福島 フクシマ FUKUSHIMA

津波被害と原発震災に立ち向かう人々とともに

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稲ぼっちの隊伍   福島にも収穫の秋  

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 放射能被害に苦しむ福島にも、稔りの秋がやってきた。
 (いわき市内)


 
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川沿いの土手を、郵便屋さんが配達を急ぐ。



里山の田んぼが、黄金色に輝いて見える。

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収穫した稲を乾燥させるために組んだ「稲ぼっち」。
「藁ぼっち」、あるいはただ「ぼっち」ともいう。

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蓑をまとった人たちが、隊伍を組んでこちらに迫ってくるようにも見える。
ユーモラスだ。

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ひとつひとつに、それぞれの表情がある。

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黄金色に輝く稲穂と、花の色のコントラストが見事だ。

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  もっとも―― 
  この一方で、今年の作付けを断念せざるをえなかった農家もある。
 避難を強いられたまま、家も畑も失った農家もある。
 政府基準以上のセシウム検出で、「一生懸命育てた稲の収穫が、こんなに悲しいなんて」と嘆いている農家もある。
 その悲しみのひとつひとつに思いを馳せつつ、あまりにもきれいな福島の秋に見とれた。




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  1. 2011/10/05(水) 11:45:45|
  2. いわき市
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追悼のキャンドル 9月11日 四倉

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 9月11日夜、四倉港・道の駅で、追悼と復興の企画が行われた。
 被災支援に尽力してきた歌手のブラザー・コーンさんやアーティストのキャンドル・ジュンさんらも駆けつけた。

 
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ラビラビというグループ。力強く、心にしみる演奏。
アイヌや沖縄をテーマにした楽曲が多い。


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集まったのは、地元・四倉とその周辺の住民、それに四倉に避難してきている人たち。


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この日、一番のノリだったお父さん。歌詞に涙もしていた。

実は、このお父さんの家は、警戒区域内の富岡町。帰ることができない。
「悔しいよねえ、悲しいよねえ。でも誰の所為でもないんだよねえ・・・」。
お父さんは、久之浜の宿に仮住まいしながら、原発事故処理の作業に従事している。
「なんとかしてやろうとおもってね。帰れるようにしたいんだよねえ・・・」。

このお父さんに、これほどの思いをさせている者の責任は、やはり曖昧にできない。


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気さくに写真に応じるブラザー・コーンさん。


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キャンドル・ジュンさん。とても謙虚な人だった。


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冒頭ともキャンドル・ジュンさんのアート。


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  1. 2011/09/12(月) 15:22:22|
  2. いわき市
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31日未明、震度5強

31日午前3時54分頃、福島県沖を震源とする地震があった。福島県内では、楢葉町と川内村などで震度5強。

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  ゴォーという唸りとともに、突き上げるような揺れ。ついに予想されている最大級の余震かと跳び起きた。揺れは程なく収まったが、「津波は?」「原発は?」ということが頭をよぎった。そう思ったら、鳥肌が立った。
 私に限らず、福島では、多くの人が、こういう心配をしながら暮らしている。
 結果的には、津波はなし。
 ただ「第二原発4号機の排気筒に亀裂」との報道。これはどうなのか。
 また、お年寄りが何人か骨折などをしている。

 (さらに、地震とは別に豪雨によって、新潟と会津地方で大きな被害がでている。)


地震の巣 

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 この日の午後、いわき市湯本町の西にある湯ノ岳の中腹までいった。
 標高400メートル、小名浜が一望できる展望スポットで、カフェレストランを営んでいる佐藤さんを訪ねた。
 
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ここには、三つの活断層(塩ノ平、井戸沢、湯ノ岳)がある。〔写真上〕
 そして、3月11日以降、活発に動いている。
 下の写真の左側の図が昨年の3月から7月までの期間、右側の図が今年の3月から7月までの期間、この地域で発生した地震の震源を、赤い点でプロットしたもの。今年の3月以降の図は、一目瞭然、赤い点で埋まっている。

