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福島 フクシマ FUKUSHIMA
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福島 フクシマ FUKUSHIMA
津波被害と原発震災に立ち向かう人々とともに
満開の桜と被災の爪痕 警戒区域解除の小高区
(小高川の桜が満開。4月21日 南相馬市小高区)
南相馬市の警戒区域・計画的避難区域が4月16日に解除され、避難指示解除準備区域、居住制限区域、帰宅困難区域の3区域に再編された。〔下図〕
4月21日と24日、警戒区域解除後の小高区を訪ねた。
国道上に流された車
原町区の町場から国道6号線に入り南へ。これまで検問所が置かれていた花園ドライブイン付近を過ぎ、しばらく走ると、様子が変わってきた。
津波で流され、潰れたり、ひっくり返ったりした車がそのままだ。
これは、1年前と見まがうような光景だ。
小高区は、沿岸部で大きな津波被害を受けた上に、原発の爆発で避難を余儀なくされた。そして、福島第一原発から20キロ圏内にかかって警戒区域とされた。
その後、自衛隊によるガレキ撤去作業が行われたが、1年以上が過ぎているのにこの状況だ。
小高駅付近まで泥が
6号線を外れて、小高駅に回ってみた。
小高駅は、通勤・通学の乗降客が結構、多かったという。
駅前の自転車置き場には、あの日以来、置き去りにされている自転車が。
駅の向かいで作業をしている人の姿が見えた。
自動車整備工場で泥出しをしていた。
ここは、海岸から約2.7キロ。津波がもろにきたわけではないが、川を逆流した海水が排水溝から吹き出し、工場の機械が浸水したという。
一時帰宅で数回戻ったが、そのときはなにもできなかった。ようやく16日に解除になってから、泥出しを始めることができたという。
電気は、4月中におおむね復旧の見通しだが、水道は来年までかかるという。 インフラの面だけでも、生活できる状況ではない。
さらに気になるのは、放射能だ。この辺りの空間線量はどうなのか?
駅前で、空間線量を測定している若者に偶然、出会った。
線量計を見せてもらうと、約0.40マイクロシーベルト/時。同じ日の南相馬市役所での測定値が0.37マイクロ。
低いとは言えないが、福島県全体が汚染されている中で、この数値はあまり驚かない。小高区でも、海に近いほど、相対的には低い数値になっている。
地震の爪痕も
駅前通りを進むと、倒壊した家屋が目に入ってきた。
お菓子の工房の前に、思いを込めた看板が。
古い土蔵が倒壊して、通りを半分ふさいでいた。
これを見ると、津波だけでなく、地震の被害の大きさを改めて思い知らされる。
小高区の震度は6弱。
あまり人影のない通りに、女性の話し声が。ご近所同士の1年ぶりの再開だった。
左の女性は相馬市に、右の女性は福島市に避難していた。
近所同士でも、お互いどこに避難をしているのか消息ががわかない状態だった。
とにかく再開を喜び合っていた。
小高区役所
小高区役所に行ってみた。
業務は再開していないが、市の職員が、ここを拠点にして作業を始めていた。
区役所の空間線量が表示されていた。0.229マイクロシーベルト/時。
浪江方面へ
小高駅を離れて、浪江町の方に走った。
小学校があった。
金房小学校。新入生を迎えて、にぎやかになっているはずの季節だ。
しかし、もちろん、誰もおらず、ひっそりとしている。
原発事故以前、金房小学校には、145人の生徒がいた。
現在、金房小学校は、鹿島区の上真野小の仮設校舎に移っている。生徒数は26人になっている。
1年ぶりの墓参り
川房地区で、老夫婦が、お墓の掃除をしていた。
一時帰宅で3度戻ったが、それ以外では初めて。
この地域は、浪江町や飯舘村に近く、事故で放出された放射性物質を多量に含んだ雲が、真上を通過したところ。
現在も汚染は高い。県の測定値で、空間線量は2.54マイクロシーベルト/時。再編後も居住制限区域とされている。
老夫婦は、お墓の前で、「こんなことになってしまって、ご先祖に申し訳ない」。
そして、原発事故はもう終わったことであるかのような調子で復興を叫ぶ流れにたいして、「何が復興だ」と、疑念と怒りを露わにし、「民主党も、自民党も、私らのことなど、全然、考えていない」と厳しい批判を口にした。
「殺処分反対」 エム牧場
さらに、浪江町との境まで行くことができた。
すると、何かを訴える看板が。
原発から14キロの地点にあるエム牧場。
牛たちも、牧場長である吉沢正巳さん〔上の写真は2月下旬、警戒区域に入る検問所(当時)直近の花園ドライブインで〕も、大量に被ばくをしている。
国は、牛の殺処分を指示した。
しかし、吉沢さんは、それを受け入れられなかった。
日本でチェルノブイリが起こってしまった。その生き証人として、ここで生き続けることで、国や東電にたいして抗議し続ける。吉沢さんは、そういう生き方を選んだ。吉沢さんは、二本松市で避難生活をしながら、牛の世話のために毎日、ここに通っている。
国道6号線の検問所
6号線に戻って、検問所に行ってみた。
ここは、第一原発から10キロの地点。
広野町と楢葉町の境にある検問所ほど出入りは多くないが、一時帰宅や警戒区域内での作業のために、車両が出入りをしていた。
時間が止まっている
検問所を離れて、海岸方向に向かった。
福浦小学校と書かれた給水槽が転がっていた。しかし、校舎の影は全くない。
福浦小は、海岸から2キロ以上。
道路が、途中で水面下に沈んで寸断されている。
ここは、田畑や民家があったところだが、津波に襲われ、水が引かないまま、一面が湖のようになっている。
家も車も、グチャグチャ。津波の威力の激しさを物語っている。
蛭子稲荷神社にもよってみた。
視線を感じたので上を見ると、猫と目があった。
鳥居も倒れていた。
津波で壊れた家に、家族が集まっていた。
この家族は、今は、神奈川県に避難しているという。
この地で5代続いた農家。先祖が富山から移民をしてきたそうだ。
しかし、もうここには住まないと言っていた。
相馬地方は、江戸後期の天明の飢饉(1782~87年)で大きな被害を受け、人口が激減。労働力不足を補うため、相馬藩が移民政策をとった。砺波地方から、浄土真宗の門徒を中心に約1万人が移民をしてきた。
先祖が富山から来たという人によく会う。
しかし、今回の津波と原発の被害によって、その歴史も寸断されようとしている。
村上海岸の堤防。
津波で、堤防は至る所で決壊していた。
海岸線だが、高台になっている戸屋の集落。
津波は、斜面を駆け上がり、高台の上まで襲いかかった。
崖の端に、流された家がかろうじて引っかかっていた。
原町区下江井の水田地帯。ボートがここまで運ばれていた。
戸屋から北は、原町区だが、20キロ圏内だったため、警戒区域に指定されていた。
小高神社の桜
海岸線を離れ、小高神社に向かった。
小高川の桜が満開だった。
小高神社の石段を上ると、倒壊した灯篭が目に入る。
小高神社のある小高い丘は、かつて相馬氏が居城を築いたところ。
そして、桜の名所でもある。
もし原発事故がなければ、「浮船まつり」や花見で賑わったいた頃だろう。
しかし、警戒区域が解除されたばかりで、まだ、訪れる人はまばらだ。
そんな中で、一組の母子が階段を登ってきた。
このすぐ近くに自宅があるという。
いつも散歩していたこの場所に、親子で、1年ぶりにやってきた。
原発事故後、福島市に家族で避難。しかし、知り合いのいないところでの生活で、ストレスをため、体調を崩してしまった。そのため、原町区に戻ってきたという。
息子さんは、小高小の5年生。いまは鹿島小にある小高小の仮設校舎に通っている。
事故後、避難で、散り散りになって、消息の分からない友だちがたくさんいる。避難生活を伝えるテレビ報道に、そういう友だちがたまたま映っていることがあるそうだ。「『あっ、△△君だ』って、見つけたりするんだ」と話してくれた。
明るく話すが、それだけにいたたまれない気持ちにさせられた。
このあと、小高小を見に行くと言って別れた。
再編後の行方
避難区域の再編は、政府の以下のような基準に基づいて行われた。
避難指示解除準備区域: 空間線量が年間20ミリSv以下
居住制限区域: 〃 20~50ミリSv
帰宅困難区域: 〃 50ミリSv以上
区域再編の対象となったのは、南相馬市で、警戒区域とされていた原町区の一部と小高区。対象となったのは、3979千世帯・1万3256人。
避難指示解除準備区域: 3846世帯 1万2740人
居住制限区域: 132世帯 514人
帰宅困難区域: 1世帯 2人
警戒区域の解除で、解除準備区域および居住制限区域は、立ち入りが自由になった。製造業などの事業の再開もできるという。
しかし、夜、自分の家に泊ることも、認められていない。
また、電気は、4月中におおむね回復する見通しだが、水道については、来年の3月までかかるという。
ガレキの処理問題についても、明確な方針は決まっていない。
何よりも、「年間20ミリシーベルトは超えない」という空間線量の基準が、将来にわたって健康被害をもたらさないという保障はない。
除染も、小高区では全くこれからだが、そもそも、鳴り物入りで始められた除染だが、一向に成果らしい成果が上がっていない。
これが、実情だ。
小高区の行政区長連合会が、区域再編に関して、同区の全3700世帯を対象にしたアンケート調査を行った。 (3月中に郵送にて実施。回収率30.1%)
報道によれば、結果は以下の通り。
▽「小高区に戻りたいか」について
・戻りたい 53.9%
・戻らない 18.5%
・ 未定 27.6%
▽「戻りたい」と答えた世帯のうちの戻る時期について
・今後の状況を見て(3~5年先) 31.6%
・南相馬市が戻ってよいと判断した時 29.3%
・今後の状況を見て(1~2年先) 22.6%
・国が戻ってよいと判断した時 8.5%
▽戻ることへの不安について
・健康のこと(放射能汚染、医療福祉施設) 29.3%
・子、孫のこと(教育、健康、就学) 22.6%
▽「戻らない」の理由について
・汚染された地域での生活は不安 43.4%
・放射線量が下がり、生活基盤が整備されて小高区民がある程度戻っても、将来性がない
42.4%
・新天地での生活をスタートさせた 7.3%
このアンケート結果には、小高区の住民の引き裂かれるような思いが表されていると感じた。
誰もが、住み慣れた土地への思いを募らせている一方で、「戻らない」と答えた人はもちろん、「戻りたい」という人も、放射能と健康被害にたいする不安を抱えている。
さらに、双葉地方・相馬地方の経済圏・生活圏が、放射能汚染によって大きく破壊されており、避難指示が解除されたからといって、元の生活を取り戻せるわけではないという実情が重くのしかかっている。
また、国の示す判断や基準ということをほとんど信用していないということもよくわかる。
一体、どうするべきなのか。
国や御用学者の言う「安全だ」「戻れる」などという話はもっての外としても、逆に、「危険だ」「戻れるところではない」ということを外から決めつけてかかるのもまた、住民にとって受け入れられるものではない。
必要なのは、小高区の住民が、自分たちの力で、汚染の実態をつかみ、過去の教訓と知見に基づいて、一歩一歩、納得のいく形で、判断していく以外にないのだと思う。
そのためにも、この事故の真剣な総括と責任の明確化がなされなければ、前に進むことはできないだろう。
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テーマ:
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2012/04/28(土) 11:02:49
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福島原発事故の責任をただす 福島で告訴団
(県内各地から参加があった「福島原発告訴団」結成集会。壇上で報告をするのは、いわき市議の佐藤和良さん 3月16日 いわき市内)
「どうして、これほどの事故を起こしながら、検察による取り調べがないのでしょうか?疑問と怒りが、胸の奥からわき上がってきます」 (告訴団リーフレット)
福島原発事故を引き起こした責任者たちの刑事責任を追及する動きが、福島で始まっている。
三春町の武藤類子さんやいわき市の佐藤和良さんらを中心にして、3月16日、いわき市内で、「福島原発告訴団」が結成され、これを皮切りに、4月6日・郡山市、9日・福島市、12日・南相馬市、19日・白河市、29日・三春町と各地で説明会が進められている。
6月11日の福島地方検察庁への第一次集団告訴を目指して、告訴人への参加が呼びかけられている。
詳しくは、福島原発告訴団のウェブサイトを見ていただきたい。
URLは⇒
http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/
(写真上 呼びかけ人としてあいさつに立つ武藤類子さん
3月16日 いわき市内)
(写真下 弁護団の一人、保田行雄弁護士 3月16日
いわき市内)
(写真下 弁護団の一人、河合弘之弁護士 4月12日
南相馬市内)
以下に、3月16日のいわき市と4月12日の南相馬市で行われた河合弘之弁護士の提起を整理して掲載する。
河合弁護士は、脱原発弁護団全国連絡会代表、浜岡原発差止訴訟の弁護団長などで活躍している。
河合弁護士は、「これだけの重大事件で、誰も刑事責任が問われないのはおかしい」「連中は、個人責任を突きつけられないと、身に染みて反省しない」と問題提起し、この集団告訴が、「福島の人たちが立ち上がっていくため」のものであり、ひいては「原子力ムラを解体し、日本社会を変える」という「壮大なたたかいの一歩」だと訴える。集団告訴を大衆運動として進める具体的なイメージも出され、会場全体が、「これはやれる」という気持ちになった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【Ⅰ】 誰も咎められない異常
河合です。脱原発弁護団全国連絡会をつくりまして、その代表を務めさせていただいております。
やはり、これだけの重大な事故を起こして、これだけの人に多大な被害を与えながら、誰も刑事責任を問われないのというのはおかしいと、私は、ずっと感じておりました。
たとえば、雪印の事件。高々、賞味期限が過ぎていたという話。でも、あの事件では、すぐに押収捜索がおこなわれ、社長は追い落とし、そして逮捕・起訴という風になっている。
オリンパスの事件。これも、判明してから、一カ月で押収捜索、二カ月で逮捕・起訴。オリンパスだって、高々、お金がどっかに消えたという話ですよ。
でもね、福島の事件は、そんな事件ではないんじゃないですか。なのに何で、刑事責任が問われないのか。おかしいですよね。
責任者が、ずっといい加減なことをやってきて、ああいう事故を起こした。ところが、その人たちが、いまも、原発の行政をやっていて、あるいは原発にかかわっていて、誰も変わっていないのです。
例えでいえば、こういうことです。第二次世界大戦が終わりました。はい、何にもお咎めなしで、東条英機とかが、「諸君、いまから日本の再建に力を合わせてやろう」って、言っているのと同じなのですよ。
そんなことやったら、「ばか言うんじゃないよ。おまえら、こんなにひどいことをしておいて、よくそういうことをいえるな」って言いますよね。
それと同じことが、いま日本で起きているのですよ。全然、スタッフ変更なし。誰も変わっていないじゃないですか。清水社長はあまりに無能だから、再選されなかっただけ。
そんな社会現象って、他に例がありますか?
日本というのは、そもそもいろいろおかしいことがあるけど、まあ、良い国。だけど、原発の世界だけは、本当に変なことがまかり通っているのです。それがいままで見えていなかったけど、事故で全部、噴出してきた。
だとすれば、やっぱり、間違ったことをやった奴は、退場にしないと。そして、人心を一新して、「この災害から立ち直ろう」というのが本来のあり方ですよね。
この日本では、正義は行われないのか。本当にそう思います。
再稼働させたい原子力ムラ
刑事責任を問うことは、本当に重要です。個人としての刑事責任を問わないと、彼らは反省しないのですよ。身に染みない。だから、国民の大半が「原発をやめてくれ」と思っているのに、再稼働への策動がやまないわけです。
では、何で再稼働なのか。僕も、不思議で、不思議で仕様がない。みなさんも不思議で仕様がないでしょう?こんなにひどい目に合って、国民の大半が、「原発、もうやだよね」って言っているときに、なんで再稼働やろうとすんだよ。
でも、これには、ちゃんと理由がある。
日本の中枢部には、原発を絶対に再稼働させたいという勢力がいて、それに群がる原子力ムラというのがある。
ムラという言葉のイメージは、ひとつは小さい、ひとつは素朴だ。でも原子力ムラは、その二つに当てはまらない。ものすごく巨大で、全然、素朴ではなくて、すごい利権集団。
それをいまから図(写真下)に書きます。図に書くと、あまりに強大でガッカリしてしまうかもしれないけど。真実から、やっぱり目を背けてはいけない。
(原子力ムラを図示 4月12日 南相馬市内)
【電力会社】がいます。【役人】がいます。それから、送電線から何から、設備を一手に引き受ける【ゼネコン】がいます。もちろん、東芝やIHIなどの【メーカー】がいます。意外と知られていませんが、【商社】です。三菱商事などの総合商社は、ウラン・石炭・天然ガスなどの発電の燃料を買い付けています。また、【メディア】は、電通や博報堂を中心に全部、広告料で組織されています。それから、【地方自治体】です。そして、これらの全体に融資するのが、【銀行】です。【御用学者】も研究費をもらうために、「原発は安全ですよ」とやります。
これらが、日本経済の7割を占めている。そういう利権構造です。
これを解体しなければ、日本を良くできない。本当に僕はそう思いますよ。
個人責任つきつけ恐怖させる
そのためには、どうしたらいいか。刑事告訴ということが必要なのです。
たとえば、再稼働するときに、最終決定するのは誰だと思いますか?政府だと思いますか?違います。最後は、個別の電力会社の取締役会で、再稼働するかどうかを決める。
そのときに、「いい加減なことをやって、事故が起こしたら、刑事罰が来るな」って、恐怖すること、これが大事なのです。変なことをやったら、お縄頂戴になる。それが個人責任を目覚めさせるのです。
でも、実は、お縄頂戴だけでは、なかなか駄目なのです。なぜなら、権力が守ってくれるから。
そこで、大事なのは、今日はテーマに挙げませんけど、株主代表訴訟です。僕は、いま、刑事告訴とともに、株主代表訴訟に力を注いでいます。
株主代表訴訟というのは、取締役にたいして、義務を怠って、事故を起こして、損害を発生させたら、個人的に弁償させるという制度です。
僕は、この訴訟を、3月5日、東電の株主42人とともに起こしました。
請求金額が、5兆5045億円。これは世界新記録。ギネスブックにこれから申請しようと思っている。
いま、この訴状が、東電の役員のところに、送達されている。役員の家ではどういうことが起きているか。「お父さん、こんなの来たわよ。5兆5千億とか書いてあるけど、大丈夫?せっかく豪邸を造ったのに、捕られちゃうわよ」って、家庭内で不和が起きている。そうやって恐怖させないと、彼らは、自分の頭で考えない。
僕は、この訴状を、関西電力の役員にも送りつけた。 「お前ら、いい加減なことで再稼働して、事故を起こしたら、同じ目に合わせるぞ」って、警告書をつけて送りましたから。
それも、たぶん、物議を醸していると思います。
日本社会を変える
要するに、責任者の個人責任を問う手段として、この告訴をする。告訴をすることによって、個人の責任を自覚させて、原子力ムラを解体していく。原子力ムラを解体できて、悪いことができないようにすれば、日本はよくなるのですよ。
この集団告訴は、そういう壮大なたたかいの一歩なのです。
「いやあ~、起こってしまったことだし、人間、許してあげなくては。許しからすべては始まるんだ」なんて甘っちょろいことを言わないで、悪いことをした奴は、徹底的に追いこむことによって、個人責任ということが芽生えるのです。
日本は、組織の後ろに隠れて、悪いことをする匿名社会。この匿名社会を変えなければ、日本は良くならないし、原発もなくならないし、原発被害はなくならない。そこを是非、ご理解をいただきたい。
悪いことをしたやつらが、何にも処罰されないままで、福島の人たちが、立ち上がれますか?立ち上がれないですよね。「やっぱりそうか、あいつがちゃんと罰せられた。じゃあ、おれたちも本気で頑張ろう」ということになるわけじゃないですか。
だから、是非、この刑事告訴というのを、単に腹いせと考えないで、これから福島の人たちが立ち上がっていくための、福島が立ち直っていくための、重大なステップボードになるのだということを理解して、運動を開始していただきたい。
是非、みなさんの広範囲の結集をお願いしたいと思います。
【Ⅱ】 福島地検に集団告訴
では、刑事責任を、どういう風に追及したらいいか。
すでにご存じのように、広瀬隆さん(作家)や明石昇二郎さん(ルポライター)が、この福島原発のことで、東京地検に刑事告訴をしています。
罪名は、業務上過失致死傷罪です。原子力安全保安院とか、原子力安全員会のトップの連中は、もちろんのこと、勝俣、武藤、武黒という東電のトップを連中を告訴しました。
しかし、それは、たぶん、ろくに検討されることもなく、東京地検の棚に放り込まれたままになっていると思います。
僕は、広瀬さん、明石さんのやったことは、正しいと思うのですけど、方法がいまいち迫力が足りないと思うのですね。
僕が、みなさんに提案したいことは、告訴先が東京地検ではだめだと、福島地検でないとだめだということです。
東京地検というのは、行くとわかりますけど、すごく立派なビルで、暖かくて、ぬくぬくと仕事ができる場所です。東京地検で働いている検事は、エリートです。「東京地検の特捜の検事になるのが検事の目的だ」という人が多いぐらい、エリートコースです。家族は、安全な官舎に住んでいる。そういう人たちに訴えても駄目なのです。
それから、彼らは、もともと、原発関係者のことを、国策に協力した人たちと見ていますから、手ぬるいのです。
だから、福島地検に告訴しないとだめです。福島地検の検事は、仕事が終われば生活者です。毎日、被ばくしています。女房もいれば、子どももいる。福島に住んでいる。家に帰ったら、「お父さん、うちの子、大丈夫かしら」と嫁さんに聞かれます。「俺の子ども、大丈夫かな、3歳だけど。こんなときに被ばくしたら、ヤバイよな」。そういう被害者としての意識を、共有しているに違いないのです。そういう人たちに、告訴しないといけない。
告訴する先が重要だと思うのですね。
住民が大挙して押しかける
次に大事なのは、誰が告訴するかということです。
