福島 フクシマ FUKUSHIMA

津波被害と原発震災に立ち向かう人々とともに

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【論考】福島における原子力と官僚支配〔下〕 ~出向官僚の内堀氏が福島県知事に~

【論考】 福島における
原子力と官僚支配 
〔下〕 
~出向官僚の内堀氏が福島県知事に~



 
uch002.jpg 
(アンケートに答える各候補。右端の内堀氏は「ビジョンがあるのか」の問いに〇と☓の両方を挙げている/昨年10月の公開討論会)


 〔上〕〔下〕にわたる本稿では、昨年10月の福島県知事選挙で、総務省から福島県に出向していた内堀雅雄氏が当選したという事柄を巡って論を進めている。
 既に掲載した〔上〕では、内堀氏がその副知事時代に、プルサーマルの受け入れ決定や原発事故への対応において果たした役割について検証した。また、そのことを通して、中央省庁による地方自治体に対する支配とそこにおける出向官僚の役割という問題を見て来た。
 もっとも、大半の県民にとって、〔上〕で見たような事実は、知らないことではなかった。そういう事実が多かれ少なかれ知られている中で、内堀氏が知事に選ばれた。これはどうしてなのかという問題を〔下〕では考えてみたい。
 
 その問題を掘り下げるために、〔下〕では、一旦、視点とスパンを変えて、明治以来の近代化の歴史、敗戦から高度成長を経て今日に至る歴史の中で形成されてきた、中央と東北・福島との関係、<中央による支配、地方の依存>構造という問題について論及したい。そのことに踏まえながら、知事選の結果を検討し、そこから、震災と原発事故から4年、依然として様々な困難が存在する中で、その困難の基底にあるものは何なのか、そしてその突破の可能性はどこにあるのかを探りたい。



目次
 【Ⅰ】 プルサーマルと内堀氏
 【Ⅱ】 人命より秩序維持を優先
 【Ⅲ】 地方出向による支配        
   ‥‥以上は〔上〕に、以下は今回の〔下〕に掲載‥‥
 【Ⅳ】 <中央の支配、地方の依存>構造  
   (一) 中央主導の東北開発の歴史
   (二) 転換の可能性はあるか
   (三) 中央に対する意識
   (四) 知事選の結果と「脱原発」



   ・     ・     ・



【Ⅳ】 <中央の支配、
      地方の依存>構造




 さて、ここまで、福島県の原子力行政と原発事故対応、そこにおける出向官僚である内堀氏の動きを検証し、中央省庁による地方自治体に対する支配と、そこにおける出向官僚の役割という問題を見てきた。
 ここで、視点を変えて、中央(中央政府と中央資本)と福島県との関係の問題、つまり、明治以来の近代化の歴史、敗戦から高度成長を経て今日に至る歴史の中で形成されてきた<中央による支配、地方の依存>構造という問題を見ることにしたい。そして、脱<支配・依存>構造という現在的なテーマについて考えたい。


(一) 中央主導の東北開発の歴史


 明治から今日に至る東北・福島の歴史の中について、はっきり次のことが言える。すなわち、富国強兵・殖産興業、戦争遂行、経済成長、原発推進、経済のグローバル化といった中央政府・中央資本が主導する国策がまずあり、東北は、その国策遂行のために開発する対象とされてきたということだ。
 そして、中央主導の東北開発は、常に、東北の自生的な動き、内発的な方向性、自立の意思といったものをことごとく摘み取り、中央に依存する以外の選択肢を事実上認めないという形で推し進められてきた。
 その結果もたらされたものは、あらゆる資源の中央への集中と東北の疲弊であり、常に中央を意識し、政治も経済も文化も、中央を基準に見るという意識の支配であった。そして、中央の支配とそれに依存する東北・福島という関係の構造としての固定化であった。
 ごく概括的に、中央と福島の関係史を見てみよう。【*1】

*1 『福島県の百年』 大石嘉一郎 山川出版 1992年11月
「復興期における只見川電源帰属問題と東北開発」上・中・下 仁昌寺正一 東北学院大学論集 経済学 123号 124号 128号 1993年
『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』開沼博 青土社 2011年6月
『なぜローカル経済から日本は蘇るのか』 冨山和彦 PHP新書 2014年6月

  ◇富国強兵・殖産興業と資源収奪

 明治の中央政府は、富国強兵・殖産興業のために、東北開発を構想した。その一環として、福島では、まず、小名浜の築港、安積の開拓、道路の開設などが進められた。そして、中央政府が、福島に求めたものは、米、繭、石炭、電力、兵力といった資源の供給であった。石炭も電力も、中央資本によって京浜地帯のための開発として進められた。
明治の初期の段階では後進県であったわけではない福島が、明治の末期には、中央に資源を供給するだけの後進県に転落している。そして、中央政府・中央資本の支配と福島の側の依存という関係が構造化していく。
 そして、30年代の恐慌から世界大戦に至る中で、戦争体制に徹底的に動員され、犠牲を払い、激しく疲弊させられた。

  ◇経済成長路線に翻弄

 戦後になって、地方自治が認められるなど、形の上での転換はあったが、基本構造に転換はなかった。
 敗戦からの復興を急ぐ中央政府にとって、復興とは東京の復興であった。しかも、敗戦により海外の植民地を失ったことから、その代替として、東北の開発に向かった。そしてその一環として福島では只見川地域電源開発が取り組まれた。その電源開発は、新潟・群馬・福島の三県の主導権争いがあり、東北電力と東京電力の水利権争も絡んだが、結局のところは中央主導で東京の復興のための開発として進められた。
 さらに進んで、中央政府は、京浜・中京・阪神・北九州の四大工業地帯を産業基地とした経済成長路線を追求した。それに対して、東北・福島に与えられたのは、労働力やエネルギーの供給地としての位置だった。それは、東京などの都市部への人口と産業の集中、地方の人口の流出と衰退をもたらした。
 四大工業地帯を中心とする経済成長路線に遅れて、福島でも常磐・郡山地区の新産業都市建設が取り組まれた。それは、中央政府の財政的支援によって道路・港湾を整備し、中央資本の工場の誘致を目指すものだった。人口も所得も増加するというバラ色の未来を期待したものだった。福島県は、「中央に直結する県政」「後進県からの脱出」といったスローガンを掲げ、官民を挙げて取り組まれた。
 しかし、実際には工場誘致は期待したように進まず、福島にもたらされたのは人口流出と農業の衰退、公害問題と県政の汚職であった。そして、高度経済成長が行き詰まる中で、公共事業に対する依存度だけが高まって行った。

 ◇原発に依存するしかない

 原子力発電所の誘致は、新産業都市の計画と前後して着手されている。
 それは、国策のための電力供給地という歴史を引き継ぐものであるとともに、企業誘致による地域開発を期待するものでもあった。また、原子力によるエネルギー革命という幻想に導かれたものであった。
 石炭でも石油でもなく、原子力というエネルギー革命がおこり、その最先端の未来都市が浜通りに生まれるかのように、当初は吹聴された。国策である原発の誘致は、国や東電による働きかけや工作があったことは言うまでもないが、「中央に直結する県政」「後進県からの脱出」を掲げる福島県の側からの強い働きかけがあったことも事実だ。
もっとも、原発の地域経済に対する貢献度が低く、被ばくと環境汚染という問題が明らかになるのに、そう時間はかからなかった。
 しかし、むしろ、そこから福島県の原発への依存度が高まっていった。経済成長が行き詰まり、企業誘致もとん挫する中で、公共事業への依存度が高まることと軌を一にして、交付金や補助金を目当てに、県も立地町村も原発への依存度を高めて行った。

