福島 フクシマ FUKUSHIMA

津波被害と原発震災に立ち向かう人々とともに

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

満開の桜と被災の爪痕   警戒区域解除の小高区


IMG_0233-600.jpg
(小高川の桜が満開。4月21日 南相馬市小高区)



 南相馬市の警戒区域・計画的避難区域が4月16日に解除され、避難指示解除準備区域、居住制限区域、帰宅困難区域の3区域に再編された。〔下図〕
 
 4月21日と24日、警戒区域解除後の小高区を訪ねた。
 
 
kuikisaihenn-400.jpg



国道上に流された車



 原町区の町場から国道6号線に入り南へ。これまで検問所が置かれていた花園ドライブイン付近を過ぎ、しばらく走ると、様子が変わってきた。
 津波で流され、潰れたり、ひっくり返ったりした車がそのままだ。


IMG_0033-400.jpg 


IMG_0041-400.jpg

 
 これは、1年前と見まがうような光景だ。
 小高区は、沿岸部で大きな津波被害を受けた上に、原発の爆発で避難を余儀なくされた。そして、福島第一原発から20キロ圏内にかかって警戒区域とされた。
 その後、自衛隊によるガレキ撤去作業が行われたが、1年以上が過ぎているのにこの状況だ。



小高駅付近まで泥が



 6号線を外れて、小高駅に回ってみた。
 

IMG_0049-400.jpg 


IMG_0046-400.jpg 

 

IMG_0048-400.jpg 


 小高駅は、通勤・通学の乗降客が結構、多かったという。
 駅前の自転車置き場には、あの日以来、置き去りにされている自転車が。

 駅の向かいで作業をしている人の姿が見えた。
 自動車整備工場で泥出しをしていた。


IMG_0052-400.jpg 


 ここは、海岸から約2.7キロ。津波がもろにきたわけではないが、川を逆流した海水が排水溝から吹き出し、工場の機械が浸水したという。
 一時帰宅で数回戻ったが、そのときはなにもできなかった。ようやく16日に解除になってから、泥出しを始めることができたという。
 
 電気は、4月中におおむね復旧の見通しだが、水道は来年までかかるという。 インフラの面だけでも、生活できる状況ではない。
 
 さらに気になるのは、放射能だ。この辺りの空間線量はどうなのか?


IMG_0057-400.jpg 


  駅前で、空間線量を測定している若者に偶然、出会った。
 線量計を見せてもらうと、約0.40マイクロシーベルト/時。同じ日の南相馬市役所での測定値が0.37マイクロ。
 低いとは言えないが、福島県全体が汚染されている中で、この数値はあまり驚かない。小高区でも、海に近いほど、相対的には低い数値になっている。



地震の爪痕も



 駅前通りを進むと、倒壊した家屋が目に入ってきた。


IMG_0060-400.jpg


IMG_0252-4.jpg


 お菓子の工房の前に、思いを込めた看板が。
 
 古い土蔵が倒壊して、通りを半分ふさいでいた。


IMG_0285-6.jpg 


 これを見ると、津波だけでなく、地震の被害の大きさを改めて思い知らされる。
 小高区の震度は6弱。


IMG_0289-4.jpg 


 あまり人影のない通りに、女性の話し声が。ご近所同士の1年ぶりの再開だった。
 左の女性は相馬市に、右の女性は福島市に避難していた。 
 近所同士でも、お互いどこに避難をしているのか消息ががわかない状態だった。
  とにかく再開を喜び合っていた。



小高区役所



 小高区役所に行ってみた。 
 業務は再開していないが、市の職員が、ここを拠点にして作業を始めていた。


IMG_0353-4.jpg 


IMG_0355-4.jpg 


 区役所の空間線量が表示されていた。0.229マイクロシーベルト/時。 

 

浪江方面へ



 小高駅を離れて、浪江町の方に走った。

 小学校があった。


IMG_0077-400.jpg 

 
 
 金房小学校。新入生を迎えて、にぎやかになっているはずの季節だ。 
 しかし、もちろん、誰もおらず、ひっそりとしている。 
 原発事故以前、金房小学校には、145人の生徒がいた。
 現在、金房小学校は、鹿島区の上真野小の仮設校舎に移っている。生徒数は26人になっている。



1年ぶりの墓参り



IMG_0094-400.jpg


 
 川房地区で、老夫婦が、お墓の掃除をしていた。
 一時帰宅で3度戻ったが、それ以外では初めて。
 
 この地域は、浪江町や飯舘村に近く、事故で放出された放射性物質を多量に含んだ雲が、真上を通過したところ。
 現在も汚染は高い。県の測定値で、空間線量は2.54マイクロシーベルト/時。再編後も居住制限区域とされている。

