福島 フクシマ FUKUSHIMA

津波被害と原発震災に立ち向かう人々とともに

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

甲状腺がんの患者・家族が声をあげた —家族の会の設立

「『放射線の影響ではない』というなら、何が原因なのかを知りたい。『原発事故の影響ではない』と証明できるなら、はっきり証明をしてほしい」

 小児甲状腺がんの患者と家族が声をあげた。
 東京電力福島原発事故後の県民健康調査で小児甲状腺がんと診断された5人の子どもとその親(5家族7人)が、「311甲状腺がん家族の会」を結成した。
 3月12日、都内で行われた記者会見には、患者の父親2人がインターネット中継で福島から訴えを行い、また、都内の会場では、同会の世話人である河合弘之(弁護士)、千葉親子(ちかこ/元会津坂下町議)、牛山元美(医師)の三氏が会の設立の趣旨について報告した。


KJS001_20160316100351404.jpg 
(左から、牛山元美氏、河合弘之氏、千葉親子氏)

KJS002_20160316100352ff5.jpg 
(インターネットで中継し会場のモニターに映し出された2人の父親)


 2人の父親の会見は、氏名も顔も明かさず、音声も変換して、インターネット中継という形で行われた。父親の話は控え目で、告発や抗議のような言葉もほとんど聞かれなかった。
 ここに患者や家族が置かれている福島県内の状況が示されている。
 「絆」、「復興」、「風評被害」―これらの言葉がメディアから流され、有力者の口から語られ、地域社会の中で唱和される。それが言葉の圧力となり、放射線や健康被害の問題を口にすることが、あたかも「風評被害」を助長し、「復興」の足を引っ張り、「絆」を壊す行為としてはばかられる空気が作り出されていく。
 県民健康調査・検討会議の専門家たち、一部の医師たちが発する「原発事故の影響とは考えにくい」という言葉も同じことだ。患者や家族は被害者であるにもかかわらず、被害を訴えるどころか、自分たちが何か間違ったことをしたかのように思わされ、自分たちを責めてしまっている。そして、誰にも相談することができず、孤立を強いられている。
 患者と家族は、がんを発症するという苦しみ、そして、手術や後遺症の苦しみ、さらに再発の不安の上に、被害者なのに自分を責め、誰にも相談できずに孤立するという二重三重の苦しみを強いられている。
 だからこそ、「『放射線の影響ではない』というなら、何が原因なのかを知りたい。『原発事故の影響ではない』と証明できるなら、はっきり証明をしてほしい」という患者と家族の訴えは重い。 河合弁護士は次のように指摘する。「国や福島県のやり方は、放射能による病気という核心部分を否定することだ。そうすることで、原発事故の損害・被害の全体をなきものにしようとしているのだ。だから、この核心部分を絶対に否定させてはならない。まさに、病気発生という核心部分の事実を明らかにして、『因果関係がある』ということをはっきりさせることが、被害者の救済にも、原発をなくしていくという点でも重要なのだ」(発言要旨は後段で紹介)
 「考えにくい」という言葉を繰り返す星北斗・県民健康調査検討委員会座長(福島県医師会副会長)や鈴木眞一福島県立医大教授らは、患者・家族の訴えに正面から答える義務がある。

 以下は、3月12日の記者会見から、患者家族である2人の父親、牛山医師、河合弁護士の冒頭発言と質疑応答の要旨を掲載する。〔わかりやすくするため、順序は入れ替え、また趣旨を変えずに構成した〕


KJS003_2016031610035325e.jpg 
(超音波による甲状腺検査を実演する鈴木眞一福島県立医大教授。〔被験者役はスタッフ/2012年11月4日郡山市内の甲状腺検査住民説明会〕。鈴木教授は原発事故後に多発する甲状腺がんの検査と手術を担当。
 原発事故当時18歳以下だった約38万人を対象に福島県が行っている甲状腺検査で、これまでに166人が甲状腺がんまたはその疑いと診断。通常に比べて数十倍高い発生率。手術を受けたのは117人〔うち1人は良性〕)



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


【Ⅰ】「何が原因なのか究明を」
        ―患者の父親



KJS004_20160316100355b5a.jpg 
(左側の白い服がAさん。Aさんは10代の女子を持つ父親。右側の黒い服がBさん。Bさんは当時10代の男子を持つ父親。いずれも中通り在住/写真は家族の会より提供)


 がん宣告のショック

―小児甲状腺がんと宣告されたときのお気持ちは?

Aさん:10代の子どもががんと言われまして、私も妻も大変ショックでした。
 それ以上に本人もショックで、大泣きしたというのが事実でございます。

Bさん:うちの場合も、先生からダイレクトに「あなたはがんです」って言われまして、息子も、顔面蒼白になって、椅子に座っていられないぐらい血の気が引いちゃったような感じになりました。
 私も、がんと言われて正直、気が遠くなるような感じで、ひどい思いをしましたけど、息子は、ショックで数日間かなりふさぎ込んでおりました。

―誰かに相談するとかそういうことは?

Aさん:自分の子どもががんであるということは誰にも言えませんでした。子どもも友達には言えません。学校には伝えてはいますが、誰に相談していいかというのもわからなくて、家族だけで悩むということがずっとありました。病院にいったときにちょっと先生と話すくらいで、その他ではもう甲状腺がんの話を出すということが正直できなかった状況です。

Bさん:孤立と言いますか、自分の子どもが実際にがんと診断されて他人に相談できるかと言ったら、たぶんできる人はいないと思います。正直。
 がん、イコール死というイメージが強かったものですから、とにかくもう、本当に恐ろしいというか、怖かったです。

 「放射線の影響は考えにくい」

―県立医大の対応や説明についてどう感じていますか?

Aさん:「放射線の影響とは考えにくい」と言われて、では何が悪かったのかを知りたいというのが本当のところです。
 「考えにくい」というのに何度も検査しているわけで、何でなのかなという思いがあります。
 原因がはっきりわからないので、今後、再発しないかとか、他に転移はしないかとか、それが一番心配なところです。

Bさん:息子の目の前で「あなたはがんですよ」って言われたのは、ものすごくショックでした。10代の思春期の子どもに、ちょっとあの言い方はきつかったという感じがします。
 私たちは、当然ながら甲状腺がんの知識はないので、とにかく藁にもすがる思いで、先生の言うことを聞いて、治療すれば大丈夫なのかなと思っておりました。
 ただ再発ということが払しょくできないのが不安です。

―がんの宣告を受けたとき、医師から、セカンド・オピニオンについての知らせはありましたか?また、がん患者には患者会があるのですが、その紹介はありましたか?さらに、がんの状態についての説明は何分ぐらいでしたか?

Aさん:セカンド・オピニオンについてはっきりした説明はなかったと記憶しております。
 患者会については、甲状腺がんも全部含めた(がん一般の)案内はいただきました。診察時間が10分ぐらいだったので、説明もそれくらいだったと思います。
 医大に紹介された患者会に妻が行ってきました。患者会というより、先生の説明会という感じで、甲状腺がんを持つ親というのは見受けられなかったようです。

Bさん:セカンド・オピニオンについては何の説明もありませんでした。患者会についても知りませんでした。説明の時間は10分以内だったと思います。

―放射線の影響に関してどういう言葉で説明されましたか?

Aさん:診察の時、「放射線の影響はあるのですか?」と訊きましたら、「影響はない」ではなかったのですけど、「考えにくい」という表現で言われました。

Bさん:私の場合は、当然、原発の影響かなと思いまして、訊ねてみたところ、先生は「ありません」とはっきりおっしゃいました。

―小児甲状腺がんが多発していることについて、「過剰診断をしているからでは」という専門家もいますが?

Aさん:確かに検査の精度も上がって、従来なら見つからなかった小さながんも見つかるようになったとは思います。しかしうちの娘の場合、比較的大きな状態で見つかりました。明らかにがんだとわかる形で見つかっていますので、過剰診断とかではないと思います。

 患者・家族を孤立させる圧力

―顔も隠して音声も変えてという形でしか話をすることができない状況についてどう感じていますか?

Aさん:甲状腺がんの原因がはっきりしていませんので、今のところ原因がわからないのでこういう状態になっていると思います。原因がはっきりわかっていれば、いいのですけど。
 それから、福島県では、放射能による風評被害というのもかなり大きくて、放射線とかその辺の言葉を言うと、さらに風評を高めてしまうとか、農産物が売れなかったりとか、非常にその辺が・・・。だから無意識のうちにそういった言葉を言いづらくなってしまっていると思います。

 ◇ケアと原因究明

―政府や福島県、あるいは東京電力に対して訴えたいことは?

Aさん:「放射線の影響とは考えにくい」というのが今の見解ですので、放射線の影響ではないとするならば、他の原因が何なのか、(小児甲状腺がんと診断された)166名の方々の原因を探っていただきたいと思います。

Bさん:放射線との因果関係は極めて低いという見解が出されていますけど、では一体何が本当なのかを知りたいです。

―東京電力に関しては?

Aさん:今のところちょっと思い当たることはありません。

Bさん:東京電力さんが原因だという確たる証拠があるわけじゃないので、そこのところはすいません、控えさせてもらいます。

―患者と家族にとって何が必要ですか?

Aさん:やはり10代の子どもががんと言われまして、非常に落ち込んでしまいまして、それが家族としては一番心配するところです。精神的なケアを充実してもらいたいと思います。

Bさん:今後望むのは、メンタルのケアをやっていただきたいと思います。

― 一番の要求は原因をはっきりさせるということですか?

Aさん:原因はわかっていないのですけれども、原発事故の当時福島で生活していたこと(は事実)。「放射線の影響が考えにくい」というのであれば、それ以外の原因は何があるのかを知りたいです。
 「原発事故の影響ではない」と証明できるのであれば、はっきり証明をしてほしいと思います。(救済というより)まずは原因を知りたいと思います。

Bさん:私も、最初に、根本的な原因が何かを知りたいです。

 家族の会ができて

Aさん:いままで子どもの病気のことは、周りの誰にも言えずに、病院の先生と孤独に話すだけでした。「甲状腺がん家族の会」ができまして、同じ病気の子どもさんを持つ親と、子どもの普段の様子、手術前後の体調のこと、またいろいろな悩み事など、いままで誰にも言えなかったことを話すことができて、本当によかったと思っております。同じ境遇の人たちと話すことで、気持ちが大変楽になりました。私たち家族にとって力強い味方です。世話人の方々の存在も大変力強いと思っております。
 定期的に集まり、情報・意見の交換などができればよいと考えております。同じ立場にある方が多くいると思います。是非、この会を広めていっていただければと思っております。

Bさん:気持ちの分かり合えるみなさんとお話ししただけでも、本当に救われた気持ちでいっぱいです。
 まだまだ大変多くの方々が悩んでいると思いますが、勇気を振り絞ってこの会に参加していただけたらと思います。


【Ⅱ】腫瘍の大きさと
  転移の事実、再発の可能性 
         ―牛山医師



KJS005_201603161003560de.jpg 
(牛山医師は神奈川県内の病院で内科医として勤務。福島県内などで健康相談会に参加、また福島県内の病院で当直支援。2013年にはベラルーシの医学アカデミーで研修も)


 「甲状腺がんは進行も遅く、命に関わることのない悪性度の低いがんだ」と言われていました。しかし、それは中年以降の女性に見られる甲状腺がんの話です。福島原発事故以前、小児甲状腺がんは非常に稀でした。
 チェルノブイリ原発事故後に増えたとされる小児甲状腺がんは、腫瘍が小さくても、リンパ節や肺に転移を起こしやすく、進行しやすいと言われています。
 今回ほとんどの方を手術された福島県立医大の報告を見ると、手術を受けた方の90%以上は、腫瘍の大きさが手術適応(手術をするべきかどうかを判断する)基準を超えていたり、小さくてもリンパ節転移や肺転移を起こしていたり、甲状腺の外に広がりを見せて進行したもので、すぐ手術をしてよかったという症例だったということでした。
 このような事実からすると、甲状腺がんが多数見つかっていることについて、「検診をした所為だ」「スクリーニング効果だ」「過剰診断だ」という意見は、事実にそぐわないと思います。

 「考えにくい」が患者を苦しめている

 では、なぜこれだけ多くの甲状腺がんが福島の子どもたちに見つかったのか。それはまだ全く解明されていません。放射線の影響かどうかも、県の検討委員会の中でさえ意見の相違があり、「影響とは考えにくい」とか、「影響を否定するものではない」と、非常にあいまいな表現をされています。
 患者さんやご家族は、今回診断された甲状腺がんがなぜ起こったのか、とても悩んでおられます。患者さんのお母様は「あの頃の食事が悪かったんだ」「放射能汚染を気にせず食べさせたから」「外で遊ばせたから」、子どもは「自転車で通学したのがいけなかった」と、あるいは「遺伝的なものなのか」とか。みなさん、自分がいけなかったのかと悩んでいます。
 
 セカンド・オピニオンが閉ざされている

 実は手術を受けてそのあとに再発された方も複数おられます。再手術の前に、治療方法についてセカンド・オピニオンを希望される方も当然いらっしゃるわけですが、福島県内では、県立医大に行くようにと言われて、相談に応じてくれる医療機関もほとんどなく、セカンド・オピニオンの実現が困難な状態です。よりよい医療を受けたいという、患者や親の当然の願いを実現させたいと思っております。
 担当医師とのコミュニケーションもうまく取れていない。それをうまく取れるようにもっていっていただきたいと思っております。
 甲状腺がんについて、忌憚のない意見の交換や適切な情報共有をして、できるだけ不安を取り除きたいと思っています。

―県立医大のやり方は、患者を置き去りにしている感じがしますが?

牛山医師:県立医大からは、あまりにも情報が出てきません。では患者さんには心のケアとかをされているのかと思っていましたが、ご家族からお話を伺うと、決してそうではない。いろんな問題点があると思います。家族会で改善していければと思います。

―一般には「甲状腺がんは取ってしまえば大丈夫」といわれていますが、再発とか、後遺症とかがあるのでしょうか?

牛山医師:県立医大の手術では、ほとんどが片側の甲状腺しか取っていません。もう片方は残してあるわけです。そうすると薬を飲まないで済むのですね。でも、残っている方の甲状腺に多くは再発があります。すでに再発している方や再発が疑われている方がいます。
 ベラルーシでも、片方だけ取って、結局、もう片方も取らなくてはならなくなったという方がたくさんいたと聞いています。それは再発しているからです。
 そして手術をされたときは、大体は喉に違和感があったり、物を飲み込みにくいとか、声がかすれるということが多く出てきます。
 再発は、断端(だんたん/切った端)からではなくて、切り取った部位とは離れたところから出ていると聞いています。
 乳腺や甲状腺の場合、最初にがんが出た時点で、どこからがんが出てもおかしくないのです。それは遺伝子の異常が起きているからと言われています。だから組織を残しておくとまたそこからがんが出てくる可能性はあるわけです。甲状腺も最初から全部取った方が安全は安全ですけど、それでは傷が大きくなったり、後遺症を残しやすいので半分は残しておきたい。だけどチェルノブイリの例では、半分残した人が続々と再発して、結局、2回目の手術を余儀なくされて傷も大きくなった。そこは医者として非常に難しいところです。
 では今の環境でなぜ再発が起こっているのか。今の生活の中で新たに放射性ヨウ素によって甲状腺にがんが発生するような条件にはない。セシウムなど他の放射性物質の問題はありますが。とにかく最初に被ばくした時点で、遺伝子レベルで変化が起きている。それがひとつ、またひとつと時間をずらして出てくれば、最初は片方を取ったけれども、また片方に出てくるという形で再発するのだと思います。

―県立医大は「予後(病後の経過)がいい」と説明していますが、それは違うということですか?

牛山医師:いや、(必ずしもそうではなく)チェルノブイリの場合もそうなのですけど、例えば肺への転移の場合、放射性ヨウ素を使った放射線治療をするのですが、それでがんが抑えられ、消えていきます。だから、リンパ腺や肺に転移していると言うと、普通のがんであれば非常に重篤で末期の状態ということになりますが、放射線(由来の甲状腺がん)の場合、そうではないと言われています。
 そこが、「甲状腺がんは楽な、安全な、安心ながん」と言われるところなのですが、しかしがんはがんなのです。放置しておけば命に関わるものになるし、チェルノブイリでも死者は出ています。「安全で放っておいてもいいがん」ではありません。
 何よりも10代の子どもががんだと言われるショックを考えてみてください。

―とくに福島県内の医者の協力はどうでしょうか?

