人が、倒壊した家屋の中に詰まったガレキを撤去する作業を自主的にはじめた。人づてにその話が伝わり、様々な人びとが参加し始めた。

倒壊した家屋の持ち主に連絡を取り、解体か修復かの意志を確認し、ガレキを取り除き、分別し、解体業者に引き継ぐ。この過程に行政は介在していない。自主的な行動だ。
この作業が週7日、休まず行われている。朝10時頃、久ノ浜の諏訪神社社務所に集まり、4時頃まで。少ないときは3~4人、多いときは30人ぐらい。近くは福島で自らも被災した人がかけつけ、東京・関東からも入れ替わり訪れ、遠くは関西や北海道から、1日だけの人も、1週間から1カ月の人もいる。

久之浜の住宅地図に、全戸の破壊状況を集約している。諏訪神社の社務所が、実質的なセンターになっている。
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土蔵の中。何十年も昔のもの、家族にとって大切なものが出てくる。多くは海水を浴びてしまって使えない。
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破壊がひどいため、どこから手をつけたらよいか、作業の展望が見えず、重たい気持ちになる。
それは、その家の人にとってはもっと重い。ついこの間までそこに生活していたのだから。ひとつひとつに思い出があり、手が止まってしまう。
外からボランティアとしてきた者は、そういう人の思いを慮りつつ、撤去作業を進める。
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重機が使えるのはガレキの撤去が終わってから。それまでは手作業で進めるしかない。
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この日初めて出会った者同士が、地元の青年をリーダーに、共同作業を進めていく。はじめはぎこちないが、声を掛け合う内に、連携がうまくいくようになる。そうなると、何か同志的な気持ちが芽生え、一軒をきれいに開けたときは達成感を味合う。
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始めは、何もかも諦めているような印象を受ける家主の人も、ボランティアたちの丁寧な作業と、ガレキが撤去された家を見て、前向きな気持ちになっている様子がわかる。
この家の人は、代々100年暮らした家に、感謝の気持ちを表していた。
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テーマ:東北関東大震災 - ジャンル:ブログ

  1. 2011/06/30(木) 21:00:10|
  2. 久之浜
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