福島 フクシマ FUKUSHIMA

津波被害と原発震災に立ち向かう人々とともに

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【論考】  「仮の町」構想と民主主義の再生    双葉町の試み

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〔「7000人の復興会議」・いわき市会議 10月14日〕



 福島原発事故をめぐる問題は、依然として多岐にわたる。事故そのものの収束作業にかかわる問題、子どもをはじめ被ばくしている人びとの健康をめぐる問題、家や土地を失った人びとに対する損賠賠償の問題など。そうした多岐にわたる問題の大きな一つとして、事故以来、全住民が避難を余儀なくされている町の再建・復興の問題がある。浪江町、双葉町、大熊町、富岡町では、「仮の町」という構想をめぐる議論が本格化してきている。
 本稿では、双葉町の取り組みを中心に見て行きたい。




【Ⅰ】 「仮の町」とは



 「仮の町」構想とは、福島第一原発事故によって高濃度の放射能に汚染され、長期にわたって帰還できない状態の自治体と住民が、集団で移転しようという構想。全域が避難区域となっている浪江町、双葉町、大熊町、富岡町が、「仮の町」構想を検討している。
 住民の数は、浪江が2万1千人、双葉が7千人、大熊が1万1千人、富岡が1万6千人、合計で5万5千人に上る。なお、福島県民全体では、約16万人が依然として県内外で避難生活を余儀なくされている。


9月から協議会


 「仮の町」という構想が最初に提起されたのは、昨年末、双葉町の井戸川克隆町長による。今年3月には、浪江町の復興検討委員会が「町外コミュニティ」を整備する案をまとめ、大熊町の復興計画検討委員会が「仮の町」の素案を町長に提出、双葉町が「仮の町」移転構想関連予算を可決と、自治体の側が、「仮の町」へ動き始めた。
 国は、当初、自治体の側からの「仮の町」構想の動きにたいして否定的な態度を取っていたが、ようやく6月に入って復興庁や総務省などによる「仮の町」支援体制を発足させた。そして、9月には、避難側の自治体である浪江、双葉、大熊、富岡の各町と、「仮の町」を受け入れ側である会津若松、福島、郡山、二本松、いわき、南相馬の各市との協議会が始まった。
 浪江、双葉、大熊、富岡の各町の「仮の町」方針は以下のようになっている。

【浪江】 具体的な設置場所は未定。いわき市を希望する者が多数
【双葉】 具体的な候補地は未定。役場機能はいわき市に移転する方針
【大熊】 5年後を目標に、いわき市周辺に設置する方針。
     また現在、避難拠点を置いている会津若松市、さらに郡山市や福島市にも
【富岡】 町内の低線量地区といわき、郡山両市の計3カ所に仮の町を設置する方針




【Ⅱ】 「仮」なのか、恒久なのか



 「仮の町」には、「あくまでも元の町に戻るまでの時限的な」という含意がある。しかし、「では、戻れるとすればいつなのか」という問題がある。それは、放射能汚染の現状と今後の推移をどう見るかということに関わる。また、それに踏まえつつ、主体的な選択の問題として、「戻るのか、戻らないのか」という問題がある。これは、住民にとって、簡単に割り切れる問題ではない。双葉町民から出されている声を紹介する。


戻りたい、戻れない


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〔双葉町郡山地区にある農家。この地で16代続いてきたという。昨年7月一時帰宅時。住民の方より提供〕