牛山医師:福島の中で、同じように憂いている医者たちはいます。
 ただそういう方たちは、県民健康調査の委託医という資格をとっていて、実際に県立医大の先生方といっしょに検診をされています。そういう方が発言すると、ご自身がやっている仕事がやりにくくなったり、県立医大との信頼関係が難しくなるということで、残念ながら福島の医者の方たちは名前を出すことができません。ただ仲間ですので相談をし合っています。


【Ⅲ】「因果関係がある」と認めさせる
          ―河合弁護士



KJS006_201603161004130c5.jpg 
(河合氏は、数々の大型経済事件を逆転勝利に導いてきた弁護士。現在は脱原発弁護団全国連絡会共同代表。東電の旧経営陣らを告訴・告発し、2月末に旧経営陣3人の強制起訴を勝ち取った福島原発告訴団)

 ◇核心が否定されている

 3・11以降、深刻で大きな被害が出て、ADR(裁判外紛争解決手続)や訴訟が全国で争われています。1万人が訴訟を起こしています。でもそれはぜんぶ財物損害(家屋などの損害)と精神的慰謝料だけです。
放射能被ばくの被害・損害の核心は、放射線から発生した病気です。健康被害などという甘い表現を私は使いません。放射線による病気、とりわけ小児甲状腺がんや白血病が被害の核心です。
 図で書くと〔下の写真参照〕、大きい丸が放射線被害の全体です。その大半を占めるのが財物損害と精神的慰謝料です。でも財物損害も精神的慰謝料も、元は、病気すなわち甲状腺がんや白血病などになるということから発生します。


KJS007_201603161004159b5.jpg 


 だからこの核心部分が否定されると、原発の大きな損害の全体がわからなくなります。
放射能の高いところにいると病気になるから避難するわけです。精神的苦痛も、放射能で病気になるのではないかと不安に感じるからです。だから財物損害も慰謝料も元は放射線による病気というところに核心があります。
 ところが、膨大な損害の核心部分がスポッと抜けて、否定されています。それが大問題なのです。
 核心部分がスポッと抜けるとどうなるか.全部、底抜けになります。「放射能との因果関係は考えにくい」「病気が発生するかどうかわかんない」となると、「家が放射能で住めなくなることもはっきりしない」ということになり、財物損害も慰謝料も根拠がなくなります。それは、結局、「放射能は怖くない」「原発の再稼働をどんどんやろう」という論理になっていくのです。
 すべての被害・損害は放射能による病気というところから発生しているわけですが、その核心部分を否定してしまおうというのが今のやり方だと私は考えています。
 だからこの核心部分を絶対に否定させてはならない。まさに、病気発生という核心部分の事実を明らかにして、「因果関係がある」ということをはっきりさせることが、被害者の救済にも、原発をなくしていくという点でも重要なのだというのが私の考えです。
 「因果関係がある」ということをきちんと社会的にも政治的にも立証していかなければならないとのです。ここはまさに天下分け目の戦いです。

 ◇患者の深刻な分断

 では、なぜこの核心問題が抜けているのか。
 患者の皆さんは、お互いに顔も名前も知らず、団結もなく、完全に分断されてきました。また、現代医療において当然認められるべきインフォームド・コンセント(十分な説明を受けた上で治療に同意すること)やセカンド・オピニオンということが、この間の甲状腺がんの治療過程では、完全に否定された状態にあります。
 「あなたはこういうわけで病気になった。だからこういう治療をする」というふうにやっていくのが今の医療でしょう。ところが、「はい、あなたはがんです。はい、切ります」と。そこで「原発事故が原因なのでしょうか?」と訊いたら、「違います」と言われてしまう。
 そこには、問答無用で恩恵的家父長的な治療はあっても、インフォームド・コンセントはないのです。不安だからセカンド・オピニオンを求めようと思っても、とんでもないことになるという恐怖でそれができない。さらに、セカンド・オピニオンを求められた医者も、福島県立医大や福島県と後で面倒なことになるので、やはり「県立医大に行ってください」となります。
 こうして、患者はセカンド・オピニオンも求められず、完全に分断され、抑え込まれていているわけです。
 僕たちも、何とかアプローチをしようと県立医大や福島県に訊いてみましたが、「とんでもない。個人情報ですから教えられない」と。こうして、166人という数はわかっても、どこの誰か全くわからなかったのです。
 これは本当に憂慮すべき事態だと考えていたところに、カミングアウトしてくれる人たちが出てきてくれました。これはもう抑えきれないのだと思います。
 だから、すべては何から始まるかというと、患者さん同士がお互いに知り合い、どういう状態かという情報を交換し合うところから、始まるということです。

 ◇立証責任の転換を

 現在の国際的な合意は、放射線量と白血病その他の発病率は「しきい値なし」ーここから下は安全というしきい値がないー、それから「直線モデル」ー放射線量と発病率は正比例するーこれが国際的な合意です。IAEAも認めています。
 そして、ある原発から大量の放射性物質が放出されて、その範囲に住んでいる人間が甲状腺がんになったら、原則として、その甲状腺がんはその原発の事故の所為だと認定すべきです。
 もちろん、その甲状腺がんが別の理由だときちんと立証できたら、話は別ですが。例えば、レントゲン検査で、誤って甲状腺に大量の被ばくをしてしまったとか。それは医療ミスです。
 そういう別の理由がキチンと立証されない限り、原則として、原発事故により放出された放射性物質と因果関係があると認定すべきです。
 そもそも<福島原発から発生した放射性物質が、こういう風に乗って流れていって、それがこの子どもの甲状腺にくっついて、そこからがんが発生した>ということを立証するのは不可能です。そういう不可能な立証ができていないということを理由に、「考えにくい」として否定するのは法律的に間違いです。法律的には、因果関係は被害を訴える側が立証しなければならないのですが、本件や公害の場合には、立証責任が転換されるということになっています。
 まさに、「考えにくい」と否定する側が、因果関係を否定する例外的な事由を立証しなければいけないという考え方、そういう判断枠組みを変えないと、被害者は全く救済されないということを私は強く訴えたいのです。

 ◇患者・家族が団結して

 やはりご家族の方が言われたように、因果関係を認めさせることが大事だと思います。
 因果関係が認められないとき、損害賠償ということはおよそないわけです。「治療だけはしてやる」と言うけど、その治療も極めて恩恵的な家父長的な治療になります。それではダメなのです。
 まず「因果関係を認めなさい」と政策要求を出していく。「国と東京電力に責任があることを前提に対策をとってください」と。何かものを頂戴とか、情けをかけてくださいと言っているのでないのです。
 そして、正当な要求を認めてくれということを通すには、被害者が団結しないとダメなのです。個人が孤立している限り、親が訴えても本人が訴えてもダメなのです。患者・家族が結束して申し入れや発言をすると、それは社会的勢力による発言と見なされます。そこではじめて注視され、尊重されるようになるのです。そういうための家族の会だということです。
 もちろん、その基礎にまずはお互いが知り合って情報を交換し、慰め合い、団結する必要があり、それが第一目的です。そうした後に来るものが社会的勢力として自分たちの正当な要求を政策に反映させていくことだと考えています。   (了)






関連記事
スポンサーサイト

テーマ:「原発」は本当に必要なのか - ジャンル:政治・経済

  1. 2016/03/16(水) 16:00:00|
  2. 健康被害
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

【論考】  被ばくとガン  福島第一原発の現場から 第2回

 

【論考】 被ばくとガン 

 福島第一原発の現場から 【Ⅱ】

 

 

 「防護基準を守っていても労災は起こる」――福島第一原発の収束・廃炉作業に従事して白血病を発症したBさんの労災認定(2015年10月)に関して、厚生労働省の担当者が出したコメントである。厚生労働省はさらに以下のように述べている。
 「今回の認定により科学的に被曝と健康影響の関係が証明されたものではない。『年5ミリ以上の被曝』は白血病を発症する境界ではない」[1]
 「労災認定は補償が欠けることがないように配慮した行政上の判断で、科学的に被ばくと健康影響の因果関係を証明したわけではない」[2]
 「防護基準を守っていても労災は起こる」[3]
 労災認定の基準と法定の被ばく限度に関する踏み込んだ言及である。
 すなわち、ひとつは、労災認定の基準(白血病では年5ミリシーベルト以上の被ばく)は健康被害が起こるかどうかの境界線を示すものではないという。
 また、いまひとつは、防護基準すなわち<5年間で100ミリシーベルト。かつ1年間で最大50ミリシーベルト>という法定の被ばく限度について、被ばく限度以下でも健康被害が起こるとしている。
 つまり、労災認定基準にしても、法定の被ばく限度にしても、被ばくによる健康被害から労働者を守る役割は果たしていないということを認めたような発言である。しかし、だとすると、この基準や限度というのは一体何なのかということになる。

     ・         ・         ・

東京電力福島第一原子力発電所の収束・廃炉作業に従事した作業員のガン発症と労災認定を巡って4回に分けて検討しているが、今回【Ⅱ】では、「防護基準を守っていても労災は起こる」というのであれば、その法定の被ばく限度とは一体どういう根拠に基づいて設定されているのかについて考えたい。また、労災認定基準の問題については次回【Ⅲ】で考えたい。


 ◇「労働者を守る」は本当か?


 原子力施設で働く作業員の被ばく限度は法令で定められている。労働安全衛生法に基づいて定められた電離放射線障害防止規則(以下、電離則)で、<5年間で100ミリシーベルトを越えず、かつ、1年間で50ミリシーベルトを越えない>と明記されている。

 ところで、そういう法令を定めた目的はなんだろうか。その点について、厚生労働省作成のパンフレット[4]では、「電離放射線の危険から労働者を守ることを目的としている」「有害な電離放射線から労働者の健康を保護するために、事業者が守らなければならない事項が定められています」と解説している。
 つまり、「電離放射線の危険から労働者を守る」「有害な電離放射線から労働者の健康を保護する」ために、被ばく限度を定めているという。
 一般的な認識としても、防護基準とか法定の被ばく限度といえば、<労働者の健康を守るため>となっているだろう。
 とすると、「防護基準を守っていても労災は起こる」という厚生労働省のコメントの方が、法令の趣旨に反した不規則発言なのか。それとも、「労働者の健康を保護するため」という厚生労働省パンフレットの触れ込みの方が欺瞞なのか。
 そこで、防護基準=被ばく限度がそもそもどういう考え方に基づいて設定されているのかを見てみたいと思う。



 ICRP1990年勧告の論理
  ―「科学ではなく社会的な判断」



 日本の国内法である電離則にある被ばく限度は、ICRP(国際放射線防護委員会)の「1990年勧告(Publication60)」
[5]の下記の結論を取り入れたものである。
 「いかなる1年間にも実効線量は50mSvを超えるべきではないという付加条件つきで、5年間の平均値が年あたり20mSv(5年間で100mSv)という実効線量限度を勧告する」
 ICRPは、各国の原子力推進機関などから助成金を受けて運営される民間の組織で、放射線防護に関する勧告を行っている。1950年代から現在までに、100以上の勧告文書を出している。民間組織の勧告であるから拘束性はないが、原子力を推進する国々は、国内の放射線防護に関する施策において、基本的にこの勧告を取り入れている。
 原発や被ばく問題について考えてきた読者にとって、上述のようなICRPの勧告の結論的な内容については今更の話かもしれない。ただ、その結論を導き出す過程の論理についてはどうだろうか。その論理がいわば科学ではなくイデオロギーによっているということは十分に知られているとは言えないだろう。
 よって、長くなるが1990年勧告が線量限度設定の根拠を説明した部分を抜粋し、その後でその論理を検討したい。


   ◎ICRP1990年勧告からの抜粋
 〔抜粋の㋐~㋔の記号および下線は引用者が便宜上つけた。
                     ㋐~㋔は原文の順序とは違う〕 

【㋐】線量限度の数値は、この値をわずかに超えた被ばくが続けば、ある決まった行為から加わるリスクは平常状態で“容認不可”と合理的に記述できるようなものとなるように選ぶ、というのが、委員会の意図である。したがって、線量限度の定義および選択には社会的な判断が入ってくるこれらの判断は、線量限度はある決まった値にしなければならず、他方、可能性を計るものさしに不連続はないことが唯一の理由で、難しい。電離照射線のような作用因子については、被ばくによって起こるある種の影響の線量反応関係にはしきい値を仮定できないので、この困難をのがれることはできず限度は健康の考察だけに基づいて選択することはできない。 〔1990年勧告〕   
【㋑】もしすべての放射線リスクが確定的性質のものであってそのしきい線量は比較的高いとすれば、線量限度を選定することは高度に科学的な仕事であり、得られる結果はしきい線量の大きさに大きく依存することになろう。残念なことに、わかっている確定的影響のしきい値よりも低い線量において確率的影響のリスクがこれに加わる。確率的影響の線量反応関係に大きな不連続性が存在しないかぎり、線量限度の選定は一部が科学的判断であるにすぎない線量限度の選定は主として、科学的な情報にだけでなく正常状態において容認不可と通常考えられるようなリスクレベルに関する知見にも基づくことが必要と思われる、一つの価値判断である。   〔1990年勧告・付属文書〕  
【㋒】試行値の各々に対する連続的均等被ばくの結果が順次見積もられる。次にどの値が容認不可のほんのわずか下、すなわちぎりぎり耐容可と判断される結果の組み合わせを与えるか、についての見解が得られる。そのとき、この値が線量限度として選ばれる。このアプローチは必然的に主観的であるけれども、多くの互いに関係のある因子、より適切には属性と呼ばれるが、を考察に加えることを可能にする。死亡と関連する属性には次のものがある:
 ・寄与死亡の生涯確率
 ・寄与死亡が起こった場合の損失時間
 ・平均余命の減少(上の二つの属性の組み合わせ)
 ・寄与死亡確率の年分布
     ・ ・ ・ 
     ・ ・ ・

表:作業集団の被ばくによる損害の諸属性(一部抜粋)
年実効線量(mSv)10203050
概算の生涯線量(Sv)0.51.01.42.4
寄与死亡率(%)1.83.65.38.6
総合損害(%)2.57.512
18歳における平均余命の平均損失(年)0.20.50.71.1
           *寄与致死がんの確率あるいはこれに相当する損害の合計

 線量限度の根拠となりうる値として検討のために選ばれた年実効線量の試行値は、10mSv、20mSv、30mSv、50mSvであり、これらは、すべての作業年にこの年線量を受けるとするとおよそ0.5Sv、1.0Sv、1.4Sv、2.4Svの生涯線量に対応する。・ ・ ・ 
 (委員会が出した結論は)生涯実効線量2.4Svに相当する毎年一定の年線量50mSvという値はたぶんあまりに高く、多くの人から明らかに高すぎるとみなされるであろう、ということである。とくに、このレベルでの平均余命の短縮(1.1年)、および、晩年になってからのこととはいえ、業務上の放射線の危険性がその作業者の死亡の原因となる確率が8%を超えるという事実は、その多くが最近出現した職種であるために範とすべき職種群としては、過大であると広くみられるであろう。
 上のデータに基づいて、委員会は、毎年ほぼ均等に被ばくしたとして全就労期間中に受ける総実効線量が1Svを超えないように、そしてそのようなレベルに線量限度を定めるべきであり、また放射線防護体系の適用によってこの値に近づくことはまれにしかないようにすべきであるという判断に達した。・ ・ ・
委員会は、いかなる1年間にも実効線量は50mSvを超えるべきではないという付加条件つきで、5年間の平均値が年あたり20mSv(5年間で100mSv)という実効線量限度を勧告する。  〔1990年勧告〕

【㋓】委員会は、被ばく(あるいは、リスク)の耐容性の程度を示すため3つの言葉を用いることが有用であると考えた。それらは必然的に主観的な性格のものであり、考えている被ばくの形式と線源との関連において解釈されなければならない。第一の言葉は、“容認不可”であり、この言葉は、委員会の見解では、その使用が選択の対象であった任意の行為の通常の操業において、いかなる合理的な根拠に基づいても被ばくは受け入れることはできないであろうことを示すために用いられる。そのような被ばくは、事故時のような異常な状況では受け入れられなければならないかもしれない。さらに容認不可ではない被ばくは、歓迎されないが合理的に耐えられることを意味する“耐容可”の被ばくと、いっそうの改善なしに、すなわち防護が最適化されていたときに、受け入れられることを意味する“容認可”の被ばくに区分される。この枠組みにおいて、線量限度は、それを適用しようとする状況、すなわち行為の管理に対する“容認不可”と“耐容可”との間の領域における一つの選ばれた境界値を表している。    〔1990年勧告〕  
【㋔】リスクのない社会は理想郷である。・ ・ ・
 われわれは、現代社会の便益を享受するためには、もしそのリスクが不必要なものではないか簡単に回避できないならば、あるレベルのリスクを容認しようとする、言葉では語れないような慣習があるようにみえる。明らかな疑問は、そのレベルはどの程度かということである。
 英国学士院の研究グループの報告書(1983)は、百分の一という連続的な職業上の年死亡確率を課すことは容認できないと結論づけたが、しかし、千分の一の年死亡確率の場合には状況はそれほどはっきりしないことを見出した。・ ・ ・
 委員会のPublication26(1977a)の中で勧告した線量限度は、容認できない範囲の境界は、最大に被ばくした個人に対して約10-3という職業上の年死亡確率であるとする、暗黙の仮定のもとに提案されたものである。     
  
 〔1990年勧告・付属文書〕

 


 死を織り込んだ線量限度



 以上が、現行の線量限度をどのように設定したかの根拠にかかわる説明部分の抜粋である。
 一読して、「社会的な判断」(㋐)、「価値判断」(㋑)、「主観的な性格」(㋓)といった文言に引っ掛かりを覚えないだろうか。つまり、被ばくと健康被害に関する明確なデータから基準を求めて行くのではなく、「線量限度の選定は一部が科学的判断であるにすぎない」と言うのだ。では何によって判断するのかというと、「社会的な判断」、「価値判断」、「主観」だというのである。そしてそこで言う「価値」とは功利主義という考え方、それに基づくリスク・ベネフィット論である。命と健康に関わる問題が功利主義という損得勘定によって扱われているのだ。
 この点を少し詳しく見て行こう。


 ◇「逃れることのできない困難」

 まず、「これらの判断は…難しい」「この困難を逃れられず…」(㋐)と「難しい」「困難」という言葉が出てくる。何が「困難」なのか。
 線量限度という以上、それは<この数値以上の被ばくは危険、それ以下なら安全>という具体的な数値で切って示されるものだと考えるだろう。
 ところが、被ばく線量と健康被害の関係は連続的で相関しており、どんなに低線量でも一定の確率で健康被害がある。これは1990年勧告も認めているところだ。つまり、健康被害を防止するという指標からすれば、被ばくは極力低く抑えられるべきであり、線量限度は限りなく低くならざるを得ない。よって<これ以下なら安全>という数値的な基準は示せない。
 これは、単に基準が示せないという問題にとどまらず、そもそも被ばくと健康被害を不可避とする原子力という技術が社会的には成立しないということを意味する。それは原子力を推進する立場からすれば受け入れ難い結論だろう。
 「困難」とは、まずは本質的な問題としていえばこういうことだ。


