福島 フクシマ FUKUSHIMA

津波被害と原発震災に立ち向かう人々とともに

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いわきのホットスポット 志田名・荻地区 住民が自ら調査し告発

住民が自ら、放射線量を調査し、ホットスポット(局地的に放射能汚染が高い地点)であることを告発している地域がある。いわき市の北端、福島第一原発から約28キロの地点にある川前町の志田名地区と荻地区。

先月18日、この地区を訪ねた。いわき市の中心部から車で2時間近く。車1台がやっとの山道を走りぬけ、なだらかなところに出ると、点在する民家が視界に入る。雨に濡れた新緑の里山がきれいだ。が、6月なのに田植えがおこなわれていないことに気づく。

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 志田名地区の集落。田植えは例年5月20日頃。屋内退避が4月22日に解除になったが、苗が作れずやむなく休耕

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同地区には、44世帯140人が生活する。大半が兼業農家。小・中・高校生も約20人いる。
ここで、放射能汚染の調査と告発の先頭に立つ酒井忠平さん(61)にお会いした。



悔しいよねえ

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酒井忠平さん。34年間農協に勤務。酒井さんの作る山菜の漬け物は町でも人気。しかし今は生産を中止している。
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酒井さんが、自作の「志田名・荻 放射能測定一覧表」を見せてくれた(写真・上)。縦に4月24日から6月13日までの日付け、横に同地区内の9カ所の測定地点。そして測定した数値が記入されている。
一番低い数値で1.03マイクロシーベルト/時。一番高いのは6.39マイクロシーベルト/時。2~3マイクロシーベルト台が一番多い。年間累積にしたら、約18~26ミリシーベルト。飯舘村と同じ「計画的避難区域」に相当する。
ところが、原発事故から3カ月以上経っても、行政は動いていない。住民は、放射能汚染下に放置され、被ばくしている。
「悔しいよねえ。私らがここに住んでいるってことを、行政は全く考えていない。それが悔しくてね」。



何の指示もない


同地区は、3月11日の地震被害はほとんどなかった。だが停電となり、テレビと電話がとまった。酒井さんは、車のラジオで情報を得ていたという。
3月13日あたりから、同地区内を通る国道を、第一原発のある双葉郡の方向から、車がどんどん走り去っていく。だけど、同地区には、何の指示もない。そういう異常な状態におかれた。
酒井さんは、自主判断で、まず家族を避難させ、15日の3号機の水素爆発直後に、自身も郡山を経て、埼玉に避難。3月27日に戻ってきた。



根拠ない「解除」


同地区は、「屋内退避地域」に指定されたが、4月22日、指定を解除。
解除に当たって、同地区の放射線量を調査したわけではない。他方、すぐ隣の川内村は「緊急時避難準備区域」の指定が残った。志田名・荻地区が安全という科学的な根拠は示されていない。住民は不安を募らせた。



エレイことだ


そういう中で、放射線量を自主的に測定する動きが生まれた。同地区で、線量計をインターネットで購入し、測定を始めたのは大越キヨ子さん(62)。大越さんは、4人の孫と暮らしていたが、孫はいま広島に避難。孫が早く戻れるようにと、測定を始めたという。
「これはエレイことだ」。大越さんが測定した数値を見て、酒井さんは跳び上がった。そして、「『毎日、調べるべ』となった。誰かに言われたんでなく、自分たちで始めた」。やがて、「あれ、自分とこ、こんなに高いんだ」と住民の多くがわかるようになってきた。
「もしやらなかったら、行政の言うとおりに、(10キロも離れた)川前支所で測った数値で、『安全だ』とされていた」。



ふざけんじゃないぞ


6月14日には、いわき市川前支所との会合が初めてもたれた。酒井さんは、「(測定結果を)ぶつけてやった。だけど支所からは何もなし。こんな事実があるのに。だから悔しいの」。
挙げ句に支所の職員が吐いた言葉は、「あんたたちは何をしてもらいたいんだ?」。
これには強い怒りを覚えたという。「ふざけんじゃないぞって。そんなことをおれは求めていない。最初の出だしからやれよと。まず、この3カ月間(住民を放置したこと)の謝罪がないと」。



線量計が17.6マイクロシーベルト/時


酒井さんが線量計をもって、車で一帯を案内してくれた。同地区内の観測地点を回り、さらに郡境の峠をこえて川内村に入った。
同地区内では、概ね2~4マイクロシーベルト台だったが、Iさんの田んぼ付近の側溝では、17.6マイクロシーベルト/時という驚愕の数値が。これは年間累積で154ミリシーベルト。ICRP(国際放射線防護委員会)とIAEA(国際原子力機関)の緊急時の放射線防護の基準値=年間20~100ミリシーベルトも超えている。