「牛、米、山菜、茸・・・。その宝の町から、原発事故によって一瞬にして、追い出された。双葉町に戻ることはどうしても叶えたいが、放射能という悪魔が何十年と続くことを思うとすぐには帰れない」
「双葉町は、100年以上、中には300年以上続いてきた家もある。そういう家が住めなくなったことのショックは単純に割り切れるものではない。『ご先祖様が残してくださった土地を自分たちの代で絶やしてしまう』ことに対する悔しさを感じ、それが精神的負担になっている。新しい生活がしたいとは思っても、気持ちの面では中々前に進んでいくことができずにいる」
「町民の心は『永年住み慣れたところに戻りたい。帰りたい』。これは全町民の願いでもある。しかし現実はどうだろう。高齢者は双葉町に帰りたいと言うが、子ども・若い人は放射能に汚染された双葉町に戻るだろうか。町に若者が戻らなければ、20年後には、老人だけの限界集落になって崩壊してしまう」
「残りの人生を考えると、少しくらい線量が高くても、私たち夫婦で双葉に住んで、双葉で野菜を作って生活したい。それが原因で死んでも構わないから、帰るタイミングは国が決めるんじゃなく自分で決めたい」
          (以上、「双葉町復興まちづくり委員会」に寄せられた委員の意見より・要旨)

 断ちがたい故郷への思い、先行きの見えない不安、新しい生活に踏み出そうとする葛藤がある。また、高齢者と若者とでは、将来への思いや現実の受け止め方も違う。
 こうした中で、双葉町では、町のアンケートによれば、住民の約半数が「仮の町は必要」と答えている。


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〔地震で倒壊した双葉町内の民家。今年7月に一時帰宅時。住民の方より提供〕


150年かかる


 「元の町に戻れるのか。戻れるとすれば、いつ戻れるのか」。この問いに簡単に答えることは難しい。しかし、住民の思いを受けとめた上で、科学に基づいた見通しと判断を示す必要がある。
10月16日、臨時町役場がある加須市で開催された「双葉町復興まちづくり委員会」で、同委員でもある木村真三・独協医大准教授が、「チェルノブイリに学ぶ福島・双葉町の現状」と題する講演を行った。
木村氏は、長年、チェルノブイリの実態調査に携わり、また福島原発事故直後から現地に入ってきた経験とデータに踏まえ、双葉町の放射能汚染の現状と見通しについて見解を示した。木村氏の報告は概略、以下のようだった。

<双葉町の空間線量は、低いところでは毎時0・3マイクロシーベルト程度に下がっているが、最も高いところでは、毎時20マイクロシーベルトを超えている>
<10月2日に町内で採取したコケ類から、最大キロ当たり約57万ベクレルの放射性セシウムが検出された>
<こんなに空間線量が高いところを除染するのは意味がない>
<町民が町内に帰還するまでに、少なくとも150年はかかる>


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〔家の中は、地震でものがひっくり返っている上に、壊れた屋根から雨水が入り畳や衣類が腐ってしまっている。昨年7月一時帰宅時。住民の方より提供〕


 「戻れるまで150年はかかる」。辛い現実を突きつける見解だったが、この講演を聴いた町民のひとりは、「概ね、その通りだと思う」と、静かに受けとめていた。
 もちろん、住民にとって、そこは自分の土地なのであって、「戻る権利」がある。町としてはいずれ必ず戻るし、住民は誰しも戻る権利があるということを確認した上で、やはり、何世代かにわたる長期の移住を構想する必要があるだろう。
 そして、その際、重要なことは、その町の再建・復興が、原子力ムラの再生であったり、都市への再度の従属であってならないということだろう。
 この観点を留意しながら、以下で双葉町の取り組みをもう少し詳しく見て行きたい。




【Ⅲ】 双葉町・7000人の復興会議



 双葉町は、約7千人の町民が県内外に避難している。県内に3千600人、県外に3千300人。県内では、いわき市に1千300人、郡山市に700人など。県外では埼玉県に1100人のほか、北海道から沖縄まで各地に散らばっている。
 役場機能は、震災以降、埼玉県加須市に臨時に移動しているが、10月に入って、いわき市南部の勿来地区に移ると発表された。