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 この日の地震の震源は福島県沖だったが、3月11日の後の4月11日、震度6弱を記録した余震の震源はこの断層だった。


山鳴り

 お話を聞いている最中、遠くでドーンという音が響いた。私は、てっきり雷が近づいているのだと思った。違う。山鳴りだそうだ。
 話にはきいていたが、実地で体験すると不気味だ。
 ドッドーン、バキッという音が、日に数度も聞かれるという。 
 地殻のひずみが集中し、岩や地層がそれに耐えかねて跳ねる。そのときに音を出すようだ。そのひずみの様子を示した国土地理院のサイトを見せてくれた。〔写真下の中心部の矢印が示す辺り〕
 
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地震計を設置

 1カ月ほど前、東大の地震研がきて、このカフェレストランの敷地内に、地震計を設置していった。〔写真下〕
 正確に言うと、写真の装置は、地震計のハードやデータ送信機器。地震計そのものは少し離れたところの林の中にある。 

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 ここの三つの断層は、長さが20キロ未満と短いため、一人前の断層として扱われず、しかも12~3万年の単位で動いていないため、「死んだ」と見なされていた。
 だから原発の立地においても、まったく検討から外されてきたという。
 ところが、その断層がにわかに動き出したのだ。
 そしてようやく東大が調査に乗り出してきた。

           ・     ・     ・     ・     ・

 未明の地震といい、湯ノ岳の山鳴りといい、3・11の事態が依然、現在進行形であることを思い知らされた。
  

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  1. 2011/08/01(月) 07:02:50|
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四倉港再興祭

7月9日、10日の二日間、四倉港の道の駅で、四倉港再興祭がおこなわれた。
10日10時のオープン直前に宮城県沖で地震があり、津波注意報が発令。
イベントは一旦中止し、スタッフも参加者も待避をはじめた。

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道の駅の向かいにある消防署から、「津波は見物するものではありません」と避難を呼びかける署員

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不安げに沖の方向を見守る。写真には写っていないが、沖の方の海面に黒い帯があり、それが津波だそうだ。それが立ち上がったら、もう一気に押し寄せつくる。3月11日、その様子を見ていた人がそう語っていた。


2時間ほどで津波警報は解除。津波は来ず、事なきを得た。
午後から、被災者支援の物資を配布した。

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衣類、食器、トイレットペーパーや紙おむつがどんどんはけた。
聞くと、南相馬市や楢葉町などから避難している人もそこここに。親戚や子どもの家に身を寄せているが肩身が狭いという。


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埼玉大学の学生さんで、学内の放置自転車を被災地に送るボランティアをしている人たちも物資の配布に参加


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子どもたちが工作に夢中


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除染に役立つというひまわりも

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  1. 2011/07/11(月) 20:22:05|
  2. いわき市
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いわきのホットスポット 志田名・荻地区 住民が自ら調査し告発

住民が自ら、放射線量を調査し、ホットスポット(局地的に放射能汚染が高い地点)であることを告発している地域がある。いわき市の北端、福島第一原発から約28キロの地点にある川前町の志田名地区と荻地区。

先月18日、この地区を訪ねた。いわき市の中心部から車で2時間近く。車1台がやっとの山道を走りぬけ、なだらかなところに出ると、点在する民家が視界に入る。雨に濡れた新緑の里山がきれいだ。が、6月なのに田植えがおこなわれていないことに気づく。

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 志田名地区の集落。田植えは例年5月20日頃。屋内退避が4月22日に解除になったが、苗が作れずやむなく休耕

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同地区には、44世帯140人が生活する。大半が兼業農家。小・中・高校生も約20人いる。
ここで、放射能汚染の調査と告発の先頭に立つ酒井忠平さん(61)にお会いした。