  ◇グローバル化の中で

 2000年代に入る頃から、中央政府と中央資本は、経済のグローバル化に対応して、グローバル展開にシフトしていく。しかし、グローバル企業が、高度成長期のように世界を席巻し、それが日本経済をけん引するといった話は全くの幻想だ。しかも、福島の中小企業の中には世界で勝負できるような技術力を持ったものもあるのは確かだが、地域経済は、圧倒的に農業と小売りや流通やサービス業であり、グローバル経済との連関性は希薄だ。むしろ、福島で考えるべきことは、これを機に地域経済に重心を移しその建て直しを図ることだ。しかし、福島県が選択した道は、「ふくしまの将来を支える成長産業の創出」として、自動車部品、電子部品、医療機器などの先端分野の企業誘致と産業集積に期待するというものだった。
 その結果は、当然の如く、人口も雇用も所得も右肩下がりが続いている。

  ◇3・11後も続く

 これが3・11以前において進行してきた真実の姿だ。そして、福島原発事故は、<中央による支配と地方の依存>構造がもたらした帰結であったともいえる。その結果、双葉郡を中心に取り返しのつかない汚染と破壊を受けた。しかし、なお<中央による支配と地方の依存>の構造から抜け出せてはいない。
 佐藤雄平知事を引き継いで、副知事から知事となった内堀氏が掲げる政策の柱のひとつが、 福島・国際研究産業都市=イノベーションコースト構想である。これはアベノミクスにも位置づけられた国策であるが、要するに、原発事故で産業基盤が失われたところに、「国際的な廃炉研究拠点」「ロボット研究拠点」「原子力関係の研究室の集結」で産業基盤を再構築するというもの。原発事故の後もやはり原子力ということだ。

 
(二) 転換の可能性はあるか


 では、<中央による支配と地方の依存>構造から転換する可能性はあるのかを考えてみたい。
 まず、これまでの歴史の中で、転換の可能性はあっただろうか。やや大雑把になるが、明治から今日の歴史の中で、何回かその可能性を垣間見せるものはあったとみることできある。

  ◇三島県令と自由党派豪農の対立

 1880年代の三島県令(県知事)による道路建設を巡る問題である。中央主導で強権的に進める三島県令の開発路線に対して、会津地方の豪農たちは、地域の開発は住民の意思に沿って進めるべきだとして対立した。自主的内発的なものの萌芽がそこにあった。
しかしそれは自由民権運動の弾圧と軌を一にして押しつぶされ、中央依存に転向・吸収されていった。【*1】

*1 『福島県の百年』 大石嘉一郎 山川出版 1992年11月

  ◇只見川電源開発めぐる中央と東北

 1950年代の只見川地域電源開発を巡る問題である。それは、開発計画をめぐる新潟・群馬・福島の三県の対立、東京電力と東北電力との水利権争いなどが絡み合って展開した。
 しかし、本質的には、敗戦からの日本の復興を、東京を中心とした京浜地帯の復興と考え、そのための電力を只見川上流地域の開発をもって得ようという中央政府と、明治の早い時期に内的発展の道を閉ざされてきた歴史を克服しようと考える福島県および東北地方との対立と見ることができる。その決着は中央政府の側の求める方向に収れんされた。
 そして、地域の主体を押し潰して進められた開発は、福島県内でも豊かなであったこの地域を、典型的な過疎地にしてしまった。【*2】

*2 「復興期における只見川電源帰属問題と東北開発」上・中・下 仁昌寺正一 東北学院大学論集 経済学 123号 124号 128号 1993年

  ◇プルサーマル撤回と自立化の動き 

 上で大きなテーマといて扱ったプルサーマル受け入れを巡る問題である。
 当時、地方分権の議論が活発になっていた。その議論の中には、一方で、グローバリズムの流れに乗って、国の政策をグローバル企業中心に転換し、地方もそれに準じて使えるものは使い、それ以外は切り捨てるという方向の議論があり、他方で、戦後も一向に地方自治が進まないことに対して、中央と地方の歴史的な関係を変えようという方向の議論が起こっていった。
 佐藤栄佐久知事の時代、福島県では、国に依存した県政と経済を自立的なものに転換しようという機運が芽生えていた。そして、県政と経済を自立的なものに転換しようと模索したとき、福島の県政と経済をゆがめてきた原子力政策に対する疑問に不可避に行き着いた。
 しかしそれは、国、原子力推進派、自民党、立地自治体の首長などの圧力の中で押しつぶされて引き戻されて行った。【*3】

*3 『福島原発の真実』 佐藤栄佐久 平凡社 2011年6月

  ◇災害の中でも住民らの協同

 東日本大震災と原発事故への対応を巡る動きである。
 原発事故に対する県の対応の問題は上で検討したが、同時に、それとは別次元で、被災直後から、至るところで、被災した住民が協同し、あるいは外部からのボランティアが合流し、救援や助け合いの活動が取り組まれた。国や行政が対応不能に陥った被災直後の混乱はある意味で支配の空白であり、命の危機に対して、社会的地位や思想信条にとらわれることなく、人びとが協同した瞬間であった。そこには、自治的なものの萌芽が生まれていた。
 しかしやがて、国・行政の巻き返しがあり、あるいは、売名や営利や政治を目的とする人びとの影響力が増大していく中で、自治の萌芽は次第に変質し、あるいは行政的なものに吸収され、あるいは排除され、やがては、元の通りの国・行政による支配に引き戻 されて行くという過程を、現在進行形ではあるが辿っている。
 それは、上述の『災害ユートピア』に描かれている通り、古今東西の災害の中で繰り返されてきた推移であるともいえる。


(三) 中央に対する意識


 以上のように、〈中央による支配と地方の依存〉構造からの転換の可能性を孕んだ機会が、実は歴史上、何回か存在したと見ることができるのではないか。そして、現在もまた、そういう可能性を孕んだ歴史的な過程にあるのではないだろうか。
しかし、その可能性を現実の転換としていくためには、やはり、過去において、どうして転換できなかったのかという問題を掘り下げる必要があるだろうと思う。さらにいえば、そもそも転換の可能性があったということを、歴史認識として掘り起し広く共有していくという作業が必要であろう。
 ここでは、ただ、以下のような問題を指摘しておきたい。
 それは、自治体の首長や地域の有力者たちを規定しており、そのことによって住民の多数派の意識をも規定している<東京が中央>であり、<東北は中央に対する周辺>であり、<中央に逆らっては生きていけない>という意識である。
 「中央はどういっているんだい?中央の話を聞いてから決めるよ」
「中央とのパイプがあるかどうかってことが地方の政治では大事なことなんだよ」
「雇用とか、財源とかというときやっぱり中央と繋がっていないとね」
 こういう会話が現実に日常的にある。<中央>という言葉が独特の響きを持っているように感じる。
 常に中央=東京を意識し、政治も経済も文化も、中央を基準に見て、<東北は遅れている>と感じる。そこには、<中央=東京を中心にした日本の発展と豊かさ>に対して、<それを見習い、追いかけるしかない遅れた地方>という固定観念がある。
このようなあり方がまさに支配というものだが、しかしそれが支配としてなかなか自覚されることはない。
 もちろん、そこには、本当に自分たちの考えで自分たちのことを決めようとしたら、後でひどい目に合う。排除され、叩かれ、地域で生きていけいない状態にされる。だからそんな犠牲の大きいことをするべきではない。あるいは、自分たちで決めようとしたら、中央の方から切り捨てられ、そうなったら地方・地域が成り立たなくなる。そういう恐怖が支配している。それゆえに、むしろ地方の側から中央にしがみついて逃さないようにすることの方が大事ではないか。そういう考えになる。
 <国による支配と地方の依存>構造は、このような意識によって支えられている面を持っているのではないか。たしかに支配には実体がある。しかし同時に、そういう支配を支える意識がある。その意識を対象化すること自体の重要性を強調したい。
 これまでの開発政策の問題も、原発の問題も、それをただただ上から押しつつけられただけで成り立つものではない。こうして、支配と依存の関係に組み込まれ、その中心に原発があった。だから、そこから転換しようにも簡単には転換できない体質にさせられてきた。