町民自身による

 
 双葉町の復興への取り組みは、以下のような形で進められている。
 ひとつは、有識者と町内各団体の長などを中心とした「復興まちづくり委員会」。もうひとつは、「町民みんなが主体的に参加して復興まちづくりを考える」という「7000人の復興会議」。この二本立てで進められている。
 この取り組み方はユニークだ。一般的には、町の有力者が中心になり、外部の機関に委託するなどで計画案を作成し、それができあがったところで町民に提示し、承認を取り付けるというやり方になるのが相場だろう。ところが、双葉町では、先に計画案を作成するという作業をあえて行っていない。
 「7000人の復興会議」では、「みんなでまちづくりとは」として、その趣旨を以下のように述べている。

「・・・町民1人1人の思い、これからの生き方、町の在り方について、町民全員から意見を求め、みんなで考えていく。・・・ 町とは、道路や建物などハードがあっても機能しません。そこに暮らす人がいて、その人達の営みがあって支えあい、町として機能するのです。・・・1人1人の事情や思いを吸い上げ、すべての町民の復興が成しとげられるよう、助け合う関係づくりを育むとともに双葉町の復興まちづくりを、町民の手で実現したい・・・。・・・町民自らが担い手となり、みんなの手で早期の復興を目指します」
     (「7000人の復興会議」専用サイトより・抜粋)


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〔ワークショップの様子。10月14日いわき市内〕


会議で様々な意見


 10月14日、いわき市内で開かれた「7000人の復興会議・いわき市会議」を取材した。
 避難先が全国に散らばっている中で、8月から、福島市、東京、新潟・柏崎市、埼玉県・加須市と、避難している町民の多い地域を巡回して、会議が開催されてきた。その5回目。この日の会議への町民の参加者は約40人。いわき市内に避難している住民で、初めて参加する人たちばかり。
 参加者は、5~6人のグループに分かれてテーブルを囲んで座った。ワークショップ会議という形式で、意見を出しやすくする工夫だ。「復興に向けて」という設定で、自由に意見を出し合って行く。出された意見をその場でカードに書き込んでいく。さらに、その意見がその場ですぐに「7000人の復興会議」の専用サイトにアップされる。サイトへのアップは会議のサポーターが行っていた。会議の終盤に、各グループから、意見・議論の発表が行われた。
 グループの討論では、以下のような意見が出されていた。

「仮設住宅は、不便で狭く、家族が一緒に生活するのは困難。だんだん閉じこもりがちになり、落ちこんでいく」「高齢者はそんなに待てない。避難先で葬式はしたくない」「安住の地がほしい。先が見える場所を決めてほしい」
「もう2年近く経っている。全額補償してもらって、早く次のステップの生活に移りたい」
「仕事、教育などで、現在の居住地を継続したい。仮の町へ帰ることは考えつかない」
「仮の町でなく、真の町に。 日本に一つしかない双葉町ならではの町に。自慢、誇り、心のふるさとに」
「これから先何年帰れないか不安。仮の町はどこにできるのか。病院通いのため、できれば孫たちと一緒の場所に住みたい」
「できれば双葉の人と一緒に集まって住みたい」
「『双葉町は帰宅困難である』とはっきりと言ってもらいたい」
「双葉町という行政組織はなくしてもいい」
「町の場所を一つに決める。そして町民に復興スケジュールを見える形で提示する。心がだいぶ疲れているので、見通し、目標を持たせる。そして町民ひとりひとりが役割をもって町づくりをする」


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〔ひとつのグループがカードに書いた意見。10月14日いわき市内〕


 「仮の町」を必要とし、それをどう実現するかという意見とともに、当面する避難生活の苦しさとその改善を求める切実な意見も出ている。また、すでに避難先で生活再建を進めており、「仮の町」ができたとしてもそこに住まないという意見など、立場や条件の違いも出ている。
さらにまた、以下の様に、「仮の町」の是非以前に、この会議の形や進め方にたいする戸惑いや異論も出ていた。

