福島 フクシマ FUKUSHIMA

津波被害と原発震災に立ち向かう人々とともに

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30代母親の訴え:未来ある子どもたちを被ばくさせるしかないのでしょうか?  ―南相馬市206世帯808人が提訴 



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(経済産業省前で抗議の声を挙げる南相馬市の原告住民)



 年間20ミリシーベルト基準による特定避難勧奨地点の指定解除は違法であるとして、南相馬市の住民206世帯808人が国を訴えている。その第1回口頭弁論が9月28日、東京地裁で開かれた。

 この日は南相馬市から33人の原告住民がバスや車で駆けつけた。裁判が始まる前、ビラの配布やマイクでの訴えを行った。福島県内や首都圏からこの裁判を支援する人びとも加わり、原発行政を取り仕切る経済産業省に向かって抗議の声を挙げた。
 開廷は14時。傍聴希望者多数で事前に抽選が行われた。約100席の傍聴席は満杯になった。
 原告側の席には33人の原告と6人の原告代理人の弁護士。福田健治弁護士、そして2人の原告住民が意見陳述を行った。
 高倉区長の菅野秀一さんは、「生活圏には無数のマイクロホットスポットがある。子どもや孫が低線量被ばくを半ば強要され、将来に健康被害が出るというような禍根を残すべきではない。原発事故対応の悪しき先例を、世界の基準として残してはならない」。
 また30代の母親は、「これから未来ある子どもたちを安々と被ばくさせるしかないのでしょうか。いつのまにか20ミリシーベルトに引上げられていました。私は、国による一方的な解除にとても納得がいきません」。      
〔*原告住民の意見陳述(要約)は下に掲載〕


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◇国は門前払いを主張
 一方、被告側の席には、法務省の訟務検事と内閣府原子力災害対策本部の職員など9人。訟務検事とは法務省に所属し、国が当事者となった民事訴訟や行政訴訟を担当する検事。また、原子力災害対策本部の職員の中には、南相馬市の住民対策で動いている職員の顔もあった。
 被告側の陳述は行わなかったが、書面で提出された答弁書で、「特定避難勧奨地点の設定は、住民への通知又は情報提供という事実上の行為であり・・・何らの法的効果を持たない」「解除も、何らの法的効果を持たない」「設定・解除は、国民の権利義務ないし法律上の地位に直接具体的な影響を及ぼすものではない」とし、原告住民が訴える利益はなく、門前払いにするべきと主張した。
〔*被告・国側の主張の問題点に関して、福田弁護士の報告集会での発言(下に掲載)を参照〕

◇地域が一体となって
 訴えを起こした住民らが暮らしていたのは、南相馬市原町区の片倉、馬場、押釜、高倉、大谷(おおがい)、大原、同市鹿島区の橲原(じさばら)、上栃窪(かみとちくぼ)の8行政区。阿武隈山地の東の麓、飯舘村に隣接している。
 飯舘村のように、地域全体を避難区域に指定すべき放射能汚染のレベルがある。ところが国は、約850世帯中152世帯に限定し、しかも「避難勧奨」という曖昧な文言で指定を行った。実際には指定されなかった世帯も含め住民の多くが避難をしている。
 ところが、昨夏から国は、南相馬市の特定避難勧奨地点の指定解除に動いた。住民の大多数は、年間20ミリシーベルト基準による指定解除に疑問や反対を表明していた。昨年12月21日に開催された住民説明会でも、高木経産副大臣の説明に対して住民から批判や抗議が噴出し、国は住民を説得することが全くできなった。
〔*2014年12月21日「南相馬市の特定避難勧奨地点に関する住民説明会」については本サイト報道へ
 にもかかわらず、国は、「年間20ミリシーベルトを下回ることは確実である」という判断で、南相馬市の特定避難勧奨地点152世帯の指定解除を決定。指定世帯に対する賠償や支援を打ち切り、依然として線量の高い自宅・地域への帰還を促している。
 このような国のやり方に対して、住民は諦めなかった。206世帯808人という原告の数は、8行政区の全世帯数約850世帯の約4分の1に当たる。特定避難勧奨地点の指定世帯152世帯の6割以上が原告に加わった。また8行政区の区長も全員が原告となった。指定世帯と非指定世帯との分断を乗り越えて、地域が一体となって国に対して訴えを起こすに至った。


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◇20ミリシーベルト基準を問う
 原告の住民らの訴えの論点は、原告住民らや弁護士の陳述、発言などによれば、以下のようにまとめられるだろう。
①年間20ミリシーベルトという指定解除の基準はあまりに高すぎる。それは放射線管理区域の設定基準のおよそ4倍。厳重な放射線防護対策や入退域管理が行われてしかるべき環境だ。そのような苛酷な環境の中で、子どもたちを含めて生活しろということは到底承服できない。
②年間20ミリシーベルト基準は、国際基準上も国内法令上も違法である。原発事故以前から一般公衆の被ばく限度は年間1ミリシーベルト。国は、人びとの健康な生活を確保する義務を負っている。20ミリシーベルト基準はその義務に違反するものだ。
③何よりも自分たちの子どもや孫らの健康を守りたい。数ミリシーベルトという低線量の被ばくでも、健康への影響の増大が報告されている。子や孫がそういう環境の中での生活を強いられ、将来に禍根を残すということがあってはならない。
④20ミリシーベルト基準を今後の被ばく問題の基準にさせてはならない。南相馬市と福島で行われている20ミリシーベルト基準の避難解除を認めたら、これから先、全国の原発の避難政策の基準となり、世界の基準になってしまう。だから、20ミリシーベルト基準を正面から問わなければならない。

〔以下、高倉区長の菅野秀一さんと30代母親が行った意見陳述(要約)、さらに福田弁護士の報告集会での発言(一部要約)を掲載する。文責・見出しは編集者〕


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20ミリを世界基準にさせない
 孫子の代に禍根残さぬために



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高倉区長・菅野秀一さんの意見陳述(要約) 


 私は、地区長として、高倉地区74世帯の住民のお世話をしています。南相馬市・福島県・国の機関などに対して数々の要請をしてきましたが、その内容についてほとんど受け入れられることなく、ずっと放射能から住民を守りきれずにおりました。8地区が一丸となって、子どもも含めた年間20ミリシーベルトというあまりにも高い基準での特定避難勧奨地点の解除に異議を唱えるに至りました。しかし国は、平成26年12月28日に住民の意向をまったく無視して指定解除を強行しました。
 地域の実情がどうなっているのかをご説明申し上げます。

◇生活圏に無数のホットスポッ
 放射能による被ばくの影響はよくわかりません。国は、「年間20ミリシーベルト以下での健康被害は考えにくい」としていますが、福島県内での小児甲状腺がんが多発しております。また、チェルノブイリ原発事故における低線量下の健康影響の報告もあります。これらのことを考えると、子育て世帯が避難をするのは当然のことだと思われ、私が避難を止めることや避難先からの帰還を勧めることはありえないことだと考えています。
 高倉地区では、特定避難勧奨地点が解除されても、若い人は誰一人戻ってきません。子どもは一人もいません。
 若い世帯が戻らないのは、宅地の除染が済んでも、生活圏には無数のマイクロホットスポットがあることを知っているからです。除染でも放射線量は3割程度しか下がらず、そこで子育てをすることは無理だと考えているからです。

◇高齢化とコミュニティの崩壊
 約6割の高齢者は帰ってきましたが、いま住んでいるのは70歳を超えた人たちばかりです。人がいないので、コミュニティは完全に崩壊しています。若妻会、子供を守る会、消防団、婦人会、老人会は全て解散しています。学区内の小学校や中学校は何とか開校しておりますが、幼稚園は閉鎖されたままです。
 市街地に目を向けると、総合病院は隣町に移転しました。スーパーや小児科病院が閉鎖されたままです。職員不足で老人福祉施設が縮小されました。わずかに賑わっているのは除染作業員が立ち寄るコンビニや宿泊業などです。

◇体の不調
 体の不調を訴える人たちもいます。放射能で汚染された田畑で作物を作れない、人がいなくてお祭りができないことなどが原因かもしれませんが、免疫力の低下によって、原爆ブラブラ病のように、とにかく疲れる、いくら寝ても寝た気がしない、目がかすんだりしょぼしょぼする、鼻血、うつ病などの症状をよく耳にします。平和な山里の暮らしが一変し、身の回りの健康被害がこの先ずっと続くのかと思うとすごく不安になります。

◇生態系の異常
 生態系の異常も目にします。モリアオガエルの個体数が激減しています。原発事故以前と比べると鳥類や昆虫類も少なくなっています。
 かたや、イノシシ・サル・タヌキ・ハクビシンなどの野生動物にとっては楽園となっています。これらは、放射能の影響とはいい難いかもしれませんが、環境の変化は肌で感じ取ることができます。
 現在調査中の土壌の汚染が深刻なようです。今後は、西側に隣接し全村避難中の飯舘村からの放射能が再浮遊し、偏西風による地域再汚染も懸念しています。

◇被害者を切り捨てるな
 このようなことから、年間20ミリシーベルト基準で特定避難勧奨地点を解除するという愚行は承服することができません。
 年間20ミリシーベルトというのは放射線業務従事者の基準であり、国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告による公衆の被ばく限度の世界基準は年間1ミリシーベルトで、国内法でもこれを取り入れてきました。日本が法治国家であるのなら、この基準を厳守すべきであり、住民の生存権を最大限に考えるべきです。
 この夏、広島の原爆投下70年式典に足を運びました。そこで、70年後のいまも原爆症の認定を求めている方にお会いしました。低線量被ばくの環境に身を委ねることを半ば強要されている私たちの子どもや孫が、70年後に同じことを繰り返さなければならないような禍根を残すべきではないと考えています。
 経済性を優先して放射能汚染の被害者を切り捨てることがあってはならないと、司法が判断されることを切に望みます。原発事故対応の悪しき先例を世界の基準として残さないためにも、避難の放射線量基準は年間1ミリシーベルトとすべきです。


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(公判後の報告集会で、原告住民が次々と思いを語った)



未来ある子どもたちを
被ばくさせるしかないのでしょうか?



30代母親の意見陳述(要約)


 私は原発事故当時、両親と夫と子ども3人の7人家族でした。子どもは3人とも男の子で、長男と次男は小学生、三男は生後11か月でした。

◇南相馬市から福島市へ
 3月12日、原発が爆発したとニュースで知り、南相馬市から福島市の姉の家に避難しました。
 福島市は断水していて、給水所まで交替で水を貰いに行ったり、三男をおんぶしながら1時間以上並んで買い物をしたりと大変でした。今考えると、あのとき屋外にいたことで初期被ばくの影響を受けていないか心配です。

◇福島市から猪苗代町へ
 新学期が始まり落ち着いてきた頃、福島市もある程度放射線量が高いと知り、ハイハイをしている三男のことを考えて知人のいる猪苗代町の磐梯青少年の家に避難することにしました。しかし、仮設住宅の申請や手続きなどの情報を入手するのが困難だったため、両親は南相馬市の自宅に戻ることにしました。その後、父がくも膜下出血で倒れ緊急手術をすることになりました。両親が大変な時に一緒にいてあげたかったのですが、子ども達を避難所にいる知人にお願いしてきたため、休暇を取ってきた姉に母や父をお願いして、私は(猪苗代町の)避難所に戻りました。事故後の南相馬市の自宅での母の生活は、事故前と違って何をするにも大変だったと思います。
 7月に入ると、避難所になっていた青少年の家が通常営業を始めました。だんだんと一般の利用者が多くなって、避難者の居場所が狭くなり、早く出て行かなければと思わせるような雰囲気になっていました。

◇猪苗代町から山形市へ  
 親戚が山形の借上住宅にいたので、それを頼りに何度も山形に通い、8月から私たちも山形に借上住宅を借りることができました。夫は仕事のために南相馬市に戻らなければならず、私と子どもたちだけの避難生活が始まりました。子ども達が何度も原因不明の鼻血を出したり、風邪を引いたりしたので病院に頻繁に通いました。南相馬市には小児科がなくなっていたのですが、山形市では病院や買い物などで困ることがなかったので、助かりました。しかし、夫は可愛い盛りの三男と一緒に暮らすことができず、仕事で疲れているにもかかわらず2時間以上かけて車で山形まで来てようやく子どもたちに会える状態だったので可哀想でしたし、苦労させたと思います。
 翌年の2学期から長男が学校に行きたくないと言い始めました。すんなり行くこともあったのですが、部屋から出なかったり、1時間以上も玄関にいたり、車で送って行っても学校に入らず歩いて帰ってきたりということが何度もありました。担任に相談し、本人とも話し合いをしましたが、その状態がずるずると続き、息子も私もストレスが貯まり限界がきていました。

◇南相馬市の仮設住宅へ
 長男のこと、病気の父のこと、家のことをすべて任せきりにしてきた母のこと、高齢になった夫の両親のこと。夫といろいろ相談し、一昨年の1月、南相馬市に戻ることにしました。
 特定避難勧奨地点にあった自宅は放射線量が高かったため、私たちは自宅ではなく、市内の仮設住宅に戻りました。地元の中学校に編入すると、長男に笑顔が戻りました。楽しく通学している姿を見て、この点だけを考えると戻ってきて良かったと思いました。
 自宅は仮設住宅と同じ原町区にありますが、2度の除染をしても線量が高く、ほんの数キロしか離れていないのにもかかわらず、南相馬市に戻った後もなかなか子どもたちを連れて行くことができません。子どもたちは何度も家に帰りたいと言いますが、お墓参りのときなど滅多なことがない限り自宅には連れて行きません。
 三男は事故当時生後11か月でしたが、今は5歳半です。来年小学生です。ずいぶん成長しました。でも、落ちている木の枝や花や石など何でも拾い集めます。外に出ちゃダメと言っても出て行きます。自宅に来たときは外に出ちゃダメ、触っちゃダメ、仮設ではドタバタしてはダメ。ダメダメダメ。理由を言っても5歳児には分かりません。

◇除染しても4マイクロ
 そんな中、国は去年の12月28日に年間20ミリシーベルトという高い基準で特定避難勧奨地点を解除しました。2度の除染をしても雨樋や側溝付近では未だに毎時約4マイクロシーベルトの高線量が出ます。国は、ずっとその近くにいるわけじゃないから大丈夫といいます。確かにそうかもしれませんが、除染したのは宅地のみ。未だ田んぼや畑、原野や農道はすべての除染を完了していません。
 原発事故の前、長男と次男は小学生でした。学校へは徒歩や自転車で通い、帰宅すれば近所の子どもたちと広場でキャッチボールをしたり、川でカニ捕りをしたり、夏はカブトムシやクワガタ捕りをしていました。解除しても三男にはお兄ちゃんたちと同じことをやらせてあげられません。そこで育った私としてはとても悲しいです。

◇戻るに戻れない、行くあてもない
将来被ばくによる何らかの影響は出ないのでしょうか。誰も、何もない大丈夫!と断言する人はいません。解除されたからといって簡単に「はい、戻ります」というわけにはいきません。私たちは、仮設住宅の期限が切れたら行くあてがありません。今の南相馬市には空き家や空アパートがありません。復興団地に入る権利のない私たち家族には、自宅に戻るしか道がないのでしょうか。これから未来ある子どもたちを安々と被ばくさせるしかないのでしょうか。
事故前は米や野菜は両親が作り、水は井戸水を飲んでいたので食費はそんなにかかりませんでした。今は、仮設住宅三軒分と、たまに行く自宅の四軒分の光熱費を支払っています。東電からの補償金は事故後全く住まなかった自宅のローンに消えました。解除で補償が打ち切られるなか、余計な出費が大変です。

◇いつのまにか20ミリ
 チェルノブイリでは、年間1ミリシーベルト以上で補償付の避難など補償を受ける権利があるとされました。日本でも事故以前は年間1ミリシーベルトが国民の被ばくの限度とされていましたが、いつのまにか20ミリシーベルトに引上げられていました。
 私は、国による一方的な解除には、とても納得がいきません。
 現段階での解除は一度白紙に戻した上で、私たちの声を聞き、私たちに寄り添い、何か良い対策・補償を考えてはくれないでしょうか。



被告・国の主張ははおかしい


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福田弁護士の報告集会での発言(一部要約)


 被告である国から、答弁書という書面が出ています。
 被告の答弁書は20ミリシーベルト基準についてはほとんど何も言っておりません。

◇「情報提供に過ぎない」
 被告の答弁書は、今回の私たちの請求のうち、「解除を取り消せ、解除を取り消して元通りにしろ」という部分について、「そもそもこういう裁判はできないはずだ。だから却下してほしい」という僕らの世界でいう本案前の主張、中身に入らず門前払いの主張だけをしています。
「今回の指定や解除は住民への情報提供に過ぎない。住民に『避難をしてもいいですよ』という情報提供しただけ。指定や解除によって何らかの権利が与えられたり、奪われたりという関係にはない。だからこういう裁判はできない」というのが被告の言わんとするところです。 
この話自体はおかしい。実際みなさん、NHKの受信料免除が打ち切られるとか、指定世帯への賠償が3カ月で打ち切られている。等々いろんなことが起こっているので、それについては今後反論していくということになります。

◇法律の準備がなかった
 しかし、たしかにこれには理由がなくはないのです。私たちは、原発を50何基も動かしてきたわけですが、事故が起きたときにどういう対応をするのかということについては、極めて漠然として法律しかなかったわけです。「原子力災害対策本部というのをつくって必要なことをやって下さい」ということしか法律にはなかったわけです。
 今回いろいろな避難区域が指定されました。警戒区域、計画的避難区域、緊急時避難準備区域・・・。そのうち法律で根拠があるのは警戒区域だけです。事前準備されていたのは。それ以外はすべて事故が起きてから、政府が改めて発明した制度です。
 そういう意味では、たしかに、法律上もともと予定されていなかったものなので、法的に争いにくいという側面があるというのは事実です。
 しかし実際には、避難に対する支援の打ち切りが行われているわけで、われわれとしてはその点に反応していくということになります。

◇被告の主張準備に3カ月も
 門前払いにするから中身ついては何もやらないというわけではなく、次回までに被告が主張をします。問題は、その主張を整えて裁判所に提出するのに、今年の12月まで3カ月もかかるということです。
 これは極めて不思議な話です。彼らが解除を決めたのは昨年の12月です。その段階で、なぜ正当かということについてきちんと説明できてしかるべきです。「今から省庁間の調整が必要です」(公判での被告側の答弁)ということ自体、昨年12月の解除が全然理由のない、きちんと検討しないままにやったものだということを示していると思います。

(了)



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テーマ:「原発」は本当に必要なのか - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/10/02(金) 20:00:00|
  2. 南相馬市
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汚染の現状と防護を巡って ―木村真三氏、河田昌東氏が小高で講演



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(小高小学校/2015年7月 南相馬市小高区)


 8月2日、南相馬市小高区内で、「木村真三×河田昌東 放射線コラボ講演」と題する講演会が行われた。

 福島第一原発から20キロ圏内にかかる小高区は、約1万3千人の住民全員が避難している。南相馬市としては、小高区の避難指示解除準備および居住制限の両区域について来年の4月の解除を目指している。もっとも住民の意向は一様ではない。帰還を目指す住民もいれば、帰還をしないと決めている住民もいる。判断を保留している住民もいる。
 そうした中、この講演会は、帰還を目指す住民らが中心となって企画された。


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 講演を行った河田昌東氏(チェルノブイリ救援・中部理事、元名古屋大学教員、分子生物学)と木村真三氏(獨協医科大学国際疫学研究室長、放射線衛生学)は共に、チェルノブイリ原発事故後の調査や救援に長く関わり、その経験に踏まえて福島原発事故の直後から被災地に入り活動を続けている。
 講演では、原発事故後4年間の汚染の変遷と現状、様々な取り組みから見えてきた対策や課題が報告された。住民からは、放射線防護の具体的な取り組みについて質疑が行われた。また、質疑の後半では、現状において帰還するということをどう考えるかという問題を巡って意見が交わされた。


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(木村真三氏〔左〕と河田昌東氏)


 以下、河田、木村両氏の講演と住民との質疑の要旨を掲載する。

  
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山、川、土壌、野菜の現状
        ―河田昌東氏


 原発事故の後の2011年4月半ばから福島の測定を始めました。まずは、事実を知ることから始めなければというのが基本的な考えです。
 そして、避難できる人、あるいはしたい人は当然避難すべきです。ですが、避難できない人、残っている人たちもいる。そういう人たちの被ばくをいかに下げるか。まずは正確な汚染マップを作る必要がある。それから内部被ばく対策のために、いろんな食品等の測定が必要だ。そういうことで活動をしてきました。


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(南相馬市内での線量測定中の河田氏〔左から2人目〕/2012年5月)


 空間線量率は低減

 まず、空間線量率の測定ですが、2011年6月に第1回の測定を行いました。その結果をマップにしましたが、当時これを見て大変だという気持ちでした。
 それから、半年毎に測って、今年の4月、第9回の測定ですが、青いところ(
自然放射線を引いた上でプラス1ミリシーベルト未満)が大幅に増えています。予想以上に空間線量が下がってきています。
 第1回目のときには、年間1ミリシーベルト未満というのは、全体の5%ぐらいしかなかったんですけども、今回の測定では77%に増えました。小高区では、2012年には21.8%でしたが、今回は61%になりました。

 山で汚染が循環

 ところで、山に近い部分はどうしてもいろんな問題が起こります。
 チェルノブイリの例でいうと、事故直後、木の葉の汚染が15万7千900ベクレル。それが次第に腐葉土になって土の下に沈んで行きます。そうすると土の上の方は汚染が弱くなって行きます。しかし、腐葉土になって沈んで行くと、今度はそれが根から吸収されるようになります。そこで、木の年輪を分析すると、事故後6~7年ぐらいから急に汚染が高くなっています。これは根からの吸収が始まったということです。
 根から吸収すると、また葉っぱも汚染します。それがまた落ちてまた土に帰る。また吸収される。こういう循環が始まるわけです。あとは半減期で減っていくしかない。
 同じようなことは、恐らく南相馬でも起こるんじゃないかと風に考えています。


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(線量測定の打ち合わせ/2012年4月)


 土質の違いと汚染の深さ

 山の土なんですけども、川内村では、まだ地表から3~5センチぐらいのところにセシウムの大半が残っています。カリウムは水に溶けやすいので溶けて下に沈んで行きますが、セシウムは水に溶けにくいので残ります。
 そうするとどうなるかというと、例えば山菜など地表に根を張るものは汚染がうんと高くなります。カリウムがあれば代りに吸収されてセシウムの吸収を抑制するんですが、カリウムは溶けて流れてしまうのでセシウムが吸収されてしまう。山菜の汚染が高いのはこういうことが理由です。
 しかし場所によって全然違います。南相馬市の押釜では地表から20~25センチぐらいまでセシウムが沈んでいます。土質の違いです。粘土質の場合には沈み方は遅いんですけど、砂質の土壌の場合は非常に速い。だから、場所によって汚染の進行の度合いが違うということも考慮に入れなければならないということです。

 澄んだ水と濁り水

 みなさんが気にしている水の問題です。
 土質によって違いますが、セシウムが雨水に溶けて沈んで行くスピードはゆっくりです。井戸水は、みなさん、よく測定に持って来られますが、深い井戸水で汚染が出たケースは今のところありません。これはチェルノブイリでも同じです。
 それから南相馬市の上水道は地下水ですので、水道水に関しては安全であると思います。
 問題はダムの水や川の水を利用しようというときです。セシウムは濁りです。土壌の粒子に固くくっついています。だから、もし、どうしてもそれを利用するというのであれば、例えば、濁りを濾過するのが有効です。透明な水には、セシウムはほとんど含まれていません。例えば、飯舘村の川でも、澄んだ川の水を測定すればセシウムはほとんどない。しかし濁った水を測れば必ずあります。

 アンモニアで可溶化

 ただ水溶性のセシウムという問題があります。なぜ水溶性のセシウムができるかです。
 例えば、鉄分の多い地質の場合です。鉄分が雨で川に流れてきて水中で酸化されんですが、そうすると川の中の酸素が少なくなります。それがダムのような有機物が溜まっているところで起こると、有機物が酸欠状態で分解されます。そうするとアンモニアができます。アンモニウムイオンはせっかく土にくっついているセシウムをまた可溶化する働きがあります。
 そういう状態の水を使うのはとても危険です。そういうこともありうるということをご記憶いただきたい。

 野菜と山菜

 それから、野菜の測定をずっとやっているわけですが、その目的のひとつは汚染しやすい野菜としにくい野菜を区別することです。
 実際にやってみて分かったのは、根菜類は、土の中にある部分の方が高いだろうと思うんですけど、実際は逆で地上部の方が汚染は高いんです。例えば、サトイモのイモは低いけど、上のイモガラは非常に高くなります。
 年毎に汚染は下がっています。野菜に関してはそういう傾向があります。
 ところが山菜、例えばコシアブラなどはてんぷらにするとおいしいですが、汚染は極めて高いです。これは、最近の研究で根の構造に原因があるらしい。
 それから、2013年と14年と同じ山菜を比べてみると、ゼンマイは14年の方が高くなっている。ワラビもそうです。
 こういう風に、山菜の場合は野菜と違って増えてくるものもあるわけです。

 
    ・        ・         ・



志田名と二本松の取り組みから

            ―木村真三氏


 基本的には、「住むべきか、住まざるべきか」ということで、お話をさせていただきます。小高に帰れるからよかったのか。そうではありません。
 まずお話するのは、いわき市の志田名(しだみょう)地区の例についてです。川内村との境です。小高と同じレベルかそれ以上の汚染があった地域です。
 ところが、国はこの地域の汚染を知っていながら、当初、住民には知らせませんでした。放射能が通過した直後、自衛隊が志田名に入って線量を測っていますが、住民に知らせず見捨てています。
 この志田名の大越キヨ子さんは、自分の娘と孫を避難させました。でも孫たちには早く帰ってきてほしいという思いで、線量計を買って測ってみることにしました。中国製の小さいやつです。測ってみると仰天するような線量がありました。
 僕がたまたまこの志田名を発見してキヨ子さんの情報を得て、それから志田名のために動き始めました。


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(いわき市と川内村との境にある川前町下桶売字志田名地区/2011年7月)

      ⇒関連記事「いわきのホットスポット 志田名・荻地区 住民が自ら調査し告発」(2011/7/6)

 

 空間線量の変遷

 米軍と日本が共同で航空機モニタリングをしています。2011年4月12日~16日、志田名地区は黄色です。ところが8月17日には赤く(線量が上昇)なっています。翌年5月23日~6月13日の測定でも志田名だけがホットスポットとして残っています。
 これはどういうことか。放射能は動いて、貯まってきているのです。志田名地区は七つの沢からなっていて、山から落ちてきたものが溜まって土になっているわけです。
 われわれは一所懸命この実態を訴えたのですが、県も市も聞いてくれませんでした。