 ◇「健康の考察」の相対化

 さて、健康被害を防止するということを目標にして線量限度を検討して行くと限りなく低くという結論にならざるを得ないわけだが、その「困難」を超えるために、1990年勧告は、健康被害を防止するという目標そのものを相対化するというやり方を考え出した。「(線量)限度は健康の考察だけに基づいて選択することはできない」(㋐)。「健康の考察」とは健康被害を防止するという目標ということだ。そして「…だけ」というところに相対化の意図が込められている。
 「健康の考察だけ」ではないとすると何があるのか。そこに「社会的な判断」、もう少し具体的に言えば「容認不可と通常考えられるようなリスクレベルに関する知見」(㋑)という目標が導入される。
 しかし「社会的な判断」「容認のリスクレベル」というのはどう見ても客観的ではなく曖昧だ。だからそれを科学的な体裁をとって提示するのは「難しい」という。これが冒頭の「難しい」「困難」という言葉のもうひとつの直接的な意味だ。
 まず、ここまでの検討で分かることは、われわれが一般的に知るところの線量限度というのは、実は「健康の考察」から導き出されたものではないということだ。


 ◇「社会的な判断」

 「線量限度の選定は一部が科学的判断であるにすぎない。線量限度の選定は主として、科学的な情報にだけでなく正常状態において容認不可と通常考えられるようなリスクレベルに関する知見にも基づくことが必要と思われる、一つの価値判断である」(㋑)
 「容認不可と通常考えられるようなリスクレベルに関する知見」として示されているのが、「寄与死亡の生涯確率」や「平均余命の減少」(㋒)などの統計的な解析データである。そのひとつである「寄与死亡の生涯確率」に関して見てみよう。
 「寄与死亡の確率」とは、作業員の死亡と、その死亡原因が被ばくである確率。例えば、毎年50ミリシーベルト、全就労期間(ここでは47年間という設定)で累積約2.4シーベルトを被ばくした作業員が、被ばくが死亡原因となる確率は8.6%という数字が示されている。言い換えれば、同じ条件の作業員が100人いれば、そのうちの8人強は被ばくが原因とする健康被害で死亡するということだ。
 同じように、毎年30ミリシーベルトの場合、20ミリシーベルトの場合の寄与死亡の確率を計算し、それぞれ5.3%、3.6%だとしている。[6]
 そして、寄与死亡率8.6%では「過大であると広くみられるだろう」と。つまり<被ばくが原因で死に過ぎている>という評価を受けてしまうという判断だ。そこでもう少し下げてみて、5.3%ならどうか、3.6%ならどうかという風に検討をしている。
 そして、結論だけを先に言えば、<5年間で100ミリシーベルト。かつ1年間で最大50ミリシーベルト>という現行の線量限度は、寄与死亡率3.6%を選択したものなのだ。つまり<100人中3人から4人は被ばく原因で死亡する>被ばく線量ということだ。
 つまりここで検討されているのは、<被ばくを原因とする死がどのぐらいの確率ないし割合ならいいか>ということであり、<被ばくによる健康被害や死亡から労働者を守る>ということではないということだ。つまり、線量限度とは<ある確率である人数が被ばくを原因とする健康被害によって死亡する>ことを完全に織り込んでいるということだ。


 ◇「科学ではなく主観」

 では、上で見たように<この数字では高い>が<この数字なら妥当だ>とする選択の基準は何なのかということが問題になる。
 そこで1990年勧告は次のような議論を展開する。
 まず、被ばく問題は「科学的判断」の問題ではなく、被ばくを<受け入るかどうか>という「主観的な性格」(㋓)の問題だとする。そして、その被ばくに対する主観を<受け入れられない>、<歓迎されないが合理的に耐えられる>、<受け入れられる>の3つに分類し、<受け入れられない>と<歓迎されないが合理的に耐えられる>との間が線量限度になるという風に議論を運んでいる(㋓)。
 <受け入れられない>と<耐えられる>の間が線量限度?そう言われればそうかも知れないが、そんな曖昧なもので線量限度が決まっていいのか。全く釈然としない。


 ◇緩慢な死に「耐える」


 まず、<受け入れられない>、<耐えられる>、<受け入れられる>という言葉自体に問題がある。

 被ばくの問題は、繰り返すが、<一定の割合で必ず起こる被ばくを原因とする死を受け入れる>という問題なのだ。しかし、<耐えられる><受け入れられない>という言葉から受けるニュアンスは、作業の長さや強度とか、熱さとか痛みといった問題だ。
 しかし、ここで扱っている低線量被ばくの場合、被ばくそれ自体には熱さや痛みなどの自覚症状はない。急性被ばくのように直ちに影響が出るわけではない。その限りでは<耐える>ような性質の問題ではない。しかし、将来における健康被害と死が確率的に訪れるのだ。そういう問題であるということが正面から提示された上で、<耐えられる>とか<受け入れられる>と言っているのか。あるいはそういう問題であると提示したらそういう選択を問うことが倫理的に許されるのかという問題なのだ。
 つまり<受け入れられない>か<耐えられる>かという形で進める議論の進め方は、職業被ばくということが、死を含み込んだ問題であるということを隠しているのだ。


 ◇命を天秤にかける功利主義

 さらに、㋓の<受け入れられない><耐えられる>という議論を支えているのが、人間の命や健康の問題をも損得勘定に還元する功利主義の考え方があり、それに基づくリスク・ベネフィット論である(㋔)。
 「リスクのない社会は理想郷である」(㋔)
 「われわれは、現代社会の便益を享受するためには…リスクを容認しようとする…慣習がある」(㋔)
 これをもう少し敷衍すると、<われわれは、行動や政策の選択において、つねに、リスク(確率的な危険性)とベネフィット(便益)を念頭に置き、両者を天秤にかけて、リスクに比べてベネフィットが大きい場合にその行動や政策を選択している>という考え方だ。この考え方にもとづいて被ばくによる健康被害と死を受け入れさせようとしている。
 功利主義自体は古くからある考え方であり、リスク・ベネフィット論(分析)やコスト・ベネフィット論(分析)は経営判断や政策決定などのマネジメントでしばしば用いられている手法だが、少なくとも原子力に引き付けて考えてみたとき、次のような欺瞞とすり替えがある。
 第一に、リスクとベネフィットを比較するというが、それは単純に比較できるものなのかという問題である。リスクとベネフィットが質的に違って、比較できるとは限らない。例えば、健康や命にかかわる問題の場合だ。健康や命の問題を、他の便益と比較してどちらが得かという話にはならない。
 第二に、比較できないものを比較しようとすることは、リスクもベネフィットもすべてを金銭価値に換算するというになる。リスクはマイナス、ベネフィットはプラスの価値として数値化され、差し引きプラスになれば有効な選択と評価される。
 しかし、健康や命の問題は単に比較できないだけでなく、金銭価値に換算すること自体が飲み込めない話だ。ところが、実際にICRPの1977年勧告では、作業員の被ばくによる健康被害を金銭価値に換算する計算式を打ち出している。[7]
 第三に、そもそも、なぜ物事を天秤にかけて比較しなければならないのか。あるいは、その天秤、つまり価値尺度があたかも社会共通の了解事項のように言われているがそうなのかということだ。
 あたかも天秤にかけなければ行動も政策も前に進まないかのように言われ、あるいは、無自覚のうちにそういう選択をしているのだと決めつけられる。そういう狭い損得には還元できない価値や多様な世界が存在しているのに、それらは排除されてしまう。そうやってすべてを損得による選択という方向に追い込み、仕向けているのだ。
 生命の歴史や人類の歴史、人間と自然との関係という視座からすれば、原子力=核エネルギーなどはおよそ負の産物でしかないのに、それを<受け入れさせる>論議が、このようなやり方で行われてきたのである。
 第四に、「われわれは…慣習がある」として「われわれ」一般を代表するように言っている点である。
 実際のところは、「われわれ」が等しくリスクを取り、ベネフィットを受け取るわけではない。リスクが一定の階層や地域に集中され、またベネフィットも一定の階層や地域に偏在するということが往々にしてある。しかも、ベネフィットを受け取る人びとの声が大きく、リスクの集中を受ける人びとの声はかき消される。
 原発を考えた場合、この偏りは顕著だ。作業員の被ばくにしても、事故の被害を見ても、「われわれ」全体が被害を受けるわけではない。被ばくを集中される人びとと「われわれ」全体との間には分断があり、犠牲の構造がある。そして、「われわれ」全体の無関心によってこの構造が支えられている。
 しかも、ICRPがあたかも一般を代表するかのように、「われわれ」を自称しているのは欺瞞にも程がある。
 1990年勧告において<被ばくを受け入れる>かどうかと検討をしている者は被ばくはしない。被ばくするのは作業員。その作業員は<受け入れる>かどうかの検討に全く関与していない。そうやって排除された人びとに犠牲が集中している。
 つまり、<耐えられる>とか<受け入れられる>と言っているが、実はこの話は、ICRPであり各国の原子力機関や原子力事業者が、非対称的な力関係の中で、作業員に対して、<死を受け入れさせる>ということを言っているのだ。


 ◇労働災害と被ばく

 被ばくに関する功利主義的な考え方への批判に加えて、㋔で「職業上の年死亡確率」との比較を挙げている点も問題にしておきたい。「職業上の」とは建設現場や工場などで発生する労働災害一般ということを指している。
 ㋔では、労働災害一般における労災死の確率と、被ばくを原因とする死の確率とを比較し、労災死と同程度にすれば、<受け入れられる>ではないかという議論を展開している。
 しかし、そもそも労働災害一般と被ばくとを同列に扱うことができるだろうか。
 まず、建設現場や工場作業などで発生する労働災害である。その発生の直接的原因は、現場の不安全状態や不安全行為であり、その背後にはその事業者の安全管理の欠陥や効率優先の経営姿勢といった問題がある。このようなリスクは取り除かれなければならないし、取り除くことができる性質の問題だ。
 ところが、被ばくはどうか。「計画被ばく」というICRPの用語がある通り、原子力施設の操業が計画どおり行われ、不安全状態や不安全行為もなく、安全管理が徹底していても、作業に伴って計画どおり被ばくがあるのだ。それは計画通りであり、被ばくを取り除くことはできない。それは原子力という産業の宿命なのだ。
 つまり、労働災害一般における労災死の確率がこの程度だから、被ばくを原因とする死の確率も同程度にすればいいというのは、同列に扱えないものを比較する暴論なのだ。



 
<命を使い捨て>にする思想



 以上の展開を簡単にまとめてみよう。

 ICRPの1990年勧告は、被ばくは健康被害を確率的に不可避とし、原子力産業が一定の確率での健康被害と死を避けられないこと、つまり、健康被害を極力避けようとすれば、原子力が産業として成立しえないという根本問題を抱えているということを完全に認識している。にもかかわらず、成り立たないものを成り立たせるために、功利主義的な考え方を導入して、<この程度の人数は被ばくで死んだり病気になったりするけど、いいんじゃないかそれくらいは>と言っているのだ。それは、科学的な装いをとっているが、<命を使い捨てにしても構わない>という反倫理的なイデオロギーなのだ。そういうイデオロギーに依拠しないと成り立たないのが原子力というものだということだ。
 こうして見ると、冒頭で見た「防護基準を守っていても労災は起こる」という厚生労働省の発言は、法定の被ばく限度およびICRPの線量限度に孕まれる欺瞞性と非人間性を正直に吐露したものに他ならない。
 


【第3回に続く】



[1] 朝日新聞2015年10月21日
[2] 東京新聞2015年10月21日
[3]  朝日新聞2015年10月21日
[4] 厚生労働省「事故由来廃棄物等処分業務 特別教育テキスト」 2013年4月
[5] 日本アイソトープ協会HP http://www.icrp.org/docs/P60_Japanese.pdf
[6] 前回【Ⅰ】で見たように、ICRPが元にしているデータは、高線量率急性被ばくをした原爆生存者のデータであり、その低線量への外挿があり、その際に2分の1にするという補正が行われている。最新の知見であるBML論文の解析結果を使えばはるかに厳しい結果になる点に留意が必要だ。
[7] 日本アイソトープ協会HP ICRP Publication 26  http://www.icrp.org/docs/P26_Japanese.pdf
     ATOMICAICRPによる放射線防護の最適化の考え」 http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_No=09-04-01-07











関連記事

テーマ:「原発」は本当に必要なのか - ジャンル:政治・経済

  1. 2016/02/08(月) 17:00:00|
  2. 収束作業/原発労働者
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

【論考】 被ばくとガン 福島第一原発の現場から 第1回


  【論考】 被ばくとガン

   福島第一原発の現場から 【Ⅰ】




 既に報道されているように、東京電力福島第一原子力発電所の収束・廃炉作業に従事した作業員のガン発症が明らかになっている。2011年の7月から約4カ月作業に従事したAさん(現在57歳/札幌市)は膀胱ガン、胃ガン、結腸ガンを相次いで発症。また2012年10月から1年3カ月作業に従事したBさん(現在41歳/北九州市)が白血病を発症した。
 Aさん、Bさんはそれぞれ労災を申請したが、Aさんは申請が認められず、今年9月、損害賠償を求める訴訟を起こしている。また、Bさんは今年10月、労災の認定を受けている。
 Aさん、Bさんを含め、福島第一原発事故後の収束・廃炉作業に従事してガンを発症し、労災の申請に至ったのは8人。その内訳は認定1、不認定3、取り下げ1、審査中3となっている。〔2015年10月末時点〕

            ・          ・          ・ 

AさんとBさんの作業内容や被ばく履歴は、厚生労働省の発表や関連する報道によれば下表のようになる。

                                                                                                  ◎ Aさん(57)の作業内容・被ばく履歴など
〔北海道新聞9/1付、朝日新聞9/2付など〕
作業期間2011年7月4日から10月31日の4カ月弱
作業内容ガレキの撤去 高線量ガレキを直接抱える作業なども
累積線量56.41mSv ただし線量計を外して作業したときも
病名/診断時期膀胱ガン/12年6月、胃ガン/13年3月、結腸ガン/13年5月
労災申請の結果不認定
提訴時期2015年9月1日
   

◎ Bさん(41)の作業内容・被ばく履歴など〔朝日新聞10/21付など〕

作業期間九電玄海 2012年に約3カ月
合計約1年6カ月
福島第一 12年10月から13年12月の約1年3カ月
作業内容福島第一 4号機オペフロのクレーン台の設置作業
       3号機脇で、倒壊したクレーンの切断
累積線量九電玄海  4.1mSv
合計19.8mSv
福島第一 15.7mSv
病名/診断時期急性骨髄性白血病/2014年1月
労災申請の結果認定/2015年10月20日

          ・          ・          ・

さて、本稿では、福島第一原発の収束作業における被ばくと健康被害の問題について、【Ⅰ】から【Ⅳ】の4回に分けて考えて行きたい。
 【Ⅰ】では、「(福島第一原発の)全労働者の被ばく線量の総計は高止まりしている」[1] と厚生労働省も認めざるを得ない厳しい被ばく環境が続いており、Bさんの労災認定は氷山の一角に過ぎないという点についてだ。さらに100ミリシーベルト以下の低線量被ばくでもガン死リスクが確実に上昇することを実際の観察で確認したという最新の知見についても見て行きたい。
【Ⅱ】では、上で見たBさんの被ばく線量は法定の被ばく線量限度より少ないが、それにもかかわらず白血病を発症している点についてである。この点について厚生労働省は、「防護基準を守っていても労災は起こる」[2と説明しているが、そうだとすれば、作業員の健康を守らない線量限度とは何のための基準なのかという疑問が発生するだろう。
【Ⅲ】では、上で見たAさんの場合は、法定の線量限度を超えて作業を行ってガンを発症しているが、労災認定を受けられていないのはどういうことなのかについてである。労災認定の基準と実情について見て行きたい。
【Ⅳ】では、Bさんの労災認定が決定されたことに対して、東京電力が行った、「労災申請は雇用主か本人が行い、認定は労基署が行うもので、コメントする立場にない」[3というコメントについてである。事故を起こしたのは東京電力であり、作業を発注しているのも東京電力であるにもかかわらず、東京電力はこのような態度を取っている。被ばくと健康被害を下請作業員に押しつける重層下請構造の問題について見て行きたい。


cnc001.jpg 



  (一) 被ばく線量が高止まり―厚労省
 

厚生労働省が8月、福島第一原発の安全衛生管理に関するガイドラインを示し、それに関して、「月別の平均被ばく線量は減少傾向にあるものの、被ばく線量が5ミリシーベルトを超える労働者数は横ばいであり、全労働者の被ばく線量の総計は高止まりしています」[4]と述べている。
では、実態はどうなっているのか。東京電力作成の資料「福島第一原子力発電所作業者の被ばく線量の評価状況について」(2015年9月30日)をもとに見てみよう。
 【表Ⅰ‐1】は、「2011年3月以降の累積被ばく線量」。【表Ⅰ‐2】は最近3カ月(2015/6~8)の月別平均と年換算の被ばく線量。(「福島第一原子力発電所作業者の被ばく線量の評価状況について」をもとに筆者が作成)
 
                 
【表Ⅰ‐1】  2011年3月以降の累積被ばく線量
(外部被ばくと内部被ばくの合算値 2011/3~2015/8)

平均
5mSv超
10mSv超
50mSv超
100mSv超
東電社員
22.58mSv
 2,521人
 2,024人
  787人
150人
協力企業
11.33mSv
18,678人
13,478人
1,799人
 24人
合計
12.48mSv
21,199人
15,502人
2,586人
174人
                                    (総作業者数44,841人)


表Ⅱ‐2】
最近3カ月(2015/6~8)の月別平均と年換算の被ばく線量(外部被ばく)
6月平均7月平均8月平均年換算
東電社員0.25mSv0.26mSv0.18mSv2.79mSv
協力企業0.72mSv0.66mSv0.39mSv7.14mSv