「期待はずれだ。町長と話をしたかった」
「町は、どんな基本構想を持っているのか」
「町と町長が出てこないと話ができない」

 これも重要な意見だ。このことを含め以下でもう少し検討したい。




【Ⅳ】 「仮の町」をめぐる諸課題



法律・制度上の課題もあるが


 たしかに、自治体の中に別の自治体をつくることは前例がないことで、多くの課題が指摘されている。
 有識者は、税金や選挙権、住民票はどうなるのかといった法制度上の課題を提起している。「二重の住民票がカギを握る」という指摘もある。
また、受入側の自治体には、人口増に伴う交通渋滞の発生、教育・医療など公的サービスの負担増などの課題もある。主要な受け入れ側自治体となるいわき市は人口33万人。このいわき市に、双葉郡8町村から約2万3千人が避難している。それに伴って、すでに、住民同士の軋轢という問題も生じている。
 その関連からも、「仮の町」は、一か所に集中してつくるのか、それとも、数か所に分散してつくるのかということも議論になっている。
 このような法制度や行政上の課題があるのもその通りだが、同時に、より本質的な問題を議論する必要があるように思う。


主体は誰なのか


 重要な課題を提起している意見が、双葉町出身の大学院生で、「復興まちづくり委員会」の委員になっている人から出されている。

 「いくら便利で都市工学の視点から優れた町になったとしても、いままで積み重ねられてきた歴史や文化、人と人との繋がりを捨象した町では、双葉町を称する意味がないと思う。仮の町は、そこに生活する人の実態を無視した便乗型復興論ではなく、そこに生活する人々の実態と求めているものをくみ取った上で、現実と理想とを折衷して構想を立てていく必要がある」
  (「復興まちづくり委員会」に寄せられた委員の意見より・抜粋要旨)


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〔いわき市南台にある双葉町の仮設住宅。400人以上が避難生活を送る。10月17日〕


 「仮の町」は、規模からすれば、1960年代に全国で進められたニュータウン開発のようなものとも言える。ディベロッパー、ゼネコン、コンサルタントなどが、跳びつきそうな話だ。そもそも、政府の復興構想会議は、「創造的復興」と打ち出している。経済産業省などは、「ピンチをチャンスへ」を標語にした。要するに、ビジネスチャンスだと言うのだ。実際、宮城・岩手などの被災地域では、復興計画がコンサルタントなどの手によって次々と描かれている。有識者が集まり、自然エネルギー事業で雇用を生むだとか、観光で経済を活性化するなどといった夢物語を語っている。
 しかし、そこには被災した住民の実情や思いが全く反映されていない。誰のための復興なのかという問題が抜けている。
 また、たしかに住宅は必要だ。「仮設住宅は作りました」「はい、次は復興住宅をつくりますよ」。これが国のやり方だ。しかし、住宅は、あくまでも、被災住民が必要としているものの一部分に過ぎない。町としての機能が必要だし、生活のための手段が必要だし、仕事が必要だし、住民同士のつながりが必要だし、教育や文化が必要だ。
 そして、何よりも重要なのは、町づくりにとって何が必要なのかは、そこに住もうとする人たちがよく分かっていることだ。その人たちを措いて町づくりも復興もあるわけがない。
 その点で、双葉町の「7000人の復興会議」の取り組みからは、指摘されているような「便乗型復興計画」ではなく、住民が主人公となって進める「復興まちづくり」を目指そうという姿勢が伝わってくる。


国の本音は


 最初にも触れたように、国は、「仮の町」構想に否定的な態度をとっていた。
 なぜか。国は、そもそも、「長期にわたって帰還できない」という厳しい現実を認めたくなかったということがあるだろう。
 国は、原発推進に固執する立場から、事故による放射能汚染の被害を、できるだけ小さく見せることに終始している。そういう意図から、昨年8月、除染方針を大々的に打ち出し、「除染すれば早期に帰還できる」という幻想を煽ることに躍起になっていた。
 しかし、実際に除染に取りかかってみると、厳しい結果を突きつけられた。除染ではほとんど何も解決しないし、得をするのはゼネコンだけだということが、広く知られるところとなった。
こうした現実を突きつけられる中で、国は、避難自治体の「仮の町」構想を容認する方向に転じたわけだ。