 住民が自ら測定

 住民のみなさんとこういう会話がありました。
「隣りの川内はうちよりずっと低いのになんでテレビは貰う、冷蔵庫は貰うなんだ」。これに対して僕は、「じゃあ、ゼニカネで解決していいのかい?」と。そうすると住民のみなさんは「そうでねえ、おれらは元に戻したいんだ」と。僕は「正直、この地域は人は住めません」という話をしました。でも、彼らは、「自分たちの地域を捨てられない。自分たちで再生したい」と。「じゃあ、非常に難しいけど、やってみましょう」と。
 で、「田圃一枚一枚が自分の命だ。だから全部の田圃を測りたい」ということで、10メーター区画で測定しました。全部で713カ所。家の周りも、住宅も、庭も、仏間も、2階も測りました。713箇所を彼ら自身で測定しました。それを元に2011年9月に汚染地図ができました。高いところは毎時3マイクロシーベルトを超えていました。

 除染の効果

 その後、志田名でもようやく除染が始まりました。田畑含めて45ヘクタールの表層4センチをはぎ取る表土剥ぎです。その除染が去年10月に終わりました。
 除染後の状況を見るために改めて測ってみました。ところどころ1マイクロシーベルトを超えて2マイクロシーベルト近いところもありますが、平均値で0.44マイクロシーベルトでした。
 除染の効果があったかのように見えます。しかし、本当はどうなのかということを調べようということになりました。
 除染してもらえなかった牛の採草地があります。そこもずっと測定しています。ここから、地面に潜って行ったり、流れて行ったりした自然減衰ということが見えてきす。それから、物理的半減期による減衰があります。何にもしなくても時間が経つと放射能は減ります。これは理論計算で求めることができます。
 こうして自然減衰の分と物理的半減期による減衰の分を合わせると59%の減少でした。
 他方で、除染を行ったところの放射線線量率は84%の減少でした。でも、この84%には
や自然減衰の分や物理的半減期による減衰分が含まれています。だから、正味の除染の効果は25%(84-59=25)ということです。
 これを「25%しか」というのか「25%も」というのか、僕には正直分かりませんが、45ヘクタールの除染でフレコンバックが4万体です。丸2年で何億円もかけた効果が25%。何もしなくても59%は下がるのに。これが除染の実態です。
 しかも除染すれば終わりではないんですね。「先祖様がずっと作ってきた大事な養分の部分を全部除染で取っちまって、山砂を入れている。これが元の土に戻るのには何年かかるんだい?」と。これが現実です。
 住民がこうポツリと言いました。「俺ら、この地域を元に戻したいってここまでやったけど、結局、若い人は帰って来ないんだ。除染して本当にしてよかったのかは正直わかんない」。
 たしかにこれが本当にいい事なのかどうかわかりません。そしてこの地域は20年先取りの超高齢化社会です。若い人というのが60代です。そういう人たちだけの集落になって本当にどうなのかというのが今の問題となっています。


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(住民が自主的に行い、表にまとめた測定結果/2011年7月)


 賠償の話で分断

 志田名地区でも精神的賠償が話になりました。僕は、ゼニカネで問題を解決しない方がいいと言いました。金でまた部落が分断されます。
 1人当たりいくらという計算になりますから、5人家族なら5人分、2人家族なら2人分です。それで格差が出てきます。精神的賠償の話が持ち上がったら、まだもらってもいないのに、「あの家は何人家族だから。うちは2人だから」っていう話になってもうまとまらなくなっている。これに非常に胸を痛めています。

 内部被ばくの実例

 ところで、二本松市では2万数千名の内部被ばくを見ています。内部被ばくの人が見つかったら、検出下限値になるまで毎月ずっと測ります。下がりが悪いときは、自宅を訪問して原因がなにかということを徹底的に調べます。そして低減化を図るということをやっています。
 二本松市のある高校生の内部被ばくの問題です。ある高校生が、1年にわたって内部被ばくが続きました。ずっと上昇傾向を示すのだけど、何でなのかが分かりませんでした。
 最初は夏に差し掛かる前です。若い大豆の枝豆を彼は多食していたということがわかりました。大豆は放射能を濃縮しやすいのです。しかも二本松では、大豆はあぜ道とか除染していないところで作っていました。
 で、枝豆をやめると線量が下がりました。でもまた上がってきました。また自宅に行って調べました。薪ストーブかと思ったのですがそれは違いました。よくよく調べたら、2011年度のコメが原因でした。捨てるのはもったいないと保存していたもの(事故前の収穫だが保存中に汚染)を食べていました。でも測ったら31.5ベクレルです。食品の基準値からいえば食べてもいいことになっています。ただ、この高校生は野球部で1日2升もコメを食べるそうです。これだけ食べると内部被ばくは出てきます。つまり、食品の基準値だけで見ていたら良くないということです。

 帰還することがいい事なのか

 こういったことを含めて、帰れるからといってそれがいいのか、そうでないのか、ということもやっぱり考えないといけないということです。
 二本松や志田名のように住まざるをえない地域で、あれもダメ、これもダメというのは本当に忍びないです。ではどうするか。こうすれば線量は下がるし、食べられるということを提案していくことだと思います。現に住んでいるのに「ここには住めません」「ここでは我慢しましょう」だけではやはり持たないでしょう。
 ただ、小高の場合はこれから住むわけです。そういうところではどうするか。まずは自分が調べて、測ってみる。これが一番大切なことではないかと思います。


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  【以下は質疑】



 薪によるセシウム飛散

 参加者:私の家は薪風呂なんですが、セシウムは飛散するのでしょうか?

 木村氏:はい飛散します。
 二本松で2番目に内部被ばくが強かった方が約4500ベクレル。自給自足をされています。いろいろ調べたんですが、食品などの汚染はほとんどなかった。汚染原因がよくわからないのでいろいろ話を聞いてみました。すると薪ストーブなんですね。そこで、ハイボリュームエアーサンプラーという掃除機の大きいようなもので調べてみることにしました。1時間ぐらい吸引してだいたい1日分の呼吸量の20立米。結果は400ベクレルを超えるぐらいのセシウムが出ました。
 で、すぐに新しい薪ストーブに替えたら劇的に下がりましたが、やっぱり薪ストーブは危険だということは変わりありません。薪風呂の方は家の中全体に拡散しないので薪ストーブほどではありませんが。

 樹木の汚染

 参加者:地区のゴミの片づけで、例えば枝打ちをしたらどっかで焼却しなればならない。たき火にするのか、風呂に入れるのかという問題があります。オール・オア・ナッシング的な話ではなくて実際に生活して行く上で、こういう木は線量が少ないから燃やしても大丈夫とかとういうところを、教えていただきたいです。

 河田氏:木の汚染には幾通りかの経路がありますが、事故が3月の半ばに起こったので、落葉樹と針葉樹の差が出ているわけです。
 事故当時、落葉樹には葉っぱがありませんでした。だから落葉樹に関して樹皮、表面についた汚染です。それが染み込んでいきます。
 ところが、松とか杉とかは葉っぱがあります。かんきつ類もあります。これらは葉っぱが汚染したわけです。葉っぱから中に入って行きます。葉面吸収と言います。しかも針葉樹の葉っぱは面積にするとすごく大きくなります。だから大量に吸収するということが起こったわけです。
 だから相対的に言えば落葉樹の方が汚染は少ないと言っていいと思います。

 川の汚染はどこに?

 参加者:比較的話題になっていないのが川だと思うんです。汚染は沖合の方に行ってしまっているのか、まだ河口付近にあるのか、中流付近なのか、バラバラっと広がっているのか。その辺のところの見解は?

 河田氏:河口の方が高いと思っている方が多いと思いますが、実は逆で、上流のほうが高いんです。絶えず山から下りてきて、沈殿するわけです。下流に来るほど、沈殿量が減りますから、傾向としてはそういうことです。もちろん大雨が降れば高くなります。

 緩いスクリーニング基準

 参加者:表面汚染密度のスクリーニング基準の件ですが、今の国の基準は40ベクレル(/平方センチ)ですね。私は35年間原発にいましたが、当時のスクリーニング基準は法律では4ベクレル、原発内の管理区域の管理基準は0.4ベクレル。それがいま40ベクレルのまま一向に下げられない。避難解除してそこに住んでもいいというのであれば、40ベクレルを4ベクレルになぜ下げないのかということが疑問です。

 木村氏:事故とか汚染があれば原発のイメージが悪くなって、原発は怖いということになります。だから、原発事故が起こる前の基準というのは原発のイメージというがあって、そのために管理基準を厳しくしていたと思います。
 ところが実際に事故が起きて大量に放射能がまき散らされた結果、そんなイメージ通りに行かなくなってしまったわけです。

 河田氏:事故が起こる前と後で変わってしまったんです。事故前は、それまでの研究や国際的なデータから4ベクレルを基準にしていました。ところが事故が起こってそれを超えてしまう現実が常態化しました。すると政府は、本当は4ベクレル以上あってはいけないはずなのに、そういう現実を当たり前のものとしました。
 原発労働者の被曝線量の限度も変えようとしていますね。廃炉作業の都合を人間の安全より優先した考え方です。
 そういうことを考えると、それは間違っているんだということを言っていく必要があると私は思います。

 
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(浪江町の国道6号線沿いで行われているスクリーニング)


 内部被ばく1ミリは疑問

 参加者:原発労働者は3カ月に一回ホールボディカウンターを受けていますが、昔だったら、内部取り込みが発生すると、すぐに監督署への報告とか、原因究明のために一週間ぐらい作業をストップするということがざらにありました。そういう厳しい管理状況だったのに、今は内部被ばくについてあんまりコメントされないし、年間1ミリシーベルト以下だったら安心だって言いますが、内部被ばくだけで1ミリ被ばくするというのはどうなのでしょうか?まして京大の渡邊先生(南相馬市放射線健康対策委員会委員長/京大特任教授)なんかは8万ベクレルと言っていますが非常に疑問です。

 河田氏:ICRPのモデルで行くと、毎日1ベクレルの放射性物質を食べ続けるとある時点で平衡に達します。平衡のレベルは年齢や体重によって違うんですけれども、体重キロあたりに直すと、毎日1ベクレルを食べると、だいたい3ベクレルで平衡に達します。キロ当たり3倍になると考えればいいと思います。
 内部被ばくをシーベルトで考えるかどうかというのは大論争があって批判もありますが、ベラルーシの研究者は、キロ当たり50ベクレルを超えないようにするべきだ、それを超えると危険だと言っています。日本政府の考え方とは全然違います。
理論ではなくて経験則なんです。そうすると例えば、50ベクレルということは、その3分の1だから1日約17ベクレル以下にした方がいいということです。
 今の日本だったら守れるレベルだと私は思っています。
 チェルノブイリの場合、畜産物です。日本では家畜の餌は輸入の配合飼料だから汚染はないです。ウクライナでは雑草を食べています。それは今でも汚染が高い。だから牛乳も肉も高い。そういうものを自給自足で食べている。またキノコを食べたらいけないということは頭では分かっているけど、昔からの食習慣でやめられないわけです。
 ただ、子どもたちの学校給食については30年たった今でも、外からから汚染していないものを入れています。しかし家に帰ると家族で一緒に食べるからやっぱり問題が残ります。

 内部被ばくと健康被害

 参加者:よくチェルノブイリでガン以外にもいろんな健康被害があるといいます。だから福島もいっしょだという方がいます。しかし、今のお話のように内部被ばくについてはずいぶん違いがあると思うんですが、その辺についてどうでしょうか?

 河田氏:恐らく内部被ばくに関して、大幅に違うと思います。ただそれでどういう結果が出るかということはまだわかりません。
 チェルノブイリの例で言うと一般にはガンが言われますが、実際はガンはいろんな病気の一部です。一番多いのは心臓系や脳血管の病気です。
 それが今の福島で起こっているのか、いないのかということについては、医学統計を取る必要があると思います。

 木村氏:日本の場合、医学統計は甲状腺ガン以外取っていないですね。
 ただ、広島・長崎で言うと、脳卒中がガンと同じくらいの出現率になっています。100ミリシーベルト被ばくしたら、100人のうち1人は脳卒中になります。ガンも同じです。さらに心筋梗塞が1.5倍の高さです。あとは白内障です。ただこの原発由来の白内障は今回、ちょっと考えにくいかなと思いますが、心疾患と脳血管障害は気を付けるべきでしょう。
 もうひとつ、原発投下から70年になりますが、10年ほど前から骨髄異形成症候群という血液の第二のガンが増え始めています。これは治療法がまだ確立されていません。60年経って出てくるというものもあるわけです。だから今大丈夫だから安心だということを言えません。


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(小高区の駅通りで進められている災害公営住宅の建設)


 帰還の考え方をめぐって

 木村氏:僕は、帰還ということに対しても、正直なところは反対です。帰還しないでいいのであれば帰還しないでほしいというのが私の願いです。
 例えば、二本松の場合、線量が高く避難指示を出さないといけないのに、出されなかった地域です。もう今さら避難すると言っても遅いわけです。だからいま対処できることをきちんとやりましょうということです。
 しかし、小高の場合、避難ができているわけです。わざわざ帰る必要があるかということはいろんな状況を考えてみるべきだと思います。
 例えば、小高でも海沿いの方は運よく線量が低いので、そういう地域での生活は大丈夫です。ただ山や川との関係が切っても切れない生活環境にあります。山や川の環境をきちんと調べてから判断するというのが大切だと思います。
 だから、僕としては、避難が続けられるのであれば、まずしっかり測って調べてから、それから、帰るべきかどうかという判断するというぐらいの方がよいのではないかと思います。
 小高よりも線量の低い川内村は、いま7割の方が帰村したということになっていますが、実際は週4日以上住んでいる人を帰村者としており、完全に住んでいる人は3割、600人足らずです。

 参加者:今の話を聞いて、私は正直ストレスを感じるんです。震災から4年何カ月経って、それぞれ帰る人、帰らない人と、ある程度分かれているわけです。帰らない人は安全なところに当然行かれるわけで、それはそれです。測れとか線量が危険だとかという話は私ら、4年間、聞いてきました。そういう方面のことは行政とか県とかに働きかけるべきだと。
 放射線関係の専門家の方々に望むのは、そういう話ではなくて、現実問題ここで生活しようとする人たちが最低限安全に住むためには、例えば、川で、畑で、田圃でこういうところに注意すればいいといった前向きな指導をお願いしたいわけです。いつまでも危険、危険ばっかり聞いたってしようがないんです。

 木村氏:スタンスが違います。それはあなたの意見であって、私としては被ばくを見ているし、今ある現実の話をしているわけです。その中で私の意見としてどうすべきかということを言っています。
 あなたの考え方は分かります。分かるけれども、僕が、被ばくという現実を放置して、こうすれば住めますよということは違います。帰還論者と僕は考え方が違いますから。

 河田氏:どうすればいいかということについては先ほども農業に関して少しお話ししたんですけども、対策としてはある程度確立したと私自身は思っています。田んぼにしても、畑にしても、そういう意味では、いろんなことが可能です。

 参加者:私たちは、放射能の専門家ではないんで、そういう難しい数字だとか基準だとかを言われても、なかなか消化できないわけです。そういうことは専門家の方にいろいろ議論していただけばいいと思います。
 われわれ(小高区住民)は1万3千人いて、3千人帰るか4千人帰るかわかりませんが、そういう人たちが、日常生活を送る上で最低限こんなことをすれば、何にも対策を取らないよりは安全に近い側に少しでも移動するよということを提案していただける方がありがたいし、そういう指導なら受け入れられると思います。

 河田:わかりました。この間、ずっと南相馬でいろんな測定をしてきました。それを今、パンフレットにまとめているところです。これは危険だ、これは安全だ、これはこうすればいいといったことです。それをお配りする予定ですので、そういうものを見て対処できるようにしたいと思っています。 (了)












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  1. 2015/08/27(木) 17:00:00|
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震災後、5回目の野馬追


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 相馬氏の遠祖とされる平将門。その将門の軍事訓練が起源とされる相馬野馬追。1日目に出陣、2日目に行列、甲冑競馬、神旗争奪戦などがあり、3日目、最終日の
7月27日、相馬小高神社境内で、野馬懸(のまかけ)が行われた。


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 野馬懸は馬を捕まえ、贄(にえ)として、相馬氏の氏神である妙見(みょうけん)に献ずる神事。
 馬を贄にするのは古代の儀式であり、共同体の秩序維持を目的としたと思われる。
 古代の記録や遺跡の出土品などにも見える。平安時代以降は木製の板に描いた絵馬(えま)となり、今でも寺社への祈願の際に奉納するなどポピュラーだ。
 野馬懸は、古代の儀式の形を残している。
 

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 神社境内に設けられた矢来(やらい)に馬を追い込む。
 暴れる馬に、白装束の御小人(おとびと)たちが素手で跳びかかる。


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 ときに荒馬に振り落とされる御小人も。
 

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 そこに御神水(おみたらし)がかけられると蘇生する。


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 野馬追には、相馬藩時代の行政区分に従い、宇多郷、北郷、中ノ郷、小高郷、標葉(しねは)郷の五つの郷が、それぞれの行列をなして合流する。宇多郷は現在の相馬市、北郷は南相馬市鹿島区、中ノ郷は同原町区、小高郷は同小高区、そして標葉郷は浪江町、双葉町、大熊町。
 いずれも、東日本大震災と原発事故によって被害を受けた地域。小高郷や標葉郷は現在も避難区域だ。

 そうした中、震災後で5回目の今年、参加騎馬は総勢450騎。標葉郷も45騎が避難先から参加した。
 そして、3日間の観覧者数が20万人超。地域の住民、避難先から参加した住民、復旧・復興に関わる人びと、全国からの観光客、外国人の姿もあった。

 野馬追とともに浜通りの梅雨が明け、夏本番がやってきた。 (了)



 

 










  1. 2015/07/29(水) 15:00:00|
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一面の菜の花  南相馬市太田

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 放射能で汚染された農地を菜の花で浄化し、再生する試みが行われている。
 その種からは、菜種油がつくられ商品化されている。
 チェルノブイリでの長い実践と経験に学んだ取り組みだ。

 黄色一色の圃場から、農家の人びとの農業再生にかける思いが伝わる。






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  1. 2015/05/10(日) 17:00:00|
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「一方的にこんなやり方はないよ。あんたたちも人間でしょ」  南相馬 避難地点解除・説明会 昨年12月21日







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(高圧的な口調で特定避難勧奨地点解除を通告する高木・内閣府原子力災害現地対策本部長〔写真左・右から3人目〕/怒りを抑えて住民の意向を伝える藤原・大谷行政区長〔写真右・右から1人目〕――12月21日 説明会に先立って行われた行政区長に対する国側の説明)




「特定避難勧奨地点は、健康影響に配慮して、生活形態によって年間20ミリシーベルトを受けるおそれがある地点に注意喚起を行ったものですが、市の除染等により大幅に線量が低下し、現状では健康影響の懸念は考えにくい状況となっていると考えております。
 こうした事実は、逆に、内外にきちんと、線量が下がっているというところを伝えていかなければいけないと思います。それが、南相馬、ひいては、福島県全体の風評被害からの脱却、復興の本格化のために大変重要であると考えております。
 国としては、こうした状況を総合的に判断して、一週間後の12月28日に特定避難勧奨地点を解除することとさせていただきました」

 昨年末の12月21日、「南相馬市の特定避難勧奨地点に関する住民説明会」が開催され、高木陽介・内閣府原子力災害現地対策本部長(経産副大臣、公明党、比例東京ブロック)が、このように切り出した。住民に向かって説明している高木本部長の態度は、きわめて高圧的であった。
 国は当初、昨年10月中の解除を検討していた。しかし、住民の反対の声が強く、特定避難勧奨地点のある行政区の区長らも団結して動き、10月には東京で反対集会や記者会見、国への申し入れが行われた。また、指定解除に反対する地域の署名が呼びかけられ、地域で1210筆も集まった。こうした力の前に、国は一旦、解除決定の延期を余儀なくされた。
 だから今回は、何が何でも決定を押し付けるという姿勢で乗り込んできたわけだ。それが、高木本部長の態度にも表れているのだろう。
 そもそも、この日は朝から異常だった。この住民説明会の開催が住民に通知された段階では、「解除」に関して何も触れられてはいなかった。ところが、説明会当日の朝、NHKのニュースが「12月28日に解除」と流す。住民にとっては寝耳に水だ。国が丁寧に説明し、住民がそれを受けて、納得を得たところで進めるという手続きを、いっさい放棄したやり方だ。頭ごなしに<国が決めたことだから従え>とやれば黙るだろうと考えたのだろう。
 しかし、説明会の会場は反対一色で、たびたび騒然とした。

 以下に、説明会での住民発言(一部・要旨)を掲載する。


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 なぜ報道ありきなのか  
         
             南相馬市議



 われわれ全く理解できませんよ。なぜ朝のNHKで報道ありきなんですか。28日に解除するかどうかは、われわれにきちんと説明して、理解を得た上でやる話でしょ。まずは謝って下さいよ、本部長・・・(同調するヤジ、怒号)。撤回して、ゼロから始めて下さい(拍手)。



 住民の理解は得られてない  

       原町区高倉(たかのくら)住民


 特定避難勧奨地点の解除に当たって、住民の理解が得られたというような報道がありますけど、はっきり申しますが、住民の理解は得られていません。われわれに真摯に向き合って、継続して理解を求める努力をしてください。
 (解除に反対しないという声もあるとの国側の説明に)おっしゃったように、個々に事情が違うんですよ。解除に理解を示しているお宅があるということは私も始めて知りました。だけど、これは個々の家、地点で違うんですよ。だから、解除するんであれば、そういう風に納得、理解を得られたところから解除していってくださいよ。



 私たちをバカにしている  

   原町区大谷(おおがい)住民


 
私たち、今日、喜んで出てきたわけではありません。でも何も言わないでいても前に進むことができないと思って参りました。
 前回(10月の説明会)、私たちが、お願いしたことに対して、(国から)一切の返事はありませんでした。
 私たちは、10月から東京や福島へと南相馬の署名を持参して参りましたが、県の方ではなかなか受け取ってはいただけなかったんです。私たちは、今日の説明会をボイコットしてもいいかなあと思っていました。
 今回の説明会の案内状にも納得はしておりません。最高責任者の名前はどこにもありませんでしたよね。私たちをバカにしているんですか。「この場をやり過ごせば、あいつらは何も言わない」と思っているのでしょうかね。本当に情けない思いです。
 飯館村では向こうが透けて見えるような除染が行われているのに、私たちの回りは、木の葉をさらって上に土を被せただけというところも多くありました。これでは、除染をしていただいても、(線量が)下がることはないと思うんです。
 たとえ解除になって子どもたちが戻ってきても、「道路の両端は線量が高いから真ん中を歩きなさい」って言っても、それは無理です。農地の除染だってまだ始まったばかりで、ほとんどまだされていません。農地や山林の除染が終わった時点で、南相馬の住民全員に被ばく手帳を渡してもいいのではないでしょうか。
 私たちは、ただ待っているだけではないんです。一人ひとりができるだけ線量を下げようとしてやっているのに、いきなり、「12月28日で解除です」なんて・・・。



 家の中の方が高いのに  

           原町区馬場住民


 俺の家の周りは、前の家も西側の家も除染していない。東は畑、後ろは田圃。俺のところだけ除染してもだめでしょう。
 線量が下がらないで解除するなんて絶対反対。周りの家の除染もやりなさいって、掛川君(原子力災害対策本部・住民支援班)に何度も言ったでしょ。それもしないで解除するなんて。
 家の中の線量が高いんだよ。0.8マイクロシーベルトあるんだ。外は0.4マイクロシーベルトなのに。家の中の除染をしてないからだよ。このことも何回も言ってるんだ。これで解除するのかい?