 
【表Ⅰ‐1】によれば、福島第一原発事故が発生した2011年3月以降の総作業者数が約4万5千人。そのうち、累積被ばく線量が10ミリシーベルトを超えている者が約1万6千人、総作業者数の3分の1以上。50ミリシーベルトを超える者も2千6百人、100ミリシーベルトを超える者も174人。
また、【表Ⅱ‐2】によれば、発災直後に比べれば現場の放射線量率はだいぶん下がってきているものの、最近の数値で、下請の作業員の平均の被ばく線量は年換算で7.14ミリシーベルトになる。
作業員にとってはこのような被ばくが常態化しており、「事故の直後に比べたら大したことではないのでは」という声も聞かれる。しかし、次に見る最新の知見を踏まえると深刻に受け止めるべき数値だということがわかるだろう。



cnc002.jpg 


  (二) 低線量・低線量率でもリスク上昇




 今年7月と10月、仏・米・英・スペインの国際的な研究チーム(以下、国際研究チーム)が、職業被ばくとガンにかんする2つの論文を発表した。
 ひとつは、放射線被ばくと白血病との相関性に関するランセット論文[5]、いまひとつは、放射線被ばくと固形ガンとの相関性に関するBMJ論文[6]。いずれもThe International Nuclear Workers Study(INWORKS)[7]という疫学調査を元にしている。INWORKSは原子力施設の作業員に対して60年以上にわたって行われている追跡調査。2つの論文はそのうちの約30万人の作業員のデータを統計的に解析したものだ。
 2つの論文が示した新たな点を挙げてみよう。
 
● ランセット論文
・ 被ばく線量の増加に比例して、白血病を発症するリスクが上昇する。
・ 極めて低い被ばく線量・線量率でもこの関係は成り立つ。
・ 被ばくがない場合の白血病リスクを1とすると、被ばく線量が1ミリグレイ蓄積するごとに、白血病リスクは1.003に上昇する。
・ 低線量の放射線によって累積する慢性的な外部被ばくと白血病リスクとの間には線量反応関係があるという強力な証拠が得られた。
 
● BMJ論文
・ 白血病以外のガン(胃、肺、肝臓など)について、被ばく線量に応じてガンによる死亡リスクが直線的に増加する。
・ 被ばくがなくてもガンで死亡するリスクを1とすると、被ばく量が1グレイ蓄積するごとに、ガンの死亡リスクが1.48に上昇する。
・ 100ミリグレイ以下の被ばくでも、線量に応じたリスクの増加は、高線量の被ばく(原爆被爆者の調査)と同じような傾向を示した。
 
 
 一言で言えば、この研究は、国際放射線防護委員会(ICRP)などの「公式の見解」が依拠してきた土台を覆している。その点を若干解説しよう[8]
① 「公式の見解」は、Life Span Study(LSS)[9]と呼ばれる 広島・長崎で被爆し生存した人びとに対する追跡調査を元にして行われてきた。しかしこの調査は、被爆から5年後に生存していた人を対象にしているなど偏りがあり、また、個人の被ばく線量が正確には特定できないことなどの問題があった。
それに対して、INWORKSは、原子力施設の作業員であり、被ばく線量が管理されており、60年以上にわたる長期のモニタリングが行われている。
また、LSSの母集団が約12万人であるのに対して、INWORKSを元にした国際研究チームでは約30万人と大きいことだ。
② 「公式の見解」では、LSSは高線量の被ばくの集団であり、低線量域については<わからない>とし、そこから、高線量域のデータ解析において採用した理論モデルを、低線量域にも当てはめる「外挿」というやり方が取られてきた。
しかし、<わからない>というのはデータがないのではない。低線量域のデータは存在している。むしろ低線量域の方が単位線量あたりの被ばくの影響は大きいという結果も出ている[10]。ただデータのばらつきも大きい。そのために理論モデル通りには行かない。だとすれば、高線量域の解析において採用した理論モデルはそのままでは低線量域では使えないとするべきだ。ところが、逆に、低線量域のデータの方を切り捨てて、理論モデルの方を優先するというやり方を取ってきた。このやり方には疑問が提起されてきた[11]
それに対して、INWORKSに基づく国際研究チームの場合は、全作業員30万人の積算被ばく線量が20.9ミリシーベルトという低線量被ばくを直接観察することによっている。この点で信頼性がはるかに高い。
③ そして、次の点がもっとも重要な点だが、「公式の見解」は、高線量域で採用したモデルを低線量域に外挿する際に、<低線量被ばくのリスクは高線量被ばくのリスクの2分の1に換算する>[12]という数字の補正を行っている。これは<同じ100ミリシーベルトの被ばくでも、低線量率でじわじわと長時間にわたって被ばくする場合と、高線量率で一挙に被ばくする場合とでは、その影響は高線量率の場合の方が大きいはずだ>という考え方にもとづいている。2分の1の根拠は動物実験や理論モデルなどから導出されたとしている。
 しかし、その考え方は、低線量被ばくの影響を実際よりも過小に評価するものだという批判を受けてきた。
今回の国際研究チームの成果では、「被ばく線量の増加に比例して、白血病を発症するリスクが上昇する」「極めて低い被ばく線量・線量率でもこの関係は成り立つ」(ランセット論文)、「被ばく線量に応じてガンによる死亡リスクが直線的に増加する」「100ミリグレイ以下の被ばくでも、線量に応じたリスクの増加は、高線量の被ばく(原爆被爆者の調査)と同じような傾向を示した」(BMJ論文)。つまりICRPの「公式の見解」で採用されている<低線量被ばくのリスクは高線量被ばくのリスクの2分の1に換算する>というやり方は間違いであるという結果が出たのだ。
 
◇100ミリで3.8%上昇

 さて「公式の見解」と国際研究チームの結果とを、具体的な数字で比較してみるとどうなるか。ガン死亡リスクで見てみよう。
まず、現在の日本の男性について(男女に差があるので男性の場合で検討する)、ガンに罹患する確率(生涯ガン罹患リスク)は62%、ガンで死亡する確率(ガン死亡リスク)は26%[13]。これは被ばくのない場合のリスクである。
 ICRPの1990年勧告、2007年勧告などの「公式の見解」では、<ガン死亡リスクは、1シーベルト被ばくするごとに5%上乗せされる>としてきた。
 これに対して、BMJ論文では、<被ばくがなくてもガンで死亡するリスクを1とすると、被ばく量が1グレイ蓄積するごとに、ガンの死亡リスクが1.48に上昇する>としている。(グレイとシーベルトは違う単位だが、便宜上、ここではシーベルトと同じとみなす)
 計算過程は省くが、公式の見解のガン死亡リスクとBMJ論文のガン死亡リスクを累積100ミリシーベルトと累積1シーベルトでそれぞれ比べると、【表Ⅰ‐3】以下のようになる。
            
 【表Ⅰ‐3】  ガン死亡リスク計算の比較

    公式の見解    BMJ論文
被ばくなし               26%
100mSv26.5% (+0.5%)
29.8% (+3.8%)
1Sv31.0% (+5.0%)
38.5% (+12.5%)


 公式の見解とBMJ論文とでは、ガン死亡リスクの上乗せ分(被ばくによってリスクが上昇した分)が一桁も違う。100ミリシーベルトでは、「公式の見解」では26%が26.5%に0.5%の上昇としていたが、BJM論文では、26%が29.8%に3.8%も上昇する。被ばくがなくてもガン死亡リスクが26%あるということ自体が問題だが、それが被ばくによって確実に上昇することがわかる。
こうして見ると、<100ミリシーベルト以下の被ばくは影響がない><影響はあっても他の要因に隠れてしまう>ということが専門家と称する人びとによって流布されてきたが、全く誤った見解だったということだ。
以上のように、国際研究チームによる新たな知見に踏まえると、福島第一原発の収束・廃炉作業に従事している作業員の累積被ばく線量が、白血病や固形ガンのリスクをかなりレベルに上昇さていると見る必要がある。また、政府が進める年間20ミリシーベルトを基準にした住民に対する避難解除と帰還促進の方針は、住民の健康被害のリスクをもたらす危険な行為だということは明らかだ。そして、次の章で述べるように、ICRPの防護基準やそれに基づく法定の線量限度が大幅に見直されなければならないということだ。

〔【Ⅱ】に続く〕



[1] 2015年8月26日 厚生労働省・報道発表資料「東京電力福島第一原子力発電所における安全衛生管理を強化します」
[2] 2015年10月20日 厚生労働省会見(朝日新聞10/21付)
[3] 河北新報2015年10月21日
[4] 2015年8月26日 厚生労働省・報道発表資料「東京電力福島第一原子力発電所における安全衛生管理を強化します」
[5] 英医学誌ランセット・ヘマトロジーに今年7月掲載
「放射線作業者における電離放射線と白血病並びにリンパ腫死亡のリスク:国際コホート研究」
[6] 英医学誌ブリティッシュ・メディカル・ジャーナルに今年10月掲載
「低線量電離放射線被ばく後のがんリスク-15カ国における後向きコホート研究」
[7] 15カ国が共同して行っている疫学調査。この調査には日本の厚生労働省も資金提供をしている。
[8]この項は主に津田敏秀岡山大教授が出したコメントを参照した。津田教授のコメント全文はサイエンス・メディア・センターウェッブサイト(http://smc-japan.org/)に掲載
[9] LSSとは原爆生存者の「寿命調査」。原爆傷害調査委員会(ABCC)が開始し、放射線影響研究所が引き継いでいる。原爆生存者は晩発性の影響に苦しめられ続け、しかもそのデータは都合よく処理されている。疫学上の論争として見る以前に、被爆者を何重にも冒涜するものであることを踏まえる必要がある。
[10] Radiation Research 2012.3「原爆被爆者の死亡率に関する研究、第14報、1950-2003、がんおよび疾患の概要」/崎山比佐子「放射線教育の問題点」(『科学』2012年10月号)
[11] 最近では、崎山比佐子「放射線教育の問題点」(『科学』2012年10月号)/濱岡豊「放射線被曝関連データの再分析」https://m.sc.niigata-u.ac.jp/~hirukawa/seminar/niigata2014_program/Yutaka_Hamaoka.pdf
[12] 正確には線量線量率効果係数(DDREF)。ICRPは2を採用し、LSSで得た値をそのまま採用せず、2で割るという補正を行っている。
[13] がん情報サービス「がん登録・統計」 http://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/stat/summary.html
累積罹患リスクは2011年データに基づく。累積死亡リスクは2013年データに基づく。

関連記事

テーマ:「原発」は本当に必要なのか - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/12/19(土) 12:00:00|
  2. 収束作業/原発労働者
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1

30代母親の訴え:未来ある子どもたちを被ばくさせるしかないのでしょうか?  ―南相馬市206世帯808人が提訴 



m20001.jpg
(経済産業省前で抗議の声を挙げる南相馬市の原告住民)



 年間20ミリシーベルト基準による特定避難勧奨地点の指定解除は違法であるとして、南相馬市の住民206世帯808人が国を訴えている。その第1回口頭弁論が9月28日、東京地裁で開かれた。

 この日は南相馬市から33人の原告住民がバスや車で駆けつけた。裁判が始まる前、ビラの配布やマイクでの訴えを行った。福島県内や首都圏からこの裁判を支援する人びとも加わり、原発行政を取り仕切る経済産業省に向かって抗議の声を挙げた。
 開廷は14時。傍聴希望者多数で事前に抽選が行われた。約100席の傍聴席は満杯になった。
 原告側の席には33人の原告と6人の原告代理人の弁護士。福田健治弁護士、そして2人の原告住民が意見陳述を行った。
 高倉区長の菅野秀一さんは、「生活圏には無数のマイクロホットスポットがある。子どもや孫が低線量被ばくを半ば強要され、将来に健康被害が出るというような禍根を残すべきではない。原発事故対応の悪しき先例を、世界の基準として残してはならない」。
 また30代の母親は、「これから未来ある子どもたちを安々と被ばくさせるしかないのでしょうか。いつのまにか20ミリシーベルトに引上げられていました。私は、国による一方的な解除にとても納得がいきません」。      
〔*原告住民の意見陳述(要約)は下に掲載〕


m20002.jpg


◇国は門前払いを主張
 一方、被告側の席には、法務省の訟務検事と内閣府原子力災害対策本部の職員など9人。訟務検事とは法務省に所属し、国が当事者となった民事訴訟や行政訴訟を担当する検事。また、原子力災害対策本部の職員の中には、南相馬市の住民対策で動いている職員の顔もあった。
 被告側の陳述は行わなかったが、書面で提出された答弁書で、「特定避難勧奨地点の設定は、住民への通知又は情報提供という事実上の行為であり・・・何らの法的効果を持たない」「解除も、何らの法的効果を持たない」「設定・解除は、国民の権利義務ないし法律上の地位に直接具体的な影響を及ぼすものではない」とし、原告住民が訴える利益はなく、門前払いにするべきと主張した。
〔*被告・国側の主張の問題点に関して、福田弁護士の報告集会での発言(下に掲載)を参照〕

◇地域が一体となって
 訴えを起こした住民らが暮らしていたのは、南相馬市原町区の片倉、馬場、押釜、高倉、大谷(おおがい)、大原、同市鹿島区の橲原(じさばら)、上栃窪(かみとちくぼ)の8行政区。阿武隈山地の東の麓、飯舘村に隣接している。
 飯舘村のように、地域全体を避難区域に指定すべき放射能汚染のレベルがある。ところが国は、約850世帯中152世帯に限定し、しかも「避難勧奨」という曖昧な文言で指定を行った。実際には指定されなかった世帯も含め住民の多くが避難をしている。
 ところが、昨夏から国は、南相馬市の特定避難勧奨地点の指定解除に動いた。住民の大多数は、年間20ミリシーベルト基準による指定解除に疑問や反対を表明していた。昨年12月21日に開催された住民説明会でも、高木経産副大臣の説明に対して住民から批判や抗議が噴出し、国は住民を説得することが全くできなった。
〔*2014年12月21日「南相馬市の特定避難勧奨地点に関する住民説明会」については本サイト報道へ
 にもかかわらず、国は、「年間20ミリシーベルトを下回ることは確実である」という判断で、南相馬市の特定避難勧奨地点152世帯の指定解除を決定。指定世帯に対する賠償や支援を打ち切り、依然として線量の高い自宅・地域への帰還を促している。
 このような国のやり方に対して、住民は諦めなかった。206世帯808人という原告の数は、8行政区の全世帯数約850世帯の約4分の1に当たる。特定避難勧奨地点の指定世帯152世帯の6割以上が原告に加わった。また8行政区の区長も全員が原告となった。指定世帯と非指定世帯との分断を乗り越えて、地域が一体となって国に対して訴えを起こすに至った。


m20003.jpg


◇20ミリシーベルト基準を問う
 原告の住民らの訴えの論点は、原告住民らや弁護士の陳述、発言などによれば、以下のようにまとめられるだろう。
①年間20ミリシーベルトという指定解除の基準はあまりに高すぎる。それは放射線管理区域の設定基準のおよそ4倍。厳重な放射線防護対策や入退域管理が行われてしかるべき環境だ。そのような苛酷な環境の中で、子どもたちを含めて生活しろということは到底承服できない。
②年間20ミリシーベルト基準は、国際基準上も国内法令上も違法である。原発事故以前から一般公衆の被ばく限度は年間1ミリシーベルト。国は、人びとの健康な生活を確保する義務を負っている。20ミリシーベルト基準はその義務に違反するものだ。
③何よりも自分たちの子どもや孫らの健康を守りたい。数ミリシーベルトという低線量の被ばくでも、健康への影響の増大が報告されている。子や孫がそういう環境の中での生活を強いられ、将来に禍根を残すということがあってはならない。
④20ミリシーベルト基準を今後の被ばく問題の基準にさせてはならない。南相馬市と福島で行われている20ミリシーベルト基準の避難解除を認めたら、これから先、全国の原発の避難政策の基準となり、世界の基準になってしまう。だから、20ミリシーベルト基準を正面から問わなければならない。

〔以下、高倉区長の菅野秀一さんと30代母親が行った意見陳述(要約)、さらに福田弁護士の報告集会での発言(一部要約)を掲載する。文責・見出しは編集者〕


m20004.jpg



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



20ミリを世界基準にさせない
 孫子の代に禍根残さぬために



m20005.jpg

高倉区長・菅野秀一さんの意見陳述(要約) 


 私は、地区長として、高倉地区74世帯の住民のお世話をしています。南相馬市・福島県・国の機関などに対して数々の要請をしてきましたが、その内容についてほとんど受け入れられることなく、ずっと放射能から住民を守りきれずにおりました。8地区が一丸となって、子どもも含めた年間20ミリシーベルトというあまりにも高い基準での特定避難勧奨地点の解除に異議を唱えるに至りました。しかし国は、平成26年12月28日に住民の意向をまったく無視して指定解除を強行しました。
 地域の実情がどうなっているのかをご説明申し上げます。

◇生活圏に無数のホットスポッ
 放射能による被ばくの影響はよくわかりません。国は、「年間20ミリシーベルト以下での健康被害は考えにくい」としていますが、福島県内での小児甲状腺がんが多発しております。また、チェルノブイリ原発事故における低線量下の健康影響の報告もあります。これらのことを考えると、子育て世帯が避難をするのは当然のことだと思われ、私が避難を止めることや避難先からの帰還を勧めることはありえないことだと考えています。
 高倉地区では、特定避難勧奨地点が解除されても、若い人は誰一人戻ってきません。子どもは一人もいません。
 若い世帯が戻らないのは、宅地の除染が済んでも、生活圏には無数のマイクロホットスポットがあることを知っているからです。除染でも放射線量は3割程度しか下がらず、そこで子育てをすることは無理だと考えているからです。

◇高齢化とコミュニティの崩壊
 約6割の高齢者は帰ってきましたが、いま住んでいるのは70歳を超えた人たちばかりです。人がいないので、コミュニティは完全に崩壊しています。若妻会、子供を守る会、消防団、婦人会、老人会は全て解散しています。学区内の小学校や中学校は何とか開校しておりますが、幼稚園は閉鎖されたままです。
 市街地に目を向けると、総合病院は隣町に移転しました。スーパーや小児科病院が閉鎖されたままです。職員不足で老人福祉施設が縮小されました。わずかに賑わっているのは除染作業員が立ち寄るコンビニや宿泊業などです。

◇体の不調
 体の不調を訴える人たちもいます。放射能で汚染された田畑で作物を作れない、人がいなくてお祭りができないことなどが原因かもしれませんが、免疫力の低下によって、原爆ブラブラ病のように、とにかく疲れる、いくら寝ても寝た気がしない、目がかすんだりしょぼしょぼする、鼻血、うつ病などの症状をよく耳にします。平和な山里の暮らしが一変し、身の回りの健康被害がこの先ずっと続くのかと思うとすごく不安になります。

◇生態系の異常
 生態系の異常も目にします。モリアオガエルの個体数が激減しています。原発事故以前と比べると鳥類や昆虫類も少なくなっています。
 かたや、イノシシ・サル・タヌキ・ハクビシンなどの野生動物にとっては楽園となっています。これらは、放射能の影響とはいい難いかもしれませんが、環境の変化は肌で感じ取ることができます。
 現在調査中の土壌の汚染が深刻なようです。今後は、西側に隣接し全村避難中の飯舘村からの放射能が再浮遊し、偏西風による地域再汚染も懸念しています。

◇被害者を切り捨てるな
 このようなことから、年間20ミリシーベルト基準で特定避難勧奨地点を解除するという愚行は承服することができません。
 年間20ミリシーベルトというのは放射線業務従事者の基準であり、国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告による公衆の被ばく限度の世界基準は年間1ミリシーベルトで、国内法でもこれを取り入れてきました。日本が法治国家であるのなら、この基準を厳守すべきであり、住民の生存権を最大限に考えるべきです。
 この夏、広島の原爆投下70年式典に足を運びました。そこで、70年後のいまも原爆症の認定を求めている方にお会いしました。低線量被ばくの環境に身を委ねることを半ば強要されている私たちの子どもや孫が、70年後に同じことを繰り返さなければならないような禍根を残すべきではないと考えています。
 経済性を優先して放射能汚染の被害者を切り捨てることがあってはならないと、司法が判断されることを切に望みます。原発事故対応の悪しき先例を世界の基準として残さないためにも、避難の放射線量基準は年間1ミリシーベルトとすべきです。


m20006.jpg
(公判後の報告集会で、原告住民が次々と思いを語った)



未来ある子どもたちを
被ばくさせるしかないのでしょうか?