 老夫婦は、お墓の前で、「こんなことになってしまって、ご先祖に申し訳ない」。
 そして、原発事故はもう終わったことであるかのような調子で復興を叫ぶ流れにたいして、「何が復興だ」と、疑念と怒りを露わにし、「民主党も、自民党も、私らのことなど、全然、考えていない」と厳しい批判を口にした。



「殺処分反対」 エム牧場



 さらに、浪江町との境まで行くことができた。

 すると、何かを訴える看板が。 


IMG_0081-400.jpg
 

IMG_0083-600.jpg


 原発から14キロの地点にあるエム牧場。
 

IMG_0248-400.jpg


CIMG4185-300.jpg 


 牛たちも、牧場長である吉沢正巳さん〔上の写真は2月下旬、警戒区域に入る検問所(当時)直近の花園ドライブインで〕も、大量に被ばくをしている。

 国は、牛の殺処分を指示した。
 しかし、吉沢さんは、それを受け入れられなかった。
 日本でチェルノブイリが起こってしまった。その生き証人として、ここで生き続けることで、国や東電にたいして抗議し続ける。吉沢さんは、そういう生き方を選んだ。吉沢さんは、二本松市で避難生活をしながら、牛の世話のために毎日、ここに通っている。



国道6号線の検問所


 
 6号線に戻って、検問所に行ってみた。
 ここは、第一原発から10キロの地点。


IMG_0104-400.jpg


 広野町と楢葉町の境にある検問所ほど出入りは多くないが、一時帰宅や警戒区域内での作業のために、車両が出入りをしていた。


IMG_0105-400.jpg



時間が止まっている



 検問所を離れて、海岸方向に向かった。
 福浦小学校と書かれた給水槽が転がっていた。しかし、校舎の影は全くない。
 福浦小は、海岸から2キロ以上。


IMG_0110-600.jpg


 道路が、途中で水面下に沈んで寸断されている。
 ここは、田畑や民家があったところだが、津波に襲われ、水が引かないまま、一面が湖のようになっている。


IMG_0114-400.jpg 


IMG_0117-400.jpg 


 家も車も、グチャグチャ。津波の威力の激しさを物語っている。


IMG_0118-400.jpg


 蛭子稲荷神社にもよってみた。


IMG_0150-400.jpg


 視線を感じたので上を見ると、猫と目があった。


IMG_0152-400.jpg


 鳥居も倒れていた。

 津波で壊れた家に、家族が集まっていた。


IMG_0182-400.jpg


 この家族は、今は、神奈川県に避難しているという。
 この地で5代続いた農家。先祖が富山から移民をしてきたそうだ。
 しかし、もうここには住まないと言っていた。
 
 相馬地方は、江戸後期の天明の飢饉(1782~87年)で大きな被害を受け、人口が激減。労働力不足を補うため、相馬藩が移民政策をとった。砺波地方から、浄土真宗の門徒を中心に約1万人が移民をしてきた。
 先祖が富山から来たという人によく会う。
 しかし、今回の津波と原発の被害によって、その歴史も寸断されようとしている。


 村上海岸の堤防。
 津波で、堤防は至る所で決壊していた。


IMG_0385-46.jpg


 海岸線だが、高台になっている戸屋の集落。
 津波は、斜面を駆け上がり、高台の上まで襲いかかった。


IMG_0409-4.jpg


IMG_0426-4.jpg


 崖の端に、流された家がかろうじて引っかかっていた。

 原町区下江井の水田地帯。ボートがここまで運ばれていた。
 戸屋から北は、原町区だが、20キロ圏内だったため、警戒区域に指定されていた。


IMG_0431-46.jpg



小高神社の桜


 
 海岸線を離れ、小高神社に向かった。

 小高川の桜が満開だった。


IMG_0333-4.jpg



IMG_0211-400.jpg


IMG_0230-400.jpg


小高神社の石段を上ると、倒壊した灯篭が目に入る。


IMG_0305-4.jpg


IMG_0209-400.jpg 


 小高神社のある小高い丘は、かつて相馬氏が居城を築いたところ。
 そして、桜の名所でもある。
 もし原発事故がなければ、「浮船まつり」や花見で賑わったいた頃だろう。
 しかし、警戒区域が解除されたばかりで、まだ、訪れる人はまばらだ。