(四) 知事選の結果と「脱原発」


 さて、【Ⅰ】~【Ⅲ】で、プルサーマルの受け入れ決定および原発事故への対応において、出向官僚の内堀氏の動きを検証し、【Ⅳ】(一)~(三)で、<中央による支配、地方の依存>構造とそこからの転換の可能性、および住民の意識にかかわる問題を見て来た。
 最後に、以上の論及に踏まえつつ、出向官僚であり原子力行政に深く関わってきた内堀氏が知事に当選した福島知事選挙の結果を振り返ってみたい。
昨年10月26日に投票が行われた知事選の結果は内堀氏の圧勝であった。上で見たように、総務省の官僚であり、プルサーマル受け入れや原発事故への対応を指揮してきた人物である。
 ちょうど同じ時期に沖縄では、辺野古に新たな米軍基地の建設を強引に推し進める国に対して、それに反対する翁長候補が、容認の現職候補に大差をつけて当選し、大きな変化を見せている。対照的に、福島はどうなっているのかと見る向きは県内外にある。


福島県知事選の投票結果
49万0384内堀雅雄
12万9455熊坂義裕
 2万9763井戸川克隆
 2万5516金子芳尚
 2万4669伊関明子
 1万7669五十嵐義隆
有権者数:159万9962人
投票総数: 73万3625人
 投票率:  45.85%



  ◇「レールが敷かれる」

 知事選をめぐる状況について、歎息をもって見ている南相馬市の住民が、次のように説明してくれた。
 「もうレールが、ビシッと敷かれるというか、はっきりと(中央の意思が)わかるんだよね。それに対して、どうしろというんだい。そういう気持ちなんだ、多くの人は・・・」
 「レールが敷かれる」とは、選挙が告示される前に、候補者を「オール福島」で一本化する動きがあったことを指す。自民党県連が候補者選びの過程で分裂したが自民党本部が介入し、また、民主党も独自の候補出馬の動きがあったが潰され、そして、大熊町、双葉町など、原発の立地町であり深刻な被害を受けた自治体の首長らが内堀副知事の出馬を要請するという儀式をもって、内堀氏の出馬が決まった。この時点でほぼすべてが決まった。県民にとって、知事選の本番に入る前に候補者の選択が絶たれてしまっている。
 住民に選択を許さない。ここに中央による支配の姿がよく現れている。

  ◇住民の投票行動

 たしかに、投票率45.85%と史上2番目の低さという事実はある。内堀氏は得票率では66.8%だが、有権者数160万人から見たら、内堀氏への投票は49万人で30.6%、棄権数と他候補への投票数を合わせると、111万人で69.35%。
 しかし、そういう中であれ、49万人の有権者が内堀氏に投票している事実を過小評価するべきではないだろう。
 棄権数と他候補への投票数を合わせて111万人の有権者が内堀氏の名前を書かなかったという点を強調する見方もある。しかし、棄権をすべて内堀氏への批判とするのは無理があるだろう。棄権には内堀氏への消極的な承認も少なからず含んでいる。
 やはり、住民の中の多数が、投票ないし棄権という形で、内堀氏を選択し承認したというものとして結果を見据える必要がある。そして、そこには、<中央>を意識した選択があったと見るべきだろう。
 
  ◇脱原発の候補は選択肢ではないのか

 さらに、「脱原発」を掲げる候補が何人か出ていたが、それは住民にとって選択肢ではなかったのかという問題である。
 残念ながら、その候補者は、多くの住民にとって選択肢に入らなかった。
 「脱原発」は争点ではないのか。脱原発ということが原子力の是非の問題として言われているのだとすれば、そのスローガンはやはり住民の多数とはかみ合わないのではないだろうか。
 それを理解するためにも、次のことを考えてみてみたい。
 「企業誘致が進まない中で、財源確保、雇用確保に原発は必要」【*1】。これは、双葉郡の首長らが、プルサーマル推進を要求したときに出た言葉で少し古いが、ここに原発に依存する論理と心理が滲んでいると思う。
 この首長らも含め、原発の利権にまみれている人びとのほとんどが、原子力に対して信念や確信をもっているわけではない。ただ原発を受け入れることで付随してくる交付金、寄付金、公共事業などが必要なんだという話だ。そこにある論理というより心理は、原子力がいいとか悪いとかという判断はしないで、それどころか危険も限界も承知の上で、原子力であろうが、ハコモノであろうが、先端産業であろうが、なんでもいいから、中央に依存して生きて行くしかないという呪縛であり、中央に依存して行けば恩恵がもたらされるという幻想である。
 その呪縛と幻想は、3・11以降も依然として継続している。
 問題は、「脱原発」を掲げて出馬した候補が、こういう呪縛と幻想を打ち破るような対抗軸になっていないことだ。あるいは、そもそも、原発を成り立たせてきたものが、このような呪縛であるという点を捉え損ねている、つまり、「脱原発」のスローガンが、原発に依存する側の論理を捉えていないのではないだろうか。
 「脱原発」は、脱<中央による支配、地方の依存>構造という問題として打ち出されてはじめて住民の多数の気持ちを捉えていく。中央依存の世界とは180度転換し、中央から自立した世界へ進む。政治も経済もその重心をグローバルから地域に置き換える。成長を追い求めるのではなく定常的な社会に移行していく。中央集権ではなく地域自治を、上から下ではなく下から上へのシステムに作り替えて行く。そういう文明的な転換を進めて行くという希望が必要なのだ。
 誤解なきようにいえば、こういうスローガンを掲げれば選挙で勝てたという話をしているのではない。そういう転換ということがいかに重いものであるかを福島の歴史は示している。しかしまた、福島の歴史を学べば、やはりどこかで転換が必要であるし、可能であるということも見えてくるはずだ。
 そして、そういう文明的な転換が、地域の中での運動として姿を現していくとき、呪縛からの解放が始まっていくのではないだろうか。

*1 『福島と原発』 福島民報社 2013年6月

                                    【了】






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テーマ:「原発」は本当に必要なのか - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/03/07(土) 16:00:00|
  2. 福島県・行政
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【論考】福島における原子力と官僚支配〔上〕 ~出向官僚の内堀氏が福島県知事に~

【論考】 福島における
原子力と官僚支配 〔上〕

~出向官僚の内堀氏が福島県知事に~ 



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 昨年10月、福島県で知事選挙が行われ、内堀雅雄氏(50才/写真上、昨年10月2日の公開討論会)が当選した。
 少し時間は経過しているが、内堀氏が総務省からの出向官僚であり、福島県の原子力行政と原発事故対応に深く関わってきた人物であるというところに本稿では注目したい。