一人や二人のエリートや著名人が告訴しても駄目です。福島の何千人・何万人という被害者が、みんなで力を合わせて告訴をすればいいのです。被害者である皆さんが、「どうしてくれるんですか、こんなことになって。こんなことを起こして、だれも罰せられないなんて、おかしいじゃないですか」。
こういう風に、みなさんが力を合わせて告訴することです。
僕は、連名で最低3千人は集めてほしいと思います。
3千人の告訴人が、告訴状を出したら、それは、なかなか無視できない。
しかも、その人たちは、被害者だ。ほんとに苦しんでいる。そういう被害者の方々を中心に据えるのがいいと思います。
しかも、ただ、告訴状を弁護士がポッとだすだけではなく、何人もが地検に押しかければいいのです。地検に押しかけて、「どうぞ、告訴を受理して下さい。どうぞ起訴して下さい」ということを懇願すればいいのです。毎日、毎日、行って懇願すればいいのです。
もうひとつ、提案があります。
やっぱり、メディアの注目を集めないといけないから、人の鎖で、福島地検を囲めばいいのです。「起訴しろ」って、叫べばいいのです。
そうすれば、絶対にメディアは注目をしてくれます。
検察官の生き甲斐は、「被害者とともに泣く」ということです。まさにみなさんは、被害者だ。被害者が、「いっしょに泣こうじゃないか」「捕まえて、起訴してよ」。こういう風に、人の鎖で囲んで訴えれば、僕は非常にいい結果が出るのではないかと思います。
検察審査会でも
そうはいっても相手は権力です。
権力の中にいる人は、権力の側の人を守ります。原則として。ただし、ちょっと例外があって、汚職には大変厳しいです。
福島の事件においては、安全安心キャンペーンが染み通っていて、それから、「国策に協力してこうなったのだから、仕様がないんだよな」という風に、検事は、基本的には思っていると思います。だから、簡単に逮捕・起訴してくれるとは思えない。僕も、たぶん可能性としては、5分5分か、6・4で不利かなと思います。
でも、不起訴になっても諦めることはないのです。検察審査会に申し立てをすればいのです。検察審査会の審査員が、討議するわけですけど、その審査員も、福島県民です。被害者です。だから、「これで、無罪放免なんて、とんでもないよな」って思うように、また、デモをかけたりして、いろいろ働きかければいいのです。審査員のメンバーが誰なのかは、なかなかわかりませんけど、そういう世論を盛り上げていけばいいのです。
こうして、検察審査会が、「起訴相当」といって地検に返します。地検が、また「やっぱり不起訴だよ」となったら、また検察審査会に申し立てをすればいい。また、起訴相当で送って、もう一度、検察側が不起訴にしたら、強制起訴という手段があります。
これは、ご存じの通り、小沢一郎氏のケースがそうですね。そこまでもっていけばいい。そこまで持っていくつもりで、刑事告訴しようではないかというのが、私の提案です。
(河合弁護士 3月16日 いわき市内)
【南相馬での講演の後、河合弁護士に、「なぜ脱原発の道に入ったのですか」と訊いてみた。河合弁護士によれば――バブルの時代には儲かる仕事をたくさんやったが、それが空しくなっていたところに、故・高木仁三郎氏との出会いがあり、この道に入った――ということだ。また、東電の勝俣会長とは、東大卓球部の先輩・後輩の関係で、先輩である勝俣氏からは、「反原発になりやがって」と言われているという。こういう世界を経験してきた人が、いま、原発事故の責任者たちを舌鋒鋭く攻撃している。】
【Ⅲ】 刑事告訴の論点
「人の生命・身体に危険を生じさせた」―公害犯罪処罰法
では、この刑事告訴の論点は何かということです。
この事件に一番ふさわしいのは、「公害犯罪処罰法」という法律です。
その第三条に、「業務上必要な注意を怠り、工場又は事業場における事業活動に伴つて人の健康を害する物質を排出し、公衆の生命又は身体に危険を生じさせた者は、二年以下の懲役若しくは禁錮又は二百万円以下の罰金に処する」
第二項で、「前項の罪を犯し、よつて人を死傷させた者は、五年以下の懲役若しくは禁錮又は三百万円以下の罰金に処する」
こうある。これは読んで字のごとしで、仕事上の必要な注意を怠って、工場・事業場、つまり原発のサイトですね、そこにおける事業活動にともなって、人の健康を害する物質、これは放射能がまさにそのものですね、それを排出して、公衆の生命ないし身体に危険を生じさせた者は・・という構成要件です。
「人の生命・身体に危険を生じさせた」だけでいいわけです。だから具体的に怪我したとか、死んだとかという結果はいらない。公共危険罪というのですけど、危険を発生させるだけで、その結果はいらないのです。
◇「事業活動にともなって」
いまこれを読むと、「まさにこれだよ」と、みなさん、思いませんか?思いますよね。
でも残念ながら、これは、駄目なのです。東京地検は、「駄目だ」といったのです。
この罪刑で、岩手の人たち〔三陸の海を放射能から守る会〕が東京地検に今年の1月24日に告訴したら、「はい、残念でした。駄目ですよ」と、数日後に返事が返ってきたという話です。
これはどういうことを意味しているかというと、彼らも事前に検討していて、「こういう告訴が来たら、すぐにハネちゃおうな」って、法律的な研究をしていたということです。
その理由はどうかというと、「事業活動にともなって」というのは、たまたま起きたような事故で毒物を出すようなのは、当てはまらないというのです。たとえば、水俣でチッソが有機水銀を長期間にわたって排出した。公害犯罪処罰法は、そういうのを罰するためにできた法律で、一回的な間違いで毒物が外に出たというのは、業務上過失でやるというのです。「これは当てはまりません。はい、残念でした」ということです。
ということで、あきらめて方向転換しようというのも、ひとつの考えです。
たしかに東京地検が依拠する判例があって、アエロジル事件という事件ですが、タンクで運んできた材料を、Aというタンクにいれなければいけないのに、Bというところに入れてしまって、急激な化学反応が起こって毒ガスが発生、周りの住民が被害を受けたという事例です。この場合、「事業活動にともなって」に当たらないという判決です。東京地検は、それを引用して、「今回の福島原発の事件は、アエロジル事件と似たようなものだから、当てはまりませんよ」といってきたわけです。
だけど、僕は、それは、違うと思うのです。
事業活動の中で、放射能を扱っていて、「危ない状態になったら、ベントするよ」ということも、あらかじめ決まっていたわけです。ちゃんとベント管もあって、そこに流して爆発を防ながければならなかったのだけど、そこに流すタイミングが遅くなったから、放射能がいっぱい出たというのが本件の真相なのですね。だから、それは、たまたまではなくて、「事業活動にともなって」ではないか。事業活動と関係ないところで、たとえば、燃料棒を運び込むときに、間違って落として引火しちゃったというならともかく、事業活動の中で、発生している。だからこれは、「事業活動にともなって」だという主張も、簡単に引っ込めるべきではない。
僕は、告訴する場合には、それを第一の主位的な訴因にするのがよいのではないかと思っています。
それが、公害犯罪処罰法で、告訴する場合の法的な問題です。
「被ばくは傷害罪」―業務上過失致傷罪
二番目に、古くからある業務上過失致傷という犯罪で告訴するという方法もあります。これがオーソドックスで、人を傷つけたら何年という罪ですね。
その場合、傷害があるのかという問題です。
本件の一番重大な問題は、多くの人を大量被ばくさせたということです。放射能被ばくというのは、被ばく自体が傷害になるかという法律的論点を含んでいる。
僕は、この事件の本質は、多くの人に大量に被ばくさせたことだと思うから、そこを犯罪としてとらえないと、なかなか迫力がないと思っています。
被ばくは、遺伝子を分断させたり、免疫力を落としたり、うつ病にさせたりするわけですから、「被ばく自体が傷害だ」という主張を押し通していかないといけないと思っています。
これには、「被ばくした結果、なんの傷害を受けたの?」と反論される恐れがあります。
ただ、「被ばくは心配かもしれないけど、傷害じゃないよ」と言われたとしても、他にも具体的な被害が出ているわけです。たとえば、原発事故からの避難で、老人ホームの人たちがたくさん亡くなっている。それから、「原発さえなければ」といって、自殺した畜産農家の人がいます。それ以外にも、原発の現場で作業員が2人、亡くなっています。これらは、相当因果関係内の死亡だと私は思います。
ただ、これらのことをもって、この事件の本質とは言えないです。やはり、この事件の本質は、放射能を大量にばらまいたということです。
「規則を守る」と「安全を守る」は別
三番目の論点としては、当然ありうる言い逃れとして、「東電は、政府の決めた安全基準を守っていたのだから、過失はないんだよ」というのがあります。
「自分たちは、原発の設置の認可もちゃんと取った。安全基準もクリアした。安全審査基準を守って運転していた。すべての基準を守っていた。何か悪いことをしたんですか?」東電の連中は、こういう言い逃れを現にしています。
これを突破するのは、こういう論理が必要だと思います。例えば、カラオケ屋で、消防法を守って、消火器を置いて、スプリンクラーもつけていた。でも、いい加減なことをやってストーブが転がって火事になり、客が死傷した。こういう場合、やっぱり業務上過失致死傷で訴えられるわけです。
だから、「取締規則や安全基準を守るというのは最低限の話であって、それを守っていたからといって、無罪放免になるわけではないですよ」ということです。道路交通法を守っていたら、交通事故を起こしてもいいのかということと同じですね。取締規則を守ることと、安全を守ることとは、別問題だということをキチンと押さえないといけない。
しかし、この反論は、なかなかしぶといものがあるとは思います。
「想定外」のウソ
それから、4番目の論点としては、「異常に巨大な天災地変による被害なんだから、責任ないんだ」ということを言うと思います。いわゆる「想定外」です。
「想定外だ」ということは、初めから今でも言っていますね。
東電の監査役などが言っていることですけど、「基準値震度をはるかに上回る規模の地震が来て、それによって、基準をはるかに上回る津波がきた。それが、今回の事故の原因のすべてだ。だから仕様がないのだ。想定外だから。俺たちだって天災地変の被害者だ」というのが、東電の連中の基本的な立場です。
これにたいしては、「それはちがうでしょう」と――。
津波で言うと、何が想定外だ。あなた方は、6.1メートルしか想定していなかったけど、あなた方の内部の研究〔08年春に出された明治三陸地震(1896年)等をもとにした試算〕では、15.7メートルの津波が来るかもしれないという研究結果が出ていたではないか。それを外部にも発表し、内部でも、吉田氏〔原子力設備管理部長(当時)、後に第一原発所長〕、武藤氏〔副社長・原子力立地本部長(当時)〕、武黒氏〔副社長・原子力立地本部長(当時)〕に報告が上がったでしょう。だけど、あなた方はそれを握りつぶしたではないか。
そういう明らかな証拠がある。それは政府事故調の中間報告書に書いてある。
(東電内の試算とその握りつぶしを図で解説 4月12日 南相馬市内)
どうやって握りつぶしたかというと・・・。
〔図(写真上)を指しながら〕ここに東北地方があって、日本海溝があって、三陸沖がって、房総沖があって、福島沖がある。三陸沖で大きな地震〔1896年〕が起きているのですよ。この地震が、福島沖で起きたら、どれくらいかという計算をしたのです。その結果、15.7メートルと出ています。