 そんな中で、一組の母子が階段を登ってきた。


IMG_0240-400.jpg 


IMG_0245-400.jpg 


 このすぐ近くに自宅があるという。
 いつも散歩していたこの場所に、親子で、1年ぶりにやってきた。

 原発事故後、福島市に家族で避難。しかし、知り合いのいないところでの生活で、ストレスをため、体調を崩してしまった。そのため、原町区に戻ってきたという。

 息子さんは、小高小の5年生。いまは鹿島小にある小高小の仮設校舎に通っている。
 事故後、避難で、散り散りになって、消息の分からない友だちがたくさんいる。避難生活を伝えるテレビ報道に、そういう友だちがたまたま映っていることがあるそうだ。「『あっ、△△君だ』って、見つけたりするんだ」と話してくれた。
 明るく話すが、それだけにいたたまれない気持ちにさせられた。

 このあと、小高小を見に行くと言って別れた。



再編後の行方


 
 避難区域の再編は、政府の以下のような基準に基づいて行われた。

 避難指示解除準備区域: 空間線量が年間20ミリSv以下
       居住制限区域:     〃     20~50ミリSv
       帰宅困難区域:     〃     50ミリSv以上 

 
 区域再編の対象となったのは、南相馬市で、警戒区域とされていた原町区の一部と小高区。対象となったのは、3979千世帯・1万3256人。

 避難指示解除準備区域: 3846世帯  1万2740人 
       居住制限区域:  132世帯      514人
       帰宅困難区域:    1世帯        2人 

 
 警戒区域の解除で、解除準備区域および居住制限区域は、立ち入りが自由になった。製造業などの事業の再開もできるという。  
 しかし、夜、自分の家に泊ることも、認められていない。 
 また、電気は、4月中におおむね回復する見通しだが、水道については、来年の3月までかかるという。
 ガレキの処理問題についても、明確な方針は決まっていない。
 何よりも、「年間20ミリシーベルトは超えない」という空間線量の基準が、将来にわたって健康被害をもたらさないという保障はない。
 除染も、小高区では全くこれからだが、そもそも、鳴り物入りで始められた除染だが、一向に成果らしい成果が上がっていない。
 これが、実情だ。

 小高区の行政区長連合会が、区域再編に関して、同区の全3700世帯を対象にしたアンケート調査を行った。 (3月中に郵送にて実施。回収率30.1%)
 報道によれば、結果は以下の通り。

▽「小高区に戻りたいか」について
・戻りたい                         53.9%
・戻らない                         18.5%
・   未定                           27.6%

▽「戻りたい」と答えた世帯のうちの戻る時期について
・今後の状況を見て(3~5年先)         31.6%
・南相馬市が戻ってよいと判断した時      29.3%
・今後の状況を見て(1~2年先)               22.6%
・国が戻ってよいと判断した時             8.5%

▽戻ることへの不安について
・健康のこと(放射能汚染、医療福祉施設) 29.3%
・子、孫のこと(教育、健康、就学)       22.6%

▽「戻らない」の理由について
・汚染された地域での生活は不安      43.4%
・放射線量が下がり、生活基盤が整備されて小高区民がある程度戻っても、将来性がない                      
                                                           42.4%
・新天地での生活をスタートさせた           7.3% 



 このアンケート結果には、小高区の住民の引き裂かれるような思いが表されていると感じた。
 誰もが、住み慣れた土地への思いを募らせている一方で、「戻らない」と答えた人はもちろん、「戻りたい」という人も、放射能と健康被害にたいする不安を抱えている。
 さらに、双葉地方・相馬地方の経済圏・生活圏が、放射能汚染によって大きく破壊されており、避難指示が解除されたからといって、元の生活を取り戻せるわけではないという実情が重くのしかかっている。
 また、国の示す判断や基準ということをほとんど信用していないということもよくわかる。

 一体、どうするべきなのか。
 国や御用学者の言う「安全だ」「戻れる」などという話はもっての外としても、逆に、「危険だ」「戻れるところではない」ということを外から決めつけてかかるのもまた、住民にとって受け入れられるものではない。
 必要なのは、小高区の住民が、自分たちの力で、汚染の実態をつかみ、過去の教訓と知見に基づいて、一歩一歩、納得のいく形で、判断していく以外にないのだと思う。
 そのためにも、この事故の真剣な総括と責任の明確化がなされなければ、前に進むことはできないだろう。






関連記事
スポンサーサイト

テーマ:東北関東大震災 - ジャンル:ブログ

  1. 2012/04/28(土) 11:02:49|
  2. 南相馬市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
次のページ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。