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(上の2枚の写真は、昨年7月に現地対策本部が行ったモニタリング調査。馬場の住民が発言している通り、室内の方が室外より空間線量率が高かった)



健康影響に不安と嫌悪  

          原町区大原住民


 市の広報に出ている数値でも、原町区大原の数値の方が、小高区の34カ所のモニタリング地点のいずれよりも高いんです。公会堂付近の11月の数字で0.608マイクロシーベルトあります。
 家には小学生がいるんですが、大原の自宅には震災後、一度も寝泊まりしておりません。このような状態なのに、賠償では小高区とえらい差が開いております。解除の後3カ月と賠償の期限が決められていますが、どう考えてもおかしいんですよね。不公平です。先ほど国の方で公平にと言われていましたが。飯舘村とかと何が違うんでしょうか。
 宅地の中だけ除染していただいていますが、隣接している農地と20メートルほど離れています。東工大の先生方がおっしゃるには、放射線は20メートルから80メートル飛びますと。だから、いくら除染をしていただいても、その農地からくる放射線で高いのかなと。室内で床上1センチを測ると確かに0.1から0.2マイクロシーベルトと低いんですが、50センチ、1メートルのところを測ると高いんですよね。室外と同等の箇所もあって。放射線が飛ぶからだと思うんですが。
 10月の説明会で、線量を下げるための清掃・修繕をして構わないということだったので、東京電力さんの立会いのもと、ここまでは費用が出るというラインでやったんですが、領収書を東京電力さんの窓口に持っていったところ、2分の1、3分の1に減額されるんですよね。説明会の話がすでに食い違っています。
 それから、子どもたちの健康被害について、確かに実質的な影響があるということは、疫学的にも、科学的にも証明されてないようですので、私たちは、そちらを信じるほかないですが、もしも、私たちの子どもや孫、ひ孫の代で、疫学的な証明を行うようなことになってしまうということが起こると考えると、すごい不安を覚えますし、嫌悪感を感じます。
 ですので、事故当初から転地療養(保養)をしているんですけども、今後も続けたいと思います。高速道路の実質無料化というのは、特定避難勧奨地点で子どもを持つ家族としては今後とも続けてもらいたいという要望です。



あんたたち、
 人間としてよく考えて下さい  

                大谷行政区長


 本部長ね、まだ市長と合意したわけじゃないでしょう。住民の説明もそう。結局、一方的な国の進め方だけで決めてしまうと。あなたたち、言っていることとやっていることが全然違う。住民の意見を聞きながら、市の意見を国に話して、こういうもとでやろうとしているのに、一方的に、こんなやり方はないよ。
 再三、言っていることは、地域全体を安全な地域にして、年間1ミリシーベルトはなかなか難しいけれども、ある程度の値までは下げてくれと。せめて空間線量で2.6とか。そうなったら住民もわれわれもある程度リスクを背負いながら、妥協はするでしょうと。そのリスク分は、被ばく手帳を出せというと、被ばく手帳という名はリスクがあるから、それに替わる(健康被害が出たときに医療的な補償を受けられるように)健康手帳を発行して下さいよと。
 国の一方的な考え。それもいいでしょ。中にはどうにもこうにもなんないときは決断するときもあるでしょ。ただし、みなさん、目の前にいる(国側の)人たちは人間でしょ。われわれと同じ人間でしょ。われわれの気持ちを読んでくれよ。
 それから、いつまでも20ミリシーベルトって、緊急時の値を3年9カ月も過ぎても用いていくんですか。国際放射線防護委員会だって、緊急時は高いけれども、年々下げた値でやりなさいよって指導してるでしょ。それも全然無視。
 これでは、住民の方々は、今日このままで強引に本部長の言っていることをやることは決して望んでおりません。あんたたち、人間としてよく考えて下さい。



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(馬場地区から南東の福島第一原発の方向を望む。この方向から放射性プルームが流れ、この地域を汚染した/写真は2014年7月)



 【解説】

 南相馬市の市街地から西に車で10~20分も走ると、大原、大谷、高倉、押釜(おしがま)、馬場、片倉などの行政区がある。阿武隈山地の東のすそ野で飯舘村や浪江町津島に隣接している。自然豊かな農業地帯だった。
 原発事故で一帯が高濃度に汚染されたにもかかわらず、避難区域とはならず、特定避難勧奨地点という形で、152世帯(住民約700人)が指定を受けていた。指定世帯で約7割、非指定世帯も含め多くの住民が、市内を中心に避難を続けている。

 ◇「復興の本格化」とは?
   原発再稼働と原子力政策の加速


 復興加速化方針(2013年12月)を打ち出した国は、指定の解除と住民の帰還を急いできた。除染の効果が上がらずその限界が露わになる中で、年間被ばく線量1ミリシーベルトという基準を長期目標と言い換えて棚上げし、年間20ミリシーベルトを新たな基準に、住民の帰還を促す方針を前面に出してきた。小高区、浪江町、飯舘村などの帰還を促進していくためにも、南相馬市の特定避難勧奨地点解除は、国の復興加速化方針の成否のかかった問題となっていた。
 冒頭に高木本部長の発言を紹介したが、解除決定の意味がよく語られている。
 「大幅に線量が低下し、健康影響は考えにくい。こうした事実を内外に伝えていくことが、福島県全体の復興の本格化ために重要だ。こうした状況を総合的に判断して解除する」
 まずは、「線量が大幅に低下した」ということも、「健康影響は考えにくい」ということも、国が一方的に主張していることであって、住民は、納得できる事実の提示も説明も受けていない。
 このこともさることながら、さらに問題なのは、高木本部長の解除の理由説明の力点が、後段の「復興の本格化」というところにあることだ。「復興の本格化」を内外にアピールするために解除するという、論の運びになっている。話の順序が逆だ。当該の住民が第一義ではないのだ。一体、当該住民の意思や健康を無視して推し進められる「復興の本格化」とは何なのか。
 一昨年の12月に決定された国の復興加速化方針を見るとそのことがよく分かる。復興加速化方針の基本的な意図を次のように要約することができる。
 ⑴福島原発事故の被害規模をできるだけ小さく評価する、⑵賠償額はできるだけ抑え、東京電力や国の負担を小さくする、⑶被災地が原子力災害からいち早く立ち直り、廃炉ビジネスなどの新たな原子力政策の拠点となっていくという姿を演出する、⑷被ばくの影響を危惧する声については風評被害対策としてリスクコミュニケーションで処理する、⑸そういう福島復興をもって、全国の原発再稼働と原子力政策を加速する。
 「復興の本格化」とはこういうことだ。そのために、原発事故の被害が続いていると訴える住民の声を抑え込んで、特定避難勧奨地点の解除と避難・賠償の打ち切りを強引なやり方で進めたのだ。

 ◇20ミリで帰還は
   基準の大幅緩和とリスク増大


 特定避難勧奨地点解除の判断の基準は、年間被ばく線量20ミリシーベルトであった。上でも述べたように、国は、年間被ばく線量1ミリシーベルト基準を棚上げし、年間20ミリシーベルト基準で住民帰還を進めている。この20ミリシーベルト基準は、基準の大幅な緩和であり、健康被害リスクの有意な増加が認められるレベルの数値だ。このことは、低線量被ばくのリスクを軽視ないし否定する人びとでも認めざるをえない事実なのだということを強調しておきたい。
 たとえば、電気事業連合会は、「広島・長崎の原爆被爆生存者調査などから、数百mSvという大きな線量の場合であって、100mSvよりも低い線量を受けた被ばく者には、がんなどの発生について有意な増加は認められていません」〔※1〕としている。電事連とは電力会社各社の連合会であり、言うまでもなく原子力発電を推進する団体である。
 「100mSvより低い線量でがんなどの有意な増加はない」という主張に対して、まずは、原子力施設の労働者の調査で、累積10ミリシーベルト前後でも発がんリスクの上昇を示すデータ〔※2〕を反証として挙げることできる。しかし、ここではその議論はおくとしよう。むしろ、ここで見ておきたいのは、かくいう電事連でも、100ミリシーベルトより大きな線量を受ける場合については発がんリスクの有意な増加を認めているということだ。この100ミリシーベルトとは累積の被ばく線量である。
 ところで、20ミリシーベルトを下回ったところは帰還という場合の20ミリシーベルト基準とは、そこで生活すれば、1年間で20ミリシーベルトに近い被ばくをするということだ。この20ミリシーベルトとは年間の被ばく線量である。だから、そこで5年生活を続ければ、累積で100ミリシーベルトに近い被ばくになり、5年を過ぎて生活を続ければ累積で100ミリシーベルトを超えていくことになる。もちろん空間線量率は漸減していくが、半減期の長いセシウム137の寄与度が高くなっていくので、空間線量率の下がり方は緩慢になる。
 つまり、年間20ミリシーベルト基準の帰還ということは、帰還して数年のうちに(もちろん帰還前の初期被ばくや避難先での被ばくも加算されるわけだが)電事連ですら認めるところの<がん発生リスク等の有意な増加>というレベルの累積被ばく線量になるということなのだ。ここで言いたいのは、被ばくのリスクを最も甘く見る人びとの主張に沿ったとしても、そういう結論が導き出されてしまうということだ。〔※3〕
 国が復興加速化方針の柱をなす20ミリシーベルト基準による住民帰還方針は、ICRP(国際放射線防護委員会)などの基準をも大幅に逸脱し、原子力を推進する国々の中でももっとも緩い基準になる。
 日本が、原子力推進の国際競争でその先頭に立とうという野望なのか。そして、そのために、住民にはリスクを甘受せよということなのか。

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  この日の説明会の最後に、住民が吐き捨てるように言った。
「無理を通して道理が引っ込むっていうけど、そんなことは無理じゃないか」
 たしかに国は、住民を前にして、「決定だ」と押し切った。しかし予定時間を大幅に超えて論議しても、参加した住民を一人も説得することはできなかった。住民の心に刻まれたのは、道理のない話を押し通す国の姿であり、取り返しのつかない不信と憤りの蓄積である。



※1 電事連HP「よくあるご質問【8-1】」
※2 文部科学省委託調査報告書「原子力発電施設等放射線業務従事者等に係る疫学的調査(第Ⅳ期調査平成17年度~平成21年度)/この調査に関する論評として、松崎道幸「10ミリシーベルトでも危険」がある。
※3 ここの展開は、井戸謙一「『1年に100ミリシーベルト』は誤解」(河北新報2014年12月8日)を参考にしている。





 以上








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  1. 2015/01/20(火) 17:00:00|
  2. 南相馬市
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【論考】「100ミリ以下は影響なし」 ―渡邉京大教授の南相馬講演と危険なプロジェクト


「100ミリ以下は影響なし」

  渡邉京大教授の南相馬講演
      
と危険なプロジェクト





 <放射線健康講演会 「今の生活で大丈夫?」>と題して、渡邉正己・京大放射線生物研究センター特任教授の講演が5月28日、南相馬市内で行われた。

 「現状では内部被ばくはほとんど問題にならない」
 「外部被ばくについて、100ミリシーベルト以下の被ばくでは人体への影響は出ない」
 「子どもより大人の影響が大きいとする証拠はない」

 その内容は、上のように、かなり偏った持論を披歴するものだった。これに対して、参加した住民からは、不信や疑問、批判の声が相次いだ。
 さらに、渡邉特任教授は、被ばくを問題にすること自体を問題視し、M・スコット・ペック『平気でうそをつく人たち』【1】を引きながら、次のように述べた。

 「社会に悪が蔓延している」
 「悪の原因は、知的怠惰と病的ナルシシズムにある」
 「日本人の多くは、ヒトが本来、備えている特性を失っている」

 その意味を簡単に説明しておくと、<被ばくを問題にすることは社会悪。そういう社会悪が蔓延している><そういう悪が蔓延している原因は、住民の科学に関する無知(知的怠惰)と専門家の話を受け入れない住民の態度(病的ナルシシズム)にある><被ばくを問題にする人びと(日本人の多く)は、ヒトの特性を失っている>ということだ。これがこじつけでないことは、本論考を読めば納得いただけるだろう。
 それにしてもこれが市の主催する企画なのだ。一体、どういうことだろうか?
 確かに、国の福島復興加速化方針やリスクコミュニケーションの意図がこういうものだというのは間違いない。また、2011年に南相馬市内で指定された特定避難勧奨地点152世帯の解除を、国が、この7月にも行おうとしていることとも大いに連動しているだろう。確かにそうだが、この渡邉特任教授の講演内容の異様さは、それにとどまるものではなそうだ。そう思って調べてみると、大きな動きが分かってきた。
 <低線量被ばくは有害ではない。むしろ健康に有益という報告もある><LNT(直線しきい値なし)仮説【2】には科学的な妥当性はない。ICRP(国際放射線防護員会)の放射線防護基準は厳し過ぎる>という主張を展開する一群の専門家らの流れがある。その専門家らが、福島原発事故に対応して、グループをつくり、大掛かりなプロジェクトを立ち上げて活動をしている。そのグループが作成した活動報告書【3】には、「南相馬市を標的として」という文言があり、彼らが何を行なおうとしているのかが明記されている。渡邉特任教授はそのグループの中心人物である。

 以下、【Ⅰ】で南相馬市行政の表向きの動きを概観し、【Ⅱ】~【Ⅳ】でその背後にある全貌を見ていくことにしたい。

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【1】 『平気でうそをつく人たち ―虚偽と邪悪の心理学』。アメリカの精神科医M・スコット・ペック(~2005年)著、1983年初版。当時、300万部超のベストセラー。その批評については【Ⅳ】参照
【2】 LNT=linear no-threshold 詳しくは【Ⅲ】参照
【3】 【Ⅱ】参照

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(5月28日、南相馬市馬場公会堂。馬場は空間線量が比較的高く、特定避難勧奨地点の指定を受けた世帯も多い)



【Ⅰ】 「放射線健康対策委」
        と南相馬市の取り組み



 まず、南相馬市の表向きの取り組みを見ておこう。

 
 ▼ 「不安軽減のため」

 冒頭で見た渡邉特任教授の講演会は、南相馬市の健康福祉部・健康づくり課が担当している「放射線と健康に関する講演会・地区座談会」という企画の一環。昨年11月から今年4月までで、市内各地区で計12回開催されている。参加人数は10人程度から100人弱。
 その講師は、渡邉正己・京大特任教授、富田悟・東工大放射線総合センター助教、坪倉正治・東京大学医科学研究所研究員(南相馬市立総合病院非常勤医)など。
 これは、南相馬市のウェブサイトでも見ることができるが、事前のスケジュールの広報を限定している点や、結果報告を控えめにしている点などが気になる。そして、講演会の目的が、「市民の放射線の影響による健康への不安軽減と生活習慣の見直しに役立つこと」とされている点には大いに疑問を感じる。 〔下線は引用者、以下同じ〕


  「帰還促進」

 ところで、渡邉特任教授の肩書に「南相馬市放射線健康対策委員会委員長」とある。また、富田助教、坪倉医師も、その委員会の委員となっている。この委員会は何か?市のサイトを見てもよくわからない。そこで行政情報の公開請求をしてみた。
 公開文書によれば、「南相馬市放射線健康対策委員会」は、昨年7~8月に市役所内部で建議され決定されている。
 予算は総務費の健康管理支援事業、事務担当は健康づくり課で、放射線に関する専門家や健康支援に関する専門家等で構成、委員5人以内などとなっている。【1】 
 委員の構成は、委員長に渡邉、さらに委員は上でも見た富田、坪倉に加えて金澤幸夫(南相馬市立総合病院院長)の四氏。〔なお金澤氏は遅れて今年2月に任命〕
 会議は、昨年10月、今年1月、4月、5月に行われている。
 公開文書を見ると、南相馬市放射線健康管理対策委員会の活動が、被ばくと健康被害のリスクに正面から向き合おうというものではなく、「放射線への不安の軽減」という方向にずらされていることがはっきりわかる。そして、次のような言葉が並ぶ。
 「放射線への不安から帰還に(ママ)悩んでいる市民に対し、情報提供等することにより帰還促進に繋げる【2】
 「室内の汚染について・・・相当の高線量の部分であると認められるが、健康に影響を及ぼすレベルにはないとした【3】
 この南相馬市放射線健康管理対策委員会の役割は、文字通り、「不安軽減」「帰還促進」。しかも、それを「相当の高線量」でも「健康影響はないとした」というように、強引ともとれるやり方で進めようとしていることが見えてくる。
 行政の姿勢が、<住民の帰還をもって原子力災害は終わり>という国の政策とほとんど同じであることがわかる。
 しかし、南相馬市行政の側の情報だけでは,まだ全貌は見えて来ない。さらに、渡邉特任教授と日本放射線影響学会の問題に踏み込んで行こう。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【1】「南相馬市放射線健康対策委員会設置要領」
【2】「南相馬市放射線健康対策委員会の役割、予定」(H25.8.21)
【3】「平成26年度第2回南相馬市放射線健康対策委員会議事録」
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(渡邉特任教授の話に疑問が投げかける住民)



【Ⅱ】 「南相馬市を標的として」
      ―日本放射線影響学会



 さて、ここで、「日本放射線影響学会」という学術団体の文書を見てみよう。そこに「南相馬市放射線健康対策委員会」に関することが書かれている。

 「我々のチームは、福島原発事故後も原子力災害対応組織を持たない南相馬市を標的として、市(市長)に各課横断的な原子力災害対策システムを作ることの重要性を提案した。それを受けて、渡邉および富田が南相馬市健康対策委員会委員に就任することとなり、現在、市役所横断的な復興対応組織の整備とそれに伴う知識向上活動の実施を継続提案している」 〔「平成25年度 日本放射線影響学会 福島原発事故対応プログラム活動報告書」【1】 以下「H25年度 活動報告書」〕
 

 福島原発事故に対応して、日本放射線影響学会の中に、「日本放射線影響学会福島原発事故対応グループ」〔以下、グループ〕が立ち上げられた。京都大学・放射線生物研究センター〔以下、放生研〕を拠点に、十数名の全国の大学教員、研究所員【2】が参加している。グループの代表世話人が、渡邉正己・京大放射線生物研究センター特任教授だ。
 グループは、事故発生後の3月18日、「福島原子力発電所の事故に伴う放射線の人体影響に関する質問と解説(Q&A)」サイトを開設している。さらに、2011年9月から、「放射線影響説明Q&A講演会」の活動を開始している。東日本を中心にして、総計96回(2011年度~13年度)。因みに、35回(2011年度)中の26回が福島県内の開催、また、35回(2011年度)中の28回に渡邉特任教授が講師として出向いている。
 この「Q&A講演会」の活動資金のスポンサーは、京都大学・放射線生物研究センター、一般社団法人・国立大学協会、公益財団法「ひと・健康・未来研究財団」【3】、独立行政法人「科学技術振興機構・震災復興支援プラザ」、日本コルマー株式会社など。2011年度には、原子力産業大手の千代田テクノルの名もあった。
 グループは、昨年7月と今年2月の2回、泊りがけで「Q&A講演活動内容検討会議」【4】を行っている。「H25年度活動報告書」は、その議論に踏まえて書かれており、グループの意識や意図がよく現れている。

「・・・意識調査の結果を解析すると『インターネット時代を反映して放射線の健康影響に関する情報が氾濫したことによって、かえって情報の真偽が判断できず、人々の間に不安が根強く蔓延している』ことを感じる。・・・不安の原因は、様々あげられるが、⑴政府および地方自治体が発する情報に納得いく説明がほとんどないこと、⑵科学者の判断が一人一人全く違うこと、⑶そのために全てを信頼できないという一種の社会崩壊状況に陥っていること、などが引き金となっていると思われる。
 そうした中で住民の心をもっとも掴む意見は、「放射線は危険」とする立場にたち、「政府、東電そして科学者を糾弾」する一部の方から発せられたものである。そして、そのような偏った考え方をする一部の人物の講演をきくことがきっかけとなり、多くの人が、福島ばかりか、首都圏、そして日本を離れる行動を起こしていると聞く。まさしく、世紀末を演出する思想集団のようで極めて残念である。・・・こうした事態を引き起こす原因が一部の科学者による内部被ばくの危険性を煽るような情報提供活動、および、責任ある公的組織による正確な情報提供の不足の結果であることは間違いなく残念である。地道にこれらを論理的に理解するための情報提供が、極めて重要である。
また、驚いたことに、こうした極端な行動を選択する人々は、医師、教師、自治体職員といった、こうした事態が生じた時に、意思決定のリーダーとなるべき階層に属する人達であり、我が国の文化程度の低下を象徴していると危惧される」〔「H25年度活動報告書」〕
 

 これが、科学者・専門家と称する者の手で書かれ、れっきとした学術団体の名で出されているというのだから驚かされる。
そして、グループの当面の活動方針として、①「福島県内の地方自治体の担当者に『放射線の健康影響に関する講義』を提供し、原子力災害からの復興活動に必要な『放射線の環境及び健康影響』に関して、住民に説明できる程度の知識を教授する」、②「専門家グループと地方自治体職員のネットワークを構築し、住民から新たに発せられる疑問に専門家と自治体職員が協力して対応する体制を構築する」の二つが示されている。
 この活動方針を実現するため、昨年7月、「南相馬市健康対策委員会への委員の推薦」が決定され、「渡邉および富田が南相馬市健康対策委員会委員に就任」し、南相馬市にたいする働きかけが始まっていることが報告されている。
 それが、「南相馬市を標的として」という冒頭の一節になるわけだ。また、それは、【Ⅰ】で見た南相馬市放射線健康対策委員会設置の裏の動きということになる。
 南相馬市の住民にしてみれば、「東大や京大のエライ先生の話が聴ける」ぐらいの気持ちだが、このような意図の「標的」にされているとすれば穏当ではない。

 しかし、これもまだ、5月28日の講演会の背後にあるものの一部に過ぎない。さらに、次章では、渡邉特任教授の研究内容と<LTN仮説否定>という動向を見てみる。

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【1】「H25年度 活動報告書」は京大・放生研のサイトにある。
http://house.rbc.kyoto-u.ac.jp/wp-content/uploads/2014/04/8d5429125ab9b49578a77843a2b128c6.doc
 【2】「日本放射線影響学会福島原発対応グループ」参加者
宇佐美徳子(高エネルギー加速器研究機構・講師)
柿沼志津子(放射線医学総合研究所・研究リーダー)
小松 賢志(京都大学・放射線生物研究センター・教授) 
島田 義也(放射線医学総合研究所・プロジェクトリーダー)
鈴木 啓司(長崎大学・医歯薬学総合研究科・准教授)
高田  穣(京都大学・放射線生物研究センター・教授)
松田 尚樹(長崎大学・先導生命科学研究支援センター・教授)
松本 英樹(福井大学・高エネルギー医学研究センター・准教授)
松本 義久(東京工業大学・原子炉工学研究所・物質工学部門・准教授)
松本 智裕(京都大学・放射線生物研究センター・教授)
田内  広(茨城大学・理学部・理学科 生物科学コース・教授)
立花  章(茨城大学・理学部・理学科 生物科学コース・教授)
富田  悟(東京工業大学・放射線総合センター・助教)
三谷 啓志(東京大学・大学院新領域創成科学研究科・教授)
渡邉 正己(京都大学・放射線生物研究センター・特任教授)(代表世話人)
【3】公益財団法「ひと・健康・未来研究財団」。「疾病の予防、健康づくり、環境やこころの健康」を研究するとする研究財団。渡邉特任教授はこの財団の副理事長。「H25年度 活動報告書」とほぼ同じ文書が、この財団のサイトにもある。
【4】「Q&A講演活動内容検討会議」の結果報告文書 
http://rbnet.jp/shiryo2/QA2.pdf
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【Ⅲ】 LNTモデル否定
      と防護基準の緩和




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(渡邉特任教授がパワーポイントで示した説明)


 ▼ 「100ミリ以下は影響ない」

 改めて、渡邉特任教授の5月28日の講演内容の特徴的な部分の検討から入りたい。
 講演の大部分は、「原子とは」「原子力とは」「放射線とは」といった教科書的な解説に費やしたが、以下の点だけは断定的だった。

◇<分からない>ではなく<影響ない> 
・「現存の科学的データの解析によれば、100ミリシーベルト以下の線量の被ばくでは、確定的影響も確率的影響も現れない」
・「100ミリシーベルト以下の線量の被ばくで、子どもが大人より影響が大きいとする証拠はない」
・「結論として、100ミリシーベルト以下の被ばくで人体への影響は出ない。あるとしても無視できる」
・「<100ミリシーベルト以下はわからない>と思っているかもしれないが、そうではない。<影響がない>である。<影響がある>というデータは、この100年間、積み重なっていない」
・「影響はないけど、被ばくは少ない方がいいから、LNT(直接しきい値なし)仮説を取っている」

◇内部被ばくは無視できる
・「1Fから空気中に放射性物質は出ているけど、ほとんど問題ない」
・「汚染水もときどきあるけど、それほど多いことはない」
・「基本的に土壌にあるセシウムが問題だが、泥と結合しているから、植物への移行は少ない。畑で作ったものは、ほとんど大丈夫。ときどき出るけど、それは他の理由による汚染だ」
・「よってみなさんが気を付ける必要があるのは、セシウムが出すガンマ線による外部被ばくだけ」

 注目したいのは、渡邉特任教授が、「100ミリシーベルト以下は影響はない」と言った上で、さらに、「<わからない>ではなく、<影響がない>」「<影響はない>が、LNT仮説を取っている」と念を押して説明している点だ。そして、これが「我が国の放射線防護の考え方」であるとした。
 渡邉特任教授の考え方は、ICRP(国際放射線防護委員会)の放射線防護基準の考え方とは、厳密な意味では違う。ICRPが採用している「直線しきい値なし(LNT)モデル」とは、<100ミリシーベルト以下の低線量でも、がん・白血病などの発生確率は、線量と比例する>とするもの。それに基づいて、ICRPの放射線防護基準が策定されている。もちろん安全サイドから見れば、ICRP基準には様々な問題があることは言うまでもない。
ところが、日本の一群の専門家たちは、ICRP基準の土台となっているLNTモデルを科学的でないと否定し、そうすることでICRP基準の緩和を要求するという動向がある。その一人が渡邉特任教授だ。
渡邉特任教授は、42年間にわたって「放射線による発がんメカニズム研究」に取り組んできたという。その成果に踏まえて、「LNT仮説の再考」「放射線防護概念の再構築」という論陣を張っている。
若干、専門用語もあるが、渡邉特任教授の文章から、LNTモデル否定の言説を見てみよう。


 ▼ 「LNT仮説の再考」「原子力は人類最大の賜物」

◇「低線量放射線への生体反応は生命現象」「リスクを切り出すのは無意味」
「・・・低線量放射線の生体影響研究は、21世紀に発展が期待される極めて重要な研究動向である・・・。低線量の放射線に対する生体の応答反応の仕組みは、生命現象そのもの・・・。・・・低線量放射線を生命に対するリスク要因として切り出すことに大きな意味はないといえます。
 今回纏(まと)められたこのレビューには、電力中央研究所の低線量放射線影響研究グループの最近10年の動向が報告されています。これによって、ある意味で、我が国は、この分野の研究で世界をリードしてきたことをわかっていただけると思います」【1】

◇「低線量放射線の発がんリスクは『閾値なし直線仮説』で評価できない」
「低線量放射線は、酸化ラジカル発生を先進するとともに、様々な生理活性を活性化(いわゆるホルミシス効果や適応応答現象など)するが、高線量放射線を受けバランスが大きく崩れると生命に危険が及ぶようになる。この状態になると救命的な様々な損傷修復機構(DNA損傷修復機構、アポトーシス、細胞周期制御機構など)が活性化される。放射線ストレスの場合、数100mSv程度の線量がその境目ではないだろうか?この予想が正しければ、100mSv以下の放射線量で誘導される酸化ラジカルは、内的ストレスによるラジカルと区別されることなく通常の生体生理活動で処理される。これを『生物学的閾値』と捉えることはできないだろうか?少なくとも低線量放射線の発がんのリスクをDNA標的説に基盤を置く『閾値なし直線仮説』で評価することはできないとするのが妥当ではないか?2】

◇「LNT仮説は再考すべき、防護基準を再構築すべき」

「(「四十二年間の研究の末」という表題で、その結論として)国際放射線防護委員会が採用する『放射線発がんの原因は、DNA損傷である』という大前提の上に成り立っている閾値無し直接仮説(LNT)仮説〔ママ〕によって放射線の発がん危険度を推測することに科学的な妥当性はなくなった。・・・LNT仮説の利用は再考されるべきである。・・・いま望まれることは・・・科学的基盤に立った放射線防護概念を再構築することである」【3】

◇「原子力は人類最大の賜物」
「・・・発がんのメカニズムにDNA損傷を起源としない経路が存在し、それが発がんの圧倒的主経路であるとする新仮説を提案できました。・・・
 ・・・宇宙万物の成り立ちが放射エネルギーであることを考えると“生命が放射線と密接な関わりを持って存在している”ことは間違いありません。・・・
 こうした意味で、私は、“原子力は、人類の科学活動で得られた最大の賜物であるとともにこれからも、人類の夢を広げ、人類に必須なものである”と信じています。・・・
・・・平成26年4月末で(放射線の健康影響に関する講演会活動が)96回を数えますが、その経験を通じて、強く科学者やリーダーの責任を考えるようになりました。科学者しか果たせない役割は、科学者にしか果たせません。しかし、リーダーや科学者である前に一人の人間として行動することの重要性を再認識させられました。・・・
私達、科学者は、原子力と放射線の平和利用は、我々の意思と行動で達成する以外ないことを世に発信せねばなりません」【4】

 簡単に言えば、「DNA損傷を起源としない発がんメカニズム」という新仮説を提唱し、もってLNTモデルは「科学的妥当性はなくなった」としている。そして、100ミリシーベルト以下の低線量被ばくについては、健康への影響がないどころか、「様々な生理活性を活性化する」と有益であるとすら見ていることがわかる。さらに、「原子力は人類最大の賜物、人類に必須」とまで礼賛している。そして、「原子力と放射線の平和利用は、我々の意思と行動で達成する」と決意表明している。
全国の講演活動や南相馬市を「標的」にした活動が、このような考え方と目的のために行われている。とくに「原子力は人類最大の賜物」の一文は、今年の4月、つまり南相馬市放射線健康対策委員会委員長として活動している最中に書かれたものだ。