普通なら、びっくりして何とかしようと思いますよね。ところが、武藤氏や吉田氏はなんて言ったかというと、「福島沖で起きたわけじゃない。三陸沖の地震を福島沖にもってきたことについて、妥当性に疑問がある。単なる試算、試しの計算だから、そんなことでいちいち大工事なんかやってられない」というので、握りつぶしてしまった。
でもね、オホーツクとか、チリ沖とかの地震を福島沖にもってきて試算したのならともかく、日本海溝の中では連動しているのですよ。地震を三陸沖から福島沖に持ってきたということは、日本海溝の三陸沖で地震が起きたら、福島沖でも起きるだろうということです。だから、不当な仮定ではないのです。
「いいかげんな仮定だから」というけど、自分の身内にやらせておきながら、「いいかげん」もないもんだと思うだけど、そういうことで握りつぶした。
ただ握りつぶすということだけだとヤバいから、土木学会に「もうちょっと調査していただけませんか」とか、「津波堆積痕をもうちょっと調べて下さい」と、人に荷物を預けておいて、放って置いた。それから3年がたっている。それでドーンと来たのですよ。
だから、一事が万事で、想定外でもなんでもなくて、「こういう危険があるぞ」「ああいう危険があるぞ」「これもあるぞ、あれもあるぞ」と、ダァーと警告の連続だった。それを全部、握りつぶした。
だから、吉田所長〔昨年11月退任〕は、英雄のように言われているけれど、たしかに、あの事故が起きてからは、英雄的に振る舞ったかも知れないけれど、その前の握りつぶしの張本人が彼なのです。だから、彼を決して英雄視してはいけない。
彼が、あそこで、「わかった」と、「じゃあ、ヤバいから、防波壁をつくろう」とか、「非常用ディーゼル発電機を1機だけでも高いところにあげておこう」とか、「水密化しておこう」とか、「こっちがやられたら、連携をちゃんとしておこう」とか、何千億円もかからない、何十億でできる方法がいくらでもあったのに、なんにもやっていない。「それがなんで想定外なんだよ」ということをこれから追及していかなければならない。
いかに立証するか
5番目の論点は、こうやって私が言っていると「もっともだな」と皆さん思うでしょう。思うけど、実際、そんなに甘くはない。
具体的な過失というのを、とらえていかないといけない。「ここで、こういう風に見落としただろう」、「こうやってサボっただろう」、「こうやって間違いをしただろう」、「だからこういう事故になって、こういう被害が出たんだよ」ということを立証しないと、刑事事件として立件されないのです。また、立件されても有罪にはならない。
これは、非常に、困難な作業です。というのは、情報は全部、あっち側が握っているのです。だから、普通だと、こっちは言うだけで、あっちが証拠を全部、握り潰してしまえば、それで終わり。
◇政府事故調「中間報告書」
ところが、そうは問屋が卸さないので、僕らが一番、頼りにしているのが、政府の事故調、畑村さんが委員長をやっている政府事故調査・検証委員会「中間報告書」。あれにかなりくわしくいろいろな問題点が書いてあります。
去年の12月26日に発表されたのですけど、畑村さんの立場は、「責任追及が目的ではない。真相の究明が目的だから、責任追及はしない」と言って、具体的な問題を伏せてあるんですけど、それでもかなり具体的な過失がわかる。
先ほど言った15・7メートルの話も、ちゃんと出ている。
それから、IC〔Isolation Condencer 非常用復水器〕といって、緊急冷却装置があるのですけど、その操作方法の基本の基本を誰も知らなかったという過失。そのために、当日、大変な時間をロスし、そのために炉心が露出して、溶融が始まって、放射能が充満して、ベントせざるを得なかった。そのために、放射能が大量に放出されたのだということも書いてある。
したがって、ひとつは、政府事故調の報告書に依拠するという方法がある。
◇東京電力・事故調査中間報告書
もうひとつは、政府事故調の報告書の前の昨年12月2日に、東京電力の事故調査・中間報告書を出している。
これは、自己弁護と隠ぺいの塊みたいな報告書です。「史上4番目の地震によって起こった史上最大の津波だ。だから仕様がないんだ」って書いてあり、もうひどいものなのです。でもさすがに、それだけでは済まないと思ったのでしょう。今後の改善点ということが書いてある。
でもね、改善点というのは、別の言葉でいうと、「手抜かりがあったから、こういう風に改善しますよ」というところです。そこを読むと、やっぱり東電の怠慢を捕まえることができるのですね。
◇国会・事故調査委員会
3つめが、いま、進行中の国会の事故調査委員会(黒川清委員長)による調査報告。これが6月の末に出ますけど、これは、なかなか良い布陣で、私たちの信頼する科学者も入っており、かなり厳しい報告書が出ると思います。
その報告書の一つの焦点が、今度の福島原発のシビアアクシデントというのは、本当に津波だけで起きたのかどうか、津波の前に、すでに地震で重要な配管の破断が起きていたのではないか、という疑問です。こういう疑問を田中三彦さん〔科学評論家 国会事故調委員〕が呈していて、非常に科学的な分析をしている。これにいて、政府事故調の畑村報告書では、「一応、そういうこではないのではないか」と否定的な見解を示されているですが、田中三彦さんは、「いや、そんなことはない。この説が正しいのだ」ということで、一所懸命、論証をしているところです。
国会事故調は、東電に非常に厳しい、批判的な学者もいっぱい入っていますから、東電側にとって、かなり厳しい報告書になるだろうと、期待しているところです。
世界平均の130倍の地震
株主代表訴訟の訴状を見て下さい。こういう訴状が日本でできたのは初めてです。
これまでも、原発を差し止めるための論理を一所懸命、構築してきました。例えば、浜岡で言うと、「マグニチュード8強の地震が、30年以内に88%の確率で来るぞ」と。
その場合に、「地震波を一番、強烈に出すところを、浜岡の原発の直下に想定しろ」、しかも、「浅い部分に想定しろ」というような議論をしたり、「中性子による脆性破壊〔金属強度が劣化する現象〕が進むぞ。だから原発を止めろ」という論理をずっとやってきたわけです。
ただ、事故が起きてしまってことにたいして、ここが悪かったのだという追及をしたことはないのです。だけど、初めてそういうことをしなければならなくなった。
そこで、政府事故調の報告書や新聞記事、あらゆる資料を集めて、「何がいけないのだ」というところで、書き上げたのがこの訴状です。
一番に強調したいのは、世界の地震の分布図です。
これを見ると、日本は、真っ黒で見えないくらい、日本は地震が強烈なのです。
もうすこし数字的に言うと、日本は、世界の面積の0・3%しかない。その0・3%の国土に、世界中の地震の10%が集まっています。単純に計算して33倍。測り方によっては、日本は、世界平均の130倍の率で地震が発生しています。
アメリカの東海岸は全く地震がない。それから、フランスやドイツも全然ない。
要するに、結論として、地震がいっぱいあるところで、原発をやっているのは日本だけだ。だから、日本だけは、絶対に原発をやってはいけない国なのです。他の国は、まあ勝手にしろと。だけど日本だけは絶対にやってはいけない。
なんでやってはいけないのか。原発は、巨大精密機械だからです。僕は、原発にもぐりました。浜岡の原発に現場検証に行きました。でっかいですよ。配管が、ワーと張り巡らされていますよ。やたらと、スイッチとIC〔集積回路〕があります。
精密機械は、衝撃と水に極端に弱い。例えば、携帯電話は、水につけたり、ガーンとたたきつけたりしたらアウトでしょう。それと同じです。だから、日本で原発はやっていけないのです。
「そもそも原発をやっていたことがいけないんだよ。それが、過失の第一だ」というのが、この訴状に書いてあることです。
この本質は、そこにある。最大の罪は、日本で原発をやったことなのです。
だけど、刑事事件で、それだけでやろうとしても、検事はなかなか動かない。でもやっぱりそういうものなのだということをまず分からせる必要があると思います。
刑事告訴の論点は、だいたい以上です。
ともかく、これだけの重大事件で、誰も刑事責任が問われないのはおかしい。連中は、個人責任を突きつけられないと、身に染みて反省しないのです。この集団告訴は、個人責任を追及し、そうすることで、福島の人たちが立ち上がり、そして、原子力ムラを解体し、原発をなくし、日本をよくするたたかいの一歩です。是非、そこのところをご理解いただき、多くの方にご参加していただきたいと思います。 (了)
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2012/04/18(水) 14:50:01
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「双葉郡民を国民と思っているのですか」 双葉町・井戸川町長に聞く
(双葉町の役場機能が移転している埼玉県加須市の旧・騎西高校)
原発事故で放射能がまき散らされた双葉町は、依然として、高濃度の汚染状態にある。今も、町民約6,900人が避難生活を強いられている。
政府は、除染作業で出る汚染土などを保管する中間貯蔵施設を、その双葉町を初めとする強制避難地域に設置しようという案を提示している。
この政府の方針にたいして、「どうして双葉郡〔※〕が引き受けなければならないのか」と、厳しい態度で臨んでいるのが、双葉町の井戸川克隆町長(65)だ。今年1月には、野田首相にたいして、「双葉郡民を国民と思っているのですか」と迫っている。
そこに込められている思いを中心に、お話を聞いた。
〔※双葉郡: 浪江町、双葉町、大熊町、葛尾村、富岡町、楢葉町、広野町、川内村の8町村を指す。東電の原発・火発が多数立地し、原発事故により、大半が避難区域に指定されている。〕
井戸川町長のお話の中に、民権の要求ともいうべきものを感じた。
福島県は、自由民権運動の発祥の地のひとつ。近代日本確立期の国家による暴政に抗して、民衆が、自らの手で自由と権利をつかもうとした運動だった。原発事故という未曽有の艱難に立ち向かう中で、いま、この運動の精神が、福島の人びとの中から蘇ろうとしている。そんな力強さを感じた。
なお、お話からも分かるように、井戸川町長もまた、「原子力ムラ」の中で生きてきた人のひとりだ。むしろそういう人が、原発事故とその後の政府の対応の中で、いま、このような態度を表明するに至っていることに、私は注目したい。
【フリーランスのメディアを対象にして行われた共同会見の内容を、筆者の責任で編集した。3月6日、双葉町役場埼玉支所内】
「もう、終わりだな」と
(井戸川町長。05年に初当選し、現在、二期目)
――「仮の町」構想や中間貯蔵施設の問題について、詳しくお話をうかがいたいのですが、その前に、改めて事故当時のことを。
井戸川:1号機が爆発した3月12日は、役場にいました。私のすぐ前が建物だったから、爆発は見えないのですよ。ただ、音だけは聞きました。鈍い音ですね。(原発は)ものすごく大きいものですから、ボンですね。ボンっていう感じ。
それから、圧力容器・格納容器を包んでいる断熱材のグラスウールが舞いあがって、それが降ってきたのですよ。大きいのから、小さいのから。空から降ってくるのですよ。音はしない。静かに降りてくるのですよ。
「もう、これで終わりだな」と思いました。「ここで、おれは終わりだな」と。
だから、今は、その延長戦で、終わったのだけど、まだ生きているのですよ。
――そのとき、他の人は?