30代母親の意見陳述(要約)


 私は原発事故当時、両親と夫と子ども3人の7人家族でした。子どもは3人とも男の子で、長男と次男は小学生、三男は生後11か月でした。

◇南相馬市から福島市へ
 3月12日、原発が爆発したとニュースで知り、南相馬市から福島市の姉の家に避難しました。
 福島市は断水していて、給水所まで交替で水を貰いに行ったり、三男をおんぶしながら1時間以上並んで買い物をしたりと大変でした。今考えると、あのとき屋外にいたことで初期被ばくの影響を受けていないか心配です。

◇福島市から猪苗代町へ
 新学期が始まり落ち着いてきた頃、福島市もある程度放射線量が高いと知り、ハイハイをしている三男のことを考えて知人のいる猪苗代町の磐梯青少年の家に避難することにしました。しかし、仮設住宅の申請や手続きなどの情報を入手するのが困難だったため、両親は南相馬市の自宅に戻ることにしました。その後、父がくも膜下出血で倒れ緊急手術をすることになりました。両親が大変な時に一緒にいてあげたかったのですが、子ども達を避難所にいる知人にお願いしてきたため、休暇を取ってきた姉に母や父をお願いして、私は(猪苗代町の)避難所に戻りました。事故後の南相馬市の自宅での母の生活は、事故前と違って何をするにも大変だったと思います。
 7月に入ると、避難所になっていた青少年の家が通常営業を始めました。だんだんと一般の利用者が多くなって、避難者の居場所が狭くなり、早く出て行かなければと思わせるような雰囲気になっていました。

◇猪苗代町から山形市へ  
 親戚が山形の借上住宅にいたので、それを頼りに何度も山形に通い、8月から私たちも山形に借上住宅を借りることができました。夫は仕事のために南相馬市に戻らなければならず、私と子どもたちだけの避難生活が始まりました。子ども達が何度も原因不明の鼻血を出したり、風邪を引いたりしたので病院に頻繁に通いました。南相馬市には小児科がなくなっていたのですが、山形市では病院や買い物などで困ることがなかったので、助かりました。しかし、夫は可愛い盛りの三男と一緒に暮らすことができず、仕事で疲れているにもかかわらず2時間以上かけて車で山形まで来てようやく子どもたちに会える状態だったので可哀想でしたし、苦労させたと思います。
 翌年の2学期から長男が学校に行きたくないと言い始めました。すんなり行くこともあったのですが、部屋から出なかったり、1時間以上も玄関にいたり、車で送って行っても学校に入らず歩いて帰ってきたりということが何度もありました。担任に相談し、本人とも話し合いをしましたが、その状態がずるずると続き、息子も私もストレスが貯まり限界がきていました。

◇南相馬市の仮設住宅へ
 長男のこと、病気の父のこと、家のことをすべて任せきりにしてきた母のこと、高齢になった夫の両親のこと。夫といろいろ相談し、一昨年の1月、南相馬市に戻ることにしました。
 特定避難勧奨地点にあった自宅は放射線量が高かったため、私たちは自宅ではなく、市内の仮設住宅に戻りました。地元の中学校に編入すると、長男に笑顔が戻りました。楽しく通学している姿を見て、この点だけを考えると戻ってきて良かったと思いました。
 自宅は仮設住宅と同じ原町区にありますが、2度の除染をしても線量が高く、ほんの数キロしか離れていないのにもかかわらず、南相馬市に戻った後もなかなか子どもたちを連れて行くことができません。子どもたちは何度も家に帰りたいと言いますが、お墓参りのときなど滅多なことがない限り自宅には連れて行きません。
 三男は事故当時生後11か月でしたが、今は5歳半です。来年小学生です。ずいぶん成長しました。でも、落ちている木の枝や花や石など何でも拾い集めます。外に出ちゃダメと言っても出て行きます。自宅に来たときは外に出ちゃダメ、触っちゃダメ、仮設ではドタバタしてはダメ。ダメダメダメ。理由を言っても5歳児には分かりません。

◇除染しても4マイクロ
 そんな中、国は去年の12月28日に年間20ミリシーベルトという高い基準で特定避難勧奨地点を解除しました。2度の除染をしても雨樋や側溝付近では未だに毎時約4マイクロシーベルトの高線量が出ます。国は、ずっとその近くにいるわけじゃないから大丈夫といいます。確かにそうかもしれませんが、除染したのは宅地のみ。未だ田んぼや畑、原野や農道はすべての除染を完了していません。
 原発事故の前、長男と次男は小学生でした。学校へは徒歩や自転車で通い、帰宅すれば近所の子どもたちと広場でキャッチボールをしたり、川でカニ捕りをしたり、夏はカブトムシやクワガタ捕りをしていました。解除しても三男にはお兄ちゃんたちと同じことをやらせてあげられません。そこで育った私としてはとても悲しいです。

◇戻るに戻れない、行くあてもない
将来被ばくによる何らかの影響は出ないのでしょうか。誰も、何もない大丈夫!と断言する人はいません。解除されたからといって簡単に「はい、戻ります」というわけにはいきません。私たちは、仮設住宅の期限が切れたら行くあてがありません。今の南相馬市には空き家や空アパートがありません。復興団地に入る権利のない私たち家族には、自宅に戻るしか道がないのでしょうか。これから未来ある子どもたちを安々と被ばくさせるしかないのでしょうか。
事故前は米や野菜は両親が作り、水は井戸水を飲んでいたので食費はそんなにかかりませんでした。今は、仮設住宅三軒分と、たまに行く自宅の四軒分の光熱費を支払っています。東電からの補償金は事故後全く住まなかった自宅のローンに消えました。解除で補償が打ち切られるなか、余計な出費が大変です。

◇いつのまにか20ミリ
 チェルノブイリでは、年間1ミリシーベルト以上で補償付の避難など補償を受ける権利があるとされました。日本でも事故以前は年間1ミリシーベルトが国民の被ばくの限度とされていましたが、いつのまにか20ミリシーベルトに引上げられていました。
 私は、国による一方的な解除には、とても納得がいきません。
 現段階での解除は一度白紙に戻した上で、私たちの声を聞き、私たちに寄り添い、何か良い対策・補償を考えてはくれないでしょうか。



被告・国の主張ははおかしい


m20007.jpg

福田弁護士の報告集会での発言(一部要約)


 被告である国から、答弁書という書面が出ています。
 被告の答弁書は20ミリシーベルト基準についてはほとんど何も言っておりません。

◇「情報提供に過ぎない」
 被告の答弁書は、今回の私たちの請求のうち、「解除を取り消せ、解除を取り消して元通りにしろ」という部分について、「そもそもこういう裁判はできないはずだ。だから却下してほしい」という僕らの世界でいう本案前の主張、中身に入らず門前払いの主張だけをしています。
「今回の指定や解除は住民への情報提供に過ぎない。住民に『避難をしてもいいですよ』という情報提供しただけ。指定や解除によって何らかの権利が与えられたり、奪われたりという関係にはない。だからこういう裁判はできない」というのが被告の言わんとするところです。 
この話自体はおかしい。実際みなさん、NHKの受信料免除が打ち切られるとか、指定世帯への賠償が3カ月で打ち切られている。等々いろんなことが起こっているので、それについては今後反論していくということになります。

◇法律の準備がなかった
 しかし、たしかにこれには理由がなくはないのです。私たちは、原発を50何基も動かしてきたわけですが、事故が起きたときにどういう対応をするのかということについては、極めて漠然として法律しかなかったわけです。「原子力災害対策本部というのをつくって必要なことをやって下さい」ということしか法律にはなかったわけです。
 今回いろいろな避難区域が指定されました。警戒区域、計画的避難区域、緊急時避難準備区域・・・。そのうち法律で根拠があるのは警戒区域だけです。事前準備されていたのは。それ以外はすべて事故が起きてから、政府が改めて発明した制度です。
 そういう意味では、たしかに、法律上もともと予定されていなかったものなので、法的に争いにくいという側面があるというのは事実です。
 しかし実際には、避難に対する支援の打ち切りが行われているわけで、われわれとしてはその点に反応していくということになります。

◇被告の主張準備に3カ月も
 門前払いにするから中身ついては何もやらないというわけではなく、次回までに被告が主張をします。問題は、その主張を整えて裁判所に提出するのに、今年の12月まで3カ月もかかるということです。
 これは極めて不思議な話です。彼らが解除を決めたのは昨年の12月です。その段階で、なぜ正当かということについてきちんと説明できてしかるべきです。「今から省庁間の調整が必要です」(公判での被告側の答弁)ということ自体、昨年12月の解除が全然理由のない、きちんと検討しないままにやったものだということを示していると思います。

(了)



関連記事

テーマ:「原発」は本当に必要なのか - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/10/02(金) 20:00:00|
  2. 南相馬市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

汚染の現状と防護を巡って ―木村真三氏、河田昌東氏が小高で講演



clb001.jpg
(小高小学校/2015年7月 南相馬市小高区)


 8月2日、南相馬市小高区内で、「木村真三×河田昌東 放射線コラボ講演」と題する講演会が行われた。

 福島第一原発から20キロ圏内にかかる小高区は、約1万3千人の住民全員が避難している。南相馬市としては、小高区の避難指示解除準備および居住制限の両区域について来年の4月の解除を目指している。もっとも住民の意向は一様ではない。帰還を目指す住民もいれば、帰還をしないと決めている住民もいる。判断を保留している住民もいる。
 そうした中、この講演会は、帰還を目指す住民らが中心となって企画された。


clb0031.jpg


 講演を行った河田昌東氏(チェルノブイリ救援・中部理事、元名古屋大学教員、分子生物学)と木村真三氏(獨協医科大学国際疫学研究室長、放射線衛生学)は共に、チェルノブイリ原発事故後の調査や救援に長く関わり、その経験に踏まえて福島原発事故の直後から被災地に入り活動を続けている。
 講演では、原発事故後4年間の汚染の変遷と現状、様々な取り組みから見えてきた対策や課題が報告された。住民からは、放射線防護の具体的な取り組みについて質疑が行われた。また、質疑の後半では、現状において帰還するということをどう考えるかという問題を巡って意見が交わされた。


clb002.jpg
(木村真三氏〔左〕と河田昌東氏)


 以下、河田、木村両氏の講演と住民との質疑の要旨を掲載する。

  
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


山、川、土壌、野菜の現状
        ―河田昌東氏


 原発事故の後の2011年4月半ばから福島の測定を始めました。まずは、事実を知ることから始めなければというのが基本的な考えです。
 そして、避難できる人、あるいはしたい人は当然避難すべきです。ですが、避難できない人、残っている人たちもいる。そういう人たちの被ばくをいかに下げるか。まずは正確な汚染マップを作る必要がある。それから内部被ばく対策のために、いろんな食品等の測定が必要だ。そういうことで活動をしてきました。


clb010.jpg
(南相馬市内での線量測定中の河田氏〔左から2人目〕/2012年5月)


 空間線量率は低減

 まず、空間線量率の測定ですが、2011年6月に第1回の測定を行いました。その結果をマップにしましたが、当時これを見て大変だという気持ちでした。
 それから、半年毎に測って、今年の4月、第9回の測定ですが、青いところ(
自然放射線を引いた上でプラス1ミリシーベルト未満)が大幅に増えています。予想以上に空間線量が下がってきています。
 第1回目のときには、年間1ミリシーベルト未満というのは、全体の5%ぐらいしかなかったんですけども、今回の測定では77%に増えました。小高区では、2012年には21.8%でしたが、今回は61%になりました。

 山で汚染が循環

 ところで、山に近い部分はどうしてもいろんな問題が起こります。
 チェルノブイリの例でいうと、事故直後、木の葉の汚染が15万7千900ベクレル。それが次第に腐葉土になって土の下に沈んで行きます。そうすると土の上の方は汚染が弱くなって行きます。しかし、腐葉土になって沈んで行くと、今度はそれが根から吸収されるようになります。そこで、木の年輪を分析すると、事故後6~7年ぐらいから急に汚染が高くなっています。これは根からの吸収が始まったということです。
 根から吸収すると、また葉っぱも汚染します。それがまた落ちてまた土に帰る。また吸収される。こういう循環が始まるわけです。あとは半減期で減っていくしかない。
 同じようなことは、恐らく南相馬でも起こるんじゃないかと風に考えています。


clb009.jpg
(線量測定の打ち合わせ/2012年4月)


 土質の違いと汚染の深さ

 山の土なんですけども、川内村では、まだ地表から3~5センチぐらいのところにセシウムの大半が残っています。カリウムは水に溶けやすいので溶けて下に沈んで行きますが、セシウムは水に溶けにくいので残ります。
 そうするとどうなるかというと、例えば山菜など地表に根を張るものは汚染がうんと高くなります。カリウムがあれば代りに吸収されてセシウムの吸収を抑制するんですが、カリウムは溶けて流れてしまうのでセシウムが吸収されてしまう。山菜の汚染が高いのはこういうことが理由です。
 しかし場所によって全然違います。南相馬市の押釜では地表から20~25センチぐらいまでセシウムが沈んでいます。土質の違いです。粘土質の場合には沈み方は遅いんですけど、砂質の土壌の場合は非常に速い。だから、場所によって汚染の進行の度合いが違うということも考慮に入れなければならないということです。

 澄んだ水と濁り水

 みなさんが気にしている水の問題です。
 土質によって違いますが、セシウムが雨水に溶けて沈んで行くスピードはゆっくりです。井戸水は、みなさん、よく測定に持って来られますが、深い井戸水で汚染が出たケースは今のところありません。これはチェルノブイリでも同じです。
 それから南相馬市の上水道は地下水ですので、水道水に関しては安全であると思います。
 問題はダムの水や川の水を利用しようというときです。セシウムは濁りです。土壌の粒子に固くくっついています。だから、もし、どうしてもそれを利用するというのであれば、例えば、濁りを濾過するのが有効です。透明な水には、セシウムはほとんど含まれていません。例えば、飯舘村の川でも、澄んだ川の水を測定すればセシウムはほとんどない。しかし濁った水を測れば必ずあります。

 アンモニアで可溶化

 ただ水溶性のセシウムという問題があります。なぜ水溶性のセシウムができるかです。
 例えば、鉄分の多い地質の場合です。鉄分が雨で川に流れてきて水中で酸化されんですが、そうすると川の中の酸素が少なくなります。それがダムのような有機物が溜まっているところで起こると、有機物が酸欠状態で分解されます。そうするとアンモニアができます。アンモニウムイオンはせっかく土にくっついているセシウムをまた可溶化する働きがあります。
 そういう状態の水を使うのはとても危険です。そういうこともありうるということをご記憶いただきたい。

 野菜と山菜

 それから、野菜の測定をずっとやっているわけですが、その目的のひとつは汚染しやすい野菜としにくい野菜を区別することです。
 実際にやってみて分かったのは、根菜類は、土の中にある部分の方が高いだろうと思うんですけど、実際は逆で地上部の方が汚染は高いんです。例えば、サトイモのイモは低いけど、上のイモガラは非常に高くなります。
 年毎に汚染は下がっています。野菜に関してはそういう傾向があります。
 ところが山菜、例えばコシアブラなどはてんぷらにするとおいしいですが、汚染は極めて高いです。これは、最近の研究で根の構造に原因があるらしい。
 それから、2013年と14年と同じ山菜を比べてみると、ゼンマイは14年の方が高くなっている。ワラビもそうです。
 こういう風に、山菜の場合は野菜と違って増えてくるものもあるわけです。

 
    ・        ・         ・



志田名と二本松の取り組みから

            ―木村真三氏


 基本的には、「住むべきか、住まざるべきか」ということで、お話をさせていただきます。小高に帰れるからよかったのか。そうではありません。
 まずお話するのは、いわき市の志田名(しだみょう)地区の例についてです。川内村との境です。小高と同じレベルかそれ以上の汚染があった地域です。
 ところが、国はこの地域の汚染を知っていながら、当初、住民には知らせませんでした。放射能が通過した直後、自衛隊が志田名に入って線量を測っていますが、住民に知らせず見捨てています。
 この志田名の大越キヨ子さんは、自分の娘と孫を避難させました。でも孫たちには早く帰ってきてほしいという思いで、線量計を買って測ってみることにしました。中国製の小さいやつです。測ってみると仰天するような線量がありました。
 僕がたまたまこの志田名を発見してキヨ子さんの情報を得て、それから志田名のために動き始めました。


clb007.jpg
(いわき市と川内村との境にある川前町下桶売字志田名地区/2011年7月)