悔しいよねえ

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酒井忠平さん。34年間農協に勤務。酒井さんの作る山菜の漬け物は町でも人気。しかし今は生産を中止している。
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酒井さんが、自作の「志田名・荻 放射能測定一覧表」を見せてくれた(写真・上)。縦に4月24日から6月13日までの日付け、横に同地区内の9カ所の測定地点。そして測定した数値が記入されている。
一番低い数値で1.03マイクロシーベルト/時。一番高いのは6.39マイクロシーベルト/時。2~3マイクロシーベルト台が一番多い。年間累積にしたら、約18~26ミリシーベルト。飯舘村と同じ「計画的避難区域」に相当する。
ところが、原発事故から3カ月以上経っても、行政は動いていない。住民は、放射能汚染下に放置され、被ばくしている。
「悔しいよねえ。私らがここに住んでいるってことを、行政は全く考えていない。それが悔しくてね」。



何の指示もない


同地区は、3月11日の地震被害はほとんどなかった。だが停電となり、テレビと電話がとまった。酒井さんは、車のラジオで情報を得ていたという。
3月13日あたりから、同地区内を通る国道を、第一原発のある双葉郡の方向から、車がどんどん走り去っていく。だけど、同地区には、何の指示もない。そういう異常な状態におかれた。
酒井さんは、自主判断で、まず家族を避難させ、15日の3号機の水素爆発直後に、自身も郡山を経て、埼玉に避難。3月27日に戻ってきた。



根拠ない「解除」


同地区は、「屋内退避地域」に指定されたが、4月22日、指定を解除。
解除に当たって、同地区の放射線量を調査したわけではない。他方、すぐ隣の川内村は「緊急時避難準備区域」の指定が残った。志田名・荻地区が安全という科学的な根拠は示されていない。住民は不安を募らせた。



エレイことだ


そういう中で、放射線量を自主的に測定する動きが生まれた。同地区で、線量計をインターネットで購入し、測定を始めたのは大越キヨ子さん(62)。大越さんは、4人の孫と暮らしていたが、孫はいま広島に避難。孫が早く戻れるようにと、測定を始めたという。
「これはエレイことだ」。大越さんが測定した数値を見て、酒井さんは跳び上がった。そして、「『毎日、調べるべ』となった。誰かに言われたんでなく、自分たちで始めた」。やがて、「あれ、自分とこ、こんなに高いんだ」と住民の多くがわかるようになってきた。
「もしやらなかったら、行政の言うとおりに、(10キロも離れた)川前支所で測った数値で、『安全だ』とされていた」。



ふざけんじゃないぞ


6月14日には、いわき市川前支所との会合が初めてもたれた。酒井さんは、「(測定結果を)ぶつけてやった。だけど支所からは何もなし。こんな事実があるのに。だから悔しいの」。
挙げ句に支所の職員が吐いた言葉は、「あんたたちは何をしてもらいたいんだ?」。
これには強い怒りを覚えたという。「ふざけんじゃないぞって。そんなことをおれは求めていない。最初の出だしからやれよと。まず、この3カ月間(住民を放置したこと)の謝罪がないと」。



線量計が17.6マイクロシーベルト/時


酒井さんが線量計をもって、車で一帯を案内してくれた。同地区内の観測地点を回り、さらに郡境の峠をこえて川内村に入った。
同地区内では、概ね2~4マイクロシーベルト台だったが、Iさんの田んぼ付近の側溝では、17.6マイクロシーベルト/時という驚愕の数値が。これは年間累積で154ミリシーベルト。ICRP(国際放射線防護委員会)とIAEA(国際原子力機関)の緊急時の放射線防護の基準値=年間20~100ミリシーベルトも超えている。

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ところが、川内村に入ると、放射線量は下がっていく。川内村は、志田名・荻地区より原発寄りで、「緊急時避難準備区域」に指定、住民の多くが依然避難している。原発からの距離とは別に、同地区がホットスポットになっているのだ。

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〔使用した線量計は、校正(標準に合わせること)をしたものではない〕