井戸川:だいたい300人ぐらいいましたね。みんな被ばくしていますよ。
――国の方から、避難に関する指示は?
井戸川:ない、ない。そんな細かいことを国がやるわけがないじゃないですか。
――ヨウ素剤は?
井戸川:双葉町は、配りました。
――その後、避難先が、川俣町、それからさいたまスーパーマリーナ、そして、最終的に埼玉県加須市の旧・騎西(きさい)高校になりました。そこを選んだ理由は?
井戸川:簡単ですよ。スーパーアリーナから、(騎西高校の)他に行くところがなかったのですよ。当時はもう混乱していたから、県内は、とても戻れる状況ではなかったのです。
体を張って
――福島第1原発事故による汚染土などを保管する中間貯蔵施設を、政府が、双葉郡に設置しようとしていることにたいして、町長は、「どうして双葉郡が引き受けなければならないのか」と、厳しい態度を取られています。
井戸川:「原因者が誰なのか」ですね。中間貯蔵施設を受け入れたら、私どもが、原因者になってしまう恐れがあるのですよ。
貯蔵が30年という話ですが、なぜ30年なのか、私にはわかりません。どこから出た30年なのかもわかりません。そんな長いスパンのことを、誰もいなくなって、中間貯蔵施設だけが残ってしまったときに、「どうしてそれを受け入れる責任があったのか」ということを、後世に残しておかなければなりません。
ですから、双葉郡で受け入れる責任ということを、政府には、しっかりと立証してもらわねばなりません。
もう一つは、東京電力が、「あれ(まき散らされた放射能)は、私のものではない」と言い切りましたね。〔※〕
これは、おかしな話ですよね。だとすれば、なおさら、双葉町が受け入れる道理はありませんよね。
おかしなことになっているわけですよ。「放射能汚染がひどくて、ここは、長い間、住めないから、中間貯蔵施設をつくる」というけど、誰がそうしたのですか。放射能汚染がひどいのだったら、なおのこと、「早くなんとかして下さい」というのが普通ですよね。
〔※福島県内のゴルフ場経営者が、東電にたいして起こした裁判で、東電側が、放射性物質を「無主物」と主張。 無主物とは、「所有者のない物」「誰のものでもない物」の意〕
◇民主主義か恐怖社会か
井戸川:そういう私の発言が封殺されるとすれば、これはもう日本というのは恐怖社会ですね。恐怖社会の入り口にあるような気がするのですよ。
もし、日本が民主主義国家であれば、議論を重ねて、後世にも理解してもらえるような明確な理由を示さなければなりません。
「汚染が濃いから、住めなくしてしまえ」と言える人は、この世にいないと思う。そういう判定をする人は。たとえ裁判でもそれはできないでしょう。
それを政治的にやれるとしたら、これは暴挙でしかない。強制力を持ってやるとすれば、これはもう民主国家ではありませんね。
なぜ双葉郡に、中間貯蔵施設を造るのですか。放射能を撒いた責任を負う者が、何でそんなことをできるのですか。なんの言葉も出せないはずですよ。私としては、ここは、しっかりと体を張ってでも、頑張っていきたいと思っています。
――「早く除染をして欲しい」という流れが一方であり、それを利用して、「中間貯蔵施設を受け入れろ」という圧力になっているという印象を持ちますが。
井戸川:大いに感じますね。報道でもって、既成事実を固めていこうというやり方。これは、まさに恐怖社会そのものですよ。
「では、最終処分のことはどうするのか」という議論もなしにですよ。
いま除染をするために中間貯蔵施設と言っていますけど、その前は、除染をするために仮置き場って言っていましたね。いつの間にか、仮置き場っていうのが飛んじゃって、今度は中間貯蔵施設になってしまっているのですよ。まったく滅茶苦茶です、言っていることが。 だから、滅茶苦茶なことを言われているとすると、私らは、余計、「約束はできないな」と思います。
恐ろしいことが始まろうとしているのです。話をすり替えているのですね。
◇権利の行使
――町長は、野田首相にたいして、1月に福島市内で開かれた会合の場で、「双葉郡民を国民と思っているのですか」と迫りました。
井戸川町長:われわれは、原発災害で避難しているのです。
ところが、どうも、われわれの知らないところで、なんでも決めてきて、押しつけるようなことを、「示す」とか、「説明する」と言ってやってくるわけです。私たちが、議論に参加しない中で進められることについては、やっぱり納得もできませんよね。
また、多くの郡民が、被ばくしています。ところが、被ばくにたいするケアというのはまったく進展していません。クローズされています。
例えば、双葉町民が、避難先の九州の方で、検査を受けようと思って病院に行った。その病院が、福島県立医大に確認したら、「検査はやらないで下さい」と言われたというのです。
これは、国民として扱われていません。生きる権利はありますから。いろんなことを集約すると、国民としての権利の行使です。
少なくとも、被ばくさせられているというのは、われわれが望んでいるわけではなくて、一方的なことです。しかも、情報をクローズされて、十分な開示がされない。そういう中で、どういう選択をしてよいかわからない状態で被ばくしているのですね。
なのに、今もって、われわれを被ばくさせた人たちが、まだわれわれの眼に見えるところにいるんですよ。おかしいですよね。「もうこれで終わりか」という極限の状態を経験していないから、平然としていられるのでしょうね。
早い段階から、「ホール・ボディー検査をして下さい」と、国の上の方にお願いしてきました。でも、放置されてきました。今もって人数制限です。
甲状腺検査だって、やる気があるのか、ないのかわかりません。人数制限して、「そのぐらいのシコリは大丈夫です」って。本人にとっては、シコリがあること自体、問題なのですよ。それを「問題ありません」とかなんとかって、外部の人から、いとも簡単に切り捨てるように言われている。
この現状見たとき、国民として扱われているとは、私には思えません。
◇私の怒りは、そんな簡単なものではない
――国や東電にたいして、町長は、強い不信感を表明されています。
井戸川:これは、少し整理してお話ししたいです。
事故以前、私は、東京電力と原子力安全・保安院の方が役場に来ると、いつも「安全ですか」と問いかけておりました。
それにたいして、東電や保安院は、「町長、そんな心配をする必要はない。事故は起きないから」と言われ続けてきました。
しかし、事故の後、いろんな情報が入って来ました。
最近では、今年の2月26日の報道によれば、政府の地震調査委員会事務局が、震災の前に、宮城・福島沖で巨大津波発生の危険を指摘する報告書を作成していたということです。ただ、震災の8日前に、東電など原発を持つ3社から、巨大津波や地震にたいする警戒を促す表現を変更するように求められて、そのように修正していたということでした。
もしその予測を素直に、間違ってもいいから、世間に発表していれば、あるいは、岩手、宮城、福島、茨城、千葉で亡くなった方の何人かは、減らすことができたのではと思います。
また、東京電力は、福島第一原発に、高さ15メートルを超える大津波が遡上する可能性があると、08年春に試算しながら、津波対策の強化は行わないという決定を行っていたことも明らかになりました。
あるいは、アメリカは、79年のスリーマイル島の原発事故を受けた対応を、即座に行ったが、日本政府は、対策を取らないで放置したということもわかってきました。
許せないと思います。許すことができません。
東京電力は、原子力発電所を持つ資格などありません。資格のない会社が、原子力発電所を運転していたのですよ。そして、今もって、発電所から出た放射性物質を、自分の物ではないと断言している会社ですよ。社会的に許せます? そのために、県内のみなさんは被ばくしたり、迷惑を受けたり、苦しんでいるのですよ。
大事なのは、企業倫理です。社会道徳です。社会の正義ですね。これを自覚できないような会社が、あのような危険なものを持って、対策も講じないで、表だけ安全を見せかけてきて、裏は何にもなかったというのが現実です。
私の怒りは、そんな簡単なものではないということですよ。これを擁護するような政府ならば政府も悪いですね、絶対に。政府が率先して、これを正さなければなりません。監督責任あるわけですから。
――ところで、町長は、以前に、福島第一原発の7・8号機の増設を求めたとされていますが?
井戸川:私は、7・8号機は、早く造りたかったのです。
なぜかというと、老朽化している原発(第一原発1~5号機 マーク1型)を止めるには、別の発電所に移動させなければならなかった。それが遅れたために、今回マーク1型の発電所が、ものの見事に狙い撃ちされてしまったのですよ。
第二原発は少しレベルがいいのですよ。(第一原発)1号機から4号機が、一番、劣悪な条件の中で設置されているのです。だから、もっと早い段階でシフトしていれば、こういう事態にならなかったと思うのです。
そういう意味で「早くやれ」って、私は言っていました。
原発が好きで言ったのではなくて、安全のために言ったのです。
――1号から4号機について、早く廃炉にしろということだったのですね。
井戸川:それを言葉にすることは、なかなかできませんでしたけどね。そういう思いはありました。
(役場の入り口)
若い者が計画し実行を
――町長は、昨年暮れに、≪町民が新たな場所へ集団避難し、学校や病院を備えた「仮の町」を、3年以内をめどにつくる≫という「仮の町」構想を打ち出されました。
井戸川:具体的にどの場所ということは申し上げていません。具体的なものはこれから積み上げます。
「仮の町」構想では、子どもたちが、「これなら住みたいね」と思える未来型のものを目指したいと思っています。われわれ高齢者は、「そこに一緒に住もうよ」ということで、年寄りができるような役割をしながらも、子どもを育てていくのによい環境を用意すべきだと思っています。
もちろん、根底には、省エネであるだろうし、防災機能も十分備えたものでなければならいだろうし、いろいろと中身はつめていく必要があると思いますけど、漠然と言えるのは、「住んでみたくなるもの」を準備する必要があると思っています。
後は、これから議論をつめて、町民のみなさんに参加してもらって、形にしたいということです。
――町民懇談会でのみなさんの反応は?
井戸川:まだ、あまり突っ込んで議論はしていないです。来年度〔2012年度〕になったら、町民のみなさんのところに行って、意見を引き出すということですね。
立場のある私が、あまり先に言ってしまうと、それで固まってしまうということを注意してきました。新年度になれば、スピードアップして、それをみんなに諮っていくということになると思います。
―「仮の町」構想の実際の進め方は?
井戸川:いわゆるチームを作っていこうと思っています。
「仮の町」といっても簡単でないのですよ。相当お金もかかるし、仕事量も相当なものです。学校から何から全部ですから。あんな小さな町だけど、やっぱりそこには詰まっているのですね。それに近いものを用意するというのは、すごいことなのですね。日本でこれは初めてになると思います。それだけ大仕事だと思っていますので、だから議論もそのぐらい大きいものと思っています。
昔の移民とか、入植とか、ダム建設の移転とかの例はあるけど、でも、みんな違うんですよ。町ごとじゃないのです。
やっぱり、町ごとというところにこだわりがある。町民のみなさんがそうなのです。
――避難を強いられている町村では、「戻る、戻らない」をめぐって、分断が持ち込まれているという状況がありますが、その辺りを、町長はどう見ていますか?