      ⇒関連記事「いわきのホットスポット 志田名・荻地区 住民が自ら調査し告発」(2011/7/6)

 

 空間線量の変遷

 米軍と日本が共同で航空機モニタリングをしています。2011年4月12日~16日、志田名地区は黄色です。ところが8月17日には赤く(線量が上昇)なっています。翌年5月23日~6月13日の測定でも志田名だけがホットスポットとして残っています。
 これはどういうことか。放射能は動いて、貯まってきているのです。志田名地区は七つの沢からなっていて、山から落ちてきたものが溜まって土になっているわけです。
 われわれは一所懸命この実態を訴えたのですが、県も市も聞いてくれませんでした。

 住民が自ら測定

 住民のみなさんとこういう会話がありました。
「隣りの川内はうちよりずっと低いのになんでテレビは貰う、冷蔵庫は貰うなんだ」。これに対して僕は、「じゃあ、ゼニカネで解決していいのかい?」と。そうすると住民のみなさんは「そうでねえ、おれらは元に戻したいんだ」と。僕は「正直、この地域は人は住めません」という話をしました。でも、彼らは、「自分たちの地域を捨てられない。自分たちで再生したい」と。「じゃあ、非常に難しいけど、やってみましょう」と。
 で、「田圃一枚一枚が自分の命だ。だから全部の田圃を測りたい」ということで、10メーター区画で測定しました。全部で713カ所。家の周りも、住宅も、庭も、仏間も、2階も測りました。713箇所を彼ら自身で測定しました。それを元に2011年9月に汚染地図ができました。高いところは毎時3マイクロシーベルトを超えていました。

 除染の効果

 その後、志田名でもようやく除染が始まりました。田畑含めて45ヘクタールの表層4センチをはぎ取る表土剥ぎです。その除染が去年10月に終わりました。
 除染後の状況を見るために改めて測ってみました。ところどころ1マイクロシーベルトを超えて2マイクロシーベルト近いところもありますが、平均値で0.44マイクロシーベルトでした。
 除染の効果があったかのように見えます。しかし、本当はどうなのかということを調べようということになりました。
 除染してもらえなかった牛の採草地があります。そこもずっと測定しています。ここから、地面に潜って行ったり、流れて行ったりした自然減衰ということが見えてきす。それから、物理的半減期による減衰があります。何にもしなくても時間が経つと放射能は減ります。これは理論計算で求めることができます。
 こうして自然減衰の分と物理的半減期による減衰の分を合わせると59%の減少でした。
 他方で、除染を行ったところの放射線線量率は84%の減少でした。でも、この84%には
や自然減衰の分や物理的半減期による減衰分が含まれています。だから、正味の除染の効果は25%(84-59=25)ということです。
 これを「25%しか」というのか「25%も」というのか、僕には正直分かりませんが、45ヘクタールの除染でフレコンバックが4万体です。丸2年で何億円もかけた効果が25%。何もしなくても59%は下がるのに。これが除染の実態です。
 しかも除染すれば終わりではないんですね。「先祖様がずっと作ってきた大事な養分の部分を全部除染で取っちまって、山砂を入れている。これが元の土に戻るのには何年かかるんだい?」と。これが現実です。
 住民がこうポツリと言いました。「俺ら、この地域を元に戻したいってここまでやったけど、結局、若い人は帰って来ないんだ。除染して本当にしてよかったのかは正直わかんない」。
 たしかにこれが本当にいい事なのかどうかわかりません。そしてこの地域は20年先取りの超高齢化社会です。若い人というのが60代です。そういう人たちだけの集落になって本当にどうなのかというのが今の問題となっています。


clb008.jpg
(住民が自主的に行い、表にまとめた測定結果/2011年7月)


 賠償の話で分断

 志田名地区でも精神的賠償が話になりました。僕は、ゼニカネで問題を解決しない方がいいと言いました。金でまた部落が分断されます。
 1人当たりいくらという計算になりますから、5人家族なら5人分、2人家族なら2人分です。それで格差が出てきます。精神的賠償の話が持ち上がったら、まだもらってもいないのに、「あの家は何人家族だから。うちは2人だから」っていう話になってもうまとまらなくなっている。これに非常に胸を痛めています。

 内部被ばくの実例

 ところで、二本松市では2万数千名の内部被ばくを見ています。内部被ばくの人が見つかったら、検出下限値になるまで毎月ずっと測ります。下がりが悪いときは、自宅を訪問して原因がなにかということを徹底的に調べます。そして低減化を図るということをやっています。
 二本松市のある高校生の内部被ばくの問題です。ある高校生が、1年にわたって内部被ばくが続きました。ずっと上昇傾向を示すのだけど、何でなのかが分かりませんでした。
 最初は夏に差し掛かる前です。若い大豆の枝豆を彼は多食していたということがわかりました。大豆は放射能を濃縮しやすいのです。しかも二本松では、大豆はあぜ道とか除染していないところで作っていました。
 で、枝豆をやめると線量が下がりました。でもまた上がってきました。また自宅に行って調べました。薪ストーブかと思ったのですがそれは違いました。よくよく調べたら、2011年度のコメが原因でした。捨てるのはもったいないと保存していたもの(事故前の収穫だが保存中に汚染)を食べていました。でも測ったら31.5ベクレルです。食品の基準値からいえば食べてもいいことになっています。ただ、この高校生は野球部で1日2升もコメを食べるそうです。これだけ食べると内部被ばくは出てきます。つまり、食品の基準値だけで見ていたら良くないということです。

 帰還することがいい事なのか

 こういったことを含めて、帰れるからといってそれがいいのか、そうでないのか、ということもやっぱり考えないといけないということです。
 二本松や志田名のように住まざるをえない地域で、あれもダメ、これもダメというのは本当に忍びないです。ではどうするか。こうすれば線量は下がるし、食べられるということを提案していくことだと思います。現に住んでいるのに「ここには住めません」「ここでは我慢しましょう」だけではやはり持たないでしょう。
 ただ、小高の場合はこれから住むわけです。そういうところではどうするか。まずは自分が調べて、測ってみる。これが一番大切なことではないかと思います。


clb004.jpg


   ・         ・         ・



  【以下は質疑】



 薪によるセシウム飛散

 参加者:私の家は薪風呂なんですが、セシウムは飛散するのでしょうか?

 木村氏:はい飛散します。
 二本松で2番目に内部被ばくが強かった方が約4500ベクレル。自給自足をされています。いろいろ調べたんですが、食品などの汚染はほとんどなかった。汚染原因がよくわからないのでいろいろ話を聞いてみました。すると薪ストーブなんですね。そこで、ハイボリュームエアーサンプラーという掃除機の大きいようなもので調べてみることにしました。1時間ぐらい吸引してだいたい1日分の呼吸量の20立米。結果は400ベクレルを超えるぐらいのセシウムが出ました。
 で、すぐに新しい薪ストーブに替えたら劇的に下がりましたが、やっぱり薪ストーブは危険だということは変わりありません。薪風呂の方は家の中全体に拡散しないので薪ストーブほどではありませんが。

 樹木の汚染

 参加者:地区のゴミの片づけで、例えば枝打ちをしたらどっかで焼却しなればならない。たき火にするのか、風呂に入れるのかという問題があります。オール・オア・ナッシング的な話ではなくて実際に生活して行く上で、こういう木は線量が少ないから燃やしても大丈夫とかとういうところを、教えていただきたいです。

 河田氏:木の汚染には幾通りかの経路がありますが、事故が3月の半ばに起こったので、落葉樹と針葉樹の差が出ているわけです。
 事故当時、落葉樹には葉っぱがありませんでした。だから落葉樹に関して樹皮、表面についた汚染です。それが染み込んでいきます。
 ところが、松とか杉とかは葉っぱがあります。かんきつ類もあります。これらは葉っぱが汚染したわけです。葉っぱから中に入って行きます。葉面吸収と言います。しかも針葉樹の葉っぱは面積にするとすごく大きくなります。だから大量に吸収するということが起こったわけです。
 だから相対的に言えば落葉樹の方が汚染は少ないと言っていいと思います。

 川の汚染はどこに?

 参加者:比較的話題になっていないのが川だと思うんです。汚染は沖合の方に行ってしまっているのか、まだ河口付近にあるのか、中流付近なのか、バラバラっと広がっているのか。その辺のところの見解は?

 河田氏:河口の方が高いと思っている方が多いと思いますが、実は逆で、上流のほうが高いんです。絶えず山から下りてきて、沈殿するわけです。下流に来るほど、沈殿量が減りますから、傾向としてはそういうことです。もちろん大雨が降れば高くなります。

 緩いスクリーニング基準

 参加者:表面汚染密度のスクリーニング基準の件ですが、今の国の基準は40ベクレル(/平方センチ)ですね。私は35年間原発にいましたが、当時のスクリーニング基準は法律では4ベクレル、原発内の管理区域の管理基準は0.4ベクレル。それがいま40ベクレルのまま一向に下げられない。避難解除してそこに住んでもいいというのであれば、40ベクレルを4ベクレルになぜ下げないのかということが疑問です。

 木村氏:事故とか汚染があれば原発のイメージが悪くなって、原発は怖いということになります。だから、原発事故が起こる前の基準というのは原発のイメージというがあって、そのために管理基準を厳しくしていたと思います。
 ところが実際に事故が起きて大量に放射能がまき散らされた結果、そんなイメージ通りに行かなくなってしまったわけです。

 河田氏:事故が起こる前と後で変わってしまったんです。事故前は、それまでの研究や国際的なデータから4ベクレルを基準にしていました。ところが事故が起こってそれを超えてしまう現実が常態化しました。すると政府は、本当は4ベクレル以上あってはいけないはずなのに、そういう現実を当たり前のものとしました。
 原発労働者の被曝線量の限度も変えようとしていますね。廃炉作業の都合を人間の安全より優先した考え方です。
 そういうことを考えると、それは間違っているんだということを言っていく必要があると私は思います。

 
clb11.jpg
(浪江町の国道6号線沿いで行われているスクリーニング)


 内部被ばく1ミリは疑問

 参加者:原発労働者は3カ月に一回ホールボディカウンターを受けていますが、昔だったら、内部取り込みが発生すると、すぐに監督署への報告とか、原因究明のために一週間ぐらい作業をストップするということがざらにありました。そういう厳しい管理状況だったのに、今は内部被ばくについてあんまりコメントされないし、年間1ミリシーベルト以下だったら安心だって言いますが、内部被ばくだけで1ミリ被ばくするというのはどうなのでしょうか?まして京大の渡邊先生(南相馬市放射線健康対策委員会委員長/京大特任教授)なんかは8万ベクレルと言っていますが非常に疑問です。

 河田氏:ICRPのモデルで行くと、毎日1ベクレルの放射性物質を食べ続けるとある時点で平衡に達します。平衡のレベルは年齢や体重によって違うんですけれども、体重キロあたりに直すと、毎日1ベクレルを食べると、だいたい3ベクレルで平衡に達します。キロ当たり3倍になると考えればいいと思います。
 内部被ばくをシーベルトで考えるかどうかというのは大論争があって批判もありますが、ベラルーシの研究者は、キロ当たり50ベクレルを超えないようにするべきだ、それを超えると危険だと言っています。日本政府の考え方とは全然違います。
理論ではなくて経験則なんです。そうすると例えば、50ベクレルということは、その3分の1だから1日約17ベクレル以下にした方がいいということです。
 今の日本だったら守れるレベルだと私は思っています。
 チェルノブイリの場合、畜産物です。日本では家畜の餌は輸入の配合飼料だから汚染はないです。ウクライナでは雑草を食べています。それは今でも汚染が高い。だから牛乳も肉も高い。そういうものを自給自足で食べている。またキノコを食べたらいけないということは頭では分かっているけど、昔からの食習慣でやめられないわけです。
 ただ、子どもたちの学校給食については30年たった今でも、外からから汚染していないものを入れています。しかし家に帰ると家族で一緒に食べるからやっぱり問題が残ります。

 内部被ばくと健康被害

 参加者:よくチェルノブイリでガン以外にもいろんな健康被害があるといいます。だから福島もいっしょだという方がいます。しかし、今のお話のように内部被ばくについてはずいぶん違いがあると思うんですが、その辺についてどうでしょうか?

 河田氏:恐らく内部被ばくに関して、大幅に違うと思います。ただそれでどういう結果が出るかということはまだわかりません。
 チェルノブイリの例で言うと一般にはガンが言われますが、実際はガンはいろんな病気の一部です。一番多いのは心臓系や脳血管の病気です。
 それが今の福島で起こっているのか、いないのかということについては、医学統計を取る必要があると思います。

 木村氏:日本の場合、医学統計は甲状腺ガン以外取っていないですね。
 ただ、広島・長崎で言うと、脳卒中がガンと同じくらいの出現率になっています。100ミリシーベルト被ばくしたら、100人のうち1人は脳卒中になります。ガンも同じです。さらに心筋梗塞が1.5倍の高さです。あとは白内障です。ただこの原発由来の白内障は今回、ちょっと考えにくいかなと思いますが、心疾患と脳血管障害は気を付けるべきでしょう。
 もうひとつ、原発投下から70年になりますが、10年ほど前から骨髄異形成症候群という血液の第二のガンが増え始めています。これは治療法がまだ確立されていません。60年経って出てくるというものもあるわけです。だから今大丈夫だから安心だということを言えません。


clb006.jpg
(小高区の駅通りで進められている災害公営住宅の建設)


 帰還の考え方をめぐって

 木村氏:僕は、帰還ということに対しても、正直なところは反対です。帰還しないでいいのであれば帰還しないでほしいというのが私の願いです。
 例えば、二本松の場合、線量が高く避難指示を出さないといけないのに、出されなかった地域です。もう今さら避難すると言っても遅いわけです。だからいま対処できることをきちんとやりましょうということです。
 しかし、小高の場合、避難ができているわけです。わざわざ帰る必要があるかということはいろんな状況を考えてみるべきだと思います。
 例えば、小高でも海沿いの方は運よく線量が低いので、そういう地域での生活は大丈夫です。ただ山や川との関係が切っても切れない生活環境にあります。山や川の環境をきちんと調べてから判断するというのが大切だと思います。
 だから、僕としては、避難が続けられるのであれば、まずしっかり測って調べてから、それから、帰るべきかどうかという判断するというぐらいの方がよいのではないかと思います。
 小高よりも線量の低い川内村は、いま7割の方が帰村したということになっていますが、実際は週4日以上住んでいる人を帰村者としており、完全に住んでいる人は3割、600人足らずです。

 参加者:今の話を聞いて、私は正直ストレスを感じるんです。震災から4年何カ月経って、それぞれ帰る人、帰らない人と、ある程度分かれているわけです。帰らない人は安全なところに当然行かれるわけで、それはそれです。測れとか線量が危険だとかという話は私ら、4年間、聞いてきました。そういう方面のことは行政とか県とかに働きかけるべきだと。
 放射線関係の専門家の方々に望むのは、そういう話ではなくて、現実問題ここで生活しようとする人たちが最低限安全に住むためには、例えば、川で、畑で、田圃でこういうところに注意すればいいといった前向きな指導をお願いしたいわけです。いつまでも危険、危険ばっかり聞いたってしようがないんです。

 木村氏:スタンスが違います。それはあなたの意見であって、私としては被ばくを見ているし、今ある現実の話をしているわけです。その中で私の意見としてどうすべきかということを言っています。
 あなたの考え方は分かります。分かるけれども、僕が、被ばくという現実を放置して、こうすれば住めますよということは違います。帰還論者と僕は考え方が違いますから。

 河田氏:どうすればいいかということについては先ほども農業に関して少しお話ししたんですけども、対策としてはある程度確立したと私自身は思っています。田んぼにしても、畑にしても、そういう意味では、いろんなことが可能です。

 参加者:私たちは、放射能の専門家ではないんで、そういう難しい数字だとか基準だとかを言われても、なかなか消化できないわけです。そういうことは専門家の方にいろいろ議論していただけばいいと思います。
 われわれ(小高区住民)は1万3千人いて、3千人帰るか4千人帰るかわかりませんが、そういう人たちが、日常生活を送る上で最低限こんなことをすれば、何にも対策を取らないよりは安全に近い側に少しでも移動するよということを提案していただける方がありがたいし、そういう指導なら受け入れられると思います。

 河田:わかりました。この間、ずっと南相馬でいろんな測定をしてきました。それを今、パンフレットにまとめているところです。これは危険だ、これは安全だ、これはこうすればいいといったことです。それをお配りする予定ですので、そういうものを見て対処できるようにしたいと思っています。 (了)












関連記事

テーマ:「原発」は本当に必要なのか - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/08/27(木) 17:00:00|
  2. 南相馬市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1

震災後、5回目の野馬追


nmk000.jpg 



 

 相馬氏の遠祖とされる平将門。その将門の軍事訓練が起源とされる相馬野馬追。1日目に出陣、2日目に行列、甲冑競馬、神旗争奪戦などがあり、3日目、最終日の
7月27日、相馬小高神社境内で、野馬懸(のまかけ)が行われた。


nmk001.jpg


 野馬懸は馬を捕まえ、贄(にえ)として、相馬氏の氏神である妙見(みょうけん)に献ずる神事。
 馬を贄にするのは古代の儀式であり、共同体の秩序維持を目的としたと思われる。
 古代の記録や遺跡の出土品などにも見える。平安時代以降は木製の板に描いた絵馬(えま)となり、今でも寺社への祈願の際に奉納するなどポピュラーだ。
 野馬懸は、古代の儀式の形を残している。
 

nmk002.jpg


 神社境内に設けられた矢来(やらい)に馬を追い込む。
 暴れる馬に、白装束の御小人(おとびと)たちが素手で跳びかかる。


nmk003.jpg


 ときに荒馬に振り落とされる御小人も。
 

nmk004.jpg


 そこに御神水(おみたらし)がかけられると蘇生する。


nmk005.jpg


 野馬追には、相馬藩時代の行政区分に従い、宇多郷、北郷、中ノ郷、小高郷、標葉(しねは)郷の五つの郷が、それぞれの行列をなして合流する。宇多郷は現在の相馬市、北郷は南相馬市鹿島区、中ノ郷は同原町区、小高郷は同小高区、そして標葉郷は浪江町、双葉町、大熊町。
 いずれも、東日本大震災と原発事故によって被害を受けた地域。小高郷や標葉郷は現在も避難区域だ。