◇統治の問題

 いまひとつ、国が、「仮の町」構想に否定的な態度をとった理由が考えられる。
 国にとって、自治体とは、住民を統治する機構に他ならないという問題だ。もちろん、憲法上の建前では、自治体は国とは別で支配は受けないとなっているが、実態は、国の下で、徴税と治安維持のために住民を管理し、国策のもとに住民を誘導する機構になっている。原発を立地する過程も、その後のプロセスも、自治体という機構が大きな役割を果たしてきたことを見てもこのことは明らかだ。
 ところが、原発事故によって、この自治体という機構が壊れてしまった。そして、苦しみと怒りを抱えた数万人の住民が、国として、掌握のできない状態で存在している。この住民たちが、「仮の町」という不定形な形で動き出すことに対して、国が統治上の不安を感じ取ったとしてもおかしくはない。
 つまり、「仮の町」構想を、本当に、住民を主人公にして進めようとしたとき、どこかで国と対決せざるをえない局面が訪れるだろう。そういう形で真価が問われるという課題もある。


原子力ムラの支配秩序


 住民が主人公となった「復興まちづくり」が双葉町の議論で試みられていると、上述してきたわけだが、本当に住民が主人公になるためには、課題もまた大きいということも、現場の議論から気づかされる。
 ひとつは、先に紹介したように、会議の形や進め方に戸惑いや異論が少なからず出ており、町長に出席してもらわないと話が進まないとする意見や町の方からまとまった方針を示してほしいという意見が出されていることだ。これをどう見るか。
 <政策は誰かが上の方で作ってくれるもの>という観念、あるいは<どうせ上の方で決めてしまうもの>という諦観が、ここにはある。
 いまひとつは、会議など公の場で、堂々と持論を展開するのは、往々にして、地域や団体の役職についている有力者たち。そういう「声の大きい」人たちの意見が前面に出て、それをもって「住民の意志」とされてしまうという問題である。
 この二つの事柄は表裏一体の関係をなしており、これまで長い間、東電を頂点にこの地域を支配する秩序、立地地域における原子力ムラの秩序をなしてきたものである。
さらにいえば、それは、福島に留まらず、われわれ全体が慣れ親しんできた「民主主義」の実態でもある。ただ、都市部では、後者すなわち地域の有力者支配が崩れてきたため、その代わりの仕組みとして、石原や橋下のようなポピュリズムが導入されている。しかし、本質的には何も変わっていない。


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〔全町民に配られているマイノート。普段感じたことや考えたことを書き留めておき、後に復興会議に提出する。ワークショップ会議、専用ウェブサイトと並んで、町民が自分の意見を公に反映するツールだ〕

◇声にならない声に

 一方で、まだまだ意見を言えない人たち、「声の小さい」人たちがたくさんいる。自分の意見を述べ、それを全体に反映させる機会を持っている人はまだまだ少ない。
 たとえば、世帯ごとにアンケートをやれば、やはり「家長である旦那」の意見が反映される。地域で役職があるわけでもなく、家族の中でも「姑」との関係がある「嫁」は、言いたくても言いたいことは言えない。若者も、おやじ世代のやっていることに対して、いろいろ意見を持っていても、それを公に表明する機会は持っていない。
 そういう人たちが声を挙げ始めることで初めて、原子力ムラの支配秩序も突き崩されていくことであろうし、双葉町の試みも、本当に意味で成功に向かうことであろう。
 だからこそ、声にならない声に、すべての人びとが耳を傾ける必要がある。そして、たとえその声が未だ声になっていないとしても、それを聞こうとし続ける姿勢が求められている。それは、また、福島の声を、都市に住む者が聞く姿勢を持ち続ける必要があるということにも通じていると思う。
 このような課題に焦点を当てようとしているのが、「7000人の復興会議」だ。日本の民主主義の再生――いや「再生」というよりも、本当の意味で「新たに作り出す」といった方がいいだろう――をかけて、双葉町の住民たちが開始した試みに注目したい。    (了)







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  1. 2012/10/25(木) 20:44:50|
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