井戸川:それ(「戻る、戻らない」の分断)はありうることだと思って、考えていかないといけません。
だから、最大公約数の中であっても、子どもたちを中心に考えていきたい。子どもと子どもを持つ親が、「ここなら住んでみたい。こういうものなら住みたい」という意見に、われわれも従うということが一番いいのかなと。われわれの発想で、われわれがつくってしまったところに、若者が住むとは限りませんから。大前提は、この次の町を支えてくれる若い人たちがそれを認めてくれることです。あるいは、若い人たちが、自分たちで、構想を築き上げる。計画を作って実行までを若い人らがやっていくような形で、参画をしてもらってやっていけば、なんとかなるのではないだろうかと思っています。
とにかく、町はなるべく一つにしたいと思っています。無理をしないということと、子どもたちが「ここならいいよ」ということ、放射能レベルも含めて、そういうことが大前提ですから、場所については、私は、今の時点ではこだわっていません。
(写真上:約500人の町民が、廃校になった高校で避難生活を送る。一教室を区切って、数家族が入っている。町長もここで暮らしているという。
写真下:車はいわきナンバーがほとんど)
除染の効果はない
――この間、国の除染モデル事業として、大熊町の役場などをやり、また、自衛隊を投入して、楢葉と富岡、浪江、飯舘村の役場の除染をしましたが、双葉町だけは、町の判断として、除染をしませんでした。
井戸川:「(政府が)双葉町の除染をしたい」と言ってきたのですけど、「それは待っていただきたい」と言いました。
なぜ除染の着手を遅らせるかというと、ひとつは、納得できる作業風景をまだ見た覚えがないからです。
今、いろんな業界の方が除去技術を競っており、二年ぐらいするといいものが出てくるのではないだろうかという思いがあります。それができるまでは、ということで待ってもらっています。
確実で有効な方法が見つかれば、費用も少なくなるのではないだろうかという期待も込めています。
今のやり方は、荒療治だと私は思っています。
大量の水を使って流すというマニュアル通りにやったら、下流域はどんどんと放射能の堆積場になってしまって、環境汚染をさらに広げてしまうのですね。
田んぼの土をひっくり返したって、脇の部分は残ってしまうわけですから、そうするとまったく効果なんてないと思っています。
森林の除染も、明確にまだ示されていませんよね。
ただ期限ありきで、25年度で終わると言っていますけども、これでは駄目ですよね。われわれのところは、限りなく放射能を取り除いてもらわないといけませんから。おかしな話ですね。
除染を待ってもらうもう一つの理由は、(除染を行う主体について、政府の示した指針では)「市町村の責任において行なう」というものね。
なぜそこにこだわったかのかというと、例の無主物〔※〕です。「ああ、そういうことだ」と。それで「市町村の責任で」って言いきったのだなと。
だけど、市町村に責任があるでしょうかね。私はないと言い張ってきました。
それからもう一つ大事なことは、今でも第一原発から放射能が出続けているわけですから。これが確実に止まらない限りは、除染をやっても、汚染は続くのですね。だから、時間ではなくて、確実なことをやるべきだと、私は思っております。
〔※ 放射能を撒きちした責任はないという東電の答弁書〕
――同じ双葉郡でも除染についての対応に違いがありますが。
井戸川:それは、それぞれの地域の判断で進めていることなので。
私は、年1ミリシーベルト以下にできるほどは、除染の効果は期待できないと判断しています。
それから、私は被ばくしています。放射能には、いま非常に敏感です。年1ミリシーベルト以上は住む環境じゃないと思っています。
ただ、この辺の1ミリシーベルトの許容範囲というのは、双葉郡の中でも、ばらつきがあるところですが。
双葉郡の首長の中でも、直接に被ばくをしているのは、双葉町長・浪江町長ですね。後の六町村長さんは、直接は被ってないと思いますね。いくらかは被ばくをしているとは思いますけど。
被ばくの度合いに違いがありますから、その辺の中で議論していかないといけないと思います。
――新しい技術の確立ができない場合、実際、チェルノブイリの経験では除染はできていないわけですが、その場合、除染に使う費用を、町の移転のための費用に使うべきとお考えですか?
井戸川:私は、その方がいいと思っていますね。それが、今、町民の望んでいる姿だと思います。いま困っているのは生活なのですよ。安心できる場所なのですよ。みんなで固まって住める場所なのですね。そういう環境を欲しがっているのですよ。
――国が言っている除染より、町を動かして欲しいということですね。
井戸川:そうなりますね。今回の町政懇談会でも、多くは、「どこかに早く、このままでは嫌だよ」という声が非常に多かったのです。
だから、町を動かすという方を優先しています。やっぱり現実的な話だと思います。だって、除染って、いつまでに完璧に終るのかという行程表がないでしょう。その間、何年待てばいいかっていったら、町民はもうくたびれますよ。
それよりも、「時間がかかるのは、後にして、いま求めていることを先にやってよ」っていうのは、これは人情でしょう。私もそう思いますよ。
「予算が組めません」
――09年9月に双葉町が早期健全化団体に転落しました。町の財政危機の中で、町長は無給でやっておられるというお話がありますが。
井戸川:それは誤解です。無給というのは、平成21年(09年)の1月から3月まで、手取りをゼロにしたのです。〔※〕
あれは、双葉町の財政が非常に逼迫して、健全財政法の4つの指標がクリアできなくなって悔しかったことがひとつ。もう一つは、(08年暮れに)派遣切りがあり、日比谷にテント村ができましたね。あの映像を見たときに、ショックだったのですよ。「このような善良な働き手、優良な納税者を、日本国は、なんといとも簡単に社会から排除するのだろう」と思って、悔しかったのですね。
手取りゼロには、このように二つの理由があったのです。それ以後はもらっています。現在は7割カットでやっています。
〔※ 09年1月から3月、報酬を、税金と健康保険分税分の5万6千円にした。〕
――原発立地自治体の財政が、一時的に潤っても、長い目で見たら破綻に追い込まれていくという歴史ですね。
井戸川:いいことを訊いていただきました。もうお話しする機会がないのかなと思っていましたけど、これは是非お話ししたいことです。
エネルギー基地の盛衰というのは、まさにわれわれが辿った道だと思っております。石炭産業もそうですね。水力発電所もそうですね。エネルギーの基地になったところが、こういうふうになる姿ですね。
エネルギー基地というのは、残念ながら使い捨てされてしまう。炭鉱は、ボタ山だけが残りました。原発の廃炉にともなっていろいろなものが出ます。降り注いだ放射性物質だけではなくて、廃炉にともなう瓦礫などが発生するのですよ。否応なくね。人形峠には、ウラン鉱石を採った残土が何万立方って放置されています。
エネルギー産業というのは、いかに短期か、ほんとにちょっとしか栄えない。こういうものだということをわかっていただきたい。そうあってはならないのですけど、おそらく切り捨てになるでしょうね。財政なんかどういうふうになるかわかりません。ほんと厳しいと思います。
したがって、放射能とこれから未来永劫、生きていくなどという夢物語に、私はくっついていけるものではない、危険だなと思っています。
――同じ原発立地自治体の大熊町の財政が比較的良くて、双葉町が悪かったのは?
井戸川:双葉町は、原発二機だけで、後は何もなかったのですよ。事務本館もなければ、業者村もない。いろんな施設がみんな大熊町にあったのですよ。双葉町に行ってみていただくと、それほど目立つ建物や贅沢な建物はありません。
だけど、私の話が、メディアに出ますよね。そうしたら、うちの秘書課には、もうすごいお叱りの電話・メール・手紙が、殺到するのですよ。「お前の町が、原発を誘致しなければこんなことにならなかった。山ほどお金貰っておいて」って。「責任は、お前の町にあるのだから、早く放射能を持っていけ」って。
でも、実際、お金は、大して、貰っていないのです。
原発の誘致が早く、早い時期の交付金は低かったのです。富岡・楢葉は遅かったから、待遇が違うのです。三倍ぐらい違う。それが毎年毎年ですから、こうなっちゃいます。だから借金が残っちゃった。
それから、最初の頃の交付金というのは、使い方が決められましたから、道路とか建物とかと。そうすると、今度は修理にお金がかかってしまうのです。修理は自前ですから。だからけっこう苦しんできたのです。だけど、そういう話はなかなか伝わらないから。
―誘致したとき、双葉町の主要な産業は?
井戸川:出稼ぎの町でした。あの辺は、ずっとそうですね。「福島県のチベット」と言われていたのですよ。だから、原発ができたのです。
発電所を誘致して、働く場もでき、関連の仕事もあった。だけど、工場誘致はあまり進まなかった。だから原発関連で働くしかなかったのです。
だけど、「東京に電気を送り出す」ということについて、なんかわけのわからないプライドというか、誇りがあったのですよ。原発を誘致し、稼働することにたいして、「おれらが、あの東京の3分の1をやっているのだから。おれらが電気を止めちまうと、あれが麻痺するのだから」なんて言っていたのですよ。
でも、この前、町民に聞いたのです。「余所の県の人から、『福島県に原発があるお蔭だ。ありがとう』ってお礼を言われたことがあるか」って。「ない。そういえば、そういうことを言われたことはない」って。だって、ある新聞記者などは、「電気が福島からきているとは、知らなかった」って言うのだから。
――町長は05年に初当選して以来、二期目ですが、そういう危機的な財政状況を知ったうえで、どういう思いで、町政を引き受けられたのでしょうか?