 ▼ ICRP基準の緩和要求の流れ

 以上のような言説は、渡邉特任教授だけの独特ものではない。『つくられた放射線「安全」論』〔島薗進 2013年2月〕に詳述されているが、それによれば、日本の一部の科学者・専門家らが、1980年代後半あたりから、ICRP基準よりも楽観的な立場、ICRP基準の緩和を要求する方向に傾いて行ったという。それには二つの流れがあるという。
その一つが、LNTモデルを否定するための科学的データを示そうとする動きだ。その動きは、電力中央研究所【5】、放射線医学総合研究所から、全国の研究機関に広がっていった。やがて、日本が、世界の研究動向を先導するような状況になって行ったという。
渡邉特任教授は、電中研・低線量生物影響放射線研究センター(当時)主催の「低線量放射線影響に関する国際シンポジウム」(2002年)【6】で講演、また、上で引用した電中研機関誌の特集「低線量放射線生体影響の評価」で「巻頭言」【1】を執筆するなど、この流れの中心的な研究者であることがわかる。
 今一つの流れは、被ばくに対する健康不安に対応しようという動きだ。被ばくではなく、不安を減らすことに主眼があり、現在、リスクコミュニケーションと称するものだ。これは、1986年のチェルノブイリ原発事故後に、放射線健康影響の国際的評価に関わった重松逸造(元放射線影響研究理事長)や長瀧重信(元放射線影響研究所理事長)らによって主唱されたという。
 このような二つの流れに属する専門家らが、福島原発事故を機に、政府やその周辺で積極的な動き、働きかけを行っていく。そういう中の一人、長崎大学から福島県放射線管理健康リスクアドバイザーに就任した山下俊一は、そのエキセントリックな発言で一躍有名になった。


 ▼ 京大・放生研を中心に専門家らが連携

 次に、【Ⅱ】で見たように「放射線健康影響Q&A講演会」活動の拠点となり、渡邉特任教授が在籍している「京大・放射線生物研究センター」について見てみよう。

 歴代のセンター長を見ると、菅原努、岡田重文、丹羽太貫(おおつら)など、<低線量被ばくは健康影響なし。LNT仮説は間違い>と主唱した研究者が多い。
 放生研を紹介する文章には、「放射線生物学は、原子力発電などの放射線リスク評価の学術的基盤」、「生命はその誕生以来、放射線や種々の環境ストレスに曝されて・・・進化をも遂げてきました」という言葉が並ぶ。
 放生研を中心に全国の大学・研究機関が連携して行う事業が二つ挙げられている。
 そのひとつが、「国際原子力イニシアチブ事業」として、「『被ばくした瞬間から生涯』を見渡す放射線生物・医学の学際教育【7】。被ばく人間を何十年単位で観察し、「放射線による損傷と影響との因果関係」を調査するという。
 この事業への参加機関には、弘前大、福島県立医大、京大、長崎大、東工大の他に、放医研、環境研、電中研、放影研など原子力政策に関わる研究所の名がある。 
 いまひとつは、「放射線安全確保に資するコミュニケーション技術開発と専門家ネットワーク構築」【8】。ここでは、国民の科学に関する知識レベルが低いために正しい情報が伝わっていないとして、「原子力及び放射線に関する基礎的知識を国民に浸透させるための教育システムの充実」を図ることを目指すとしている。そして、リスクコミュニケーション技術を開発することと、リスクコミュニケーションを担う専門家のネットワークの構築を目指すとしている。とくに、その専門家のネットワークを「日本版ICRP」に発展させるなどと称している。
 この事業は、京大・放生研が提案し、茨城大、東工大、福井大、長崎大、東京大、放医研、日本放射線影響学会、公益財団法人 体質研究会、公益財団法人「ひと・健康・未来研究財団」、さらに福島県内の市民団体【9】も連携している。
 【Ⅱ】で見た「放射線健康影響Q&A講演会」や「南相馬市放射線健康対策委員会」での渡邉特任教授らの活動は、つまり、この後者の「原子力及び放射線に関する基礎的知識を国民に浸透させる」事業として行われている。

 ◇住民をモルモットに 
 放生研のサイトを読んでいて強い違和感を感ぜずにはおれない。
 この研究者・専門家らは、福島原発事故に対して、その被害の大きさに責任や危惧を抱くのではなく、自分たちの研究基盤が脅かされるという方向で危機感を抱いている。そして、その原因が、原子力政策の問題としてとらえるのではなく、一般国民の無知のせいだという方向でとらえてしまっている。だから、原子力と放射線の知識を浸透させていくということが実践的な結論になっている。
 さらに怖いのは、彼らが、住民が長期にわたって低線量被ばくの状態に置かれる事態が、自分たちの仮説を証明するチャンスであり、その研究成果でもって国際的な評価を受けたいという欲望が滲んでいることだ。
 被ばくを強いられている住民は、「私らをモルモットにするのか」と繰り返し憤っているが、まさにそういうことだと言わざるを得ない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【1】「電中研レビュー第53号 低線量放射線生体影響の評価」(06年3月発行)「巻頭言」
http://www.denken.or.jp/research/review/No53/
【2】「放射線がんの主たる標的はDNAではない可能性が高い ESI‐NEWS Vol.25 No.5 2007」
http://anshin-kagaku.news.coocan.jp/sub071120watanabeESI.html
【3】「四十二年間の研究の末 発がんの主経路は DNA 損傷を起源としないという主張渡邉正己退官記念講演会抄録(平成24年6月23日、京都)」
http://rbnet.jp/shiryo/opinion6.pdf
【4】「御挨拶 平成26年4月 渡邉正己」  
http://rbnet.jp/jnabe.html
【5】(電力会社の合同出資によって運営され、電力会社のニーズに沿った研究開発を推進する研究機関―ウィキペヂア。以下、電中研)
【6】「低線量放射線影響に関する国際シンポジウム 低線量生物影響研究と放射線防護の設定を求めて」 
http://www.iips.co.jp/rah/n&i/n&i_de31.htm
【7】「国際原子力イニシアチブ事業 『被ばくした瞬間から生涯』を見渡す放射線生物・医学の学際教育」
http://house.rbc.kyoto-u.ac.jp/hito8996/
【8】「放射線安全確保に資するコミュニケーション技術開発と専門家ネットワーク構築」
http://house.rbc.kyoto-u.ac.jp/communication/
【9】参加する市民団体は、福島県伊達市諏訪野町内会、セシウムバスターズ郡山、福の鳥プロジェクト、NPO法人 持続可能な社会をつくる元気ネット。元気ネットは福島県外

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


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(渡邉特任教授の略歴・肩書は本文末に掲載)



【Ⅳ】 渡邉特任教授の原点
        と思想の問題性



 【Ⅲ】で渡邉特任教授の放射線に関する言説を検討してきたが、その言説の背後にある原点、あるいは思想にかかわる問題について見ておこう。
 ひとつは、長崎原爆に関する問題。いまひとつは、渡邉特任教授が講演の中で引用していたM・スコット・ペックに関わる問題だ。


 ▼ 長崎原爆と「発がんメカニズム研究」

 渡邉教授は、「放射線発がんメカニズム研究」を志した動機を、長崎原爆の写真だったと語っている。

「私がこの研究分野を選んだ大きな理由は、大学の恩師が授業で見せてくれた被ばく直後の長崎のパノラマ写真が(ママ)切掛けである。その写真には、昭和20年10月中旬に撮影された、今の長崎大学医学部(西山)のあたりから浦上地区を写したものであったが、私の目を奪ったのは、その写真に、煙を上げながら走っている蒸気機関車が写っていることである。私は、目を疑ったが、原爆投下後70年は、放射能の影響で草木はおろかあらゆる生物が生きられない死の世界であろうと予想されたという話とずいぶん違うことに驚くとともに人はなんと逞しいのかと感じた【1】

 原爆投下から2カ月とは、どういう状況だったのだろうか。
 長崎では、原爆の強烈な爆風、熱線、放射線によって、瞬時に、死者7万4千人、重軽傷者7万5千人。しかし、それからさらに地獄が続く。被ばく直後から数か月後にかけて急性期原爆症が現れ、脱毛、出血、白血球減少などで苦しみ悶えながら、死んで行っていく者が続出した。さらに、年を開ける辺りから、原爆後障害として、ケロイド、白血病、諸種のがんなどを発症していった。【2】
 なお、汽車は10月どころか、8月9日の当日から、救援列車として運行されていた。そして、このような状況下でも、懸命の救護活動と生きるためのたたかいが行われていた。
 しかし、渡邉特任教授の感じたという「逞しさ」にはやはり感性としてズレがあると思う。その言葉は、渡邉特任教授が、<原爆による放射線障害は、案外、大したことはなかった>と、その写真から受け取ったと読める。
原子力の導入に大きな役割を果たした中曽根康弘は、「原爆雲を見て、次の時代は原子力の時代になると直感した」と著書【3】の中で得意げに回想している。そして、「長崎原爆の写真」を原点に研究者を志した渡邉特任教授が、今日、「原子力は人類最大の賜物」といい、「100ミリ以下は影響なし」と述べている。奇しくも両者は符合している。


 ▼ スコット・ペック-エリートの精神的荒廃

 ところで、渡邉特任教授は、『平気でうそをつく人たち ―虚偽と邪悪の倫理学』(M・スコット・ペック)を繰り返し読んでいるという。座右の書というところだろうか。放射線や被ばくの問題から離れるように見えるが、実は、この本の中身は、渡邉特任教授の精神世界や住民に対する目線と一致している。少し脇道のようだが、この本の中身を検討しておきたい。
 アメリカの精神科医であったペックは、その著書で、「人間の邪悪性」「邪悪な人間」「集団の悪」を科学的に究明したとしている。文庫版に次のような紹介文がある。
 
 「世の中には平気で人を欺いて陥れる“邪悪な人間”がいる。そして、彼らには罪悪感がない――精神科医でカウンセラーを努める著者が診察室で出会った、虚偽に満ちた邪悪な心をもつ人びとの会話を再現し、その巧妙な自己正当化のための嘘の手口と強烈なナルシシズムを浮き彫りにしていく」【4】

 ということらしいので読んでみると、ペックの言う「邪悪な人間」の邪悪性よりも、この人びとを見るペックの眼差しの方に大いに問題があるということに気づく。
 「邪悪な人間」とは、ペックも認めるように、「ごくありふれた人間」。しかし、そういう人びとをペックは、「労働者」「二流市民」「低中流層出身」というカテゴリーでとらえ、そういう人びとを前にすると、ペックは、「吐き気をもよおす」「同じ部屋にいること自体が不潔」「人間を汚染し破滅させる」という感情を抱くという。そして、その感情は、「健全な人間が邪悪な人間に抱く嫌悪感」なのだと正当化している。しかも、「邪悪性」は、「子供時代の状況」「親の罪」「遺伝的なもの」によっており、また「その人間の一連の選択の総体の結果」だとしている。そして、「邪悪性は精神病理学的障害である」という確信を得たとしている。
 つまり一読するとわかるように、ペックの話の大半は、「邪悪」の研究というよりも、格差社会の矛盾の中で、ペックのようなアメリカのエリート層が、「二流市民」に対して抱く嫌悪感、蔑視、差別感情を活字にして吐き散らしたものというのが妥当だろう。
 それにしても、なんでそこまで嫌悪するのか。ペック曰く、「邪悪な人間」が「自分より高いものに屈服しない」、つまり自分たちエリートに対して「屈服しない」から。

 ◇ソンミ村虐殺事件
 いまひとつ、ペックは、この本の中で「ソンミ村虐殺事件」を「集団の悪」の問題として大きなテーマとしている。
 ソンミ村虐殺事件とは、1968年3月16日、アメリカのべトナム侵略戦争において、ソンミ村を襲った米軍が、非武装・無抵抗の村民504人を残酷なやり方で殺害した事件。ベトナム反戦運動高揚の契機にもなった歴史的な大事件だ。
 ペックは、<なぜこんな事件が起こったのだろうか?>と設問し、原因の究明を試みている。そして、組織の専門化によって個人の良心が希釈化されたからとか、戦場のストレスで、心理的成長が退行したからとか、といろいろ検討している。
 しかし、ペックの検討には大きな欠陥がある。それは、事件が、あたかも兵士の個人的な動機で引き起こされたもの、あるいは、せいぜい部隊の行き過ぎで起こってしまった事件のように見ていることだ。
 米軍は、当時、「サーチ・アンド・デストロイ(索敵・せん滅)作戦」という大規模な平定計画を展開していた。そして、米軍の軍用地図には、ソンミ村が、せん滅対象を意味する赤い丸で囲まれていた。この日のせん滅作戦は、前夜の作戦会議において部隊の指揮官の主張で決定されている。【5】
 つまりどこまでも米軍の組織的で計画的な虐殺だった。このことは、資料や証言からも明らかなことだ。ところが、ペックの記述には、資料や証言に照らして、明らかに事実と違う点が少なくない。なぜペックは、事実と違う状況把握で話を進めるのか?ちょっと調べれば分かることなのになぜそれをしないのか?
 ペックは、「優れた精神的な価値を有する合衆国軍」が、そんな残虐な行為をするはずがないと信じている。もっと言えば、アメリカが、アメリカ人が、そんなことをできるはずがないと思っている。しかし、事件は起こった。そこで、ペックが跳びついたのは次のことだった。
 「(虐殺を行った)部隊は、平均的な市民を代表するものではない」「部隊を一般アメリカ市民の無作為抽出サンプルとして見ることは無理がある」
調査をしたわけでもないと言いながら、ペックはそのように決めつけている。
 そして、「低中流層出身の若者は攻撃的」、「アルコール依存症の農業労働者と疲れきったその妻とのあいだに生れた六人兄弟の長男」、「厄介者やはずれ者」、学校を中退、職を転々、盗みなどと、ストーリーを創作してしまう。そして、そういう人間に武器を与えたら、「無差別殺人を行っても何の不思議もない」「罪の意識も感じていない」などと結論づけている。

 ◇エリートの精神的荒廃
 つまり、<ソンミ村虐殺事件は、一部の厄介者や外れ者の仕業だ>としたいのだ。<ソンミ村虐殺事件を引き越すような連中と、自分たちエリート層とは全く違うんだ。自分たちエリート層は「平和主義的アメリカ市民」だからそんなことはしない>と。そういう強い心理が虚偽のストーリーまで作らせている。
 ベトナム敗戦によって、アメリカ社会が受けた傷の深さを物語っている。正義、自由、繁栄といったアメリカ的な価値が、ベトナムの人びとの抵抗の前に敗れた。その事実に向き合って総括できない。
 この本がアメリカで出版されたのが1983年、一挙に300万部を超えるベストセラーになったという。まさに、この本を読んで溜飲を下げているアメリカの黄昏るエリート層の精神的荒廃、知的頽廃が投影されている。
 
 ◇安全神話崩壊の中で
 さて、翻って渡邉特任教授は、冒頭で見たように、『平気でうそをつく人たち』を引きながら、<被ばくを問題にすることは邪悪>、<悪がはびこるのは、住民の科学に関する無知(知的怠惰)と、専門家の話を受け入れない住民の態度(病的ナルシシズム)に原因がある」とほとんど八つ当たりのようなことを言っている。また、【Ⅱ】で見た「H25年後活動報告書」には「一種の社会崩壊情況」「世紀末を演出する思想集団のよう」などという不穏な言葉が見られた。
 ここで渡邉特任教授が問題にしているのは、原子力神話の崩壊、経済成長と科学技術への信仰の崩壊という状況である。その状況に、彼ら専門家は、自分たちの存立基盤の崩壊を感じている。しかしそのことに向き合って、総括できない。そして住民をなじる方向に話を転嫁して行く。渡邉特任教授らの眼差しは、ベックが、「二流市民」たちを蔑視し嫌悪する眼差しと見事に重なっている。

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【1】「我が国に原子力の安全管理の専門家育成システムを作る必要がある」(ESI‐NEWS VOL.25 No.46 2007)
http://anshin-kagaku.news.coocan.jp/sub080109watanabe.html
【2】「長崎原子爆弾の医学的影響」 長崎大学後障害医療研究所
http://abomb.med.nagasaki-u.ac.jp/abomb/data/panf.pdf
【3】中曽根康弘『政治と人生―中曽根康弘回顧録』1992年
【4】2011年 草思社文庫 裏表紙
【5】「ソンミを振り返る」 クァンガイ省一般博物館 吉川勇一訳
http://www.jca.apc.org/~yyoffice/Son%20My/A%20look%20back%20upon%20Son%20My.htm
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【Ⅴ】 南相馬市が問われている


 渡邉特任教授らの南相馬市で行っている活動の全貌がかなり見えてきたと思う。
 渡邉特任教授らは、「原子力は人類最大の賜物」という信念で、「LNT仮説の否定」「放射線防護基準の緩和」「日本版ICRP」に執念を燃やし、「原子力と放射線の平和利用は、我々の意思と行動で達成する」という決意をもって、「南相馬市を標的として」乗り込んできている。
 しかも、被ばくを危惧する住民や低線量被ばくに警鐘を鳴らす専門家に対して、「邪悪」「知的怠惰」「病的ナルシシズム」「世紀末の思想集団」と悪罵し嫌悪感を露わにしている。こんな姿勢でリスクコミュニケーションなど成り立つはずもない。
 渡邉特任教授が、個人的にこういう主張や信念をもっているというのは、百歩譲って自由だとしよう。しかし、それが、南相馬市放射線健康対策委員会という立場で、南相馬市とその住民を対象にして行われるとするならば、それは話が違うだろう。
 これは、南相馬市の行政当局の姿勢が問われる問題だ。このような目的のために、住民をモルモットに差し出すという話だ。それを承知で、委員会を設置し、この人選を行ったのだとすると看過できない。
 委員会には、桜井市長、江口副市長も出席しているようだ。桜井市長は「脱原発」を旗印に再選されているが、その真贋が問われている。 (了)


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 ◎ 渡邉特任教授の略歴 ・肩書
  • 薬学博士、放射線生物学・がん機構学 放射線による発がん機構の研究
  • 金沢大大学院薬学研究科修了、金沢大薬学部助手、ミシガン大研究員、横浜市大医学部助教授、長崎大薬学部教授、長崎大副学長、京大原子炉実験所教授。現在は京大・放射線生物研究センター特任教授
  • 原子力安全委員会・原子力安全研究部会および環境影響部会委員、ICRP(国際放射線防護委員会)G4・G5合同ワーキンググループ人体および環境影響作業部会委員、UNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)国内対応委員 
  • 2002年、長崎大に東京電力の寄付講座の開設が一旦決まり、直後、東京電力のトラブル隠しが発覚、講座開設が断念に追い込まれた事件があった。そのとき渡邉氏は同大副学長。当時のことを渡邉氏は次のように述懐している。「・・・大学教授でさえも、多くが放射線や原子力に偏見を持ち、極めてヒステリックに行動するということであった。私は、放射線の生体影響の研究を続けてきたが、長崎大学で副学長を務めた時期に、教授会の席で複数の教授から公然と『渡邉がやっている放射線生物学は悪の科学である』と非難されたことである。最後は『核爆弾擁護者である』とまで言われた。勿論、彼らの真の目的は、科学的論争ではなく、他に目的があったことは明々白々である・・・」 〔「我が国に原子力の安全管理の専門家育成システムを作る必要がある」(ESI‐NEWS VOL.25 No.46 2007) http://anshin-kagaku.news.coocan.jp/sub080109watanabe.html









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  1. 2014/07/03(木) 20:57:36|
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【論考】被災から3年 「福島の復興」とは? ―南相馬市長選と住民の選択


scs001.jpg(小高駅から望む駅通り。南相馬市小高区)



 地震、津波、そして原子力災害の直撃を受けた南相馬市。今なお災害は継続し、問題は山積みだ。その南相馬市で、災害から3年を前にして市長選が行われた。
 1月19日の投票の結果、現職の桜井勝延氏が、前市長の渡辺一成(いっせい)氏、前市議会議長の横山元栄(もとえ)氏を破って再選された。

 当 17,123  桜井 勝延 58 
   1,985  渡辺 一成 70
    5,367  横山 元栄 65

(当日有権者数5万3943人 投票率62.82%)


scs002.jpg



▼「復興の加速」の争点化


 主要メディアは、この結果について、「脱原発候補が再選」「市政継続を市民が選択」と報じた。しかし、この選挙は、それほど単純な構図ではなかった。被災地の現状の複雑さというだけではない。
 国の側から「復興の加速」という大きな力が働いていた。
 そして、そういう力の下で、「復興の遅れ」「復興の加速」という問題が市長選の争点とされた。
 選挙戦における論戦の構図は端的に描けば次のようなものだった。ともに自民党系である横山、渡辺の両氏が、「復旧・復興の遅れ」は「桜井市政の責任」であるとし、「復興の加速」のために「トップの交代」と「中央とのパイプの回復」が必要だと訴えた。それに対して、現職の桜井氏が、「復旧・復興の遅れ」は「国・東電の責任」とし、「国・東電とたたかう」と応戦した。
 国の言う「復興の加速」とは何か。「復興」も「加速」もそれ自身、誰しもが望んでいる事柄だ。が、国が「復興の加速」と言うとき、それは、<被災者の切り捨てと復興の名を借りた開発政策>という意味になる。
 国の「復興の加速」に対して住民はどうするのか――。南相馬市長選では、住民の選択は別れた。選挙自体は終わっているが、その攻防の決着はついていない。住民の間の論議も決着していない。
 そこで、選挙戦を振り返りながら、国の政策の内容や、この選挙の争点、住民の選択を検証し、課題と展望について考えてみたい。
 なお、できるだけ地元住民の論議に沿うものにするため、選挙の子細な議論にも言及している。福島の外の読者には分かりにくい面もあるかもしれないが、主要メディアが報じないリアルな被災地の姿でもある。長文になるが、ぜひ読んでいただきたい。

〔構成〕

【Ⅰ】 「復旧復興の遅れ」の現状
【Ⅱ】 帰還促進の徹底――国の加速化方針
【Ⅲ】 被災者切り捨てと開発依存――選挙戦に即して
   〔1〕 除染と産業政策に傾斜――渡辺氏の「加速」
   〔2〕 公共事業と企業誘致――誰のため復興か?
   〔3〕 「中央とのパイプ」――金による支配
   〔4〕 桜井氏は「脱原発」か?
【Ⅳ】 別れた住民の選択
【Ⅴ】 「除染して復興」方針の見直しを
【Ⅵ】 中央依存・開発依存を超えて――新しい方向の模索




         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




【Ⅰ】「復旧復興の遅れ」の現状




scs005.jpg 
(津波被害の大きかった小高区村上/2013年12月)



▼避難1万5千人 仮設・借上げ1万1千人 震災関連死437人


 南相馬市(震災前人口 約7万2千人)では、震災から3年を迎える現在も、約1万5千人が市外に避難を継続し、また約7千人が市外・県外に転出している。
 現在の市内居住者は約4万7千人だが、そのうち約5千人が仮設住宅、約6千人が借上げ住宅などに居住している。
 なお、南相馬市では、震災・津波による流失・全壊の家屋が1227戸。原子力災害によって避難区域とされた住民が約1万3千人。津波などによる直接死が525人、震災関連死が437人〔昨年11月末時点〕。
 震災関連死は県内では群を抜いて多い。原因は一概には言えないが、先行きが見ない不安と仮設住宅などでのストレスがあり、そういう中での精神的肉体的な疲労と既往症の悪化などが関わっている。
 復興住宅は県の事業として350戸建設中だが、入居できるのは2015年末と2年近く先だ。
 以上の簡単な数字を見ただけでも、震災とくに原子力災害が依然として継続している状況がわかる。


 
▼小高など避難区域の復旧


 原発から20キロ圏内にかかった小高などの避難区域からは、約1万3千人が強制的に避難している。
 市は、国の意向に沿う形で、昨年末に、「2016年4月の避難解除」を決めた。
早期帰還を望む住民は、この決定を好意的に受け止めているが、実際は簡単ではない。
 電気・水道はほぼ復旧したが、道路は遅れている。津波で壊れた道路の復旧率は昨年末時点で5.7%、地震で壊れた道路の復旧率は25%。事業所の再開を届け出たのは、区域内約400事業所のうち、今年1月中旬で49件。市では、商店などの再開が進むように補助金制度を作るという。また今年4月から市立小高病院で一部外来の再開をする。しかし、後述するように除染が大幅に遅れている。また、倒壊家屋の解体、がれきの撤去と処理、集団移転の問題など、課題は多い。

◇「戻らない」31% 
 一方、20ミリシーベルト基準による避難解除に納得していない住民は少なくない。また、賠償がしっかり行われないまま解除になって賠償が打ち切られるのではという不安がある。さらに、地震・津波被害のなかった住宅の多くが、避難で長期不在だったため、カビ、ネズミ、イノシシなどによって激しく傷み、もはや住める状態にないという問題も深刻だ。
 そして、やはり被ばくと健康被害への危惧は大きい。住民の意向調査〔昨年8~9月 市・復興庁による〕では、「戻る」24.1%、「戻らない」31.1%と、「戻らない」の方が多いという結果が出ている。また、「戻らない」理由の最多は、「放射能への不安」42.8%だった。とくに若い人ほど、「戻らない」の割合が高く、また、「放射能への不安」の割合も高い。



▼除染の遅れ


 20キロ圏内の除染は国・環境省の直轄事業、その外の除染は市が行なっている。いずれも当初の計画から大幅に遅れている。
 国が、2012年4月に策定した除染計画では、除染の実施期間は2014年3月末までとされ、小高区の場合、概ね2012年度に同区中央部、2013年度に同区東部と西部で実施する予定だった。しかし、業者が決まったのが昨年6月、実際に除染が始まったのは、公共施設が昨年8月、住宅については昨年11月という遅さ。予定より1年以上遅れている。
 市の方は、2011年11月に策定した除染計画で、2013年度中に完了予定だったが、こちらも作業は大幅に遅れ、昨年1月に計画を変更し、目標を2015年3月に延長。しかし、昨年末時点での進捗は約11%。市は目標を2017年3月に再度延長した。
 この遅れを象徴とする事態として、国においては、2012年度の決算で、除染費用の67.9%、(被災地全体の復興費でも35.2%)が未執行となった。また、市でも、2012年度の決算で、除染や住宅再建などで使い残しが発生し、6割が執行できなった。
 遅れの原因について、国も市も、仮置き場設置や除染の同意取得に時間がかかっているからとしている。国の場合、仮置き場、除染のいずれも同意取得が3割にとどまっている。市の方は、仮置き場の予定が21カ所、そのうち搬入しているのは10カ所で、6カ所は地元の同意を得られていない。
 なお、「復旧・復興に最も必要なものは?」という問いに、38%の住民が「除染」と答えている〔1月19日、NHKによる出口調査〕。と同時に、「成果の上がらない除染に金を使うよりも、その金を、移住して生活再建をする人の支援に使った方がずっと有効ではないか」という声も少なくない。


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(除染作業中の市立小高病院)



▼賠償の遅れと格差、打ち切り


 避難区域の住宅・宅地の賠償の手続きは一応進められているが、田畑や山林の財物賠償は、いまだ基準すら示されず、開始の目途も立っていない。
 避難を強いられた住民は、生活再建の資金を、補償ではなく賠償に頼らざるを得ない仕組みになっており、賠償の遅れが生活再建の遅れに直結している。しかも、住宅・宅地の賠償額が、移住先で新しい住宅を取得できる額にならないなどの例が多い。賠償自体が、「戻らない」選択をできるだけさせない仕組みになっていると言わざるを得ない。