チェルノブイリに匹敵


酒井さんにお話しを聞いた日の午後7時、志田名集会所に続々と住民が集まっていた。福島の放射能汚染の実態調査をしている木村真三さんが、この間、志田名・荻地区で調査をおこなっていた。酒井さんらの自主的な調査の動きを知って、木村さんが協力したもの。その調査結果が、この日、住民に報告される。

木村真三さんが、NHKの取材クルーとともに酒井さんの家に
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木村真三さん。放射線科学者。チェルノブイリの被害を研究。厚労省・労働安全衛生総合研究所を辞し、福島の放射線汚染測定に奔走。NHK・ETV特集で有名に



第1ゾーン=避難地域


木村さんは、パワーポイントを使い、この間の採取した土壌の分析結果を説明していった。畑、田んぼ、牧草地、小学校の校庭・・・。1平方メートルあたりのセシウム濃度が発表される。数値だけでは実感がわかない。木村さんは、チェルノブイリにおける汚染と規制の区分(※)を対比させながら、その意味を説明していった――
(単位 キロベクレル/平方メートル)
・Iさん畑    1485 これはチェルノブイリでは、第1ゾーン=避難(特別規制)地域に匹敵する値。
・小学校校庭  245 第3ゾーン=移住権利対象地域に匹敵する値。
――すでに自分たちの調査で、ある程度覚悟していたとはいえ、数値の深刻さが分かる毎に、「アー」という嘆息がもれた。

 ※チェルノブイリにおける汚染と規制の区分
    (単位 キロベクレル/平方メートル)
 ・第1ゾーン 1480 ~      
        避難(特別規制)対象地域
 ・第2ゾーン  555 ~ 1480 
        移住義務対象地域
 ・第3ゾーン  185 ~  555 
        移住権利対象地域
 ・第4ゾーン   37 ~  185 
        放射能管理強化地域 

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 13日から15日かけて相次いで水素爆発。15日の風は第一原発から南西方向に吹いており、しかも雨が降っていた。水素爆発で吹き上げられた放射性物質が雲に吸収され、その雲が山にぶつかって放射性物質を大量に含んだ雨を降らせた。その場所が志田名・荻地区だった。



野菜は…子どもは…


続く質疑では、「いつになったら汚染が消えるのか」、「野菜は作ってはいけないのか」、「子どもは・・・」と、すがるような思いの質問が。


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140人の住民のうち、80人以上が集まった

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畜産を営む男性が牧草の汚染について質問


木村さんは、「辛い。『ここには住めない』ということを言うのは」と苦衷を吐露しながら、科学者としての見解を述べていった。と同時に、「しかし見捨てられない。チェルノブイリのようにしない。いまならまだ間に合う」と心を込めて語りかけ、6月にチェルノブイリを訪問した際に、現地の医師から受けたアドバイスを紹介した。それは、①農地は表層5センチを除染すれば、耕作は可能。②子どもには、汚染されていない地域の食品を。③子どもは外から帰ったら、シャワーを浴びさせて―など。
木村さんの話と質疑を受けて、最後に酒井さんが、住民を代表する形で意見を述べた。「『子どもたちがここのものを食べられない』ということは、われわれの後継者が住めないということ。厳しい。集団で移住はある。歯抜けのようになるのが一番悪い。地域の絆が壊れる。4月22日(何の調査もなく)屋内退避を外したのが納得いかない。ふるさとをなくさな いために、よく話し合おう」と、住民の団結した行動を呼びかけた。



徹底的にいく


終了後、参加者が三々五々帰る中で、酒井さんは、「われわれがいろいろ積み重ねてきて、やっとここまで来た。3カ月。今晩の結果を受けて、(政府と行政にたいして)、徹底的にいこうと思っている」とたたかいの決意を語ってくれた。
          ・      ・      ・
この翌日19日には、木村真三さんによる同じ内容の報告会が、いわき市小名浜で開催。900人が詰めかけた。

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  1. 2011/07/05(火) 20:52:47|
  2. いわき市
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