井戸川:もともとは、空調をやったり、水道をやったりの設備屋をしていました。
なぜ町長選に立ったかというと、夕張に近かったのですよ。借金がどんどん増えて、破綻寸前だったのです。もう予算も組めない状態だった。そこで、「会社は潰れてもいいや、でも、町は潰せない」という思いで飛び込んだのですね。
そりゃあ、つらかったですよ。町長になって、最初の年、12月8日に、初登庁したのだけども、総務課長から、「町長、予算が組めません」と。「なんだ。そんなにひどいのか」と言ったら、「はい」って簡単に。「おいおい、あんまり簡単に言うなよ」って言ったって、「だめなんです」と。
それから、値切りしたり、事業を止めたりして、なんとか辻褄を合わせました。
初年度はそれでできたのです。やる要素がいっぱいあったから。次の年ですよ、苦しかったのは。だいたい切れるところはやっちゃっているので。痩せる思いって、こういうことかと思いましたね。
そんなことをやって、なんとか22年度決算で、収入の中に占める借金返済の割合が25パーセントを切って〔※〕、「やれやれ、少しは、町民のみなさんにも、お金を使えるね」って。「だけど、大きな災害がないといいね」って言っていたのですよ。
それがこれですよ。震災と原発事故です。当たっちゃったのです。それだけ無念ですよね。
だから、「事故はない。事故は起きない。絶対に大丈夫だ」って言っていた連中には、つらく当たるのです。
〔※双葉町は、2010年度決算にもとづき、財政健全化団体の指定から外れた。〕
日本のメルトダウン
――双葉町の再生に向けて、おっしゃりたいことを。
井戸川:未来志向の中で、わたしたちは生きていかないといけないなと。逆戻りできませんから。
だから、双葉町民が、双葉町に戻って、復興という名の下に、放射能の掃除をしたりするということで一生を終わってしまうような人生を選ばせたくないと思う。
日本だって、そうしないといけないのではないですか。日本が沈んじゃって、若者が今は正社員になれないとか、雇ってもらえないとか、なんか経営者も力がないですよね。最近いっぱい大企業の誤魔化しが出てきたけど、これはなんとかしないと。
よく成人式とか卒業式で、希望とか未来って言葉を言うけれども、あの言葉に、ものすごく胸が痛むのですよ。
私は、今日、取材を受けてよかったと思います。わたしがずっとしゃべりたいことをしゃべらせていただきまして。
ただ、問題は、取材だけで終わらずに、日本という形を変えていく上で、今は、大事な時期だと思うのです。今回のメルトダウンというのは、日本のメルトダウンだと私は思っています。政府がああいうふうに醜態をさらすというのが、日本の姿なのですね。日本が、なんともやりようがなくて、あんな形で右往左往したわけですから。たんなる原発のメルトダウンではなくて、日本のすべてがメルトダウンした。このことは、みなさんと共有したいのですよ。
だから、どうやって、日本をもう一度、立ち上げていくのかということに、汗を流すべきだなと、私は、思っています。
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2012/04/01(日) 17:03:09
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警戒区域
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被災1周年 福島県民が全国に訴える 3・11県民大集会
(3月11日 2時46分、全員で黙とうを行う。 郡山市・開成山球場)
地震・津波・原発。3・11から1年。福島の人びとは、言い知れぬ喪失感と、時を経ても癒されない気持ちを抱えて、この日を迎えた。
3月11日、各地で、追悼と新たな出発を模索する行事が行われた。そのひとつ、郡山市内で開催された、東日本大震災・福島原発事故1周年「原発いらない!3・11福島県民大集会」に参加した。
(球場の椅子席が埋まり、会場の外に人が溢れた。1万6千人が参加)
集会は、加藤登紀子さんのオープニング・コンサートのあと、実行委員会委員長として、福島県教組委員長の竹中柳一さん、呼びかけ人を代表して、福島大学副学長の清水修二さん、連帯のあいさつとして、作家の大江健三郎さんが、それぞれ発言した。
さらに、県民の訴えとして、自主避難者、強制避難者、農業者、漁業者、高校生など、7人が登壇した。
この7人の県民の訴えが、何より心を揺さぶった。7人はどの人も特別の人ではないが、被災の現実に、否応なく向き合って生きているがゆえの、真実の言葉と深い思想が、聞く者の胸に鋭くせまってきた。
実行委員会委員長の竹中さんが、「福島の思いを全国に発信したい」といい、「この集会が終わりではなく、大きな変革の始まりとしたい」と訴えたが、いみじくも、県民の訴えは、日本の変革を訴えるメッセージとなっている。
以下に、6人の県民の訴えを全文掲載した。できるだけ多くの人に読んでいただきたい。
(集会後、3つのコースにわかれて市内を行進した)
自主避難しても福島を思う
福島市から米沢市に自主避難している3児の母親
かんの・ともこ さん
◇逃げる・逃げない、食べる・食べない
3人の子どもを持つ母親です。
3・11原発事故を境に、目には見えない放射能が降り注ぎ、放射線量から高い地域から遠ざかっても、自身やわが子がすでに被ばくし、いずれ影響が体に現れるのではないかという不安は、付きまとっていました。
毎日、毎日、否応なくせまられる決断。逃げる・逃げない、食べる・食べない、洗濯物を外に干す・干さない、子どもにマスクをさせる・させない。様々な不自由な選択をしなければなりませんでした。
子どもたちは、前のように自由に外遊びができません。学校の校庭で運動もできない。運動会もプールも中止。子どものことを、日に日に考えるようになってきました。
◇子の健康を思い自主避難へ
そこで私たち家族は、10年後、後悔したくないという思いから、子どもの夏休みを機に、福島市から山形県米沢市に、同居していたお姑さんと子ども2人と私の4人で、自主避難しました。
現在は、借り上げ住宅に住んでいますが、避難生活は経済的負担がかかり、二重生活や住宅ローンが重くのしかかります。
仕事の都合で家計を支える父親は、地元・福島市を離れられず、週末だけ子どもに会いに来ています。
そして、私は、精神障がい者の施設で、いろいろな支援に携わっている仕事をしていますので、米沢市から毎日、福島市内に通勤しています。
子どもたちは、区域外通学ということで、2月から米沢市の小学校に転校しました。
福島からきた子と運動着の色が違うことで、いじめに合うのではないかと心配しましたが、1学期からすでに福島からの転校生がいたり、いじめの事実もなく、2学期からの転校生は十数名おりました。
学校の先生やお友だちにあたたかく迎え入れられ、お友だちもあっという間にできて、遊びに行ったり来たりしています。
外で思いっきり遊ぶこともできます。米沢は、雪が多く、スキーも生まれて初めての経験でしたが、「楽しい。滑れるようになった」と、うれしそうに話してくれます。
中には、学校や環境になじめず、福島に戻られた方もおります。
◇子どもの心の叫びは
子どもたちは、不満をいわず、元気に過ごしていますが、子どもの心の叫びは――
原発がなければ、福島から米沢にくることも、転校することもなかったし、福島の友だちと遊ぶこともできた。
米沢はマスクもいらない。放射能を気にすることなく、外で遊べる。
でも、福島の方が楽しかった。
――と、時折、寂しそうな顔をします。
私たちは、福島第一原発の事故がなければ、福島を離れることはありませんでした。子どもを守りたいと、米沢にきました。それでも福島が好きだという気持ちは変わりません。
ありがとうございました。
「頑張ろう。日本」でなく「変えよう。日本」を
二本松市で有機農業を営む
すげの・せいじ さん
◇農業者への打撃
原発から約50キロの二本松市東和町で、コメ、トマトなどの専業農家をしています。
原発事故から1年。とりわけ、自然の循環と生態系を守り、健康な作物、健康な家畜を育み、何よりも子どもたちの命と健康のために取り組んできた、有機農業者への打撃は深刻です。
「落ち葉は使えるのか、たい肥は使えるのか、米ぬかは、油粕は・・・」。これから様々な資材を検証しなければなりません。
改めて、福島の地域支援の大切さを感じています。
津波で家も農地も流された農家。自分の畑にすら行くことができず、避難を余儀なくされている苦渋。そして自ら命を絶った農民。
私たちは、耕したくても耕せない農民の分まで、この苦しみと向き合い、耕して、種をまき、農の営みを続けてきました。
◇再生の努力とそれを潰すもの
その結果、放射性物質は、予想以上に、農産物への移行を低く抑えることができました。新潟大学の野中教授をはじめ、日本有機農業学会の検証により、粘土質の有機的な土壌ほど、セシウムが土中に固定化され、作物への移行が低減されることが分かってきました。
つまり、有機農業による土づくりが、再生の光であることが見えてきました。
幸い、福島県は、農業総合センターに有機農業推進室がある、全国に誇れる有機農業県です。見えない放射能を測定して、「見える化」することにより、「ああ、これなら孫に食べさせられる」と、どれだけ農民が安心したことか。夏の野菜も、秋の野菜も、ほとんどゼロから30ベクレル以下でした。
ただ、残念なことに、福島の特産である、梅・柿・柚子・ベリー類は、50~100ベクレル以上。きのこ類も菌糸がセシウムを取り込みやすく、山の原木があと何年、使えないのか。椎茸農家や果樹農家の中には、経営転換を迫られる農家、離農する農家が出てきています。
1月に農水省で発表した福島県の玄米調査では、98・4%が50ベクレル以下です。500ベクレル以上出たわずか0・3%の玄米が、センセーショナルに報道されることにより、とれだけ農民を苦しめているか。
私たちは、夏の花火大会の中止、福島応援セールの中止、ガレキの問題など、まるで福島県民が加害者であるような自治体の対応、マスコミの報道に怒りをもっています。マスコミが追及すべきは、電力会社であり、原発を国策として推し進めてきた国ではないか。
◇人間と原発は共存できない
私たち人間は、自然の中の一部です。太陽と土の恵みで、作物が育つように、この自然の摂理に、真っ向から対立するのが原発です。
農業と原発、人間と原発は共存できません。
戦前、東北の農民は、農民兵士として、戦地で命を落とし、戦後、高度経済成長のもと、高速道路に、新幹線に、ビルの工事に、私たちのおやじたちは、出稼ぎをして、労働力を奪われ、過密化した都市に電気を送り、食糧も供給してきました。
その東京は、持続可能な社会といえるでしょうか。
福島の豊かな里山も、きれいな海も、約3500年も続いてきた黄金色の稲作文化も、まさに、林業家、漁業家、農民の血のにじむような営農の結果なのです。つまり、第一次産業を守ることが、原発のない、持続可能な社会をつくることではないでしょうか。
◇生産者と消費者を分断するのではなく
私たちのおやじたちは、そのまたおやじたちは、30年後、50年後のために、山に木を植えてきたように、田畑を耕してきたように、私たちもまた、次代のために、子どもたちのために、この福島で、耕し続けていきたいと思うのです。
そして、子どもたちの学校給食に私たちの野菜を届けたい。孫たちに食べさせたい。そのためにしっかり測定をして、放射能ゼロ目指して、耕していくことが、福島の私たち農民の復興であると思っています。
生産者と消費者を分断するのではなく、都市も農村も、ともに力を合わせて、農業を守り、再生可能なエネルギーをつくり出して、雇用と地場産業を住民主体でつくり出して行こうではありませんか。
原発を推進してきた、アメリカ言いなり、大企業中心の日本のあり方を、今変えなくて、いつ変えるのでしょうか。いま転換せずに、いつ転換するのでしょうか。
「頑張ろう。日本」ではなく、「変えよう。日本」。今日を、その出発点にして行こうではありませんか。
夫の採ってきた魚を市場で売る、活気ある仕事をもう一度
相馬市で夫とともに漁業を営んできた
さとう・りえ さん
◇真っ黒い波が山のように
去年の3月11日、東北沿岸は、巨大津波を受け、私たちが住む相馬市も、甚大な被害を受けました。漁業、農業、観光業、すべてを飲み込み、美しかった松川浦の風景は、跡形もありません。