◇賠償で格差
 さらに、南相馬市の独特の事情も加わる。南相馬市は、国の避難指示により、原発から20キロ圏内、20~30キロ圏内、30キロ圏外に分断され、警戒区域、緊急時避難準備区域、計画的避難区域、特定避難勧奨地点の全部が設定された。
 住民は、同じように危険にさらされ、被ばくし、避難したのに、国の線引きによって、賠償などで格差が生じ、住民の間に軋轢や分断が引き起こされてしまっている。
 市は、国と東京電力に是正を求めているが動きはない。

◇帰還と賠償
 さらに、後述するように、昨年末の政府「復興加速化方針」や原賠審「中間指針第4追補」では、帰還困難区域の移住については賠償で支援するが、それ以外の避難区域については、帰還する住民には支援するが、帰還しないで移住する住民には支援しないという方向を打ち出している。

◇賠償の打ち切り
 賠償の打ち切りが始まっている。
 ひとつは、就労不能に伴う損害賠償が今年2月で打ち切りとなる。避難区域設定によって職を失った住民、勤め先が休業・廃業になった住民などが対象。企業が依然として事業再開できない状況、また働きたくても年齢や職種などの条件で新しい職場が簡単に見つからない状況がある中で、賠償打ち切りは、被災者をさらに追い詰めるものになっている。〔※〕
 〔※「賠償があるから働こうとしない」という言葉が被災者の間でも言われているが、実態を見る必要がある。求人倍率は後述のように高いが、実態は小売業・サービス業などのパート・アルバイトと建設・除染など。長期に安定して働ける職業は少ない。時給も上昇はしているが、そもそも福島県の最低賃金が675円とその低さの方が問題だろう〕 
 いまひとつは、避難区域設定などで被害を受けた企業に賠償が行われているが、原町区が該当する旧緊急時避難準備区域で休業中の事業所への賠償を来年2月で打ち切るなど、賠償の縮小・打ち切りが打ち出されている。賠償の打ち切りによって、経営が立ち行かなくなる企業は一気に増えることも予想される。




scs008.jpg
(小高区から避難した住民が多く暮らす原町牛越応急仮設住宅)

▼急激な人口減少


 さらに、南相馬市の人口の急激な減少が様々な影響を及ぼしている。
 2011年3月時点の人口が7万2千人だったが、今年1月現在、4万7千人。避難や転出、死亡で約2万5千人が減少。
 とくに子どもと子育て世代の減少が顕著だ。0~14歳の人口が震災前に比べて22.3%減、20~34歳では24.7%減。65歳以上が占める割合である高齢化率は29.3%、2011年3月時点より3.4%上昇。市内居住者に限れば、高齢化率は33.1%だ。
 人口減少の影響は、直接は商圏の縮小や人手不足となっている。さらに市の将来の存続の危機にもなっている。



▼経済・産業の衰退


◇農業と製造業への打撃
 南相馬市の基幹産業は、農業と製造業。それが大きな被害を受けている。
 農業は、作付け制限・自粛が続いている。稲作は、一部の試験栽培を除いてやっていない。
 製造業を含めた事業所は、災害前に比べて約3割の減少。それに伴って従業員数も約3割の減少。
 地域経済は著しく衰退している。

◇商圏の縮小
 南相馬市は、災害以前、相双地域(相馬と双葉の両地域)の人口約14万人を商圏としていた。しかし、双葉郡のほとんどや飯舘村が避難区域とされ住民はいない。そして、その相双地域の北端に位置する南相馬市も人口減少に陥っている。

◇売り上げ減と人手不足
商圏の縮小によって生じている問題は、売り上げ減と人手不足だ。売上の減少について、原町の事業所の実態調査〔昨年9月調査 原町商工会議所〕の結果は以下のようだ。【*1】
・卸売業、小売業、サービス業で2012年、13年と回復傾向にあるが、10年9月の6~8割程度
・建設業では、飛び抜けて伸びが大きい1社を除くと、昨年より売り上げは減少
・製造業では、今年も昨年とほとんど変化がなく、10年9月の8割弱

 
 大半の企業が売り上げを回復できていない。
 また、人手不足の深刻だ。相双地域の昨年11月時点の有効求人倍率は2.69倍で県内最高。
 企業が事業を再開し、募集をかけても一向に決まらないなど、事業展開に支障を来している。若い世代が避難しており、介護や医療といった職場が極端な人手不足に陥っている。

 ここまで「復旧・復興の遅れ」の現状・実態を見て来た。
 復興という以前の復旧すらいまだ遠く、被災者の生活再建が進展していない。時間がたつにつれ、深刻さが増している現状が見えてくる。
 そこで次に、国がこの現状に対してどうしようとしているのか。そして、市長選での「復興の加速」という訴えの内容はどうなのかを見てみたい。

 

scs009.jpg
(人通りは少ないが交通量はある。原町駅付近)




【Ⅱ】帰還促進の徹底
    ――国の加速化方針




 安倍政権になって以降、与党の自民党・公明党による3回の提言、および原子力規制委員会、原子力損害賠償紛争審査会などの方針などが出され、それらを受けて、政府が、「原子力災害からの福島の復興・再生を一層加速させるため、政府としての大きな方向性を示す」として、「福島復興加速化方針」を昨年12月に閣議決定した。
 「福島復興加速化方針」の要点を列挙すれば以下のようになる。

① 20ミリシーベルト基準で避難を解除し、帰還を促進する
② 帰還困難区域については移住費用を支援。帰還困難区域以外は「戻る」選択には賠償追加で支援。帰還困難区域以外で「戻らない」選択には支援しない。〔※〕
③ 除染一辺倒から、除染・インフラ整備・汚染水対策・廃炉を「大きな公共事業」とし、税金を投入する。
④ 健康不安対策は、個人線量計とリスクコミュニケーション。健康被害はないというのが前提
⑤ 帰還促進で賠償を抑制。さらに追加除染費、中間貯蔵施設建設費に税金を投入する。
⑥ 自治体に新たな交付金。帰還促
進が目的

〔※年末の原賠審指針は、帰還困難区域以外でも「戻らない」選択が合理的と認められる者について一定の支援策を示した〕



▼20ミリシーベルトで帰還促進


 「福島復興加速化方針」の報道では、「全員帰還からの方針転換」「住民の判断の尊重」とされたが、内容を読むと全く違う。方針の主眼は、<東電の救済><原発の再稼働>、そして、そのための<20ミリシーベルト基準での帰還促進>である。
 しかし、それは、住民の意志に全く反している。79%という住民の大多数が「放射線への不安を感じている」と答えている〔1月19日、市長選でのNHK出口調査〕。また、小高区など避難区域の住民の31.1%が「戻らない」と答え、その理由の最多が、「放射能への不安」42.8%だった〔昨年8~9月 市・復興庁による住民意向調査〕。
 また、あえていえば、国が依拠するところの「国際的合意」でさえ、低線量被ばくによる健康影響を否定はしていない。
 にもかかわらず、なぜ20ミリシーベルト基準での帰還促進なのか。



▼東電救済・原発再稼働のため


 その理由も、「福島復興加速化方針」から読み取ることができる。
端的に言えば、まず、<東京電力の救済>だろう。東京電力が、賠償費用や除染費用で音を挙げている。東京電力に資金を出している銀行や大株主も救済を要求する。だから、賠償を抑制し、除染や収束・廃炉に税金を投入することで、東京電力の負担を軽減しようというのだ。
 また、<原発の再稼働>もある。賠償が膨れ上がったり、避難住民が膨大になるのは、原発再稼働の足かせなのだ。だから、原発事故の被害規模をできるだけ小さく抑え込み<復興している>としたいのだ。アベノミクス、国土強靭化、東京オリンピックといった経済成長戦略に舵を切りたい、だから<福島の原子力災害問題への関わりは早く終わりにしたい>という意図も滲む。
 そして、自治体も、本来は住民に近い立場にあるはずだが、<住民が戻らないことは税収減>、<国の意向に従わないと自治体が成り立たない>と考え、国の帰還促進政策に追随する。
 つまり、住民の命や健康や生活よりも、東電や銀行、原発や経済の利害の方を優先して、<20ミリシーベルト基準での帰還促進>が方針化されていると見る方が妥当だろう。1ミリにするか、5ミリなのか、20ミリなのかは、いわば金勘定の問題なのだ。「福島復興加速化方針」は、その言葉の上では「福島の復興・再生のため」とあるが、その中身は真逆、経済成長戦略のための「命と健康の切り捨て」の方針と言っていい。



▼「加速」というキーワード


 震災から1カ月の2011年4月、当時の民主党政権の下で、政府・復興構想会議が、「未来に向けら創造的復興を目指していく」と提言した。「創造的復興」とは、財界の要請を受けた言葉であり、経済成長戦略に沿った復興という含意である。
 が、自民党政権にしてみれば、民主党政権のやり方では不徹底だった。そこから、経済成長戦略への徹底を転換的にはっきりさせるという意図で「加速」とうち出したのだ。
中央の経済団体である経済同友会は、やはり「加速」を強調し、復興交付金の使い道を、企業誘致や農地集約化など産業分野の方に移せという意見書をまとめている。〔2013年10月7日 意見書〕
 こうした流れに沿って、福島県は、「投資促進・雇用創出を図る」として、「ふくしま産業復興投資促進特区」を進めている。
 そして、以下で見るように、南相馬市長選で主に横山、渡辺両氏が掲げた政策も、この流れに沿うものだ。




【Ⅲ】被災者切り捨てと開発依存
    ――選挙戦に即して





scs003.jpg
(原町青年会議所主催の公開討論会に臨む候補者。
            左から、桜井、横山、渡辺の三氏)


〔1〕除染と産業政策に傾斜
      ――渡辺氏の「加速」



 「行政の対応が鈍く、復興は遅々として進まない」「南相馬市を建て直し、復興を加速させる」「復旧復興を加速し、人口減少を食い止める」。渡辺氏は出馬表明に当たってこのように桜井市政を批判し、「復興の加速」を訴えた。その政策はどういう中身だろうか。政策としてまとまりのある渡辺氏の政策について以下の〔1〕~〔3〕で、また桜井氏については〔4〕で検討したい。

 渡辺氏の主な政策はおおむね次のようだ。


★〔渡辺氏の主な政策〕
   ・除染のスピードアップ
  ・農業生産法人設立や企業誘致などの産業政策
  ・医療・教育・子育て支援の充実
  ・復興の起爆剤としての火力発電所誘致
  ・メインスローガンとして「復旧・復興を加速し、人口減少を止める」
  ・中央との
パイプの回復


▼厳しい問題に具体性なし


 渡辺氏の政策には、小高区などから避難している住民の問題、仮設住宅で苦しんでいる現実、被ばくと健康被害を危惧する実態など、一番、厳しい問題に関して具体性がない。関心が薄く、政策の重心をそこには置いていないことが見て取れる。
 賠償問題について若干発言があるが、国が打ち切りに踏み出していることには触れずに、「中央とのパイプの回復」ができれば賠償問題も前に進むかのような言いぶりが目立つ。



▼除染ですべての問題が解決か


 渡辺氏は、「復興の遅れ」の原因は「除染の遅れ」だとして、「除染のスピードアップ」がすべてを解決するというところに話を収れんさせてしまっている。
 そもそも、除染には限界がある。「移染」でしかない。広大な山林が手つかず。目標1ミリシーベルトには程遠い。最終処分場をどうするかを誤魔化しながら、仮置き場や中間貯蔵施設への同意を迫る。こういう矛盾に目をつぶって、除染が進めばすべての問題が解決するかのように言う。これはおかしい。
 汚染の実態があり、住民の意向や選択がある。多数の住民が「放射線への不安」を訴え、あるいは帰還を希望していない事実がある。そうであるにもかかわらず、「除染して帰還」という方向でしか問題を立てていない。



▼国の方針と合致


 渡辺氏は、「復旧・復興を加速し、人口減少を止める」をメインスローガンにすえている。その「復興」の主要な内容は産業政策になっている。そして、「復興の起爆剤」が火力発電所の誘致だとしている。
 つまり、渡辺氏が「復旧・復興の遅れ」で問題にしているのは、<産業政策が展開できていない>なのだ。
 この意識は、国の加速化方針や財界の求める加速化と全く合致している。



〔2〕公共事業と企業誘致
    ――誰のための復興か?



 そこで次に、渡辺氏の政策の中心である産業政策に立ち入って検討したい。【*2】
 
★〔渡辺氏の主要な産業政策〕
  
  ・交通インフラの整備 
  ・企業と連携し農業生産法人の設立と規模拡大への支援
  ・自動車関連企業、成長産業である医療機器やロボット産業の誘致
  ・商店街の集約再編で商業ゾーンの形成
  ・復興の起爆剤としての火力発電所の誘致



▼復旧・復興に結びつかない企業誘致


 渡辺氏の掲げる政策は、被災地に限らず、地方の発展のためとして掲げられる、よく見るスローガンと変わりない。そして多くの人が、こういう政策に「成長」や「発展」のイメージを持っているのも事実だろう。しかし、本当にそうなのか。少し詳しく検討してみたい。 
 自動車関連企業、成長産業である医療機器やロボット産業とは、グローバル経済に対応し、規模が大きく、成長を追求する産業だ。それらの企業は、言うまでもなく、東京に本社を置くグローバル企業、あるいは海外に拠点を置く多国籍企業だ。そして収益の最大化を目的にしている。地域で生み出した利益の大半は本社のある東京や海外に移転し、企業内に留保される。地域にはほんの一部しか循環しない。
 雇用という点でも同じだ。たしかに一定の雇用は生まれるだろう。しかし、進出してきた企業は、一部の技術者や管理者を除いて、大半が人件費は安くいつでも首を切れる非正規雇用で占められる。
 また、進出してきた企業は、グローバル競争対応で、様々な優遇措置や規制緩和を要求してくる。賃金、税制、解雇、環境などで特区的な制度だ。既に復興特区制度が始まっているが、経済同友会は意見書で、特区での優遇措置が不十分として、適用要件の緩和や税制優遇の延長などを要求している。〔2013年10月7日 意見書〕
 これらは、地方が繰り返し経験してきたことだ。とりわけ、「構造改革」は、グローバル企業の本社機能が集中した大都市中心部の隆盛の対極で、地方の農林漁業、製造業、商業の疲弊と衰退を招いた。それを、再び繰り返すのか。グローバル企業や多国籍企業を誘致しても、それは、地域の持続的発展に結びつかないし、被災地の持続的な復旧・復興に結びつくことにはならない。



▼企業誘致のためにインフラ整備


 交通インフラの整備とは、企業誘致を当て込んで、道路などの基盤整備を行うということだ。しかし、住民の生活再建が依然として進んでいないのに、企業誘致のための道路建設に復興資金を使うことに住民が納得するだろうか。
 また、その公共事業を受注するのが被災地外のゼネコンであれば、被災地の企業に回るお金は限られ、被災地の企業の復興は進まない。しかも、公共事業は一回限りの投資で、持続性はない。



▼離農を奇貨に企業型農業


 企業と連携し農業生産法人を設立し、規模の拡大を支援するという。
 曰く、「南相馬市では7割の農業者が離農を考えているので、TPPを見据えて『攻めの農政』を展開する」という。
 隣りの宮城県では、農業への新規参入を積極的に進めている。野村ホールディングス、サイゼリア、カゴメ、IBM、GEなど、外食産業ばかりか農業に無縁と思われるグローバル企業が、農業生産法人を設立し、植物工場などを始めている。
 これも、企業誘致のところで見た通り、外国や東京に本社を置く企業が、地域の契約農家を組織し、生産物の加工工場をつくり、それらを販売する店舗を設置するということをやったとしても、その利益は、ことごとく東京や外国の本社に流出し、地域には一部しか循環しない。
 「農業の六次産業化」も、それを担う主体が誰なのかによって180度違ってくる。グローバル企業が主体なら、地域は疲弊するだけだ。
 「攻めの農政」とは、農産物輸入で痛めつけられ、津波と塩害と放射能でやられ、希望を失っている農民を支えるのではなく、グローバル競争に対応して、農業の主体を農民から企業に移すということだ。誰のための復興か、誰のための農業かが、明らかに転倒している。


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(東北電力原町火力発電所。ここも津波で大きな被害を受けた)



▼地域に貢献しない火力発電所


 相馬地方に2つの火力発電所があり、浜通り全体に火発と原発が並んでてきたが、それがもたらす経済効果は限定的だった。
 建設期間中に就労などに一定の効果はあった。しかし、完成後の雇用規模や市町村の財政規模が急速に縮小した。そのため、立地自治体は、交付金や補助金を当て込むしかなく、さらに原発の立地を求めるという悪循環に陥って行った。
 火発も原発も、東京・首都圏への集中・集積やグローバル企業の収益には貢献するが、地域への分配はわずか。住民が受け取る所得は非常に小さい。電力会社の本社は、東京電力は東京に、東北電力は仙台にあり、その所得はこの地域の外に出て行く。むしろ長期的には地域の衰退を促進するものでしかない。
 これは、脱原発ということで、再生可能エネルギーを導入したとしても問題は同じだ。被災地外の企業が発電設備を運営すればその利益は地域には残らない。

◇火発が人口減少対策か
 ところで、渡辺氏は、火力発電所誘致などの一連の産業政策をもって、人口減少対策の目玉としている。
 先程も言ったように、火発も原発もずっとあったが、人口減少もずっと続いてきた。火発も原発もどんな大規模な事業も一時的にはどうあれ、趨勢としては人口減少を食い止めることはできなかった。それどころか、今や、東京も含め、日本全体が人口減少時代に突入している。
 人口増加と経済成長が全く疑う余地のない前提だった高度成長期の政策を描いても、それは、今日には通用しないだろう。むしろそういう前提に立たない発想が求められているのではないか。この点は【Ⅵ】で再論したい。



▼復興の名を借りた開発主義


 こうして見ると、渡辺氏が描く復興とは、誰のための復興なのかという疑問を抱かざるを得ない。
 「復興」という言葉は使われているが、現に被災した住民の復旧・復興は主眼ではない。あるいは、住民の多くが依然として立ち直れていない状況のうちに、災害を奇貨として公共事業や企業誘致といった開発政策を推し進めてしまおうとしているようだ。これは、復興の名を借りた悪しき開発主義と言わざるを得ない。  



〔3〕「中央とのパイプ」――金による支配


 渡辺氏は、「市政が、国・県・双葉郡と連携していないで孤立してしまっている」「これでは住民の声を届けることもできない」と桜井市政を批判している。
たしかに横山、渡辺両氏とも自民党、中央の政権も自民党。対する桜井氏は、民主党に近い非自民。こうした中で、「中央とのパイプの回復」は横山、渡辺両氏の政策の中心をなしていた。



▼政府の意図的なネグレクトも


 区域再編や除染や賠償の問題などを巡って住民の批判や要求があり、それに突き動かされて桜井市政は政府との交渉をしている。が、上で見て来たように、政府の方向は、<福島の原子力災害問題への関わりは早く終わりにしたい>というのが基本だ。政府にとってみれば、<住民の批判や要求をいちいち取り上げるな>と桜井市政のやり方に苛立っていることは想像に難くない。実際、官僚たちが「また桜井かよ」「あいつはクレーマーだな」と罵っていたという話が聞こえている。そういう官僚たちが、意図的に問題をネグレクトし膠着させているとさえ見ることができる。
 ただ、これに対する住民の受けとめは様々だ。「『たたかう、たたかう』というけど、こっちはそれで迷惑してんだよ。『たたかう』から、もらえるものももらえないんだよ」という声も聞かれる。
 そういう声を受ける形で、横山、渡辺両氏は、与党議員や中央官僚と連携すれば問題は解決するとアピールした。



▼膨大な利権の流れるパイプ


 もっとも、「中央とのパイプ」を強調するのは、復興交付金や補助金が念頭にあるからだろう。復興交付金は、2015年までに19兆円が予定されている。南相馬市への配分額は2013年末段階で518億円。防災集団移転、災害公営住宅、圃場整備、道路整備など。
 この復興交付金を受けるには、県や市町村が事業計画をつくり、復興庁に申請するわけだが、それを審査し優先順位をつけて可否を決めるのは中央官僚だ。
もともと中央は、交付金や補助金で地方自治体を支配する構造を作ってきた。法律上は対等のはずだが、実質は全くの主従関係だ。生活道路、公民館、医療施設と何をするにしても、補助金による支配を受けてきた。
 地方自治体の側は、補助金の獲得にために、首長を先頭に手土産を携えて陳情に明け暮れ、地元選出の国会議員も「口利き」で地元にお金を引っ張って来ようとする。結局、地方自治体は、本当に必要かどうかを考えることをやめて、中央官僚の言いなりでハコモノを乱造し、挙句に財政破たん状態に追い込まれていった。
 これが、「中央とのパイプ」の実像だろう。「中央とのパイプ」とは、金による支配だ。そして、そこに群がって利益を得る者がいる一方で、本当に必要なところには届かない仕組みになっているのだ。
 安倍政権は、経済対策の柱の一つとして、国土強靭化を掲げ、膨大な予算を道路や堤防などの大規模な公共事業につぎ込んでいる。例えば、宮城県などで、住民が反対にしているにもかかわらず、復興の名の下に、巨大堤防の建設が進められている。復興の名を借りた開発主義の典型だ。
 渡辺氏らが訴える「中央とのパイプの回復」というのは結局、復興の名を借りて、巨大開発を南相馬市にも引っ張ってきたいという意味にしか見えない。渡辺氏は、もともと市長時代、ハコモノ行政を推進し、身内に利益を還流した上に、市の財政を危機に陥れたという批判を受けている。
 「復興の加速」というがその本当の姿は、この辺にあるのではないだろうか。



〔4〕 桜井氏は「脱原発」か?


 一応、桜井氏についても、簡単に問題点を挙げておきたい。



▼「脱原発」だが「脱被ばく」ではない


 桜井氏は、「原発ゼロ、新エネルギーの開発」を掲げている。その点で、横山、渡辺両氏との違いはわかりやすい。横山氏は「脱原発は簡単じゃない。性急な脱原発には態度保留」といい、渡辺氏は「脱原発は当然だが難しい。火力誘致が脱原発政策」としている。 
 この点で、桜井氏にいろいろ批判があるが、「脱原発だから投票した」という声は多々あった。
 しかし、「被ばく」という問題になると、「脱原発」を掲げる桜井氏においても無頓着だ。
実際、桜井市政は、20ミリシーベルト基準の避難解除を受けて入れているし、子どもを含む住民の帰還を促している。「脱原発の推進で若年層の帰還を促す」という桜井氏の当選後の会見発言を聞いて、「『脱原発』と唱えると被ばくしないとでも思っているのだろうか」という揶揄する声も出ていた。
 もう一つ見逃せないのは、IAEAと連携する「福島県環境創造センター」を推進していることだ。環境創造センターは、三春町と南相馬市に設置が計画されている県の機関だが、原子力推進機関であるIAEAと連携して「安全安心」を発信し、原子力の推進に貢献する施設なのだ。
 こういう点で、桜井氏の掲げる「脱原発」に懐疑的な住民も少なくない。



▼住民を主体にしない行政手法


 
 もっとも、「中央とのパイプ」にすがる横山、渡辺両氏の政治スタイルに比べると、「現場はこうなんだ」と訴えて「中央とたたかう」という桜井氏はむしろ真っ当だとも言える。
また、現職故にいやでも現場に向き合っているという点で、その是非はともかく、具体的な対応を打ち出しているのは事実だ。また選挙運動中、仮設住宅を精力的に回っていたのは桜井氏だった。
 一方、「人の話を聞かない」「勘違いをしている」「市長になってから変わった」という声をよく耳にする。
 例えば、こういう例がある。再生可能エネルギーを推進することに住民も異論はない。しかし、その事業計画を市当局が住民に何の相談もなく作ってしまって、建設段階になって、予定地の住民の説得に当たるというやり方をしている。つまり住民を主体にしていない。
 「たたかう」という場合もやはり同じ問題がある。市長がその権限と立場で国と交渉するのは当然としても、やはり要求の主体は住民のはずだ。しかし、桜井市長が住民とともに悩んだり考えたりしている姿は見えない。



▼対抗ビジョンが見えない


 また、住民がいろいろな取り組みをやり、市長や行政に提案して力になろうとしてきたが、「人の話を聞かない」と離れていく住民も少なくない。
住民がいま求めているものの一つはビジョンだ。渡辺氏にビジョンはあるが、その中身が露骨な開発主義だった。しかし、桜井氏の話を聞いても、国の加速化方針や渡辺氏の開発主義と一線を画すビジョンが見えて来ない。ここに住民は戸惑いといら立ちを感じている。




【Ⅳ】 別れた住民の選択



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(南相馬市役所)


 こうして見ると、改めて、今回の市長選が重要な攻防であったとわかる。国の側、そして、横山、渡辺両氏らには、<福島の原子力災害問題はもう終わりにして、開発政策に舵を切りたい>という意志がはっきりとあって、それを進める上で邪魔になっていた桜井市長を落とそうとして動いていた。すくなくとも、客観的にはそういう構図だった。
 では、そういう中で、住民はどういう選択をしたのだろうか。
 単純な結果では、冒頭のとおり、横山氏5千票、渡辺氏1万1千票に対して、桜井氏が1万7千票と大差で勝った形になっている。しかし、これをもって「市政継続を市民が選択」とするのは実態とかい離している。
「復興の加速」「中央とのパイプ」と主張した二氏の票を合わせると1万6千票。もし自民党系の両候補が一本化していたら逆の結果になっていた公算が大きい。この状況に注目すべきだろう。



▼それぞれを支持する住民の声


 筆者が取材した範囲で、それぞれの側に投票した住民の声を列挙してみる。
 
◇横山、渡辺の両氏に投じた住民の声
・「桜井市長は『たたかう、たたかう』ばかりで迷惑してんだ。何にも前に進みやしない」
・「民主党でもう懲りたんだ。桜井さんもいっしょ。官僚が言うこと聞かないし、混乱するだけ」
・「お金が回ってこなければここは生きて行けないんだ。中央とのパイプを修復してほしいよ。都会の人にはわかんないと思うけど」
・「30年40年先の話はしていられない。いま被災地がまだ注目されている間に、取れるものを取らないと」
・「桜井さんには政策能力がない。一成さん(渡辺氏)の方が上。彼に期待するよ」
・「若者や子どもがいなくなるよ。町がなくなるよ。市政を変えないと」
・「(選挙結果に対して)仮設なんかで、桜井さんにすがろうという層が結構いるんだな。いや驚いたよ」
 
◇桜井氏に投じた住民の声
・「一成さんでは昔に戻るだけしょう。ハコモノに戻るの?火力なんて、まるでゾンビだよ」
・「桜井さんに問題は多々あるけど、一成さんに戻すわけにはいかないよ」
・「一成さん、横山さんは結局、批判ばっかりで。自分たちは何をしてたのよ」
・「桜井、横山、渡辺・・・。なんか全部、古いよね。他にいないからしかないけど」
・「脱原発を言っているのは誰?桜井さんしかいないじゃない」
・「命や健康を大切にする人に入れたいね」
・「仮設に回ってきてくれた。うれしかったよ」
・「(選挙結果に対して)3・11以降は、一成さんの考えは通用しないね」