          ・          ・          ・

★内堀氏の略歴

1986年東大経済学部卒、自治省入省、佐賀県庁、消防庁、福井県庁、大蔵省への出向後、2001年に福島県庁へ
2001年4月生活環境部次長
2002年4月生活環境部長
2004年4月企画調整部長
2006年12月副知事
2014年10月副知事退任、知事選出馬


 福島県知事になった内堀氏は、総務省の官僚で、2001年に福島県庁に出向し、佐藤雄平知事の下で副知事をつとめてきた。出向は通例2年から3年程度で本省に戻ることからすれば、異例に長い。そしてついに知事にまで上り詰めた。
 ちなみに、全国で中央官僚出身の知事は、2015年1月末時点で47都道府県中29人。福島県政史上では、官選知事を務めた石原幹市郎が、戦後、公選に移行した最初の選挙で当選して以来になる。
 ところで、内堀氏は、福島県庁では、生活環境部次長、同部長、企画調整部長、副知事と要職を歴任している。生活環境部も、企画調整部も、県の原子力行政の中心だ。【*1】内堀氏がその部局に在任する過程は、2002年のプルサーマル受け入れの白紙撤回から、佐藤栄佐久知事の辞任・逮捕と、福島県がプルサーマル問題で大きく揺れ動いた時期とちょうど重なる。また、その後、佐藤雄平知事の下で、2010年8月にプルサーマル受け入れ表明に至り、その半年後に東日本大震災と福島原発事故に直面するわけだが、佐藤雄平知事体制を実質的に取り仕切っていたのが内堀副知事であった。

*1 生活環境部の下には、原子力安全対策課や原子力センターがあり、安全対策、災害対策とともに「原子力に係る知識の普及啓発」「原子力に係る広報」を担当する。また、企画調整部の下には、エネルギー課や原子力等立地地域振興事務所があり、「原子力発電所の立地調整」「立地地域の振興」を担当する。(『原子力行政のあらまし』(2010年10月 県生活環境部原子力安全対策課)より

     ・      ・       ・

 ★目次
【Ⅰ】 プルサーマルと内堀氏
(一) 佐藤雄平知事の参考人聴取
(二) 津波対策を外す工作
(三) 副知事が決定的な役割
【Ⅱ】 人命より秩序維持を優先
(一) SPEEDIデータ消去
(二) 虚偽の広報をしようとした証拠
(三) ヨウ素剤の投与を妨害
(四) 官僚の行動と心理
【Ⅲ】 地方出向による支配
(一) 地方出向の状況
(二) 地方自治体の意思決定に介入
(三) 福島県への出向の実態
‥‥以上は今回〔上〕に、以下は〔下〕に掲載‥‥
【Ⅳ】 <中央の支配、地方の依存>構造 
(一) 中央主導の東北開発の歴史
(二) 転換の可能性はあるか
(三) 中央を意識する意識
(四) 知事選の結果と「脱原発」


 【Ⅰ】~【Ⅲ】では、プルサーマルの受け入れ決定および原発事故への対応において、出向官僚の内堀氏の動きを検証する。そのことを通して、中央省庁による地方自治体に対する支配とそこにおける出向官僚の役割という問題を抽出しつつ、日本の政治経済社会のあり方を規定する官僚制というテーマを考えたい。
 ただ、福島県の場合、中央省庁と地方自治体の一般論だけではとらえきれない問題がある。というのは、明治以来の近代化の歴史、敗戦から高度成長を経て今日に至る歴史の中で形成されてきた、中央と東北・福島との関係――ここで中央という場合、中央政府と中央資本を総称する概念とする――<中央による支配、地方の依存>構造という問題を避けることができないからだ。この問題について【Ⅳ】で論及し、最後に、知事選の結果を通して、脱<支配・依存>構造と官僚制支配を越えていく可能性というテーマを考えたい。
 なお、掲載は上・下の二回に分けて、【Ⅰ】~【Ⅲ】は今回、【Ⅳ】は回を改めて掲載したい。



【Ⅰ】 プルサーマルと内堀氏



 福島県は、佐藤栄佐久知事の下で、1998年にプルサーマル計画【*1】を事前了解としたが、2002年に計画受け入れの白紙撤回を表明。その後、曲折を経て、佐藤雄平知事の下で2010年に受け入れを表明した。
 その間、資源エネルギー庁をはじめとする政府、原子力推進派の団体、自民党県議団、立地自治体の首長などから強い圧力が加えられ続けた。極め付けは、受け入れに反対した佐藤栄佐久知事に対して、収賄事件の捏造が行われ、辞職と逮捕に陥れた事件だろう。【*2】
 8年がかりの圧力で、県政の転換が図られていった。このとき、佐藤雄平知事の体制が発足した直後から、事務方トップの副知事として県庁を取り仕切っていたのが内堀氏である。
 内堀副知事の県庁内での実権を伺わせる証言が当時の雑誌記事に残っている。
 「もっか県庁内で(県の幹部職員が)一番信頼を寄せるのは内堀副知事。佐藤(雄平)知事は人事と施策の両面を内堀副知事に任せ切りだが、こういうやり方だと、部課長は知事を差し置き、実質的に采配を振るう副知事に目を向けることになる・・・」【*3】
 さらに、2012年に行われた国会事故調査委員会の参考人聴取の場で明らかにされた次の事実を見てみたい。プルサーマル受け入れに至る過程で、内堀副知事の果たした役割が鮮明になる。

*1 使用済み核燃料を再処理して取り出したプルトニウムにウランを混合して核燃料として再利用する。核燃料サイクルが破綻し原子力政策が行き詰まる中で出てきた苦肉の策で、合理性、経済性はなく危険は大きい。
*2 裁判では、有罪が確定(2012年10月16日、最高裁で懲役2年、執行猶予4年)しているが、以下の文献などからえん罪であり国策捜査であると考えられる。
 『それでも私は無実だ!!』高橋 豊彦 財界21 2008年8月
『知事抹殺』 佐藤栄佐久 平凡社 2009年9月
*3 雑誌の取材に対する自民党県会議員の発言(『政経東北』2010年1月号)


(一) 佐藤雄平知事の参考人聴取


 国会事故調が、2012年5月に、佐藤雄平知事(当時)に対して参考人聴取を行っている。そこでは原発事故に対する県の対応の問題などともに、県が、2010年にプルサーマル受け入れを正式に表明する際の国とのやりとりに関する聴取が行われた。そのような聴取が行われたのは、国会事故調の側に次のような問題意識があったからである。
「私ども(国会事故調)がやはり一つのチャンス(であった)として考えておりますのは、プルサーマルの導入のときだったと思うんですが、このときにやはり津波対策というのが条件になっていれば今回の事故を防げたという可能性を指摘する声もあるわけなんですけども、ちょっとその間の事情を少し伺いたい」(国会事故調・野村修也委員)【*1】
 そして、野村委員の側からは二つの論点で疑義が出される。
 一つは、福島第一原発3号機の耐震バックチェックで津波対策が外されているが、それはどうしてなのかという点。いま一つは、耐震性バックチェックについて、原子力安全・保安院だけでなく、原子力安全委員会の双方によるダブルチェックにすべきだと、福島県の中で議論されていたのに、実際には原子力安全・保安院だけのチェックになったのはどうしてかという点である。