 そうした中、震災後で5回目の今年、参加騎馬は総勢450騎。標葉郷も45騎が避難先から参加した。
 そして、3日間の観覧者数が20万人超。地域の住民、避難先から参加した住民、復旧・復興に関わる人びと、全国からの観光客、外国人の姿もあった。

 野馬追とともに浜通りの梅雨が明け、夏本番がやってきた。 (了)



 

 










関連記事
  1. 2015/07/29(水) 15:00:00|
  2. 南相馬市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

原発が大熊・双葉に来たとき  ~証言・半世紀前の真実


smk001.jpg






 中間貯蔵施設予定地の地権者である双葉町の池田耕一さん(84)。前回(3/14掲載)のインタビューでは、国の中間貯蔵施設の進め方に対して、「納得がいかない」という池田さんの気持ちを語っていただいた。今回は、時を大きく遡って、原発の立地が大熊町、双葉町に決まっていった当時、池田さんが実際に見聞きしたことをお話していただいた。

 事故を起こした福島第一原発の立地が大熊町、双葉町に決まっていく経緯は今日でも不透明な部分が多い。記録に残る限りで最初に立地に関して言及したのは1957年1月、木村守江参議院議員(当時)が双葉町の後援会で行った「この土地を全部利用するには原子力発電所きりない」(*1)という演説だろう。その後、佐藤善一郎知事(当時)が「三十三年(1958)当初から、ひそかに企画開発部に命じて、立地の適否について検討をさせ」(*2)、福島県庁を中心に極秘裡に進められた。その後、公式の動きとなるのは1960年5月、福島県が「大熊・双葉地点が最適である」と確認するところからであり、1961年6月、東京電力が同地点の土地取得を決定し、1964年7月には、福島県開発公社が地権者から用地取得の承諾を取り付けるという流れで運んでいる。「設置は比較的円滑に行われた」(*3)というのが公式の認識になっている。
 しかしその進め方は実際のところどうだったのだろうか。
 代々農業を営んでいた池田さんの家は原発予定地ではなかったが、その予定地の隣の行政区に位置し、池田さんは当時、行政区で開かれた「部落説明会」(*4)に参加している。
池田さんは、約50年前のことだが、東京電力などが行なった説明の中身を今も覚えている。福島県と東京電力は、住民の知識や情報の不足、出稼ぎなどの労苦に付け込み、原子力という問題についての説明を極力あいまいにした上で、「発電所の寿命は20年。その後は一大観光地にする」という話をしたというのだ。
 それから半世紀。大熊町、双葉町は「一大観光地」どころか、一帯が放射能で汚染され、すべての住民が先の見えない避難生活を余儀なくされている。半世紀後のこの苛酷な現実と、半世紀前、バラ色の未来を描いて見せた説明会。未来を考えるためにも、半世紀前の事実を検証し教訓にする必要があるだろう。

*1 木村守江 『続・突進半生記』 1984年 
*2 佐藤善一郎伝記刊行会 『水は流れる 佐藤善一郎』 1983年 下線は引用者
*3 日本原子力産業会議 『原子力発電所と地域社会』 1971年
*4 『双葉町史』(双葉町1995年)、『原子力行政のあらまし』(福島県2010年)には地権者に対する説明会の記録はあるが、地権者以外の説明会の記録はない。お話しから1964年の用地買収と前後する時期に、双葉町郡山行政区の住民を対象に、福島県や東京電力が出席して行われた説明会と思われる。




smk002.jpg
(原発はこのような断崖を削ってつくられた。大熊町夫沢付近)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


◇「出稼ぎがなくなる。町が潤う」


――原子力発電所の立地が決まっていった当時のお話を伺います。

池田:もう、50年も前のことだけどね。部落説明会があったんだ。こういうのは親父が出るはずなんだけど、ちょうど親戚のご法事があってね、親父はそっちに行くってことで、説明会の方は私が代わりに行くってことになった。「どんな会社が来るのか、池田家を代表して、よーく話を聞いてきてくれ」と親父に言われて。
 当時、「どんな会社が来るのか」という感じで、原子力発電所なんてことは誰もわかってなかったね。
 説明会に出ているのはだいだい父親らの世代で、私なんか一番若いんで、後ろの方の席で黙って聞いていた。県会議員の人とか、会社の人たちが前の方に座ってたね。
 とにかく「大きな会社が来る」という話になっていた。原子力発電所とかいう話とは大分違うよ。で、「会社が来て、周辺の町村が潤って、生活も豊かになる」と。
 その頃は、みんな出稼ぎをしてたからね、どこの家でも。大事な息子が静岡まで行ったとか、トンネル工事の落盤で死んだとか、いろいろあったね。
 だから、「出稼ぎをしなくて済むし、町が潤うんだから、協力して下さい」って説明されれば、それりゃ、みんな協力するよね。そんなにいい話ならね。


◇「発電所の寿命は20年。その後は一大観光地に」


――説明会の場では、原子力発電所についての説明はなかったのですか?

池田:全然出ていないね。「発電所」とは言ってたと思うけど。まあ、もっとも、あのとき原子力発電所と言われたとしても、どういう危険があるかなんてことは分からなかったと思うんだけどね。原子力そのものが分かんないから。
 だから水力とか、火力とか、そういう発電所なのかなあと思ってたね。
でも、会社側がこういうことは言ってたよ。「もし何か失敗した場合には、避難道を放射状に、扇の骨のように作るから、安心して下さい」と。それで私はね、あら、会社の方で、「事故が起きたときは逃げて下さい」と言ってるんだから、これは危険なものなのかなってことは考えたよ。だって、危険でないものに避難路はいらないわけだから。
 だけど説明の中で、原子力の原子という言葉はあまりはっきりしてなかったね。そこをはっきり言っていたら反対という人が出て来るもの。広島・長崎に原子爆弾が投下されて、何十万人もの人が死んでいるんだから、それはだめだってことなるよ。だから、あのときはなんかこうオブラートに包んだような感じで、原子という言葉は表現しなかったと思うんだな。
 それから、会社はこういうことも言ってたんだ。「発電所は寿命が20年間」だと。そう、20年って言ったね。それで20年したら、「全部取っ払って更地に戻して、今度は遊園地にする」と。「大きな池をつくって、金魚を泳がしたり、お花畑にしたり、一大観光地にするんだ」と。こういうことを言ったんだよ。これはこの耳で聞いているからね。

――原子力発電だということが分かってくるのはいつ頃になるんですか?

池田:それはかなり後だね。工事に着工(1967年)してからだね。
 情報の早い人と遅い人がいるからね。当時、私は、黙々と農業をやっていて、あんまり出歩かないから情報は遅いんだよ。だから、私の記憶では、原子力発電所らしいということは、地層調査が終わって、工事が始まって大型重機などが入ってきてからだね。
 だから、もう反対とかという話にもならなかったわけよ。もう、どんどん工事が進んでいるんだから。


◇原発で働いて


――すると原発が危険なものだと思うようになったのは?

池田:原発で働くようになってからだね。
 第一原発ができてから、来てくれって言われて、原発の警備の仕事をすることになったんだな。正門で一人ひとりIDカードを提示させて、ヨシってやるやつだ。それから、テレビモニターが6、7台並んでいる部屋でずっとにらんでいるとか。イギリスの船で核燃料が搬入されたときの警備もあったな。夜中に男がフェンスをよじ登ってきたということもあった。これは魚釣りをしたかっただけだったんだけど。それから、「ダイナマイトをしかけた」という電話が入ったっていう騒動もあったな。
 そういう中でも、危険区域から出てくる作業員の管理だね、神経を尖らせるのは。責任があるから、もう一所懸命やったよ。
 建屋の中に入った作業員が出て来たら計量器に乗ってもらう。足の形が書いてあるところに乗ってもらって、足に放射能がついていたら、ランプがピカピカ、ブザーもビービー。手の方も同じ。何もないときは、ランプつかないからハイ、ヨシって感じだけれど。建屋の中に入った作業員は、一発で出た人はほとんどいないね。どっかに放射能をつけて出て来る。で、ランプがついたら、そこに大きな流し台があって、工業用石鹸みたいなので、ガーって洗うわけ。早く帰りたいから、もう夢中になって。で、放射能がついていればまたビー、ハイもう一度って。ブザーがなるときは5回でも6回でも。上からの命令だからね。
 こういう感じで12、13年やってたよ。なかなか農業だけでは食べられないからね。

――そうすると、当初、原子力についてしっかり説明をされないまま建設されて、その後、実際に原発の現場を経験してどう感じましたか?

池田:工業用石鹸みたいなので、作業員に手足を洗らわせて、厳重にチェックするということをやっているうちに、これは恐ろしいもんだなと。
 というのはね、そういう作業に入った人が、病気になったりして亡くなっているんだよ。うちの親戚でも、末家(ばっけ)の旦那が死んでるからね。原発で稼ごうってことでいろいろ資格を取って、危険区域に入って作業をやって、いい金取って他所さんの田圃も買って、地盛りして家を新築したんだ。10年以上勤めたかな。でもある時もう見る見る弱っちゃって、私よりはるかに若いのに、コロッと死んじゃった。病気は白血病。
 もちろん、東電側では放射能で死んだなんてことは言わないよ。そんなの一人もいないということだから。絶対安全という安全神話がもう頭の中に叩き込まれているからね。われわれもそういう教育を受けているから。だから、作業員が死んでも、「放射能とは全然違うんですよ」とか、「持病ですよ」って、「放射能とは全然関係ないから」ということになるんだけど。
 でも、白血病で死んでいる方は他にもいるよ。細谷のHさんというのがいて、この家の大事な旦那さんもやっぱり白血病で。普通、回りにそうそう白血病なんてないよね。
 もちろん、私らもね、「放射能で死んだんだ」なんてことは一言も言ってないよ。医者じゃないし、東電がやっぱり怖いし。ただ聞かれれば「あの人は原発で働いていた」と。それから、「白血病で死んだ」と。これは言えるよね、事実だから。
 親戚とか回りで、原発に行って稼いで、だけど白血病になって死んでしまうというのを見ていると、これは怖いなとようやく分かってきたんだ。安全というのも神話なんだなって。
 でもそういうことが分かってきたときは、もうどうしようもなかったんだよね。だって町全体が原発に組み込まれてしまったようなもんだから。

――改めて、原発の立地が決まったころのことを振り返るとどんなお気持ちですか?
 
池田:あのときね、「20年で寿命だ。その後は遊園地だ」って言ってたけど、その後40年まで延ばして、挙句の果てにこの様でしょ。遊園地どころの話じゃないでしょ。そういう説明をした人たちはどういうつもりだったんだい。みんなもう生きてないだろうけど。
 だから、今の「中間貯蔵施設」の問題だって同じだよ。「30年以内」なんて話は全く信用できないよ。
 たまたまね、父親の代りに部落説明会に出ることになったけど、そこに参加していた親父の世代の人たちはみんな亡くなっている。50年前だからね。この話はもう誰も語れないわな。だから、言っておかないと思ってね。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


smk003.jpg
(事故後、最初の一時帰宅。2011年7月)


◇原子力を受け入れたのか


 池田さんのお話を受けて、原発の立地が大熊町、双葉町に決まった当時の状況について、少し振り返ってみたい。
 というのは、福島原発事故の被害について東京などで話題になると、「そうは言っても福島の人は原発を受け入れたんでしょう」という反応によく出会うからだ。また福島県内でも、「大熊町、双葉町の人らはお金をもらって原発を受け入れたから」という声も少なくない。
 たしかに、反対を押し切って土地が取り上げられたというわけではない。反対運動もなく、土地の買収も円滑に進んだとされている。
 しかし、少なくとも、池田さんのお話しからわかることは大熊町、双葉町の住民が、福島県や東京電力から、原子力発電ということについて正面から提起され、それに納得して賛同したというわけでは全くなかったということだ。
 原子力発電がどういうものかという知識を住民はほとんど持っていなかった。当時は茨城県東海原発が1960年1月に着工したところで、全国民の大半が、原子力発電に関する知識を持ちようがなかった。
 そういう住民に対して福島県と東京電力が行った説明は、「オブラートに包んだような感じ」「原子という言葉は表現しなかった」「私の記憶では、原子力発電所らしいということは、地層調査が終わって、工事が始まって大型重機などが入ってきてから」というのだ。
 もちろん、福島県や東京電力がその説明の中で、原子力発電について触れなかったということはないだろう。しかし用地交渉に当たった県職員の報告(*1)によれば、広島・長崎の原爆の記憶と原子力発電とが結びつくことに神経をとがらせつつ、「石炭、石油を燃やすと同じように、核分裂によって発生するエネルギーを水に加えて、あとは、火力発電所と同じであるという説明を行った」とある。
 原子力ということが、参加した住民の印象に極力残らないようにして、まさに「オブラートに包んだような感じ」で飲ませてしまうというやり方したということだ。
 そして、そのオブラートというのが、「出稼ぎをしなくて済む」「町が潤う」「遊園地」「一大観光地」という甘言だった。

*1 横須賀正雄 「東電・福島原子力発電所の用地交渉報告」(『用地補償実務例(Ⅰ)』1967年)


<死者720人超、放射線障害5000人>の試算


 では、原子力発電の危険性について、国、福島県、東京電力は、当時、どういう認識だったのだろうか。少なくとも、国、福島県、東京電力などの中枢レベルでは、原子力発電の危険性について相当厳しい認識を持っていた。
 原子力発電を日本に導入するに当たって、原発事故が起こった場合の損害賠償に関する法律を制定する必要があった。その前提として、原発事故の被害がどれくらいなるのかという試算を行っていた。科学技術庁が日本原子力産業会議に委託して行った「大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆被害に関する試算」(1960年4月、以下「試算」)(*2)。その試算は、いつかの条件や仮定によって幅はあるが、最悪の場合、<死者720人超、放射線障害5000人、永久立ち退き10万人、被害総額は最高で3兆7千億円>に至るという衝撃的なものだった。
 国は、原発推進のためにこの試算を機密扱いにし、40年後の1999年に公表されるまで、国は試算を行ったことすら否定し続けた。と同時に、原子力損害賠償の仕組みの構築や立地地域の選定などの前提にこの試算があった。
 1964年4月に原子力委員会が策定した「原子炉立地審査指針」(*3)はそのことをはっきりと示している。「原子炉は、どこに設置されるにしても、事故を起さないように設計、建設、運転及び保守を行わなければならないことは当然のことであるが、なお万一の事故に備え、公衆の安全を確保するためには、原則的に次のような立地条件が必要である」と述べた上で、「原子炉は、その安全防護施設との関連において十分に公衆から離れていること」「原子炉の周辺は、原子炉からある距離の範囲内は非居住区域であること」「原子炉からある距離の範囲内であって、非居住区域の外側の地帯は、低人口地帯であること」としている。
 つまり、試算のような重大事故を前提とし、それが最大の懸案だという認識なのだ。そして、そういう事故が東京のような大都市部で起こったら大変だから、僻地・過疎地に持っていけという考え方を提示した。そういう基準で、大熊町、双葉町が選定された。京浜工業地帯を中心とした高度経済成長を支えるための電力だが、重大事故による犠牲は、大熊町、双葉町の住民に押しつけるという判断がなされたということだ。
 しかしこういう判断だということを国、福島県、東京電力も言えるはずもない。そこで当該の住民に対して行われた説明は、「出稼ぎをしなくて済むし、町が潤うんだから、協力して下さい」。「発電所は寿命が20年間」「その後は撤去して遊園地に」「一大観光地にする」。こういう詐欺にも等しい行為が、立地の出発点において行われていたということをわれわれは確認しておく必要があるだろう。

*2 今中哲二 「原発事故による放射能災害」参照
    http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/genpatu/gunshuku9905.html
*3 http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/t19640527001/t19640527001.html


◇「出稼ぎをしなくて済む」


 さて、いまひとつ見ておきたいのは、「出稼ぎをしなくて済む」という言葉の持っている意味だ。
 出稼ぎの問題は、原発立地当時の問題に触れたとき住民から異口同音に語られる。実際、それは当時の大きな社会問題であり、切実な問題だったからだ。
出稼ぎとは、主に東北や九州の農村から、農閑期に数カ月にわたって東京などに出て、土木建設現場で働くこと。戦前からかなりあったが、戦後は高度経済成長の中で激増している。1964年の東京オリンピックを契機とした地下鉄、高速道路、下水道工事などの非熟練労働に従事した。重層下請制度の下、低賃金・長時間・無権利で労働災害が多かった。出稼ぎ出る者にとっても、残される家族にとっても辛い問題であった。(*4)
 しかし、そういう思いまでしてなぜ出稼ぎに出る必要があったのか。「農業だけでは生活が苦しい」(1972年農林省の面接調査)。これが大きな理由だった。
 では、どうして農業で生活できないのか。それは、高度経済成長という国策のために、政策的に仕向けられたというべきだろう。
 ひとつは、高度経済成長を推し進めるためには鉱工業の輸出の促進が至上命題であり、そのために貿易自由化が進められた。その結果、農産物輸入が激増し農業に打撃を与えた。そのために農家は農業外に収入を求めざるを得なくなった。二つには、農業の生産性の向上を掲げて稲作を中心に機械化が促進された。機械化は労働時間の短縮には貢献したが、同時に機械の購入のためにまた農業外の収入に走らざるを得なくなった。
 ここまでなら農政の失敗という話になるかもしれないが、そうではなかった。自由化や機械化を進めることで農業と農村を縮小合理化し、農業人口を都市部に引き出し、京浜工業地帯を中心とする労働力として投入する。そういう政策的な意図があった。だから農政でありながら農業と農村を破壊するということを意図的に進めた。その政策によって、都市近郊では兼業化が進むが、近郊に雇用がない地方では、出稼ぎや就職という形で、労働人口の流出となっていたのだ。(*5)(*6)