 公共事業や企業誘致などの開発依存の復興、そのための「中央とのパイプ」――これをどう見るか。このことを巡って選択が分かれていると言える。
 横山、渡辺両氏に投じた層は、それを肯定し求めている。積極的か必要悪かのニュアンスはあるが、それ以外に選択はないだろうと見ている。だからそういう方向性が見えない桜井氏に反発している。
 桜井氏に投じた層は、そういう方向への回帰に批判的だ。また「脱原発」や「命と健康」という問題で選択している。ただ、桜井氏の政策に展望を見出して支持しているとは言えない面がある。



▼開発政策への期待

 

 横山、渡辺両氏を支持した層についてもう少し見てみよう。

◇「中央とのパイプ」 
 横山、渡辺の両氏を支持した住民の多くは、桜井氏への批判票。そこで言われているのはやはり「中央とのパイプ」だ。「中央とのパイプ」が、金による支配だということを認めた上で、さしあたりそうする以外にどういう選択があるのかという追い詰められた地方の現実、被災地の現実がある。
 なお、昨年7月参院選時の住民の声だが、これを見ると被災地の複雑な心境の一端がわかる。
 「国に棄民されるんじゃないかという不安。だから自民党に入れる。それは、『棄てないで』というアピールでもあるんだ」「アベノミクスがいいのかどうかわかないよ。再稼働も賛成しないよ。でもね、中央との関係はしっかりしていないと」

◇被災地の中での分断
 さらに「中央とのパイプの回復」という動きと、被災地の住民の中での分断とは、実は表裏一体でもあった。
 多くの住民が避難や仮設住宅での生活をしている南相馬市でも、外見上は、ほとんど通常の生活や経済活動が行われている。そして、仮設住宅の現実や被ばくへの不安という問題を、同じ町の中にいても、「忘れる」「見ない」「蓋をする」という空気がある。
 例えば、上で挙げたように、「仮設住宅なんかで、桜井さんにすがろうという層が結構いるんだな。いや驚いたよ」という言葉。ここには、同じ被災者なのに切り捨てるような冷たい響きがある。あるいは「仮設の人は・・・」「賠償をもらっている人は・・・」という話は少なからず耳にする。また、「放射能とかそういう話が、復興の妨げになっているんだ」という言葉には脅しを含んでいる。
 こういう中で、住民は、「言いたいことは山ほど。でも言ってもつらいだけだから言わない」、「健康のことは心配だけど、そういうことを言うと人間関係が壊れるからね」という具合に、沈黙を強いられていく。
 政府の「福島復興加速化方針」という大きな力が被災地に働いている。その下で、痛みに蓋をして開発政策に展望を見出そうとする住民がいる――。しかしこれしか選択はないのか。




【Ⅴ】「除染で復興」の見直しを



 ここからは、以上の検討に踏まえて、国の加速化方針や中央依存・開発依存の復興政策に対して、それとは違うビジョンの可能性を検討してみたい。



▼住民の除染要求に込められた思いは


 国の「除染して帰還」「除染して復興」という方針の遂行が大前提として物事がすべて進んでいるが果たしてそれでいいのだろうか。ここを問い直すべきだ。
 まず、「除染してほしい」という声の背後には、仮設住宅での生活はもう限界だという切実な現実がある。応急仮設住宅という通り、俄かづくりで2年も3年も住むところではない。だからとにかく仮設住宅を出て自分の家に戻りたい。それが、「除染してほしい」という訴えになっている。つまり、安定した住宅が必要なのであって、除染がすべてではないのだ。
 さらに、「人の家や庭や地域を放射能まみれにしておいて、何で加害者が掃除に来ないのか。震災の前の状態に戻すのが当然の義務ではないか」。これは、取り返しの使いない破壊と喪失がもたらされている現実の告発であり、その原因者に対する厳しい突きつけだ。単に除染を求めているのではない。
 「元に戻せ」――しかしもはや元に戻せない現実。だからこそ、この突きつけに対して、国と東京電力は真剣に向き合い、深刻に反省し、責任を明確にする必要があるのだ。
ところが、国も東電もこの突きつけに向き合うことはなかった。「除染すれば元に戻る」という嘘をついて責任を逃れようとした。つまり、「除染して帰還」「除染して復興」という方針には、加害責任を曖昧にしていく意図が孕まれていた。
 しかし除染の効果が限定的であることははっきりしてきている。今、「除染して復興」という方針そのものを見直すべきだ。そして、「元に戻せ」という突きつけに向き合うところからやり直すべきだ。



▼被害者を被害者として認めさせる


 賠償の際の東京電力の態度がそうであるように、応対は慇懃で、頭を下げる角度は見事だが、実務的には加害者の側のペースですべて進めている。そして「気に入らないならADR(原子力損害賠償紛争解決センター)へどうぞ」となる。
 結局、加害者が被害者に謝罪し、損害を賠償するという関係になっていない。被害者が、加害者である東京電力に賠償をお願いし、それを加害者である東京電力が算定し判断する。あるいは、東京電力は国によって救済され、銀行や株主は保護される。が、被害者は、すべてを奪われ、生活再建もできていないのに、もう終わりと打ち切られる。
 どうしてこういう関係なのか。汚染を引き起こした加害者が、加害責任を問われていない。それどころか、彼ら自身、加害者だという自覚が全くない。「放射性物質は無主物(持ち主がいないという意の法律用語)」〔※〕だという答弁書が示す通りだ。この出発点での誤った関係を正さない限り、被害者が被害者として認められるというスタートに立てない。だから、その被害にたいする正当な賠償を受けることができない構造になってしまっているのだ。
 〔※ゴルフ場主が東電に汚染の除去を求め仮処分申し立てに対して、東電側弁護士の提出した答弁書の文言〕



▼十分な移住支援を


 多くの住民が、現に被ばくをしながら、そして健康被害への危惧を抱きながら、生活と生業があるが故にここで居住を続けている。そういう住民に対して、国が本来やるべきことは「除染して復興」の掛け声や「安全・安心」のリスクコミュニケーションなどではないだろう。本来やるべきは次のことではないか。
① 追加被ばく線量1ミリシーベルトを超える汚染地域が広がっている事実を確認する。その地域にいることは一定のリスクをともなうということを、国は十分に告知・説明する義務がある。
② その説明を理解した上でなおかつそこに帰還を希望する住民には、あらゆる防護策や健康対策、生活支援策を保障した上で、帰還をしてもらう。
③ 移住を求める住民には、移住先での居住、生業、教育、コミュニティなどすべてを完全に保障して移住を支援する。町外コミュニティの建設は、移住支援と不可分で重要な位置を持つ。また、移住した住民には、帰還の権利も保障される。
④ 費用は、東京電力が出し、国が出すのは当然だろう。十分に出す能力はあると思われるが、もし足りないとすれば、国民に広く支援基金への拠出をお願いする。そのためなら多くの国民が協力するだろう。
 少なくともこれが基本線ではないだろうか。
 これを国がやろうとしないなら、地域自身、住民自身でやるということではないだろうか。




【Ⅵ】中央依存・開発依存超えて
   ――新しい方向の模索




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(本陣山に訪れた春/2013年4月)


 阪神淡路大震災(1995年)のとき、「復旧なのか、復興なのか」という議論があった。そして当時の兵庫県知事は「創造的復興」という言葉をうち出した。その言葉が3・11の後の政府・構想復興会議の中で再び使われた。
 災害によって被害を受けた住民は塗炭の苦みを強いられる。が、国や資本は、災害をある面で平時にできないことがやれるチャンス、破壊による投資機会の創出と見ている。
 平時から<更地にして再開発をやりたい>と狙っていたところに、災害によって破壊が起こった。住民が打撃から立ち直れないでいる間に、為政者は再開発計画を打ち出してどんどん進めてしまう。それが、阪神淡路大震災で行なわれたことだった。
 「せっかくだから元に戻す『復旧』ではなく、新しい町を『創造』するような『復興』がいいのではないか」というようなことがよく言われる。聞こえはいいが、実際の中身は、公共事業と大企業への依存、大量生産・大量消費と経済成長の追求でしかない。高度成長以来、ずっと繰り返してきた旧態依然たる政策だ。どこも「創造的」ではない。
 とりわけ、福島が受けた原子力災害とは何だったのか。それは、中央や公共事業や大企業に依存したら、何かしらの恩恵が地方にもあるのではないかという幻想の行き着いた果てだった。それを再び繰り返すのだろうか。そうではなく、その犠牲と教訓から、破産した政策を総括し、社会や経済や政治のあり方を根本的に見直すということではないだろうか。

◇根本的な見直し
 その見直しのカギとなるのではないかと考えられる点を3つほど述べてみたい。「地域の再生」と「共同の再生」、「人口減少時代のライフスタイル」だ。依拠した本を先に述べておこう。
 藻谷浩介とNHK広島取材班の『里山資本主義』【*3】では、「里山資本主義」という造語をもって、「マネー資本主義」からの転換が現実に可能であり、それどころか、中国山地ではそういう挑戦が実際に行われているという事実を描いている。
 また、山崎亮の『コミュニティデザインの時代』【*4】では、中山間離島地域で、人口減少を不幸と嘆くのではなく、むしろ先進地域として創造的で豊かに暮らしている実践を紹介している。
 さらに、岡田知弘の『震災からの地域再生』【*2】では、阪神淡路大震災の教訓に踏まえ、「創造的復興」論を批判しながら、地域の重要性と住民の主体性、そして、お金が地域で循環する経済の仕組みの再生を提起する。
 そして、水野和夫と萱野稔人の『超マクロ展望 世界経済の真実』【*5】では、人口増加と経済成長というのは人類史的にはむしろ特異な現象で、これからは人口停滞と低成長という定常の姿に戻るという文明史的な視点を提起している。
 これらは、夢物語や願望ではない。また単なる町興しの指南でもない。時代の大きな流れの中で、次の時代の姿をつかみ出そうという英知と実践だからこそ説得力がある。 
 
 


▼地域の再生


 被災地の外から大企業を誘致しても、公共事業を持ってきても、それが、南相馬市の本当の意味の復旧・復興にはならないと。ではどうすればいいのか。
 地域という視点に戻るべきではないか。地域とは住民の生活領域、農村で言えば集落のレベル、市街地でいえば小学校の校区の範囲。もともと、ずっと人間の経済活動はそういう地域の範囲で営まれてきた。
 ところが、近代以降、資本が主体になりその経済活動の領域を急速に拡大、住民の生活領域を超え、国の範囲も超え、今やグローバルに展開している。しかし、住民の生活は依然として地域にある。
 被災からの復旧・復興とは、地域の産業と住民の暮らしを本当に支えてきたものは何だったのかをとらえ直す必要がある。地域には、それぞれの自然や地理や歴史があり、それに根差した伝統や文化が存在している。それを今こそ復権する必要があるのではないだろうか。
 中央依存を脱して、外からの資本参入を規制・管理し、地域で生み出された利益が再び地域の中で再投資され循環する経済の仕組みに作り変える。
 こういうと、「自動車はどうなる。家電はどうする。大昔の生活に戻るのか」という突っ込みが必ずあるだろう。その通り、地域で全部を賄うことはできない。だから、自動車産業も家電産業も必要だ。地域循環経済は差し当たりサブシステムでしかないだろう。
 が、そういう大量生産・大量消費を目的とする産業がメインシステムである時代をできるだけ早く超えて、地域循環経済こそがメインシステムとなる時代を手繰り寄せようということだ。もし「せっかくだから創造的なものを」という場合、その「創造的なもの」とは、こういうところにあるではないだろうか。



▼協同の再生


 地域を再生し、外からの参入を規制し、地域内で利益が循環する経済の仕組みをつくるためには、地域の住民が主体になる必要がある。
 それは、「地域のことは地域で決める」「住民自身が計画し、実行する」ということだ。
 ところで、国や行政も、言葉の上では、「コミュニティの維持」とか、「住民参加」といったことを言う。しかし、災害前のコミュニティに戻るだけでは問題の解決にはならないのではないだろうか。あるいは、「住民参加」を謳い文句にしていても、実際には、議論・決定・遂行の過程から住民は排除されている。住民は、結果の追認に参加するだけ、あるいは、結果に文句をつけるだけの「お客様」にされている。
 近代以降、国家の支配が社会の隅々に及んでいくわけだが、そうなる以前、農村集落で生活する人びとは、農作業や土木作業、冠婚葬祭などにおいて、「協同」という形で作業を行っていた。そこでは、「地域のことは地域で決める」「住民自身が計画し、実行する」ということが実践されていた。
 しかし、国家の支配とその肥大化が進むにつれ、協同は次第に解体され、行政に吸収され、代行されていく。そして、住民の側においても、次第に協同の体験は失われ、国・行政の「お客様」に馴らされてきた。
 ところが、3・11の被災の中で、命の危機に直面するとともに国・行政の支配が一時的に崩壊したとき、救出や救援、避難所の活動、ガレキ撤去、放射能測定や自主的な除染など、止むに止まれぬ事情から、協同が復活した。これは重要な経験だった。
しかし、それは、時間の経過とともに、その大部分は再び行政に吸収されている。そして住民は、自らの思いや憤りを市長や行政に苛立ってぶつける以外に、そのやり場を失って行った。
 南相馬市で直面している問題を考えたとき、どんな切れ者やアイディアマンや剛腕が首長になっても、それでは打開できないだろう。行政が行政である限り、限界がある。
行政が担う領域をできるだけ縮小し、「地域のことは地域で決める」「住民自身が計画し、実行する」領域を拡大し、住民による協同を大規模に復活させていく必要がある。こういう方向にこそ新たな可能性と展望があるのではないかと思う。



▼人口減少は不幸か?


 南相馬市が急速な人口減少の過程にあるのは事実だ。町がなくなるのではないかという危惧を抱く住民も少なくない。が、そもそもこの人口減少とはどういう問題なのか。人口減少の直接の契機は、たしかに震災とくに原子力災害だ。しかし、そもそも、災害があってもなくても、大局的趨勢的に進行していた問題だった。それが、災害を契機に一気に加速した。そういうとらえ方が重要ではないか。
 近代以降の日本、とくに戦後の日本においては、人口は増えるものだし、経済は成長するのが当たり前だと信じられてきた。が、長い人類史を見たとき、人口増加時代というのはむしろ特異な現象だった。人口が停滞し、経済も低成長というのがむしろ定常の姿だった。そして今、世界全体が人口減少の趨勢にあり、低成長時代に入っている。これは、特異な状態から定常の状態に戻りつつあるということだ。その中でも人口減少のトップを走っているのが日本だ。
 つまり、これは、あれこれの政策の次元ではなく、文明論の次元であり、近代文明が終焉を迎え、次に向かう過渡に入っていると把握すべき事柄ではないか。
 そもそも人口が少ないことが問題なのか、高齢者が増えることが不幸なのか。そういう感じ方こそが、近代的な思考の限界ではないだろうか。
 もちろん、医療や介護など、深刻な問題が目白押しだ。しかし、南相馬市は、日本全体が直面し、早晩、世界全体が直面する問題に時代の最先端で直面しているということができる。だから、南相馬市で、人口減少時代の新しいライフスタイルや経済・社会・行政システムあり方を模索する必要がある。それはどこを探しても先行例はない。むしろ南相馬市から、新しい時代の姿を世界に発信するチャンスになるかも知れない。
 もはや二度とあり得ない人口増加や経済成長の幻想を追いかけて、再度の破産に突き進むようなことをするべきでない。これまでの延長や繰り返しではない、新しい方向の模索をはじめるべきだ。



▼「文明朽ちて里山あり」


 このような話は、「2年後、5年後はどうなる」といったスパンの話ではもちろんない。世代を超えた話だ。しかし、今から取り掛かるべき話でもある。
 原町をどうするか。あるいは、小高をどう再建するか。いま行政の進めている議論に大きなビジョンを期待するのは難しい。実は渡辺氏は一面、上のような問題意識も書いているのだが、しかし実際、選挙で掲げた政策は全く旧態依然たるものだった。新しい発想と方向で始める必要がある。中央依存、大企業依存をどう脱却していくか。地域の再生、協同の再生をどう実現していくのか。人口減少時代のライフスタイルはどうなるのか。そういう議論を住民が主体になって始める必要があるだろう。
 また、町外コミュニティというテーマも依然、検討するべきだろう。帰還一辺倒で全く俎上に上っていないが、現実には万単位の住民が避難している。町外コミュニティも、ディベロッパーやゼネコンに委ねたら高度成長期のニュータウンになってしまう。が、住民が主体となって、議論し計画し実行する中で作られるならば、新しい方向を模索する拠点にもなり得るのではないだろうか。

◇線量が十分に下がるまで
 こうして見ると、「時間がない。若者がいなくなる。除染を急げ」とか、「放射線は大丈夫。戻れ、戻れ」と、狭く短い見通しと旧態依然たる発想で、復旧や復興を考えるべきではないだろう。放射線線量が十分に低くなるまで、子どもや子育て世代を被ばくからできるだけ遠ざけるべきだろう。そのためにも、町外コミュニティの構想を検討すべきだ。また移住する住民に十分な支援を行うべきだ。そして、新しい世代が中心となる頃に、豊かな社会が実現するように、今からはじめるべきではないだろうか。
 最後に、選挙結果について議論する中で、住民が語った言葉を紹介してこの論考を閉めたい。

 「僕は、高度成長の時代、どこにも行かず、ずっとここにいた。何にも恩恵なんてなかったよ。ただ、たんたんと畑を耕したり、コメを作ったり。でも3・11でこういうことになってしまってね。
 でも、『国破れて山河あり』というけど、『文明朽ちて里山あり』じゃないかな。この里山に可能性があると思うんだ。放射能の問題は50年、100年かかるけど、だからこそ、こういうことを機に、ゆっくりと方向を転換していく。そういう決断をいま始める必要があると思うんだ」

 市長選の過程で交わされた論戦や住民同士の議論は、厳しい現実の中から、被災地全体いや日本全体の将来にかかわる大きな問題を提起している。それは、まだ混とんとしているが、大きな可能性を持っていると感じる。



★参照文献

【*1】 『政経東北』2014年2月号
【*2】 『震災からの地域再生』岡田知弘 新日本出版社 2012年5月
【*3】 『里山資本主義』藻谷浩介 NHK広島取材班 角川ONEテーマ21 2013年7月
【*4】 『コミュニティデザインの時代』山崎亮 中公新書 2012年9月
【*5】 『超マクロ展望 世界経済の真実』 水野和夫 萱野稔人 集英社新書 2010年12月
 
 




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  1. 2014/02/21(金) 19:03:31|
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苦難の中 相馬野馬追



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 ようやく東北の梅雨が明けた。気温は30度超。7月28~30日の3日間、相馬野馬追(そうまのまおい)が開催された。

 相馬野馬追は、旧相馬藩領で行われる神事と祭り。野生馬を放し、それを敵兵に見立てて行う軍事教練が由来。1千年以上の歴史がある。
 旧相馬藩領とは、現在の相馬市、南相馬市、浪江町、双葉町、大熊町、葛尾村、飯舘村など。ちょうど、津波と原発事故の両方で、大きな被害を受けている地域だ。
 昨年は津波と原発による被災の中で、行事は大幅に縮小されたが、今年は、ほぼ従来の形で行われた。たくさんの人が集まった。

 8割は地元の人だろう。その多くが被災者だ。住居を失い仮設住宅で暮らす人、放射能汚染のために避難生活をしている人、津波で家族を失い心の傷がいえない人、ここで生きていくと決めて生活再建の努力をしている人・・・。そういう人びとが、この日、「本当に久しぶりだよね」と再会を喜び、また、若者が神旗(しんき)争奪戦で奮闘する姿に声援を送った。
 長い歴史のある祭りだが、今年の祭りは、地域の人びとにとって、格別な意味合いをもった。

 冒頭の写真は、祭りのハイライト、神旗争奪戦。花火で打ち上げられ、ゆっくりと落ちてくる御神旗を、騎馬武者たちが争奪する。旗は、敵の首になぞらえている。神旗争奪戦には約280騎が出場。29日、南相馬市原町区の雲雀ケ原斎場地。



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 神旗争奪戦の前に行われた甲冑(かっちゅう)競馬。10頭立て、1周1千メートルのコースで速さを競う。
 馬は、かつては、農家で農耕に使われたものや野馬追のために飼われていたものだった。いまは競馬馬や乗馬用の馬などをレンタルしたものがほとんど。


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 落ちてくる黄色い御神旗に手が届くか、という瞬間。手前を、赤い御神旗をつかんだ騎馬武者が走り抜ける。
 黄色い布は相馬小高神社(南相馬市小高区)の御神旗。相馬中村神社(相馬市)が青、相馬太田神社(南相馬市原町区)が赤。

 

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 御神旗をつかんだ騎馬武者は、羊腸の坂を駆け上り、本陣に向かう。本陣では、旗軍者が審査を行う。いわば首実検だ。そしてお札と副賞を受ける。 
 御神旗には様々なご利益があるとされ、それをつかんだ騎馬武者の表情はみな誇らしげだ。



 神旗争奪戦が行われた前日、騎馬武者が市内を行軍。その様子を多くの市民が沿道で見物した。
 また、日暮れてからは、原ノ町駅の駅通りで、盆踊りも。普段、人気の少ない通りに、この日ばかりは人であふれた。



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 「あ、お馬さんだ」。ばあちゃんに連れられて。



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 乳母車も行軍。避難先からの人もいるし、ここで生み育てている人もいる。



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 もっとも、相馬野馬追のこの盛況は、福島の「復興」や被災者の生活再建の見通しとは別問題だ。(了)
 




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  1. 2012/07/31(火) 13:30:17|
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満開の桜と被災の爪痕   警戒区域解除の小高区


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(小高川の桜が満開。4月21日 南相馬市小高区)



 南相馬市の警戒区域・計画的避難区域が4月16日に解除され、避難指示解除準備区域、居住制限区域、帰宅困難区域の3区域に再編された。〔下図〕
 
 4月21日と24日、警戒区域解除後の小高区を訪ねた。
 
 
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国道上に流された車



 原町区の町場から国道6号線に入り南へ。これまで検問所が置かれていた花園ドライブイン付近を過ぎ、しばらく走ると、様子が変わってきた。
 津波で流され、潰れたり、ひっくり返ったりした車がそのままだ。


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 これは、1年前と見まがうような光景だ。
 小高区は、沿岸部で大きな津波被害を受けた上に、原発の爆発で避難を余儀なくされた。そして、福島第一原発から20キロ圏内にかかって警戒区域とされた。
 その後、自衛隊によるガレキ撤去作業が行われたが、1年以上が過ぎているのにこの状況だ。



小高駅付近まで泥が



 6号線を外れて、小高駅に回ってみた。
 

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 小高駅は、通勤・通学の乗降客が結構、多かったという。
 駅前の自転車置き場には、あの日以来、置き去りにされている自転車が。

 駅の向かいで作業をしている人の姿が見えた。
 自動車整備工場で泥出しをしていた。


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 ここは、海岸から約2.7キロ。津波がもろにきたわけではないが、川を逆流した海水が排水溝から吹き出し、工場の機械が浸水したという。
 一時帰宅で数回戻ったが、そのときはなにもできなかった。ようやく16日に解除になってから、泥出しを始めることができたという。
 
 電気は、4月中におおむね復旧の見通しだが、水道は来年までかかるという。 インフラの面だけでも、生活できる状況ではない。
 
 さらに気になるのは、放射能だ。この辺りの空間線量はどうなのか?