*1 「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会会議録」


(二) 津波対策を外す工作


 当時、県は、プルサーマル受け入れの条件の一つとして、プルサーマルを導入する3号機について、耐震バックチェックを求めた。
 バックチェックとは、一般に、新しい基準が策定されたとき、旧い基準でつくられた機械に対して新基準に照らして調査・審査を行うこと。国は、原子力安全委員会(当時、現・原子力規制委員会)の定めた耐震指針が適用されていない旧い原子炉について、耐震性のバックチェックを行うように指導していた。
 そして、福島第一原発5号機のバックチェックにおいては、貞観津波(869年に東北地方の太平洋側を襲った大津波)について言及され、対策の検討が必要であるとされていた。つまり3・11以前に3・11級の津波という問題が俎上に載せられていた。そして、3号機の耐震バックチェックついても、5号機で行われているチェックと同程度のものを県は求めていた。  
 ところが、実際の3号機の耐震バックチェックでは津波対策が外されていた。そして、そのことに県の側が気づかなかったのか、あるいは故意なのか、問題にしていなかった。非常に不可解である。
 先回りして言えば、3号機は、5号機より古く、津波に対してより脆弱であり、津波対策のチェックが行われれば、その点が問題になってプルサーマル導入にストップがかかるだろうということを、資源エネルギー庁や原子力安全・保安院の官僚たちが危惧して、3号機については津波対策が問題にならないようにする工作を行っていたのだ。

  ◇知事を外して裏で官僚が動く

 この点について、国会事故調と佐藤雄平知事との間で以下の質疑が行われた。〔下線は引用者〕
野村委員:(知事と経産大臣との会合で)3号機も(耐震性バックチェックを)やらなくちゃいけないのかという大臣の問いかけに対して、知事の方から、3号機をやるということを前提にこれまで福島県では検討してきたので3号機なんですということをお伝えになった。
 佐藤知事:はい。
 野村委員:・・・その後、(福島県の)事務方の方に資源エネルギー庁の方から、一体この三条件(プルサーマル導入の条件、耐震、高経年、MOXの健全化)を確認するためには何をすればいいのかということについて問い合わせがあったと思うんですけども、そのことについて知事は御存じですか。
佐藤知事事務的にはやっていたそうですが、しかし具体的には何を確認するんだというふうなところは私どものところには聞こえておりません」
野村委員:・・・5号機の方の耐震バックチェックの中間報告の中で津波が取り上げられていたということは御存じなかったでしょうか。
佐藤知事:それは存じておりません」
野村委員:なぜか3号機の方の耐震バックチェックの中間報告には津波の言及はないわけです。その場合、5号機の中間報告と同程度の確認をという御希望をされていたとするならば、それを照らし合わせて不足を述べるというチャンスもあったかと思うんですが、そのようなことは確認をされなかったんでしょうか。
佐藤知事:それは確認しておりませんでした」
野村委員:まさにこのこと(耐震性バックチェックで津波対策が必要であるかどうか)について知事のお考えを聞けば、・・・保安院の検証が津波対策に及んでいないことを指摘されるのではないかということを、保安院内部等では検討している形跡もあるわけですかが、そのことについて知事御自身にお問い合わせがあったというような事実はございませんでしょうか。
佐藤知事:ありません」【*1】

*1 『東京電力福島原子力発電所事故調査委員会会議録』

  ◇知事への対応策まで

 このやりとりから分かることは、まず、佐藤雄平知事が、プルサーマル受け入れに関わる重要な案件について、事務方に丸投げして、掌握も決裁もしていないという驚くべき事実だ。
 しかし、さらに、問題なのは、福島県の事務方と、資源エネルギー庁、原子力安全・保安院の間で、<知事にここを突っ込まれたらどうするか>とか<そこを突っ込まれないようにするにはどうするか>といった検討を裏でやっていたことが窺われるということだ。
 3号機の津波対策をチェック項目から外す工作が、裏で行われていたのだ。


(三) 副知事が決定的な役割


 さて、耐震バックチェックに関してもう一つの問題である。
耐震バックチェックの検証を原子力安全・保安院に任せたのでは不十分ではないかという声が福島県の中にあった。それは、原子力安全・保安院が、推進側の経産省の下にある機関だからだ。そういうことから、原子力安全・保安院とは別に原子力安全委員会にもチェックをさせて、ダブルチェックにすべきだという方向に、県の側の意見はなっていた。
 しかし、実際には、ダブルチェックは行われなかった。これも不可解である。
 これも、3号機について津波対策が問題にならないようにする工作だった。そのことが以下のやり取りで、よりはっきり出てくる。そして副知事の決定的な役割も明らかになる。

  ◇安全委員会のチェックを外す工作

野村委員:ここ(ダブルチェックの問題)も推進側の方の経済産業省にとってみると大変難しい問題と考えていた節がございまして、ダブルチェックを(県が)要求しますと、当然これ保安院とさらに安全委員会ということになりますから、安全委員会の方は、当時の知見としてこの耐震バックチェックの中間報告の段階でも津波についてより深めた検証を要求すべきではないかという考え方を持っていた可能性があるわけなんですが・・・。
 しかし、保安院の方では、それをやはりダブルチェックをさせるとそういう問題がでてきて、このプルサーマルの導入というのに一定程度の制約が掛かる可能性があるという思いがあったように思われるわけなんですが、そのことについて保安院側の方が福島県の方に問合せをされているんですが、御対応された方はどなたか御存じですか。
佐藤知事:こういうことです。ダブルチェックが必要であるかどうかと、そういうふうなことについては国の方に任せていたということです。
野村委員:国の方に任せているんですけれども、当然これ、知事に確認して、ダブルチェックは御希望ですかということを聞くと、知事の方としては、だったらやってくれというふうに言うのではないかというふうに国は懸念しているわけですね。そこで、何も確認しないで進めるわけにもいかないので、福島県に問い合わせているんですが、そこの部分は御存じないですね。
佐藤知事:聞いていないですね。
野村委員:聞いていないですか。
 国の方の資料によりますと、副知事にまでは相談したと。副知事には相談したんだけれども、そこではとりあえず強い要望がなかったので、これで確認をしたということにしようと
 つまりこれ以上もう一歩知事に聞けば、議会でも・・・ほかの方が御答弁されているわけですけれども、ダブルチェックが必要なんではないかと・・・。・・・ですから(国の方としては)何か(知事が)要望してくるんではないかという思いがあり、一応副知事に確認したので、ここで確認が済んだことにしようといったような趣旨の資料が散見されるわけなんです。・・・」【*1】

*1 『東京電力福島原子力発電所事故調査委員会会議録』

  ◇裏工作で動く官僚の中心に内堀副知事

 このやり取りでわかることは、経産省や原子力安全・保安院が、プルサーマル導入のために、耐震バックチェックから津波対策を外すことに全力を挙げていたことであり、津波対策が行われないことを佐藤知事が気づかないようにするとか、安全委員会のチェックが入らないようにするといった工作に腐心していたということだ。【*1】
そして、佐藤知事は「国に任せていた」と言っているが、その実態は、県の事務方と資源エネルギー庁と原子力安全・保安院の官僚がすべてを取り仕切っており、その中心に総務省の出向官僚である内堀副知事がいたということだ。

*1 なお、津波対策のチェックを避ける工作に腐心するということは、そもそも、経産省や原子力安全・保安院が、3号機が津波に耐えらないという認識を当初から持っていたということを逆の側から証明する重大な事実だ。