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ところが、川内村に入ると、放射線量は下がっていく。川内村は、志田名・荻地区より原発寄りで、「緊急時避難準備区域」に指定、住民の多くが依然避難している。原発からの距離とは別に、同地区がホットスポットになっているのだ。

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〔使用した線量計は、校正(標準に合わせること)をしたものではない〕


チェルノブイリに匹敵


酒井さんにお話しを聞いた日の午後7時、志田名集会所に続々と住民が集まっていた。福島の放射能汚染の実態調査をしている木村真三さんが、この間、志田名・荻地区で調査をおこなっていた。酒井さんらの自主的な調査の動きを知って、木村さんが協力したもの。その調査結果が、この日、住民に報告される。

木村真三さんが、NHKの取材クルーとともに酒井さんの家に
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木村真三さん。放射線科学者。チェルノブイリの被害を研究。厚労省・労働安全衛生総合研究所を辞し、福島の放射線汚染測定に奔走。NHK・ETV特集で有名に



第1ゾーン=避難地域


木村さんは、パワーポイントを使い、この間の採取した土壌の分析結果を説明していった。畑、田んぼ、牧草地、小学校の校庭・・・。1平方メートルあたりのセシウム濃度が発表される。数値だけでは実感がわかない。木村さんは、チェルノブイリにおける汚染と規制の区分(※)を対比させながら、その意味を説明していった――
(単位 キロベクレル/平方メートル)
・Iさん畑    1485 これはチェルノブイリでは、第1ゾーン=避難(特別規制)地域に匹敵する値。
・小学校校庭  245 第3ゾーン=移住権利対象地域に匹敵する値。
――すでに自分たちの調査で、ある程度覚悟していたとはいえ、数値の深刻さが分かる毎に、「アー」という嘆息がもれた。

 ※チェルノブイリにおける汚染と規制の区分
    (単位 キロベクレル/平方メートル)
 ・第1ゾーン 1480 ~      
        避難(特別規制)対象地域
 ・第2ゾーン  555 ~ 1480 
        移住義務対象地域
 ・第3ゾーン  185 ~  555 
        移住権利対象地域
 ・第4ゾーン   37 ~  185 
        放射能管理強化地域 

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 13日から15日かけて相次いで水素爆発。15日の風は第一原発から南西方向に吹いており、しかも雨が降っていた。水素爆発で吹き上げられた放射性物質が雲に吸収され、その雲が山にぶつかって放射性物質を大量に含んだ雨を降らせた。その場所が志田名・荻地区だった。



野菜は…子どもは…


続く質疑では、「いつになったら汚染が消えるのか」、「野菜は作ってはいけないのか」、「子どもは・・・」と、すがるような思いの質問が。


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140人の住民のうち、80人以上が集まった

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畜産を営む男性が牧草の汚染について質問


木村さんは、「辛い。『ここには住めない』ということを言うのは」と苦衷を吐露しながら、科学者としての見解を述べていった。と同時に、「しかし見捨てられない。チェルノブイリのようにしない。いまならまだ間に合う」と心を込めて語りかけ、6月にチェルノブイリを訪問した際に、現地の医師から受けたアドバイスを紹介した。それは、①農地は表層5センチを除染すれば、耕作は可能。②子どもには、汚染されていない地域の食品を。③子どもは外から帰ったら、シャワーを浴びさせて―など。
木村さんの話と質疑を受けて、最後に酒井さんが、住民を代表する形で意見を述べた。「『子どもたちがここのものを食べられない』ということは、われわれの後継者が住めないということ。厳しい。集団で移住はある。歯抜けのようになるのが一番悪い。地域の絆が壊れる。4月22日(何の調査もなく)屋内退避を外したのが納得いかない。ふるさとをなくさな いために、よく話し合おう」と、住民の団結した行動を呼びかけた。



徹底的にいく


終了後、参加者が三々五々帰る中で、酒井さんは、「われわれがいろいろ積み重ねてきて、やっとここまで来た。3カ月。今晩の結果を受けて、(政府と行政にたいして)、徹底的にいこうと思っている」とたたかいの決意を語ってくれた。
          ・      ・      ・
この翌日19日には、木村真三さんによる同じ内容の報告会が、いわき市小名浜で開催。900人が詰めかけた。

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  1. 2011/07/05(火) 20:52:47|
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