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  駅前で、空間線量を測定している若者に偶然、出会った。
 線量計を見せてもらうと、約0.40マイクロシーベルト/時。同じ日の南相馬市役所での測定値が0.37マイクロ。
 低いとは言えないが、福島県全体が汚染されている中で、この数値はあまり驚かない。小高区でも、海に近いほど、相対的には低い数値になっている。



地震の爪痕も



 駅前通りを進むと、倒壊した家屋が目に入ってきた。


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 お菓子の工房の前に、思いを込めた看板が。
 
 古い土蔵が倒壊して、通りを半分ふさいでいた。


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 これを見ると、津波だけでなく、地震の被害の大きさを改めて思い知らされる。
 小高区の震度は6弱。


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 あまり人影のない通りに、女性の話し声が。ご近所同士の1年ぶりの再開だった。
 左の女性は相馬市に、右の女性は福島市に避難していた。 
 近所同士でも、お互いどこに避難をしているのか消息ががわかない状態だった。
  とにかく再開を喜び合っていた。



小高区役所



 小高区役所に行ってみた。 
 業務は再開していないが、市の職員が、ここを拠点にして作業を始めていた。


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 区役所の空間線量が表示されていた。0.229マイクロシーベルト/時。 

 

浪江方面へ



 小高駅を離れて、浪江町の方に走った。

 小学校があった。


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 金房小学校。新入生を迎えて、にぎやかになっているはずの季節だ。 
 しかし、もちろん、誰もおらず、ひっそりとしている。 
 原発事故以前、金房小学校には、145人の生徒がいた。
 現在、金房小学校は、鹿島区の上真野小の仮設校舎に移っている。生徒数は26人になっている。



1年ぶりの墓参り



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 川房地区で、老夫婦が、お墓の掃除をしていた。
 一時帰宅で3度戻ったが、それ以外では初めて。
 
 この地域は、浪江町や飯舘村に近く、事故で放出された放射性物質を多量に含んだ雲が、真上を通過したところ。
 現在も汚染は高い。県の測定値で、空間線量は2.54マイクロシーベルト/時。再編後も居住制限区域とされている。

 老夫婦は、お墓の前で、「こんなことになってしまって、ご先祖に申し訳ない」。
 そして、原発事故はもう終わったことであるかのような調子で復興を叫ぶ流れにたいして、「何が復興だ」と、疑念と怒りを露わにし、「民主党も、自民党も、私らのことなど、全然、考えていない」と厳しい批判を口にした。



「殺処分反対」 エム牧場



 さらに、浪江町との境まで行くことができた。

 すると、何かを訴える看板が。 


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 原発から14キロの地点にあるエム牧場。
 

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 牛たちも、牧場長である吉沢正巳さん〔上の写真は2月下旬、警戒区域に入る検問所(当時)直近の花園ドライブインで〕も、大量に被ばくをしている。

 国は、牛の殺処分を指示した。
 しかし、吉沢さんは、それを受け入れられなかった。
 日本でチェルノブイリが起こってしまった。その生き証人として、ここで生き続けることで、国や東電にたいして抗議し続ける。吉沢さんは、そういう生き方を選んだ。吉沢さんは、二本松市で避難生活をしながら、牛の世話のために毎日、ここに通っている。



国道6号線の検問所


 
 6号線に戻って、検問所に行ってみた。
 ここは、第一原発から10キロの地点。


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 広野町と楢葉町の境にある検問所ほど出入りは多くないが、一時帰宅や警戒区域内での作業のために、車両が出入りをしていた。


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時間が止まっている



 検問所を離れて、海岸方向に向かった。
 福浦小学校と書かれた給水槽が転がっていた。しかし、校舎の影は全くない。
 福浦小は、海岸から2キロ以上。


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 道路が、途中で水面下に沈んで寸断されている。
 ここは、田畑や民家があったところだが、津波に襲われ、水が引かないまま、一面が湖のようになっている。


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 家も車も、グチャグチャ。津波の威力の激しさを物語っている。


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 蛭子稲荷神社にもよってみた。


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 視線を感じたので上を見ると、猫と目があった。


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 鳥居も倒れていた。

 津波で壊れた家に、家族が集まっていた。


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 この家族は、今は、神奈川県に避難しているという。
 この地で5代続いた農家。先祖が富山から移民をしてきたそうだ。
 しかし、もうここには住まないと言っていた。
 
 相馬地方は、江戸後期の天明の飢饉(1782~87年)で大きな被害を受け、人口が激減。労働力不足を補うため、相馬藩が移民政策をとった。砺波地方から、浄土真宗の門徒を中心に約1万人が移民をしてきた。
 先祖が富山から来たという人によく会う。
 しかし、今回の津波と原発の被害によって、その歴史も寸断されようとしている。


 村上海岸の堤防。
 津波で、堤防は至る所で決壊していた。


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 海岸線だが、高台になっている戸屋の集落。
 津波は、斜面を駆け上がり、高台の上まで襲いかかった。


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 崖の端に、流された家がかろうじて引っかかっていた。

 原町区下江井の水田地帯。ボートがここまで運ばれていた。
 戸屋から北は、原町区だが、20キロ圏内だったため、警戒区域に指定されていた。


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小高神社の桜


 
 海岸線を離れ、小高神社に向かった。

 小高川の桜が満開だった。


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小高神社の石段を上ると、倒壊した灯篭が目に入る。


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 小高神社のある小高い丘は、かつて相馬氏が居城を築いたところ。
 そして、桜の名所でもある。
 もし原発事故がなければ、「浮船まつり」や花見で賑わったいた頃だろう。
 しかし、警戒区域が解除されたばかりで、まだ、訪れる人はまばらだ。

 そんな中で、一組の母子が階段を登ってきた。


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 このすぐ近くに自宅があるという。
 いつも散歩していたこの場所に、親子で、1年ぶりにやってきた。

 原発事故後、福島市に家族で避難。しかし、知り合いのいないところでの生活で、ストレスをため、体調を崩してしまった。そのため、原町区に戻ってきたという。

 息子さんは、小高小の5年生。いまは鹿島小にある小高小の仮設校舎に通っている。
 事故後、避難で、散り散りになって、消息の分からない友だちがたくさんいる。避難生活を伝えるテレビ報道に、そういう友だちがたまたま映っていることがあるそうだ。「『あっ、△△君だ』って、見つけたりするんだ」と話してくれた。
 明るく話すが、それだけにいたたまれない気持ちにさせられた。

 このあと、小高小を見に行くと言って別れた。



再編後の行方


 
 避難区域の再編は、政府の以下のような基準に基づいて行われた。

 避難指示解除準備区域: 空間線量が年間20ミリSv以下
       居住制限区域:     〃     20~50ミリSv
       帰宅困難区域:     〃     50ミリSv以上 

 
 区域再編の対象となったのは、南相馬市で、警戒区域とされていた原町区の一部と小高区。対象となったのは、3979千世帯・1万3256人。

 避難指示解除準備区域: 3846世帯  1万2740人 
       居住制限区域:  132世帯      514人
       帰宅困難区域:    1世帯        2人 

 
 警戒区域の解除で、解除準備区域および居住制限区域は、立ち入りが自由になった。製造業などの事業の再開もできるという。  
 しかし、夜、自分の家に泊ることも、認められていない。 
 また、電気は、4月中におおむね回復する見通しだが、水道については、来年の3月までかかるという。
 ガレキの処理問題についても、明確な方針は決まっていない。
 何よりも、「年間20ミリシーベルトは超えない」という空間線量の基準が、将来にわたって健康被害をもたらさないという保障はない。
 除染も、小高区では全くこれからだが、そもそも、鳴り物入りで始められた除染だが、一向に成果らしい成果が上がっていない。
 これが、実情だ。

 小高区の行政区長連合会が、区域再編に関して、同区の全3700世帯を対象にしたアンケート調査を行った。 (3月中に郵送にて実施。回収率30.1%)
 報道によれば、結果は以下の通り。

▽「小高区に戻りたいか」について
・戻りたい                         53.9%
・戻らない                         18.5%
・   未定                           27.6%

▽「戻りたい」と答えた世帯のうちの戻る時期について
・今後の状況を見て(3~5年先)         31.6%
・南相馬市が戻ってよいと判断した時      29.3%
・今後の状況を見て(1~2年先)               22.6%
・国が戻ってよいと判断した時             8.5%

▽戻ることへの不安について
・健康のこと(放射能汚染、医療福祉施設) 29.3%
・子、孫のこと(教育、健康、就学)       22.6%

▽「戻らない」の理由について
・汚染された地域での生活は不安      43.4%
・放射線量が下がり、生活基盤が整備されて小高区民がある程度戻っても、将来性がない                      
                                                           42.4%
・新天地での生活をスタートさせた           7.3% 



 このアンケート結果には、小高区の住民の引き裂かれるような思いが表されていると感じた。
 誰もが、住み慣れた土地への思いを募らせている一方で、「戻らない」と答えた人はもちろん、「戻りたい」という人も、放射能と健康被害にたいする不安を抱えている。
 さらに、双葉地方・相馬地方の経済圏・生活圏が、放射能汚染によって大きく破壊されており、避難指示が解除されたからといって、元の生活を取り戻せるわけではないという実情が重くのしかかっている。
 また、国の示す判断や基準ということをほとんど信用していないということもよくわかる。

 一体、どうするべきなのか。
 国や御用学者の言う「安全だ」「戻れる」などという話はもっての外としても、逆に、「危険だ」「戻れるところではない」ということを外から決めつけてかかるのもまた、住民にとって受け入れられるものではない。
 必要なのは、小高区の住民が、自分たちの力で、汚染の実態をつかみ、過去の教訓と知見に基づいて、一歩一歩、納得のいく形で、判断していく以外にないのだと思う。
 そのためにも、この事故の真剣な総括と責任の明確化がなされなければ、前に進むことはできないだろう。






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  1. 2012/04/28(土) 11:02:49|
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市民の力で食品の放射能測定を開始    南相馬市


①1978_convert_20120116162232 
(放射能測定器が温州みかんの測定結果を表示。セシウム137が145.5ベクレル/キログラム、セシウム134が128.9キログラム)




 1月8日と9日、南相馬市の「アクティブ&セイフティー福島(A&S福島)」事務所で、放射能の基礎的な問題と放射能測定器の使い方についての勉強会が行われた。

 A&S福島は、昨年11月に発足した市民団体。南相馬市を中心に、空間線量の測定や食品の放射能測定を行っている。国や行政が信用ならない中で、南相馬市の住民が集まり、自分たちの力で、汚染の現状を把握し、対策を考え、生活の安全、とくに食品の安全をつくり出そうというとり組みを始めた。 
 朝日新聞の連載「プロメテウスの罠」(12月22日付)でも紹介された。
 チェルノブイリ被災者支援で歴史と実績のある「NPO法人 チェルノブイリ救援・中部」のみなさんに、支援と指導を受けている。この日は、名古屋から、チェルノブイリ救援・中部・理事の河田昌東さん(元名古屋大教員)を始め、多くの人びとが参加した。



学習と研修
 

③1983_convert_20120116162611 

 河田さん(写真上・中央奥)から、「放射能とチェルノブイリの被害」というテーマで報告があり、その後、質疑と討論が行われた。
 
 それに引き続いて、年末に搬入された放射能測定器の使い方について、研修が行われた。説明に当たるのは、A&S福島の高橋慶代表(写真下・中央)。

④「1961_convert_20120116162800 



実際に食品を測定


⑤1968_convert_20120116162937 

 この日は、実際に、食品を持ち込んで測定を行った。
 写真上の女性が手にしているのは、玉ねぎ(右手)と熟した柿。いずれも原町区内の自家栽培の畑や自宅の庭で取れたもの。
 検体(分析の対象)は、細かく刻むか、ミキサーにかけるなどの前処理をしてある。

 写真下は、飯舘村で採取した川の水。

⑥1962_convert_20120116163135  


⑦1970_convert_20120116163327 

 検体は、専用のマリネリ容器(検出器が入り込むように、容器の底が突起している。開発者の名に因む)に入れる。
 ただし、容器を汚染させないために、容器に直接入れないで、ポリ袋を被せてから、検体を入れる。
 そして、秤に乗せて、重さを量る。検体の重さの標準は、概ね420g。



NaI(Tl)シンチレーション検出器
 

⑧1966_convert_20120116163503 

 写真上が、ドイツ・ベルトールド社製の「ガンマ線スペクトロメーターLB2045」。
 開くと測定部の真ん中に、NaI(Tl)シンチレーション検出器が突きだしている。
 検出器の回りを厚さ5センチの鉛の遮蔽体で囲っている。 それは、バックグラウンドを遮るため。バックグラウンドとは、検体以外から来る放射線。自然放射線もあるが、南相馬市のような汚染地域であれば、地面や天井に付着した放射性物質による放射線が大きい。

 写真下は、蓋を左右に開き、測定部に検体の入ったマリネリ容器を入れている。突きだしている検出器に、マリネリ容器の突起部分がちょうど、はまるようになっている。
 
⑩1974_convert_20120116163756 

 この装置は、上述のように、「NaI(Tl)シンチレーション検出器を用いたガンマ線スペクトロメーター」。ガンマ線を出す放射性物質を、核種(ヨウ素131、セシウム134、セシウム137など、原子核の状態で分類した原子の種類)ごとに判別し、その濃度(ベクレル/キログラム)を調べる装置。

 その仕組みを簡単に見てみよう。
 まず、放射性物質は、核種ごとに、放出されるガンマ線のエネルギーが異なる。たとえば、セシウム137は、662キロ電子ボルト(keV エネルギーの単位)。セシウム134は、569、605、769の三種類(いずれも単位はキロ電子ボルト)。 この相異に着目して、判別を行う。
 ところで、NaI(Tl)とは、ヨウ化ナトリウム(NaI)に微量のタリウム(Tl)を添加した結晶。シンチレーションとは蛍光。 ガンマ線が、NaI(Tl)の結晶に入ると、ガンマ線のエネルギーに比例して、蛍光(シンチレーション)が発生する。この性質を利用して、ガンマ線によって発生した蛍光を、電気信号に変換する。
 そうすると、ガンマ線のエネルギーごとに、単位時間(1分ないし1秒)当たりのガンマ線のカウント数(cpmないしcps)が得られる。その結果を、横軸にエネルギーの大小、縦軸にカウント数をとって、スペクトルで表示する。
 本稿の最下段の写真にあるのがガンマ線スペクトル。ピーク(山)がいくつかある中で、右から一つ目と三つ目がセシウム134のピーク、右から二つ目がセシウム137のピーク。 このピークを中心とした面積から、一定の統計処理と換算式を経て、放射性物質の濃度(ベクレル/キログラム)が算出される。

 なお、問題になる核種は、福島の現状では、差し当たり、セシウム134とセシウム137。
 また、ストロンチウム90はベータ線、プルトニウム239はアルファ線と、放出する放射線が異なるため、この装置では測定できない。

 言うまでもなく以上の過程は装置が処理してくれるので、われわれは、冒頭の写真にあるように、「どういう放射性物質が、何ベクレル/キログラムある」と表示された結論を見ればいいわけだ。



⑫1976_convert_20120116164251 

 タッチパネルで、サンプルの重さを入力、測定する核種を選定、測定時間を入力して、スタート。
 測定時間は、通常30分。ただし濃度の低い検体を測定する場合、精度を上げるために、10時間ぐらいかける。



測定の結果 


 写真下は、原町区馬場の民家にあったユズ。 これを30分間で測定してみた。

⑬1987_convert_20120116164426 

 30分後、次のような測定結果がプリントアウトされてきた。

⑭1984_convert_20120116164617 

 写真上のグラフがガンマ線スペクトル。上述したように、ピーク(山)がいくつかある中で、右から一つ目と三つ目がセシウム134のピーク、右から二つ目がセシウム137のピーク。

 馬場のユズの測定結果は、セシウム137が1131ベクレル/キログラム、セシウム134が915.9ベクレル/キログラム。合計で2046.9ベクレル/キログラム。
 かなり高い濃度の汚染だ。 
 また、冒頭の写真に結果が表示されているように、原町区内の温州みかんは、セシウム137と134の合計で、274.4ベクレル/キログラム。低くない。 
 いずれも、事故直後の3~4月は花も実もなかったので、葉面吸収(葉っぱから直接、放射性物質を取り込む。お茶の葉でも同じことが起こっている)が原因と思われるが、研究が必要だ。

 飯舘村の川の水は、セシウム137と134の合計で、32.2ベクレル/キログラム。
 流れている水を取ったので、意外に高くない。恐らく底の泥を採取したら、高い数値が出ると思われる。 

 原町区片倉で採取したスギの雄花を、別の日に測定したが、結果は、セシウム137と134の合計で、9531ベクレル/キログラム。
 これだけ汚染されたものが、これから花粉となって飛ぶことになる。

 なお、A&S福島の放射能測定は、まだ試行段階で、以上の数値はあくまでも参考値。2月1日から、受付を開始し、本格的な測定が始まる。
 詳しくは、アクティブ&セイフティー福島(A&S福島)のウェブサイトへ。



食品新基準も甘い

 これまで、住民は、自分の家の周りの空間線量の測定などを通して、放射能汚染の現状を住民自身でつかみ、その対策を考え、行動をしてきた。
 これをさらに前に進めるとり組みが始まった。

 商店で売っているものもさることながら、福島では多くの人びとが、日常的に、自家栽培の野菜や果物を食べて生活している。これが一体どれくらい汚染しているのか。また、どういう作物が、どういう条件だと汚染するのか。どういう作物と条件だと汚染しないのか。そもそも土壌や水の汚染はどうなのか。
 こういうことを、住民自身がつかみ、科学していくということだ。 
 チェルノブイリ救援・中部が作成した「南相馬市放射線量率マップ」に引き続いて、地域全体の田畑の土壌汚染状況をマップにする必要もあるだろう。

  さらに、次のような問題もある。
 ひとつひとつの作物や食品の汚染度が分かったとしても、それを単品で丸ごと食べているわけではない。1日3食で、どれだけのセシウムを取り込んでしまっているのか。それをどれくらいに抑えたらいいのか。抑えるにはどうすればいいのか。
 こういう観点から、たとえば、調査に協力してもらえる家庭で、家族と同じ食事を、一人分余計に作ってもらい、これをまとめて測定する。こういう「陰膳」方式による測定も必要になる。

 また、昨秋のコメの汚染問題では、県もJAも、まともに検査もしないで、「安全宣言」を出していた。後になって、農民の自主的な検査によって、500ベクレルを超える汚染が発覚。国・東電に加えて、県とJAもが、被害を小さく見せようとして、かえって信用を失墜させ、被害を大きくしてしまっている。
 これは、消費者はもちろん、まじめにプライドを持って生産してきた農家にとっても、全くやり切れないことだ。
 住民自身の力で、生産者と消費者の双方を守り、協力するとり組みが是非とも必要だ。

 さらに、4月から食品の放射性セシウム基準値が改訂される問題もある。
 一般食品については、これまでの暫定基準値500ベクレル/キログラムを、新基準値で100ベクレル/キログラムに改訂するという。
 これはまだ甘い基準だ。
 ウクライナでは、食品に由来する内部被ばくによって慢性疾患が多発し、子ども始め多くの人びとが苦しんできた。その痛苦な教訓から、たとえば、野菜で40ベクレル/キログラム、果物で70ベクレル/キログラム、飲料水では2ベクレル/リットルと、はるかに厳しい基準を取っている。
 ところが、この基準改訂にたいしてさえ、「復興の妨げ」(コープふくしま・専務理事の野中氏 地元紙「福島民友」1月16日)という圧力がかかっている。
 状況は、甘くない。子どもをはじめ、この地域で生きざるを得ない人びとの命と健康を守るために、行動しなければならない。

以上



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  1. 2012/01/16(月) 17:01:28|
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【論考】  復興計画とグローバル企業  ~南相馬市の場合~

 
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(南相馬市原町区の海岸の堤防上から市内方向を望む。元は、江戸末期から明治にかけてつくられた干拓地。水田や集落が広がっていた。津波ですべてが流され、現在はガレキの集積場になっている。写真は8月下旬に撮影)







 放射能問題は、依然、現在進行形だが、同時に、復興という問題が、様々な思惑を孕んで進行している。この問題を、南相馬市に引きつけて、私の意見を述べたい。


          ・         ・         ・        ・


 地震・津波の被害とともに、放射能汚染に苦しめらている南相馬市。
 市当局は、7月頃から、「復興市民会議」(地元有力者など)や「有識者会議」(学識経験者など)の会議をつくり、「南相馬市復興計画」策定の協議をすすめ、この12月下旬に、「南相馬市復興計画」を決定しようとしている。
 この「南相馬市復興計画」の「素案」は、市のウェブサイトでも公開され、パブリックコメントの募集も行われた。ただ、この「素案」の中身はいささか総花的になっており、これを読んだだけでは、どういう問題意識や構想に基づいて、何を目指しているのかがわからない。
 実は、その本当の狙いについて言及しているペーパーは、かなり早い段階に出ている。「新たな発想による事業事例の研究 ~経済復興計画の策定に向けて~」〔市ウェブサイトに掲載〕と題するものだ。
 以下で、このペーパーの中身と、それをめぐる動きを検討してみたい。



【Ⅰ】異様なペーパー


 
津波と放射能


 前提的に、南相馬市の被害の概況について述べる。
 津波による死者・行方不明者が700人近く。被害家屋1600世帯以上。原発事故による避難は、ピーク時、人口約7万人のうち、6万人以上。
 その後、市内が警戒区域、緊急時避難準備区域、計画的避難区域、特定避難勧奨地点に指定。放射能による汚染状況は、比較的低い海側から、汚染の高い浪江町や飯舘村に近い山側に向かって、年間の推定追加被ばく線量で、1ミリシーベルトから20ミリシーベルト超の範囲。
 9月末に緊急時避難準備区域が解除されたが、依然として2万8千人が避難。原町区の小中学校では、震災前の児童・生徒数が約2200人、直後に約1200人が避難、10月中旬に小中学校を再開したが、帰還は16人。
 工場の休業、漁港の破壊、農地の塩害、放射能による作付け断念。いわき市と結ぶ国道6号線、東京・仙台につながる常磐線が寸断、復旧の見通しなし。病院は、職員の減少で充分に機能せず、利用者も減って経営危機に。
 これでもまだ事態の一部だろう。
 津波によるおびただしい市民の犠牲。そして、生き残った市民も、その生死に向き合い、また放射能の恐怖に苛まれてきた。そして、いまもって未曾有の困難の中で悪戦苦闘している。


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(海岸から2キロほど内陸側にある特別養護老人ホーム。入所者やスタッフなど100人以上が犠牲になった。写真・上下とも) 

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「ピンチをチャンスに」?!


 ところが、まだ市民が被災と避難の打撃に苦しんでいる時期に、南相馬市の市役所の中で、ひとつのペーパーが検討されていた。
 表題は「新たな発想による事業事例の研究 ~経済復興計画の策定に向けて~」(以下、「事業事例の研究」)。作成者は「南相馬市経済復興研究チーム」。
 「本年5月中旬より約1カ月間にわたり、本市における経済分野にかかる復興計画の基礎資料作成のため」、研究をしてきたという。
 研究の目的は、「ピンチをチャンスと捉え」「これまでの経済振興策にとらわれない、新たな発想に基づく事業を創造する」ことだと言う。
 その後、復旧・復興にかかわるペーパーがいつか出されているが、最初に出されたものがこれだった。



【Ⅱ】恐るべき「新たな発想」



(一)「新たな発想に基づく事業」とは


 中身を見てみよう。「新たな発想に基づく事業」として、9件あげている。中でも目を引くのは次の3件。①津波被害地における総合産業経営体の設立、②放射線利用研究施設群の形成、③ロボット工学産業など新分野への進出。要約すると、以下のようなものだ。

①企業型農業

 「これまでの個々による農業では、基盤が脆弱なため、…『持続的に成長できる農業』として再興する」。
 沿岸部の農地が津波で被害を受けた農地を集約・再整備する。そこに、植物工場・養殖工場・花弁工場、さらに木質バイオマス発電・ソーラー発電などのプラントをつくる。それを経営する「大規模農業生産法人」「総合産業経営体」を、外部資本と市の共同出資で設立する。
 グローバル企業は、兼ねてから、TPP参加の流れの中で、企業型農業への参入のチャンスを狙っていた。しかし農地法などの制度と農民の抵抗によって簡単には進まなかった。グローバル企業は、津波被害を、従来の小規模経営による農業を整理・再編する好機と見ている。その意図を具体化したのが、「津波被害地における総合産業経営体の設立」だ。

②「学術的価値が高いフィールド」

 「本市は、放射能による人体あるいは環境に及ぼす影響を明らかにしていくフィールドとして重要な意義を持つ」。「放射線を有効活用した先端医学の提供」、「低レベル放射線の影響の機構の解明」を研究する。
 そのために、南相馬市立病院を中心に、放射線利用研究施設群を形成する。また、南相馬市と周辺住民、原発作業員を対象に、「徹底した健康診断とデータの蓄積」を行い、人体や環境への影響の研究する。
 一読して、驚かされるのは、「放射能による人体あるいは環境に及ぼす影響」の研究が、「学術的価値が高いフィールド」という文言だろう。「徹底した健康診断とデータの蓄積」を行うとも言っている。住民がモルモットにされるとしか読めない。
 さらに、「放射能という言葉の負のイメージに果敢に挑戦し、これを払拭する放射能の有効活用を図る」という文言にも驚かされる。「放射能の有効活用」などできるのか、《放射能にプラスのイメージ》などあり得るのか。このペーパーを貫く立場は、《放射線による健康被害はない。むしろ健康によいものだ》というもの。さらに《市民が不安がるのは、充分な臨床データがないから。健康によいと立証するための研究を》と提案している。
 市民を放射能に馴らし、形を変えて原子力を推進しようとしていると言う外ない。

③廃炉ビジネス

 「事故発生から5~10年程度の期間が必要と言われる今後の原発解体処理を、安全、安定的に実施するために、・・・ロボット技術の実用化研究を推進」。
 南相馬市に、ロボット技術の研究機構、特殊工作機械のメンテナンスセンターや現地研究所を設置、遠隔操作型の大型建設機械の企画・設計・製造の基地にする。
 こういうのを「廃炉ビジネス」という。原発は、造るのに1兆円、壊すのにも1兆円というものだ。最悪の事故であれば、10年どころか30年以上、廃炉費用はかさむ。それが原子力産業にとっては、大きなビジネスだ。
 それを南相馬市に誘致して、地域の工業生産を回復させようという思惑だ。

 〔なお、この3件以外の「事業事例」は、滞在型観光、四季イベントなど。〕


(二)誰のため?


 このような施策が、仮に実現するとして、一体、誰のためになるのか。


大企業がエントリー


 市は、この「事業事例」への参画する企業を8月に募集し、39の企業等がすでにエントリーしている。そのうち、福島県外の企業等が29社、県内は10社。
 県外で目を引くのは、日立、双日、NEC、大成建設、IHI、竹中工務店、日揮、千代田コンサルタントなど。電機、建設、プラント、商社などのグローバル企業であり、原子力産業にも深く係わってきた企業ばかり。〔なお、児玉東大教授も、アイソトープ除染研究会として、エントリーしている。〕
 当然だろう。とくに上述の3件は、圧倒的な資本力と技術力を必要とする。とても地場の企業が太刀打ちできるようなものではない。


市民はどこに?


 一体、この「事業事例」の中で、市民はどう位置づくのか。
 「事業事例の研究」の中に、「市民の協力・行動」という項目がある。たとえば、企業型農業では、「土地、労働力の提供」、放射線利用研究では、「健康診断の受診」。
 これしか書いていない。つまり、市民は、この事業の主体ではない。グローバル企業の求め応じて、土地や労働力の提供し、放射線研究の研究対象となる。市民を、そういう存在としてしか扱っていない。


(三)地域を破壊するショック・ドクトリン

 
 宮城県の村井知事が「東日本復興特区」構想を推進している。津波震災を奇貨として、グローバル企業にたいする規制緩和と税制優遇などを促進しようというものだ。この構想を法的に支える復興特区法案も成立した。(12月7日)
 新自由主義批判の論客として著名なナオミ・クラインは、このようなやり方を「ショック・ドクトリン」という言葉で批判している。「ショック・ドクトリン」とは、戦乱や災害による経済危機につけ込み、そのショックを奇貨として、政府・行政とグローバル企業が一体となって、平時にはできないような激しい市場原理主義的な改革を強行すること。 要するに火事場泥棒だ。クーデター後のチリからハリケーン・カトリーヌ後のアメリカまで、その例は枚挙に暇がない。
 「事業事例の研究」で打ち出されている考え方は、この南相馬版に他ならない。
 「事業事例の研究」は、被災を奇貨として、グローバリズムを一層、推進しようものだ。それは、官僚とグローバル企業の利害であって、地域の産業・雇用・生活にとっては、一層の破壊と疲弊しかもたらさない。



【Ⅲ】誰が進めているのか?