 
【Ⅱ】 人命より秩序維持を優先



 プルサーマル受け入れにおいて、内堀副知事の果たした役割を見てきたが、実際に原発事故が発生したとき、内堀副知事などの官僚たちが何を考え、どう動いたかを次に見ていきたい。
 原発事故に対する福島県の対応は、県民の怒りと不信を買っているが、そこにおいて内堀氏の果たした役割はどうだったのか。
 ここでは、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)のデータを県が消去した問題を中心に、さらに「健康被害はない」と断定する虚偽広報の問題、ヨウ素剤投与の妨害について検討したい。


(一) SPEEDIデータ消去

 
 SPEEDIは、放射性物質の拡散を予測し、住民の避難に役立てるシステムだった。そして、県に、文科省から拡散予測データが送られていた。しかし、県は、受け取った予測データを住民避難のために役立てることなく、その画像メール計86通のうち65通を消去していた。
 この問題は2011年6月の県議会でも取り上げられているが、その理由を問われて、荒竹生活環境部長が、「提供を受けた時点で既に過去のデータであったこと、また予測の前提となる放出量データが現実と著しくかけ離れた数値と考えられたこと、さらには本来公表すべき国が公表していないことなどから、(県も)公表を差し控えたものであります」【*1】と釈明している。2011年3月時点では荒竹氏は生活環境部の次長で、2011年4月に内堀氏と同じ総務省から出向している官僚だ。
 そして、この問題について追及を受けた内堀副知事は、「拡散予測につきましては、文部科学省からの提供の有無も含めて、当時私は報告を受けておりません」【*1】と関与を否定する答弁をしている。しかし、これを言葉通りに受け取ることは到底できない。

*1 2011年6月27日 県議会定例会 福島県ホームページ

  ◇内堀副知事は対策本部長
  
 県は、災害対策本部と原子力現地災害対策本部の二つの本部で災害に対応し、災害対策本部がほとんど地震・津波への対応にかかりきりになる中で、原子力現地災害対策本部が、原子力災害の対応にあたった。その本部長が内堀副知事である。
 さらに、県の原子力現地災害対策本部は、政府が設置した原子力災害現地対策本部と合同で原子力災害合同対策協議会を開催し、情報の把握と共有や対策の協議を行っていた。政府の方からは、原子力安全・保安院、文科省、原子力安全員会、自衛隊などの幹部・担当職員、さらに東京電力の幹部・担当社員などが参加していた。本部は、当初、大熊町のオフサイトセンターに設置されたが、機能不全と空間線量の上昇のため、ほどなく県庁の方に移動している。
 こうして見ると、内堀副知事は、原子力安全・保安院や文科省などとともに、拡散予測などの情報を扱う中心にいたのだ。報告を受けたか受けていないかなどという外在的な立場ではなく、すべての情報を検討し判断し指揮をする立場にいたということだ。
また、上で見た荒竹生活環境部長の釈明では、当時、生活環境部次長だった荒竹氏が「公表を控える」という判断をしたかのように読めるが、次長の独断でそういう判断をするということはあり得ない上に、副知事と生活環境部次長のラインがともに総務省からの出向官僚であるということから見ると、むしろそこに内堀副知事と荒竹次長の共通の意思が働いていたと見る方が妥当だろう。

  ◇拡散状況は把握できた

 問題をSPEEDIのデータを公表したかどうかに切り縮めると核心を捉え損ねてしまう。このとき求められていたのは、何らかの方法で放射性物質の拡散状況を把握し、それを元に、避難のための情報をできるだけ早く住民に提供することだったはずだ。
 福島第一原発の電源が喪失し、ERSS(緊急時対策支援システム)が停止しため、放出源情報が得られず、SPEEDIの予測計算も不確かなものにならざるを得なかったのは、国会事故調も報告書で述べており、その通りだろう。
 さらに、24カ所中23カ所のモニタリングポストが地震・津波によって使用不能、可搬型モニタリングポストも通信障害、モニタリングカーもガソリン不足と、何百億円も費やして備えは万全と主張してきたシステムが、ことごとく役に立たなかったのは事実だ。
ではデータが全くなく、お手上げだったのか。そうではなかった。
 文科省は、3月15日午後8時頃、浪江町の20キロライン付近で放射線量を測定している。測定値は、赤宇木(あこうぎ)近くで毎時240マイクロシーベルト。どうしてこの場所を選定したかというと、SPEEDIの予測データからだ。つまり不確かさはあれ、SPEEDIの予測を元に実測すれば、原発から北西方向に、高濃度の放射性物質が拡散していたことを把握できていた。遅くとも3月15日の時点である。【*1】
 また、これとは別に県も、放射線モニタリングを行っており、高い空間線量の地域があることを確認し、15日に原発から35~45キロの地点で採取した葉菜からキロ当たり100万ベクレル以上という高いヨウ素の検出を確認している。【*2】
 その後も、国や県その他の機関が測定を重ねており、全身防護服で測定する職員の姿を目撃したという住民の証言はいくつもある。
 そして、県は、国や東京電力からの情報を、連日開催されていた原子力災害合同対策協議会の場などで把握・共有していたことは間違いない。
 にもかかわらず、住民には、その情報は伏せられた。津島地区には、浪江町の住民が多数避難していた。飯舘村では、浜通りから避難してきた被災者に対して、村を挙げて救護を行っていた。しかし、県は、住民が高線量の汚染地帯に向かって避難し、そこに留まっていることに対して、なんらの措置もとらなかった。

*1 東京新聞「こちら特報部」2011年7月6日
*2 『東京電力福島原子力発電所事故調査委員会報告書』


(二) 虚偽の広報をしようとした証拠


 県は、放射性物質の拡散状況を把握できていたのに、住民に情報を出さなかっただけではない。県は、「健康被害はない」と断定する虚偽の情報を流そうとしていた。その証拠が、東京電力がマスコミに公開した社内テレビ会議の記録映像に残っていた。東京電力本店広報班が東京電力本店に行った問い合わせだ。
「・・・福島事務所からちょっと依頼が来てます。・・・次回発表するプレス文に、福島県庁、具体的には県知事から次の文言を入れてほしいとの話がありました。読み上げます。『これから天候が崩れる予想だが、いま北西の風が吹いており、観測された放射線量から健康被害が出る心配はない』という文言を入れてほしいと。これ、言いたいのは山々なんですが、こういうことでいいのかお諮りしたい・・・」【*1】
14日午後1時20分頃の東電本店と本店広報班とのやり取りの記録の一節。福島県からのこの要請に対して、さすがの東電本店も「ここまで言い切るのはリスキー」という判断をしている。
これが記録されたのは、3月14日11時頃の3号機の水素爆発の直後のことだった。さらに、15日になると、2号機ないし3号機から、事故の過程でももっとも高い濃度の放射性物資の放出があり、南東の風にのって原発から北西方向に、つまり、津島地区から飯館村方向に流れて行った。
県はSPEEDIのデータは不確かだと言って公表しないが、不確かどころか、東電も躊躇するような全くの虚偽情報を広報しようとしていたのだ。
ここに、原発事故と放射能問題に対する基本姿勢のようなものが垣間見えている。