*4 林信彰 「農業政策の破綻と出稼ぎ」(1947年9月 横浜市「調査季報」43号 特集 出稼ぎ労働の問題点)
        http://www.city.yokohama.lg.jp/seisaku/seisaku/chousa/kihou/43/kihou043-012-019.pdf
*5 飯島充男 「福島県農業の現状と展望」(1980年8月『福島県の産業と経済』山田舜編)
*6 物質文明を拒否する立場から出稼ぎ拒否と論じた当時の論考に草野比佐男『わが攘夷』(1976年)がある。


◇未来のための教訓


 こうして見ると、「出稼ぎをしなくて済む」という言葉を、住民らがどういう思いで訊いたかがわかってくるのではないだろうか。と同時に、出稼ぎをせざるを得ない窮状が、国策によってつくりだされたものだということに強い矛盾を感じる。さらに、そういう窮状に付け込む形で、原発の立地が進められたのだった。しかも、推進する側はその危険性を知りながら、そのことをひた隠しにして進められた。危険性を知っているが故に、窮状にあえぐ地域に押しつけたのである。(*7)
 原発の建設が始まると、一時的に雇用が急増した。しかし、建設ブームは一時的なものだった。原発は、関連産業を生み出すような性格ではなく、浜通りに産業の集積が進み、一大工業地帯になるというのは全くの幻想であった。
 出稼ぎは形の上ではなくなったが、それは形を変えて、定期検査時の作業に、重層下請制度の末端に動員されるものであった。福島の原発が稼働時は定期検査作業を求めて全国の原発を回った。それは形を変えた出稼ぎでもあった。そして、定期検査時の作業は被ばく労働であり、健康被害を不可避とするものであった。原発の危険性の説明もなく、原発が立地され、その原発に働きに行っていた住民が、被ばくによる健康被害で苦しみ、そのことを訴えることもできないまま亡くなっていった。
それを目の当たりにすることを通して、「これは怖いなとようやく分かってきたんだ。安全というのも神話なんだなって」と気づいていく。しかし、同時に、「そういうことが分かってきたときは、もうどうしようもなかったんだよね。だって町全体が原発に組み込まれてしまったようなもんだから」。
 池田さんのお話から、原発という国策がどのように進められたのか、そして立地地域の住民がどういう思いをしてきたのか、ということを窺い知ることできる。と同時に、池田さんの証言から、本当に脱原発を進めるためには何が必要なのか、脱原発を訴える側がどういう人びとのどういう思いと結びつく必要があるのかという教訓を示してくれているように感じた。

*7 ここでは言及していないが、いまひとつの窮状として、1958年に大野村と熊町村が合併してできた大熊町の町財政の悪化という問題があった。


      ・        ・         ・

 なお、上で「反対運動もなく、土地の買収も円滑に進んだとされている」と述べた。たしかに運動といえるような動きはなかったが、しかし実は反対の声や抵抗の動きが存在していた。これについては回を改めて報告したい。(了)


関連記事

テーマ:「原発」は本当に必要なのか - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/07/01(水) 16:00:00|
  2. 双葉町
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

原発被害を受けた者が痛みを声にして  5月24日「ひだんれん」設立



bdr001.jpg




 福島第一原発事故によって受けた被害に対して、国や東京電力を訴える動きが全国に広がっている。そうした中、訴えを起こしている住民、団体をつなぐ「ひだんれん(原発事故被害者団体連絡会)」が設立された。5月24日、福島県二本松市内でその設立集会が開かれ300人が参加した。「ひだんれん」への参加団体は5月24日現在で13団体(*)になった。
(*参加団体:原発被害糾弾 飯舘村民救済申立団、福島原発かながわ訴訟原告団、福島原発告訴団、福島原発被害山木屋原告団、川内村原発事故被災者生活再建の会、南相馬・避難勧奨地域の会、子ども脱被ばく裁判の会、原発損害賠償訴訟・京都原告団、福島原発おかやま訴訟原告団、福島原発被害東京訴訟原告団/オブザーバー参加団体:「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟原告団、みやぎ原発損害賠償原告団、原発さえなければ裁判原告団)

 集会では、秋山豊寛さん(宇宙飛行士、ジャーナリスト、福島県田村市から京都府内に避難)の講演があり、さらに各地の原告や弁護士から取り組みの報告が行われ、「ひだんれん」共同代表の武藤類子さん(福島県三春町)が「手をつなごう!立ち上がろう!」という設立宣言を読み上げた。
 原告や弁護士の報告では、とりわけ以下のような国の動きに対して、苦しみと怒りの訴えが相次いだ。
 ①自民党復興加速化本部が、居住制限区域と避難解除準備区域について、2年後の2017年3月までに避難指示を解除し、精神的損害賠償の支払いをその1年後には打ち切る方針を打ち出した。②福島県が自主避難者に対する住宅支援を2016年度で打ち切る方針を打ち出した。③国が、年間20ミリシーベルトでの避難解除と帰還促進を基本方針として進めている。④国が、次の原発事故を想定し、電力会社を免責するため、被害者が損害賠償の訴訟を起こせないように制度の改悪に着手している。⑤総じて、国が、「原発事故の被害など大したことない」「福島原発事故はもう終わったことだ」として切り捨てようとする姿勢を露わにしている。
 このような動きに対して、設立宣言では次のように呼びかけた。「国と東電に対し、被害者の責任として本当の救済を求め、次の目標を掲げます。1.被害者への謝罪、2.被害の完全賠償、暮らしと生業の回復、3.被害者の詳細な健康診断と医療保障、被曝低減策の実施、4.事故の責任追及‥‥。私たちは、諦めることをしません。口をつぐむことをしません。分断され、バラバラになることをしません。私たちは手をつなぎ、立ちあがります。そして、すべての被害者の結集を呼びかけます」
 以下、集会発言から4団体5人の報告要旨を紹介する。

 

bdr002.jpg



        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 



真っ赤になって怒らねば


bdr003.jpg
福島原発かながわ訴訟原告団 村田弘さん
(南相馬市小高地区から横浜市に避難)



 福島から神奈川に避難している61世帯174人が現在、横浜地方裁判所で、国と東電の責任を認めさせる訴訟をたたかっています。今月の20日に9回目の口頭弁論を終えたところです。
 ところで、ほんとにひどいと思いませんか。自主避難者への住宅支援の打ち切り、それから居住制限区域などの解除の方針。そういうことが相次いで報道されました。この4年間、収束宣言から始まって、安倍首相のアンダーコントロール発言など、福島の原発被害者を蔑ろにする動きに本当にはらわたがちぎれる思いをしてきましたけれども、今度こそ、本当に許せないというような気持ちになっています。
 一言で言えば、「福島原発はもう終わったことだよ。もう、戦争をやるかどうかなんだから、『原発で被害を受けて賠償しろ』などといっている場合じゃないよ」と宣言しているに等しいですね。私はそう受けとめています。私は昭和17年生まれで73歳になりますが、私が生きてきた70年間の最後に来て、安倍政権という恐怖の集団によって、日本が爆発させられてしまうのでないかと、背筋が凍るような気持ちでいます。
 武藤類子さんが2年前に「私たちは静かに怒る東北の鬼です」と言われて、私も静かに怒ってきました。しかし、もう、そういう段階ではないんじゃないか。本気になって、真っ赤になって怒る必要があるんじゃないか。そういう気持ちで頑張っていきたいと思います。



思っていることを
言えないようにしている、
その根本とたたかう



bdr004.jpg
原発賠償訴訟・京都原告団 菅野千景さん
(福島市から京都市に避難)



 京都には51世帯144名の原告がいます。大人から子どもまでが原告となり、大阪や兵庫と協力しながらたたかっています。
 原発事故が起きて、食べ物や飲み物、生きるために必要な水や空気、大切な人との関係、それらがすべてこれまでと同じようにはできなくなってしまった。これは、私たち誰もが感じていることだと思います。毎日の食べ物や原発の状態など、そういう緊張感の中で子どもたちの心身の健康を心配しつつ今も暮らしています。
 しかし、その原因であり当事者である東電や国は謝罪もなく、他人事のようにしています。問題のすり替えの繰り返しで、腹の中が煮えくり返ります。
 私は、昨日、福島市に入り、今朝、タクシーに乗って運転手さんとお話をしました。運転手さんは、南向台(福島市。空間線量が高いが避難指示が出されなかった地域)に住んでいるそうです。原発の話もしました。運転手さんは、「(子どもとお孫さんを)もっと線量の低い所に引越しさせるんだ」と話してくれました。私が、「ああ、それはよかったですね。でも、こういう話が、みんなともっと普通に話せる環境になったらいいなあ」と言ったら、運転手さんが振り返って、「本当にそうだねえ。このままではおかしいもんナイ」とおっしゃっていました。
 心の中で思っていることを言えない環境にしている、その根本と、私はたたかっているんだなと感じました。本当のことを言ったら反発や批判を受けるのに、立証もされていないのに「因果関係はない」とか、「問題はない」と言い切る無責任な言葉は正当化されてしまう。そういう現実にとても違和感を覚えます。
 私は県外に自主避難しましたが、福島で暮らす人びと、県内で避難した人びととの間に、これ以上の溝をつくらず、この原発事故で苦しみや不自由さをすべて乗り越えるために支え合うことが必要だと心から思います。
 自主避難者の住宅支援を打ち切るという発表もありました。原発事故で生じた我が家の様々な損失を、個人で訴えて認めさせることが、経済的にも時間的にも精神的にも、本当に難しいと、3年前に実感しました。もう諦めようかと思ったときもありましたが、そのときに、京都で集団訴訟を起こすということを知り、私たちも原告に加えさせていただきました。でも、「東電、国に対してたたかうなんて無駄だ」と言われたこともありました。
 今日ここにきて、みなさんの力強いメッセージに励まされて、また、京都に帰っていくことができます。私は、原発にたいしては本当に無知でしたが、今日ここで、当たり前の暮らしを守ろうとして下さっている方々から勇気をいただきました。
 5月16日、「女たち・いのちの大行進in京都」という集いを行いました。命を守ろう、子どもたちを守ろうという思いの方が、全国から千人以上も集まって下さいました。子どもも大人も今日までたくさんのことを我慢して、諦めて、そして、お別れして、失ってきました。もうこれからは、助け合って、上辺だけの希望ではなく、本当の未来のために、力を合わせて、手を取り合って、進んでいきたいと心から願います。
 


子や孫を思えば
20ミリを基準にしてはならない



bdr005.jpg
南相馬・避難勧奨地域の会 菅野秀一さん
   
 南相馬市から参りました。南相馬市に特定避難勧奨地点がありましたが、去年12月28日にすべて解除になりました。その解除の理由が、年間20ミリシーベルトなんです。これは高すぎるということで、いま、訴訟を致しております。
 私たちが活動するにあたっての決意を7点ほどにまとめました。
          ・        ・        ・
1. 日本国内のすべての原子力発電所を廃止すること。
2. 日本国内の原子力発電所の再稼働は絶対に反対である。
3. 東京電力福島第一原子力発電所の事故は、過信による人災である。
  国及び東京電力は被災者に対して謝罪すべきである。
4. 原発事故による風評被害は、国の責任において払拭すること。
5. 避難解除基準の年間20ミリシーベルトはあまりにも高すぎる。
  原発作業員の被ばく基準と同じである。
  公衆の被ばく限度は年間1ミリシーベルトである。
6. 原発事故による被ばく者に対して、被ばく者健康手帳を交付すること。
7. 東京電力福島第一原子力発電所の事故は未だに収束していない。
  完全に収束するまで賠償を継続すること。
          ・        ・        ・
 解除で日常的に帰れるようにはなりましたが、現実には、まだまだ20ミリシーベルトを超えるようなところがあります。今から20年も30年も、私の孫たちが、安心して暮らせる、われわれの責任であります。そのために活動して行きたいと思います。



bdr007.jpg 
南相馬・避難勧奨地域の会 小澤洋一さん


 20ミリ撤回ということを訴えています。年間20ミリシーベルトでの避難だとか、避難の解除となっていますが、20ミリシーベルトを世界基準にしたらだめです。
 チェルノブイリの基準では、事故当初は100ミリシーベルト、それが段階的に下がって、5年後に5ミリシーベルトですね。ところが日本政府は、20ミリシーベルトのままでずっと来ております。
 われわれの命の保障や住宅の補償は打ち切って、オリンピックにひた走る。前福島県知事は、国道6号線で聖火リレーをしたいなどと言っていましたが、本当に情けないですね。
 空間線量、地上1メートルで0.14マイクロシーベルトあれば、放射線管理区域なんでんすね、さらに、1.36マイクロシーベルトあれば全面マスクです。
 


先のことを
考えられない状況が辛い



bdr006.jpg
福島原発おかやま訴訟原告団 大塚愛さん 
(川内村から岡山市に避難)


 
 昨日になって参加を決意しました。7カ月の赤ちゃんを連れてきました。
 77世帯103名が原告団になって2014年3月に提訴しました。原告の多くは、自主避難された方たちで、母子避難で岡山に来ている方もいます。私は、10年間、川内村で築いてきた自給自足の暮らしと、自分で立てた家のすべてを置いて、岡山の方に避難をしてきました。この4年間、何度も振り返ったり、涙を流しながら、生活再建を一歩一歩頑張ってきました。
 避難者の中には、子どもに無用な被ばくをさせたことで、健康診断の結果を気にしながら不安な思いを抱えている方もいます。とても仲が好かった家族がバラバラになり、お父さんは福島に残り、お母さんと子どもだけで岡山で生活を頑張っている方もいます。大好きだったおじいちゃん、おばあちゃんを福島に残し、年に1回、やっと会えるというような方たちもいます。
 原発事故の被害というのは、セシウムも目には見えませんが、受けた被害、心の傷というのも目に見えません。当事者である私たちが、暮らしの中で何が起こったかということを言葉にしないと被害というのは伝わらない。そういうことをこの4年間、つくづく感じてきたので、原告になった私たちは、勇気を出して発言をしています。
 そんな中で、先日、自主避難者の住宅支援打ち切りがニュースになりました。明後日、福島県庁の方に続けてもらうように要望したいと思っております。ある避難者の方が、福島県庁で伝えてほしいという思いをメールで送ってくれました。その方の言葉を読ませてもらいます。
           ・        ・        ・
 なぜ、自主的避難者に対して支援が打ち切られるのか。どんな思いでふるさとを離れ、親族や友だちと離れてきたのか。子どもを思う気持ち、ただそれだけで今を生きている私たちを、どうして支援してくれないのか。知らない土地に、遠い場所に、好んで避難した人なんて誰もいないと思います。
 子どもが生まれて家族になって、これからだというときに、なけなしの貯金を崩し仕事をやめ、すべて福島に残して避難してきました。4年がたち、生活がやっと普通にできるようになり、あの原発事故を振り返らずに、前を向いて行こうとやっと思うようになった矢先に支援の打ち切り。さらに雇用促進住宅は3年後に取り壊しが決まっています。子どもたちがやっと学校や岡山の生活になじんできてくれました。なのに、私たちはまた引っ越しや転校を繰り返さなければいけないのでしょうか。引っ越しにはお金がかかります。福島に戻るにもお金がかかります。親族に会いに一年に一度帰ることだってやっとの状況です。
 やっとの生活をしている私たちにとって残酷でなりません。お金なんかじゃない。将来が見えないことに、先を考えることができない状況が辛いんです。
 みんな同じだと思います。あれからもう4年。私たちにとってやっとの思いで過ごしてきた4年。やっと落ち着いて、子どもの数年後を楽しみにできるようになったばかりなのです。その小さな幸せさえも支援がなくなったら、また振り出しに戻るんです。どうかもう数年、私たち親が「自分たちが決めた道はこれでよかったんだ」と言えるようになるまで、もう少し時間が必要なんです。どこに行けばよいのでしょうか。もうあんな思いはしたくないんです。
           ・        ・        ・
 こういう言葉をいただいています。
 岡山は西日本で一番、避難者が多い地域で、関東から避難をしてきている人がたくさんおられます。そういう方たちが応援に来てくれ、訴訟に加わっていきたいという動きもあります。
 先ほど、秋山さんが、「この会場に来ていない人たちとつながっていこう」という話がありました。岡山では、福島県に留まっている人たちの保養の受け入れをしています。そのお母さんたちは訴訟には加わっていないけれど、同じ思いでいると思います。県内におられる訴訟に加わっていないたくさんの人たちの思いともつながっていけたらと思います。  (了)
 


関連記事

テーマ:「原発」は本当に必要なのか - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/06/01(月) 18:00:00|
  2. 告訴/賠償/ADR申立
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1

一面の菜の花  南相馬市太田

nhn01.jpg


 
 放射能で汚染された農地を菜の花で浄化し、再生する試みが行われている。
 その種からは、菜種油がつくられ商品化されている。
 チェルノブイリでの長い実践と経験に学んだ取り組みだ。

 黄色一色の圃場から、農家の人びとの農業再生にかける思いが伝わる。






関連記事

テーマ:「原発」は本当に必要なのか - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/05/10(日) 17:00:00|
  2. 南相馬市
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:3

萌え出す本陣山




spr001.jpg





spr002.jpg





spr003.jpg





spr004.jpg





spr005.jpg 












spr006.jpg 









   ついこの間まで、一面冬枯れだった。
  花たちが一斉に萌え出してきた。

 

         (本陣山=南相馬市原町区 相馬野馬追が行われる雲雀ヶ原に隣接し、かつて藩主が野馬追を観戦した)






関連記事

テーマ:「原発」は本当に必要なのか - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/04/12(日) 12:00:00|
  2. -
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
次のページ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。