中央官僚が派遣 


 南相馬市には、震災後、内閣府、経産省、保安院から中央官僚が派遣されている。
 市役所の事務方を束ねる村田崇副市長は、震災直後の4月、内閣府から異例の人事で着任。前職は内閣府沖縄振興局総務課課長補佐の36歳。沖縄振興局といえば、アメとムチを担当する部署。中央官僚に直結した情報と人脈を武器に、市の幹部職員を抑え込んでいる。
 また、上述の「事業事例の研究」の3件を執筆したのは、経産省から来ている官僚だと言われている。たしかに、現場や市民の気持ちを少しでもわかる者にはとても書けない文章だ。

譚醍伐蟠・1_convert_20111208144252
(村田崇〔たかし〕・南相馬市副市長。石川県出身、36歳。東大経卒、自治省(当時)入省、総務省自治財政局公営企業課制度企画係長、長崎県総務部財政課長、内閣府沖縄振興局総務課課長補佐など)
 

市民の不信を買う桜井市長


 桜井市長は、産業廃棄物処分場建設に反対する市民運動の力で、現職を破って市長に当選した人だ。震災最中にユーチューブで窮状を訴え、政府の対応を批判したのは、この人らしいやり方だった。しかし、最近はそういう発言がめっきり減っている。
 これには、次のような話が町の中で聞かれる。内閣府・原子力災害対策本部の官僚たちの間では、桜井市長が何か発言する度に、「また南相馬か」と苛立っていた。そして、程なく、中央官僚直結の村田副市長から、「市長、発言を控えてください」と圧力がかかった。
 ところで、桜井市長にたいする市民の評価は厳しい。予想もしない危機と困難の中、誰がやっていても批判を受けるだろう。そのことを踏まえて上で、なぜ市民は厳しいのか。
 それは、桜井市長が、何を守ろうとしているのかという問題だ。放射能汚染の中で、市民の命と健康が危険にさらされている。市民の命と健康、それが守るべき第一のはずだ。ところが、市長にあって守るべきは、「市民」ではなく「市」になっている。人口が減り、収入が減ったら市は立ち行かないという理由から、放射能汚染から避難している市民を引き戻そうとした。こういう姿勢が市民の不信を買っている。 
 そして、市民の支持を失えば失うほど、桜井市長は、中央官僚に頼るしかなくなっているように見える。
 

大規模農場経営を旗揚げした渡辺前市長


 7月、「複合型大規模農場経営研究会」という組織が発足した。津波被害を受けた沿岸部で、食料・食品、燃料、発電の総合エネルギー企業を目指すという。農地の集約化には特区制度でとしている。
 上述の「事業事例の研究」と軌を一にしているのは偶然ではない。
 「研究会」の会長には、南相馬・鹿島町土地改良区の渡辺理事長が選ばれた。渡辺氏とは、桜井市長と争って僅差で落選した前市長。南相馬市の各界・各層に影響力を持っており、震災後、ブログなどで積極的に政策を発信している。そうすることで、市民の桜井市長不信を促進する形になっている。
渡辺前市長は、自身のブログで、《津波で被害を受けた農民たちは、兼業化と高齢化で「農業再開の意欲はほとんどない」、だから「複合型大規模農場経営」が求められている》という趣旨を展開している。干拓した広大な農地が塩害と放射能被害を受けたのは事実。被災した農民が茫然自失となったのも事実。しかし、そもそも農業・農民を疲弊させてきた戦後の農政やグローバル化だった。そのことににたいする真剣な検討が全くない。
 渡辺前市長は、土地改良区の理事長として、「事業事例」で打ち出された「大規模農業生産法人」「総合産業経営体」設立に、影響力を持つことになる。


貂。霎コ荳€謌・1_convert_20111208144342
(渡辺一成〔いっせい〕前市長。旧原町市出身、67歳。東北大中退、旧原町市議、県議、旧原町市長、合併後の南相馬市長、2010年1月の市長選で落選)


市民不在の混沌の中で


 「南相馬市の復旧・復興を市民が主体となって進める」として、「復興市民会議」や「復興有識者会議」が設置された。しかし、実際のところは行政の主導で行われている。突っ込んだ議論はほとんど行われていない。事務方のお膳立てを追認する会議になっている。
 たしかに、上述の「事業事例の研究」以外にも、いくつものペーパーが出ている。〔南相馬市のウェブサイトに掲載〕しかし、「事業事例の研究」が官僚によるグローバル企業のための復興ビジネス計画あったとすれば、その他のペーパーは、行政のための計画であって、市民のためのものになっていない。
 そういう状況の中で、実務的には、「事業事例」に即して、エントリー企業も決まるなど、既成事実が重ねられている。
 これが官僚のやり方だ。
 市民は、「事業事例の研究」の中身も、存在すらも知らされていない。市民が、問題に気づいて反対の声をあげたときには、「もう遅い」「すべては決まっている」という風に持っていこうとしている。
 また、桜井市長が市民の不信を買って官僚に頼るしかなく、外には渡辺前市長という遊軍がいる構図は、中央官僚にとって、都合がいいものになっている。
 市民が求めているのは、普通の生活の再建だ。それが遅々として進まないことに苛立っている。しかし、それは、単に、行政がサボっているからではない。市の中枢部分が、市民不在のところで、市民の求める生活再建とは全く違う、復興ビジネスという方向に突き進んでいるからなのだ。



【Ⅳ】市民の力で復興の議論を



 復興計画は必要だ。誰かが復興の絵を描く必要はある。
 しかし、「事業事例の研究」で提示されている復興計画は、被災を奇貨として、グローバリズムを推進しようもので、実は何ら「新たな発想」ではない。グローバリズムを不可抗力のように前提化する狭隘な世界観・歴史観。企業の競争力がないと日本がダメになり、地域の生活もダメになるという呪縛。政治と経済の中心にいる人びとの頭を支配している牢固とした発想に基づくものだ。
 求められているのは、こういう発想から脱却することなのだ。
 地方・地域は、グローバル企業の下請けや、大都市への供給地ではない。地域の伝統文化・自然条件・地理条件にこそ、根ざすべきだ。そして、市民・住民自身による協同組合的で相互扶助的な生産システムによってこそ、危機と困難を乗り越えていける。
 被災の中で蘇った市民同士の助け合いこそが、真の復興の基盤だ。放射能から子どもを守るために、国や行政とぶつかりながら、市民が自主的に始めている議論と行動の中にこそ、真の復興の道がある。









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  1. 2011/12/08(木) 19:27:50|
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稲荷丸  海に向かう



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10月26日、南相馬市鹿島区。
海から2・5キロほど内陸に入った国道6号線近くの草むら。
そこで漁船がつり上げられていた。


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そこには、いくつもの舟が横たわっていた。
津波でここまで流されてきたのだった。
ここも、以前は、きれいな田んぼだったところだ。


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前日は、広島から駆けつけた「原発勇志作業隊」が、船の除染を行った。
そして、船の脇まで土盛りして、鉄板を敷き、大型クレーンをつけて、搬出作業が始まった。


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船主の佐藤公夫さん(61 写真右)に話を聞いた。
(聞き手は筆者 /写真左は地元紙「福島民報」の記者)

― この船は、津波で流されてきたのですね。
佐藤さん  そう。

― そのとき佐藤さんはどこに?
佐藤さん  ここ。

― ここ?
佐藤さん  この船の中。
      まさか津波が堤防まで越えるって思わないから。
      船を守ろうと思って、港で構えていたら、
      流されて、流されて。
      最後は、(備え付けの)救命ボートを出して、
      やっとこさ6号線までいった。

― ご自宅は?
佐藤さん  浜だから。
      流されたよ。

― ご家族は?
佐藤さん  あー、無事。

― いまは?
佐藤さん  仮設。

― 船がやっと再生ですね。
佐藤さん  いんや、まだまだだ。


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風が強かったため、船が煽られる。

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大型トレーラーに乗せて、固定する。

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やがて、船は、ゆっくりと海に向かって動き出した。

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船は、真野漁港で修理の後、相馬市の原釜漁港に向かうという。
再生への一歩を、町の人びとが見守った。





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  1. 2011/11/07(月) 11:39:24|
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常磐線・原ノ町駅 運転の見通しなし

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常磐線の原ノ町駅。
南相馬市の中心部にある駅だが、ひっそりとしている。
3月11日以来、電車は動いていない。
案内板には次のように書かれている。

・広野駅~原ノ町駅 
 福島第一原発20キロ圏内は警戒区域のため運転の見通しが立っておりません。
・原ノ町駅~相馬駅~亘理駅
 駅・線路流出のため復旧の目処が立っておりません。

 常磐線の上野方面が原発事故で、仙台方面が津波災害で、不通になっているのだ。
 ただ、原ノ町駅から、仙台方面には、バスによる代行輸送がおこなわれいる。それで、電車が来ないのに、原ノ町駅の窓口は開いていた。

 
「何かが終わったような・・・」

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 原ノ町駅のホームに、特急「スーパーひたち」と普通車両が。あの日以来、ここを動けなくなっているという。写真の奥の方が上野方面。

 あの日以来、止まったままの風景に、地元の年輩の男性が、次のように述懐した。
「常磐線は、相馬地方にとって、明治以来の近代化の歴史だった。それがいまこんなことで不通になり、復旧の見通しも立たないなんて。おそらく10年先、20年先も・・・。何かが終わったような気がする」

 常磐線が全線開通したのは1897年。日本が、日清戦争から日露戦争へと、急速に近代化と対外膨張に突き進んだ時代。常磐炭鉱の石炭を東京に輸送する目的で敷設された。原ノ町駅には機関区も置かれ、いち早く発展したという。
 その後、石炭と鉄道に象徴される近代から、石油と自動車、原発に象徴される現代に至る変遷があった。それは、東京によって<開発>され、東京に近づくことで<発展>をというものであったが、それは結局、東京によってどんどん<収奪>され、<隷属>させられていく歴史であった。 
 とすると、原発災害によって、突如、復旧の見通しのない<断絶>を強いられたが、それは、東京による<収奪>と<隷属>の歴史が、もはや立ち行かなくなったという意味でもあるのではないか。
 そして、今、この地で、放射能を放置する政府のやり方に立ち向かい、自らの力で生きようとしている人びとの姿がある。ここに、近代と現代をまとめて超えようという何かがあるように感じられた。

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  1. 2011/08/14(日) 16:03:23|
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南相馬市 新たに「特定避難勧奨地点」の指定

 8月3日、政府・原子力災害現地対策本部が、南相馬市で65地点・72世帯を「特定避難勧奨地点」に指定したと発表。報道によれば、今回の指定の対象となったのは、いずれも18歳以下の子どもがいる世帯。
 4日、32世帯が指定を受けた南相馬市原町区馬場で話を聞いた。

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(南相馬市原町区馬場の羽根田さんの畑には、作物の代わりにヒマワリが)


  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
     

「南相馬がどうなるか、国にとってはどうでもいいのか」


線量計が振り切れる

 「最初、市役所から借りた線量計は、10マイクロシーベルト/時まで。振り切って測れないんだから。
 それで別ので測ったら、雨どいの下で50マイクロシーベルト/時。
 それから、庭のビワの実は500ベクレル/kg。食べたけどね」


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(自宅の玄関先を指さす羽根田さん)

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(線量の極めて高い雨どいの下。地面に鉄板が置いてあるのは「少しは線量がさがるのではと思って」)


 そう語るのは、羽根田正晴さん(62)。
 羽根田さんも、「測るまで、飯舘村のことも他人事。でも自分で測ってびっくりした」
 50マイクロシーベルト/時とは、単純計算をすれば、避難の基準である累積被ばく量20ミリシーベルトを、およそ17日間で超えてしまう。3カ月で100ミリシーベルトをも超えてしまう。ある程度の誤差はあるだろうし、雨どいの下という限られた場所であるとはいえ、危険極まりない線量であることは間違いない。
 また、果実の500ベクレル/kgの方は、ウクライナの基準値70ベクレル/kgの7倍。ものすごく基準の高い日本でも500ベクレル/kgが暫定基準値で、危険な数字だ。
 雨どいの方は、その後の何度かの大雨で、線量はかなり下がっているとのことだ。


室内でも1・8マイクロシーベルト/時

 しかし、国は、この地域の放射線量の測定になかなか来なかった。ようやく4カ月後の7月18日になって、原子力災害現地対策本部が測りに来た。
 結果を通知する書類を見せてくれた。

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 庭先・地上50cmで5回測定した平均値が、5・5マイクロシーベルト/時。
 玄関先・地上50cmで5回測定した平均値が、2・2マイクロシーベルト/時。
 測る場所の選び方や平均を取っている点など、測り方には問題があるが、それでもこの数字だ。
 5・5マイクロシーベルト/時は、馬場で一番高い数字とのことだ。
 さらに、屋内の測定も要求し、1階が1・6マイクロシーベルト/時。2階が1・8マイクロシーベルト/時。
 2階の方が高い。屋根から来ているのだろう。トタン屋根が錆びていて、そこに放射性物質がこびりついて、雨でもなかなか流れない。
 1階より2階の方が安全だろうと寝る場所を変えたが、2階の方がかえって高かった。いずれにせよ、室内でこれだけ高いのは異常だ。


3月11日は原発の中で

 羽根田さんの家は、ここで15代続く農家だが、羽根田さん自身は、3月まで東電の下請けで働く原発労働者だった。
 3月11日は、福島第一原発5号機にいた。5号機は定期点検で停止中。羽根田さんは、冷却装置の2つのモーターのうちの1つを点検していた。
 「地震が起こって、すぐにECCS(緊急炉心冷却装置)が作動したので、大丈夫だと思って外に出た。そしてこっちに帰ってきたら、町も家もぐちゃぐちゃ」
 羽根田さんは、これまでの原発内の作業で、「10ミリシーベルトを超えたのは2度だけ」。10ミリシーベルトを超えるとどうなるかというと、「原発の作業はクビ。何の保障もない。しようがないから火力(南相馬市にある東北電力・原町火力発電所)に回わる」
 さらに、累積被ばく線量が多くなって、法律の規定する限度(年間50ミリシーベルト、5年100ミリシーベルト)を超えてしまうと、「名前を変える」。どういうことかというと「養子になったり、結婚したりで、名前を変えて、新しい手帳を手に入れる」。そうやって限度を超えて被ばくしてでも、無理して働くことが当たり前だったという。
 息子さん(23)も、一時期、福島第二原発で働き、いまは火力の方にいる。
 「(息子は、福島第二原発にいたときに)7ミリ、喰った。今のところ、体調はいいようだけど、心配は心配」


どこにも行かないよ

 南相馬市は、3分の1が警戒区域、3分の1が緊急時避難準備区域、さらに西側には計画的避難区域がある。そして、新たに特定避難勧奨地点が指定される一方で、緊急時避難準備区域については「8月末にも解除か」といわれている。
 こういう状況についてどうかとたずねると、
「病院とか早く元に戻ってほしい。だから町の方の解除はいい。だけど、山の方は、解除どころじゃない。同心円で、解除されたらたまらない。おかしい。こっちは線量が高いんだから」
 そして、避難ということになったら、どうするかという問いには、
「避難するっていっても、10年、20年、戻って来れなければ・・・。子どもどころか孫の代でも戻れなくなる。だから、どこにも行かないよ」
 そして、やり場のない思いを次のように述べた。
 「津波で死んだ人もいるから、それを考えたら、命があるだけでも・・・。
 しかしひどいね、先が見えないから。南相馬がどうなるかなんて、国にとってはどうでもいいのか。おれらは使い捨てだ」


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「たたかわなかったら何もできない」


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(自宅で、線量計を手に、話をしてくれる滝沢さん)


何をいまさら

 羽根田さんの隣の滝沢昇司さん(44)を訪ねた。
 滝沢さんは、特定避難勧奨地点の指定については、「何をいまさら。ドカーンとなったときの方がよっぽど逃げなければいけなかったのよ」と突き放す。
 羽根田さんもそうだが、滝沢さんも、当初は、国や県の発表する放射線量の数値が自分の住む地域の数値だと思っていた。が、自分で線量計を手に入れて測ってみると、全然違う。このことに愕然とし、怒っている。
「南相馬市の数値として発表されているのは、(福島県庁南相馬)合同庁舎のところで測っていて、全然低い。それがここの数値だと思いこんでいた。福島市や郡山市より低いから、避難に値しないと思っていた。
 ところが線量計で測ってみたら、『あれ?! びっくり! 何だこりゃ~』となるわけね。4月17日に線量計を買って、常時携帯して、積算被ばく量が2・3ミリシーベルト。3月12日から測っていたら、もっとすごい数値になっていただろうね」
 現在の合同庁舎の数値と原町区馬場の数値の比較から、3月下旬当時の原町区馬場の数値を推定してみると、45マイクロシーベルト/時になるという。
 3月12日から4月にかけて、もっとも放射線量の高い時期に、その事実を知らせず、住民をそこに放置したことは、取り返しのつかない大きな問題なのだ。
 滝沢さんの家では、高校生の息子さんと中学生の娘さんがおり、娘さんの方は、連れ合いの実家の方に避難している。


除染は国の責任

 南相馬市は、行政が率先して除染にとり組んでいる。
 滝沢さんは、それを評価した上で、国の責任を問うている。
 「除染なんか、自分でもできるよ。高圧洗浄機もあるし、ユンボもあるから、表土をひっぱがすのも自分でできる。だけど、なんで国が責任をもたないんだ。基本は国だと思うよ。『末端の行政にお任せします』というのが気に入らない。おかしいべ。
 南相馬なんか、3分の1が強制避難、3分の1が避難準備で、みんな県外に出ていて、税収なんかないんだから。復旧の目途さえ立たない。そのうえ除染まで自分でやれというのがおかしい」


この気持ち、分かるか?

 滝沢さんの生業は、乳牛を育てる酪農。現在は41頭。そのうち、育成牛(子牛)8頭は避難させている。41頭という数は、この辺では「まあ多い方」だそうだ。
 そして、「乳牛は先頭きって、出荷停止をくらっている」。3月14日から6月9日まで約3カ月。
 その間、滝沢さんは、毎日、牛乳を搾っては、それを畑に捨てるということを繰りかえした。それは酪農家にとって、とても辛い作業だった。
 「この気持ち、分かる? この精神的苦痛を賠償してほしいよ」

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原乳の検査を

 出荷停止の解除に至るまでの過程も、簡単ではなかった。
 滝沢さんは、原乳の検査をやる必要があると思っていたが、金がかかるので、収入がない状態では難しい。無理かと思っていたところで、以前から知っている大阪の会社から、測定費用の支援の話が来た。
 測ってみると、1回目の4月6日には、やはりヨウ素もセシウムも出ていた。2回目、4月26日には出なかった。
 県は、そもそも30キロ圏内だからということで、モニタリングさえもしない。県に電話したりして、「原乳のモニタリングをやってくれ」と、しつこく要求した。
 もちろん滝沢さんは、汚染したものは一切出したくない。しかし検査もしないでダメだというのは納得できない。
「やらないことにはわかんない。検査しないとダメ。しばらくたたかった。5月16日の会合でも、自主的にやった検査結果を叩きつけてやった。たたかわなかったら、いつまで経っても出荷できないもの」


草が使えない

 6月10日から出荷停止が解除になった。
 「よかった。よかったけど、草が使えない。牧草は作っているけど使えない」
 牧草が放射能で汚染されているのだ。牧草を作っていた畑の土壌を検査に出した。その結果は5000~6500ベクレル/kg。牧草の基準値は、ヨウ素で1kg当たり70ベクレル、セシウムで300ベクレル。結果は、基準値をはるかに超えている。
 仕方がないので、輸入の牧草を購入した。
 これまで自前の牧草でやったいたのを、購入飼料に切り変えたら、採算が合わなくなった。
 「『賠償します』といっているけど、それは自前で作っていた草の分の賠償。しかも仮払いで半額が出ているだけ。
 全部、購入飼料でやったら、草代だけで年間1千万円かかる。
 草は、これまでほとんど費用がかかっていない。土地代と肥やし代と機械代、それに、それを操るおれの人件費ぐらい。
 売った乳代にたいして、購入飼料費がどれだけかかっているかというのを『乳飼比』というんだけど、いままでは乳飼比が23%以内に収まっているんだけど、いまは55%ぐらい行っている。これでは、全くの赤字。他のコストがあるからね」
 話しを聞いていても、滝沢さんは、研究熱心だし、数字にも強いし、経営的にも努力をしていることがわかる。その滝沢さんでも、購入飼料に代えたら、経営が成り立たなくなるのだ。

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(オーストラリアからの支援の牧草)

 そういう中で、オーストラリアから、被災した酪農家を支援するために、牧草が届けられたという。
 「今月は支援物資をつかえば、利益が出せる。ありがたい。でも、これで2週間から20日ぐらい」


強い闘志 

 「国の言うことも信用できない。学者の言うことも信用できない。自分で勉強する以外に何にもできない。そして、たたかわなかったら何もできない」
 滝沢さんの言葉には、強い闘志がにじんでいる。

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  1. 2011/08/14(日) 00:58:31|
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「南相馬市放射線量率マップ」を市民団体が作成・公開

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(写真上:チェルノブイリ救援・中部が作成した「南相馬市放射線量率マップ」。3万分の1の地図上に500mメッシュの区分けがされ、その区分け毎に汚染度が9段階の色分けで表示)

(写真下:9段階の汚染度の区分)

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20キロ圏内から30キロ圏にかかる
南相馬市



 福島第一原発の北側に位置し、20キロ圏内から30キロ圏にかかっている南相馬市。
 市南部の小高区全域と原町区の一部が、「警戒区域」に指定。市中部の原町区の大部分と鹿島区の一部が、「緊急時避難準備区域」に。さらに、原町区の西端で飯舘村と隣接する地域が「計画的避難区域」に。
 この上にさらに、7月21日には市内の50地点・59世帯が、8月3日には市内の65地点・72世帯が、「特定避難勧奨地点」に指定。
 もっとも、このような指定は、政府の原子力災害現地対策本部が行ったもの。放射能汚染の現状に踏まえたものとはいえないし、住民が抱いている不安や憤りに応えるものには到底なっていない。

南相馬・区域指定



市民団体と住民が測定

 これにたいして、市民団体と住民らが、自主的に汚染状況の測定を行い、今後の行動を話し合おうというとり組みが行われている。  
 「チェルノブイリ救援・中部」―1990年から、名古屋を中心にして、チェルノブイリ原発事故被災者の救援活動をとり組む―が呼びかけ、地元南相馬市の住民が参加。6月中旬から7月中旬、原町区と鹿島区の全体の放射線量測定がおこなわれた。 
 その測定結果が、「南相馬市放射線量率マップ」としてまとめられ、8月3日、それを公開する集会が、南相馬市原町区内で開催された。
 集会は、南相馬市役所からほど近い、労働福祉会館の一室でおこなわれた。主催者のチェルノブイリ救援・中部のみなさんは10人ほどで、名古屋から車を飛ばしてかけつけた。南相馬市の住民などあわせて約30人の参加者があり、報告と討論が行われた。

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500mメッシュ

 「放射線量率マップ」については、概ね以下のような報告が行われた。

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(「放射線量率マップ」を解説するチェルノブイリ救援・中部の池田さん)

◇536カ所 

まず、測定の方法について。
 小高区は全域が警戒区域で立ち入りできないため、原町区・鹿島区の全域で測定を行った。
 地図上にタテ・ヨコ500m間隔で線を引く。500m×500mのメッシュで、500m四方のブロックが478個。
 各ブロック毎に、道路上の1カ所を選んだ。実際には複数カ所のブロックもあり、測定視点は合計536カ所。
 それぞれの地点で、地表から1mと1cmの高さで、ガンマ線の空間線量率を測定。
 2~3人が1組、1日に6組ぐらいで、3次にわたり合計5日間をかけておこなわれた。チェルノブイリ救援・中部からのべ35人、地元住民が31人参加。

◇9段階に色分け 

 その計測値をもとに、次のような式で一年間に浴びる外部被ばく線量を算出した。
 (計測値〔マイクロシーベルト/時〕-0・11)×(8+0・4×16)×365÷1000=年間被ばく線量〔マイクロシーベルト/年〕
 この式の意味は、計測値から自然放射線量(1ミリシーベルト/年で計算。0・11マイクロシーベルト/時はその時間換算の値)を引き、1日のうち8時間を屋外に、16時間を屋内にいると想定し、屋内で浴びる放射線量を屋外の場合の40%以下として計算した。
 その数値を9段階に色分けし、地図上に表示した。(上掲の地図と区分を参照)

◇南南東から北北西の方向に広がる汚染
 
 この「放射線量率マップ」を作成することによって、次のようなことが見えてきた。
 南相馬市の中心部にある市役所から見て、南北方向では、値の違いがない。
 他方、東西方向では、山側(南相馬市の西側)から海側(南相馬市の東側)にかけて放物線状に値が低くなっている。
 このことから、現在の放射能汚染は、3月15~16日にかけての水素爆発によって放出された放射性物質が、北北西の風に乗って広がったと考えられる。

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(自分の地域の汚染度が高いとわかり、考え込む農業の男性)

◇大半が1~5ミリシーベルト/年 

年間外部被ばく線量〔ミリシーベルト/年〕の分布を見ると以下ようになった。

   1ミリシーベルト/年 未満    5%
 1~5ミリシーベルト/年      72%
   5ミリシーベルト/年 以上   23%

 1~5ミリシーベルト/年が72%と大半を占めている。
 ICRPの年間許容被ばく線量の勧告値が1ミリシーベルト/年、日本の法律で放射線取り扱い管理区域の指定が必要な外部線量が5ミリシーベルト/年、ウクライナで任意移住地域に指定されているレベルが1~5ミリシーベルト/年、5ミリシーベルト/年以上が移住強制地域となっている。

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(畜産を営む40代の男性が質問)

◇地表が広く全体的に汚染 

 地上1mと1cmの放射線量率を比較すると、地表に近い1cmの方が約4割ほど高い。
 外部被ばくの多くは、地表にある放射性物質(現時点では大半がセシウム137および134)から発せられる放射線によるものと考えられる。
 また、放射線量率が低くなると、1mと1cmとの間の値の差が小さくなる。さらに、突発的に高い地点がない。これらのことから、汚染は、狭い範囲ではなく、全体的な傾向として、広い範囲に及んでいることがわかる。


長い闘い 


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(質問に答えるチェルノブイリ救援・中部の河田さん)


 多くの住民が、政府の「ただちに影響はない」という発表や原子力災害対策現地本部の発表するデータに不信を抱いている中で、「本当はどのくらいの放射線を浴びているのか?」ということを、住民の側に立って明らかにする作業は、地元の住民がもとめているものだった。
 そして、この汚染の実態の対象化がおこなわれたことによって、「では、放射線の影響を減らすのはどうするか?」という検討もはじまる。
 池田さんは次のに述べている。
「復興を進めようにも、放射能が大きく立ちふさがっている。放射能の恐ろしさは、身体への影響もあるが、さまざまな想いや絆を断ち切り、対立を生み出すところにある。同時に、放射能と相対し、向き合う中で、新たな協力が生まれ、新たな絆や暮らしや地域が築かれている可能性もある。マップをもとに、地元の方々と意見を交換しながら、復興の芽を育てる支援をしていきたい」

 同時に、「では、どうするか?」ということについて、簡単に「こうしたらいい」ということは出されなかった。
 それについて河田さんは次のように述べている。
「今後、どうしていくのか?それは、ここに集まった住民が主体的に決めていくことだ。
 チェルノブイリでは、地元の住民ら本当に主体的に動き出すのに、20年かかった。それくらい息の長い闘い。でもゆっくりと大河は流れる。
 日本も、3月、4月、5月と意識がどんどん変わってきている。はじめは『何とかなるのでは』と思っていた人びとも、国・政府とか誰かがやってくれはしない、自分たちでやるしかないと思い始めている」

 また、神谷さんも次のように述べている。
「今後、長期にわたり、放射能汚染という負荷を背負って生きていかなければならないのは若い世代。その世代を軸に展開していかなければ。
 誰も未知の領域の渦中で生きていく。誰がやっても簡単ではなく、多くの失敗が起こるだろう。既知の知見では役に立たないし、使えても少しだろう。そういう中での活動だ」


次に向かって

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(原町区太田の復興会議会長さんも参加し発言)

 討議を通して、次のような当面の実践方針が確認された。
・この会合の呼びかけを、今回はチェルノブイリ救援・中部が行ったが、今後は住民の側からも呼びかけを行う。住民の中から、それを引き受ける人が決まった。
・日常的な生活の中で、実際にどれだけ被ばくしているのか、という「生活被ばく線量」の測定を進めるために、住民の有志を募って、腕時計のような放射線測定器を常時装着し測定を行う。このとり組みを進める住民の側の責任者が決まった。
・8月20日(土)午後1時から、同じ会場で、続きの討論を行う。
       ・       ・       ・       ・       ・
 「ゆっくりと、しかし大河は流れる」。たしかに、このとり組みは、そういう流れを感じさせるものだった。

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  1. 2011/08/11(木) 16:44:51|
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