*1 福島民報2012年8月10日「3号機爆発『健康被害はない』」
『東電テレビ会議 49時間の記録』 岩波書店 2013年9月
 


(三) ヨウ素剤の投与を妨害


 県の防災計画では、ヨウ素剤の予防服用を指示することになっているが、県は服用の指示を出さなかった。
 それに対して、三春町は、15日に原発から東風が吹き、放射性プルームが三春町を通過するという情報を独自に収集、14日にヨウ素剤の服用を決めている。人命を尊重した的確な判断だと思われるが、県は、三春町に対して、「国の指示がない」と服用の中止を求め、回収の指示を出していている。
 それだけではない。県は、三春町には中止と回収の指示をしているのに、県立医大の被ばく医療に携わる医師や看護師、さらに被ばく医療に関係ない職員や学生、家族にヨウ素剤を配布・服用させて、その上、配布・服用についてかん口令を敷いていたというのだ。看過できないダブルスタンダードだ。【*1】

*1 「子どもたちの健康と未来を守るプロジェクト」郡山代表・武本泰氏 河北新報「原発事故対応 批判続く」2014年10月4日
 

(四) 官僚の行動と心理


 SPEEDIデータ消去、あるいは、「健康被害はない」という虚偽広報やヨウ素剤投与の妨害という問題について、内堀副知事が直接指示をしているという具体的な証拠は今のところない。しかし、内堀副知事が、平時から県庁内の実権を握り、原発事故に際しては原子力現地災害対策本部長の立場で指揮を執っていたのは紛れもない事実だ。そして、SPEEDI問題をはじめとした県の対応の中に、一貫した姿勢が貫かれているということが見えてくるだろう。
 県の対応は、混乱の中での対応の拙さや判断の誤りという次元ではない。むしろ、原発事故と放射能問題に対して、確固たる考えに基づいて行動しているということだ。
 それは、何か。
 「放射性物質の放出源などが不確かで、信頼性がなく、公開で国民がパニックになる懸念がある」【*1】
 これは、SPEEDIのデータを公表しないという判断について、文科省の官僚が、細野首相補佐官(当時)に対して行った説明である。官僚が情報を抑え、国民はもちろんだが、官邸にさえ伝えなかった。(しかも米軍にだけは伝えていた。)
「国民がパニックになる」とはどうことだろうか。

*1 2011年5月2日 時事通信 下線は引用者

  ◇官僚が恐れるもの

 この問題に関して、国会事故調が大熊町の住民を対象にしたタウンミーティング(2012年4月22日)で、田中耕一委員が興味深い見方を示している。
「事故調の委員になって学んだことの一つが、いわゆる原子力発電にかかわる方が、意外に、事故は起きる場合もあるというふうに言われたときにショックだったこともありますが、もうひとつ学んだことは、エリート・パニックということがありまして、こういう非常に際どい状況になったときに、住民の方々がパニックになるだろうと、上に立つ人、いわゆるエリートが思って、大切な情報を隠してしまう、そういう心理がある【*1】
 田中委員が使っている「エリート・パニック」という言葉は、恐らく『災害ユートピア』【*2】から引いたものだろう。同書は、災害に関する社会学的な研究で、災害の中で生じる既成秩序の崩壊と市民の間の連帯と協同を分析している。
 それによれば、パニック映画に見られるように、災害に際して、大多数の市民はパニックに陥って我先に逃げようとするものであり、そこにヒーローが現れ、リーダーシップを発揮し人びとを救済に導くというふうに、災害のイメージが一般的にはつくられている。
しかし、実際には、大多数の市民は利他的な精神を発揮していると指摘している。パニックに陥るのはエリートの側であるとして、エリートの心理と行動を次の2点のように分析している。
 ひとつは、<市民がパニックに陥る>という見方は、エリートの本性に由来しているという点だ。競争社会の中で他人を蹴落として頂点を極めてきたエリートの目には、すべての人間が自分と同じように利己的であると見えてしまう。そして、災害に際しても、人びとは、私利私欲に走り、自分本位に振る舞うと信じて疑わない。
 今一つは、社会的秩序の崩壊とエリートの恐怖である。
災害は、社会や政府の中に存在していた対立や矛盾を表面化させる。あるいは政府や政治システムの無能さや欠陥を暴き出す。さらには、エリートたちが災害に際して必要だと考える対応と、市民が求める対応との間にかい離が生じる。
そして、政府や政治家や官僚などのエリートが、災害の中で役に立たないと悟った市民たちは、自分たちで動き出し、互いに連携し、自主的な組織をつくっていく。つまり自分たちで自身を治めるということが始まる。災害の直後は、あたかも政府が打倒されたかのような状況が現出する。
 これは、エリートにとっては、自分たちをエリートたらしめてきた秩序の崩壊である。市民の動きは、自分たちに対する挑戦としか映らない。
 だから、エリートは、自分にとって都合の悪い情報を隠して、あるいは立場を使って情報を操作する。また、自分たちこそが秩序だと信じて、市民の活動を押しつぶす。そうやって、秩序を再構築していくことが、政府の仕事になる。

*1 『東京電力福島原子力発電所事故調査委員会会議録』 下線は引用者
*2 レベッカ・ソルニット 米ノンフィクション作家 2010年12月 亜紀書房

  ◇原発事故という威信と秩序の崩壊

 これは、まさに、内堀副知事ら官僚たちの心理と行動に当てはまると言っていいだろう。つまり、内堀副知事らが恐れたのは、原発事故や放射能の拡散ではなく、そういう事態をきっかけとして、国に対する国民の信任が揺らぎ、国の統治が危機に陥る事態ということだ。情報の統制や操作を行う理由もここにあるということだ。
この恐怖心が、官僚たちの行動を規定する心理なのだ。
 3基のメルトダウンをはじめ4基の原発が同時に危機に陥った。この事態は、単に、原発が物理的に壊れたというレベルの問題ではない。
 日本は、明治以来の富国強兵路線で欧米秩序に挑戦するも、多大な犠牲の上に叩き潰された。敗戦から再び経済力を武器に経済成長路線をもって大国化を追求し、その中心的な国策に原子力政策をすえてきた。しかし、経済成長も一時のあだ花でしかなかった。そして、原子力の夢も妄想でしかなかった。日本の大国幻想を形作ってきた虚構が崩壊する衝撃が、福島原発事故にはある。
 このことをどう受け止めるか。
 官僚は、そこに自分たちをエリートたらしめる秩序の崩壊の危機を感じ取り、県民がその秩序からはみ出して自主的に行動していくことを恐れ、原発事故の事実や危険、その重大さを、必死になって隠し否定しようとしてきた。
 <国民が最後まで国を信じて、静かに犠牲になってくれることを望む><人の命よりも国策と秩序維持を優先する>。これが、内堀副知事らと国の官僚たちの行動を規定した心理だったのではないだろうか。



【Ⅲ】 地方出向による支配



 ここまで、福島県の原子力行政と原発事故対応、そこにおける出向官僚である内堀氏の動きを検証してきた。ここからは、中央省庁からの地方出向による地方自治体に対する支配システムという問題を実態的に見て行きたい。


(一) 地方出向の状況


 国から地方へは総数で1666人、地方から国へは1996人。数の上では、「人事交流」という通りにバランスしているように見えるが、国から地方への人事(【表1】)が課長級以上の高位の職務の割合が高いのに比べて、地方から国への人事(【表2】)は圧倒的に低位の職務に集中しており、やはりその非対称性は歴然としている。

【表1】 国から地方公共団体への出向者数
国から都道府県国から市町村
部長級以上 121 202
次長等  89  48
課長等 303  79
その他 707 117
総数1220 446
            1666
2010年8月15日現在 単位は人/総務省公表資料より

【表2】 地方公共団体から国への出向者数
都道府県から国市町村から国
室長級以上   2   0
課長補佐級 554  17
その他1267 166
総数1813 183
           1996
2010年8月15日現在 単位は人/総務省公表資料より


(二) 地方自治体の意思決定に介入


 明治憲法には地方自治の規定はなかった。知事は府県を代表するとされたが、同時に、地方官官制という勅令によって、知事は、天皇に任命される官吏であり、かつ国の普通地方官庁と位置づけられた。そして、知事は内務省の官僚であり、内務大臣によって任命されるとともに府県庁の組織や人事について内務大臣の指揮監督を受けた。【*1】 
 戦後は、このような制度は廃止され、国による地方人事統制の法制度的な根拠は失われた。
 しかし、戦前とは形を変えて、国による地方自治体に対する支配のシステムが戦後も形成されてきた。そのひとつが、中央官庁の官僚が地方自治体に出向する仕組みである。ここで扱う出向とは、中央省庁が、地方自治体にキャリア官僚を派遣することである。
 『地方出向を通じた国によるガバナンス』【*2と題する論文が、出向官僚による地方自治体に対する支配の仕組みについての実証的に研究している。この節では、この研究の要旨をまとめることで、中央官庁による地方自治体支配の仕組みを見て行きたい。

*1 『行政ってなんだろう』 新藤宗幸 岩浪書店 2008年2月
*2 『地方出向を通じた国によるガバナンス』(東京大学行政学研究会・研究叢書4 喜多見富太郎 2007年3月)以下では『出向研究』と略記

  ◇「指定席」

 特定の省庁から自治体の特定のポストへの出向が長期かつ継続的に行われる。これを一般に「指定席」という。
 このように特定のポストが特定の省庁の指定席になると、そのポストに関する情報や経験、人脈やスキルが出向官僚の間で世襲的に蓄積されていくことになる。
すなわち、そのポストに関する実質的な能力や権限が、自治体から出向元の省庁に移転されていく。

  ◇「準組織」

 さらに進むと、自治体の組織図上の縦系列の決裁ルートに、同一省庁による指定席が複数配置される。同一省庁からの出向官僚が決裁ルートの上下に並ぶことになる。そうなると、「出向者間の意思決定」をそのまま「組織の意思決定」へと転化させることが容易になる。
 そうすると、自治体の当該部局は出向元省庁の「出先機関」化し、意思決定の実質的な権限が自治体から出向元省庁に移転される。『出向研究』では、このような組織現象を「準組織」と呼んでいる。

  ◇「埋め込まれた組織」

 指定席や準組織が配置されることによって、あたかもそこに別の組織が埋め込まれる
ような現象となっている。これを『出向研究』では、指定席と準組織をあわせて「埋め込まれた組織」と呼んでいる。
 「埋め込まれた組織」によって、自治体における情報管理や意思決定が影響を受ける。また、「埋め込まれた組織」では、自治体の人事権が実質的に制約され、一部が国に分属している状態となる。

  ◇地方出向の目的

 では、国は、地方出向を通して何を支配しようとしているのか。主要な点をいくつか挙げる。
 国策上、重要な利害関係のある地域開発プロジェクトの推進である。国は、国自身の目的の実現のために、出向官僚を地方自治体に投入して自治体の動きを促進しようとする。
 自治体が行う意思決定が、国の意思や省益に背くようなものである場合、出向官僚が議論や根回しを通じて未然に防止するよう努め、必要とあらば拒否権を行使し、少なくとも修正を求める。自治体の意思形成に対する介入である。
 出向元の省庁の意思を出向先の自治体の組織的意思として形成させる。準組織が成立していれば効果的に自治体の意思決定を支配できる。
 
 このように、中央官庁は、地方自治体への官僚の出向によって「指定席」や「準組織」をつくり、それをテコにして、地方自治体の情報管理や意思決定や人事に介入し、国策上のプロジェクトに対する自治体の動きを促進し、あるいは、国策や省益に反するような自治体の意思決定を未然に防ぐという工作を日常的に行っているということがわかる。
 『出向研究』によると、自治省・総務省が、このような出向による支配をもっとも系統的に行ってきている。


(三) 福島県への出向の実態


 では、中央官庁から福島県庁に出向している官僚の数と配属はどうなっているか。

【表3】 国から福島県への出向
     /課長相当職以上

年度配属部署・役職出身官庁
2010年度

生活環境部次長総務省
商工労働部
産業創出課主幹兼副課長
経産省
農林水産部
農産物安全流通課主幹
国交省
2011年度保健福祉部
高齢福祉課主幹兼副課長
国交省
2013年度企画調整部次長総務省
農林水産部森林保全課主幹
兼副課長
農水省
※出向してきた時の役職だけが記載されている。
 例えば副知事は総務省出身だが表には反映されていない。
※2009年度および2012年度は国からの出向なし。

【表4】 国から福島県への出向
     /課長相当職未満

年度配属部署・役職(人数)出身官庁
2009年度総務部・係員(1)総務省
土木部・係員(1)国交省
2010年度総務部・係員(1)総務省
土木部・係員(2)
上級係員(1)
国交省
2011年度総務部・係員(1)総務省
土木部・係員(1)国交省
2012年度総務部・係員(1)総務省
土木部・係員(2)国交省
2013年度総務部・係員(1)総務省
土木部・係員(1)国交省


 福島県の情報公開制度によって入手した資料によれば、近年の中央官庁から福島県への出向は、課長相当職以上が【表3】、課長相当職未満が【表4】のようになっている。
 『出向研究』では1972年から1998年までのデータを扱っているが、それと合わせてみても、このような出向が、40年以上同じような規模で続いており、また、他の都道府県とも大同小異であると見られる。
 その配属先を見ると、木村守江知事時代の後半(1972年-75年)では、企画調整部と企画開発部、総務部とくに財政課を中心に配属されている。佐藤栄佐久知事時代の前半(1987年-98年)では、総務部を中心に配属されている。
 また2000年代に入ってからは、総務省から生活環境部への配属が行われている。
企画調整部や生活環境部では、上で見た総務省による「指定席」「準組織」の存在が窺える。つまり、『出向研究』が指摘するところの、<特定のポストへの出向が長期かつ継続的に行われる「指定席」、さらに、縦系列の決裁ルートに同一省庁による指定席が複数配置される「準組織」によって、自治体の当該部局は出向元省庁の「出先機関」化し、意思決定の実質的な権限が自治体から出向元省庁に移転される>ということが起こっていると見て間違いないだろう。
 さらに言えば、2006年から8年にわたって副知事が、総務省出身であった。総務省の影響力が県庁内に広く及んでいたことは間違いないだろう。そして、総務省出身の知事が就任した。知事が持つ人事権や予算編成権などの強い権限により、総務省の支配がさらに強まると見ていいだろう。

        ・      ・       ・

 【Ⅰ】【Ⅱ】で、プルサーマル受け入れ過程および原発事故対応における総務省出身の内堀氏の行動を検証したが、そのことを、出向の実証研究とその実態という面からも、裏付けることができると考える。

 「福島における原子力と官僚支配〔上〕」は以上だが、〔下〕では、<中央の支配、地方の依存>構造という問題から、県知事選の結果の検討に進みたい。


【〔下〕に続く】






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  1. 2015/02/18(水) 12:16:00|
  2. 福島県・行政
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