私は、港町で育った漁師の妻です。夫が所属している相馬双葉漁業協同組合は、毎年、水揚げが毎年、70億円と、沿岸漁業では全国有数の規模を誇っていました。私は、その日も明け方5時から、水揚げした魚を競りにかけ、販売し、午後1時ごろに自宅に戻り、魚の加工販売の準備をしていました。そのとき、あの地震が起きたのです。
長い揺れが収まり、ぼう然としながら、落ちてきたものを片付けていると、消防車が「津波がくるから避難して下さい」と、海岸沿いを巡回していました。私は、「ほんとに津波なんか、くんのかぁ」と、半信半疑で道路から遠くの海を眺めると、真っ黒い波が山のように見えたのです。
「だめだ。逃げろー」。息子は子どもを抱きかかえ、私は夫ともにやっと高台に駆け上がりました。そして、そこから見た光景は、まるで地獄のようでした。
それから私は、もう夢中で実家の両親や弟たちを捜したのです。
その頃、弟は、自分の船を守るために、すぐに命も顧みず、必死に船を沖に出したのです。沖では仲間たちと励ましあいながら、津波が落ち着くのを待ち、やっと帰ってこれたのは、3日後でした。
しかし、両親は逃げ遅れ、家ごと津波に飲まれて、帰らぬ人となりました。本当に残念でなりません。
◇放射能が再開を許さない
そして、津波から守った漁師たちは、9月になれば、何とか漁に出られると思い、失った漁具を一つひとつ揃え、頑張っていました。
しかし、放射能がそれを許しません。
毎週、魚のサンプリングをして、「来月は大丈夫だろう。船は出せる」と期待しては、落胆の繰り返しでした。市場や港は、変わり果てた姿です。元通りになるまでには、まだまだ時間がかかりますが、私たちは、1日も早い漁業の復興を望んでいます。
現在、漁業者は、海のガレキ清掃に出ています。しかし、夫たちは、もう一度、漁師として働きたい、私は、市場で夫の採ってきた魚を売る、活気ある仕事がしたいのです。そして、もう一度、あのおいしかった福島の魚を、全国の皆さんに送り届けたいのです。
「新しい避難村」を要求する
飯舘村から福島市に避難中の農業者
かんの・ひろし さん
◇すべてを失って
5月から福島に避難して、お世話になっています。
飯舘村では、高原野菜を作っていました。しかし、今回の原発事故で、すべてを失ってしまいました。野菜を国民の皆さんに届けることができません。飯舘村の農家は、ほとんどが農地も牛も、すべてを失って、涙を流して、廃業しました。もう、飯舘村で農業を行うことができないのです。
避難をしていても、何もすることがないのです。農家は、農業をやることが仕事です。どうやって生きろというのですか。誰も教えてくれません。
◇放射能は火山灰じゃない
事故から1年が過ぎます。
飯舘村は、去年の3月15日の時点で、44・7マイクロシーベルト/毎時です。この高い放射線量の中に、飯舘の村民は放って置かれたんです。長期間、被ばくをさせられたんです。
誰の責任ですか。
さらには、放射能まみれの水道水まで飲まされていたのです。加えて、学者も、国も、行政も、「安全だ」といっていました。
どこに安全があるんでしょうか。その物差しがないでしょう。これをどうしてくれるんですか。答えがほしい。
国民に、国も学者も、政治家すべてが、正しく教えるべきであり、正しく道を引くべきであります。死の灰をまき散らしておいて、「放射能は無主物」〔※〕だと言います。
何事ですか。火山灰ではないのです。原発事故は天災ではないのです。明らかに人災なのです。
東京電力と国は、きちんと責任を取って下さい。
〔※ 誰の所有にも属さないの意。二本松市のゴルフ場が、放射性物質による汚染の除去を求めて、仮処分の申し立てたことにたいする、東電側の答弁書にある言葉。「東電には責任はない」という意味〕
◇何が除染だ
いま、大手ゼネコンが、相馬・双葉地域に入っています。
「除染、除染・・・」。歌の文句のようです。何を言葉を並べているのでしょうか。
路頭に迷う住民の、私たちの今後の暮らしのことについては、住民の意向をなにひとつ汲んでいません。今後の暮らしの希望の持てる施策がないのですよ。こんなことで、許せますか。よいのですか。それはないでしょう。
被害を受けて私たちは、悲惨な思いで生活をさせられています。まだまだ長生きできたはずの村の高齢者が、次から次へと他界していきます。家に帰れないで、避難先で悲しくも、旅立ちます。
◇新しい避難村を
放射能の心配がなくて、元のように、美しい村になって、安心して、安全に暮らすことができる、そういう生活の場所と、いままでのようなコミュニティーの形を作った「新しい避難村」を、早く、早く、私たちに建設して下さい。
美しかった飯舘村は、放射能で、そこには暮らせません。新しいところを、求めなければならないのであります。国にも、行政にも、子どもの健康と、若者が未来に希望を持って、暮らすことができる、そういう生活できる、そのためには、住民の意向を、十分に反映した新しい施策を要求します。
皆さん、この悲惨な原発事故を、この事故を、二度と起こしてはなりませんし、この起きた実態を、風化させてはなりません。国民が忘れてはならないのです。
福島県の皆さん、全国の皆さん、とくに福島県の皆さん、県民が一丸となって、もっともっと声を大きくして、全国に、世界に訴えていきましょう。
原発について何も知らなったが、いまここに立っている
富岡高校から避難してきた女子高生
すずき・みほ さん
◇ヨウ素剤が配られて
私の地元は郡山ですが、サッカーがしたくて、(サッカーの名門)富岡高校に進学しました。寮生活をしながら、サッカーに明け暮れ、仲間と切磋琢磨の充実した日々を送っていました。
地震が起きたのは、体育の授業中でした。ものすごい揺れで、あのとき必死で守ってくれた先生がいなければ、私は、落下してきたライトの下敷きになっていたと思います。
校庭に避難しているとき、まさに津波がきているということ、そして、原発が爆発するということは、想像もできませんでした。
この震災が起きるまで、私は、原発のことを何も理解してしませんでした。
翌日には、カップ麺と携帯を持って、川内村に避難しました。乗り込んだバスの中には、小さな子どもを抱えた女性や、お年寄りの方がいました。自衛隊や消防車が次々とすれ違っていく光景は、現実とは思えませんでした。避難所に着くと、小さな黒い薬を配る人たちがいました。それは、恐らく、安定ヨウ素剤だと思います。配る様子は、とてもあわただしく焦っているようで、私は、やっと事態の深刻さが飲み込めました。
◇原発作業員の方を思うと
1号機が爆発し、川内村も危なくなり、郡山に避難することになりました。
私のことを郡山まで送ってくれた先生は泣いていました。先生には、原発で働く知人がいたのです。
原発事故を終わらせることができるのは、作業員の方だけだと思います。でも作業員の方は、私の友人の両親であったり、誰かの大切な人であったりします。こうしている今も、危険な事故現場で働いている人がいます。
そのことを考えると、私は胸が痛みます。
◇「頑張れ」という言葉は嫌い
爆発から2か月後、私は転校しました。たくさんの方々がやさしく接してくれ、サッカー部にも入部し、すぐに学校にも馴染むことができました。
でも、私は、被災者になっていました。被災者ということで、様々なイベントに招待されたりもしましたが、正直、こういう配慮や優しさは、かえって自分が被災者であることを突きつけられるようで、それが一番、つらいものでした。
「頑張れ」という言葉も、嫌いでした。
時がたつにつれ、原発事故の人災ともいえる側面が、明らかになってきています。原発がなければ、津波や倒壊の被害にあっていた方々を、助けに行くことができました。それを思うと、怒り、そして悲しみでいっぱいです。
人の命を守れないのに、電力とか、経済とか、言っている場合ではないはずです。
3月11日の朝、私は、寝坊をして、急いで学校に行ったのを、覚えています。天気も晴れていて、また、いつものような一日が始まろうとしていました。
しかし、その日常に戻ることはできません。線量が高い郡山で、生活し続けることに、不安を持っていますが、おじいちゃん・おばあちゃんを置いて移住することはできません。私は、原発について何も知りませんでしたが、いまここに立っています。
私たちの未来を考えていきましょう。
国策によって二度も棄民された
警戒区域の浪江町民で本宮市の仮設住宅で暮らす
たちばな・りゅうこ さん
◇着の身着のまま
浪江町は、原発のない町。しかし、原発が隣接する町です。
私は、先の大戦から引き揚げてきて以来、浪江町に在住していました。現在は、本宮市の仮設住宅に入居中です。それまで9か所の避難所を転々としました。
あの原発事故のときの避難の様子は、100人いれば100人の、千人いれば千人の苦しみと悲しみの物語があります。語りたくとも語れない、泣きたくとも涙が流れない、つらい思いをみんな抱えています。
津波で多くの人が亡くなった浪江町請戸(うけど)というところは、原発から直線で6~7キロの距離です。でも、事故の避難のために、その捜索もできずに消防団を初め、救助の人たちは、町を去らなければならなかったのです。
3月11日は、津波による高台への避難指示、3月12日が、「避難して下さい」というのみの町内放送でした。「なぜ(避難なのか)」がなかったのです。したがって、ほとんどの町民は、2~3日したらと思って、着の身着のまま避難しました。そこから、そのまま長い避難生活になるとは、どれほどの人が考えていたでしょうか。
もっとも、浪江町長へも、国からも、東電からも、避難指示の連絡はなかったとのことです。町長はテレビで避難指示を知ったといっています。テレビに映ったので初めて知りましたとのことでした。
なぜ浪江にだけ、連絡がなかったのでしょう。原発を作らせなかったからでしょうか。〔※〕疑問です。
そんな中で、避難はまた悲劇的です。114号線という道路を避難したのですが、そこを放射線の高いところばかりでした。朝日新聞の「プロメテウスの罠」の通りです。
津島の避難場所には、3日間いました。テレビはずっと見ることができました。15日に、再度、東和の避難場所に変更。この日の夜まで、携帯電話は、一切通じませんでしたから、誰とも連絡の取りようもなく、町の指示で動くしかありませんでした。
12日と14日の太陽の光がチクチクと肌を差すようだったのが、いまでも忘れられません。
〔※ 東北電力の小高浪江原発建設計画にたいして、住民は、農地・土地を武器にした抵抗で、今日まで阻止をしてきた。〕
◇戦争の記憶
12日の避難は、私にとっては、戦争を連想しました。戦争終結後、中国大陸を徒歩で集結地に向かった記憶が蘇りました。
原発事故の避難は、徒歩が車になっただけで、えんえんと続く車の列と、その数日間の生活は、あの苦しかった戦争そのものでした。
そして、私は、怯えました。国策によって二度も棄民にされる恐怖です。いつのときも、国策で苦しみ悲しむのは、罪のない弱い民衆なのです。
3・11からこの1年間、双葉郡の人びとのみならず、福島県民を苦しめ続けている原発を、深く問い続けなければいけないと思います。脱原発・反原発の運動をした人も、しなかった人も、関心があった人も、なかった人も、原発があった地域も、なかった地域も、福島第一原発事故の被害を隈なく被りました。
◇差別と分断
そして、復興と再生の中で、差別と分断を感じるときがあります。これを見逃すことなく、注視していくことが、今後の課題ではないでしょうか。
「福島は、東北は、もっと早く声を出すべきだ」との意見があります。でも、すべてに打ちひしがれ、喪失感のみが心を覆っているのです。声もでないのです。展望が見えない中で、夢や希望の追求は困難です。しかし、未来に生きる子どもたちのことを考え、脱原発反原発の追求と実現を課題に、生きていくことが、唯一の希望かも知れません。
◇子どもが大人に問うだろう
先の戦争のとき、子どもたちが大人に、「お父さん、お母さんは戦争に反対しなかったの?」と問うたように、「お父さん、お母さんは原発に反対していなかったの」というでしょう。とくに54基もの原発をつくってしまった日本。そして、事故により日々、放射能と向き合わざるを得ない子どもたちの当然の質問だと思います。
その子たちの未来の保障のために、「人類とは共存できない核を使う原発はもうたくさん、もういらない」との思いを示すこと。一旦、事故が起これば、原子炉は暴走をし続け、その放射能の被害の甚大さは、福島原発事故で確認できたはずです。この苦しみと悲しみを日本に限って言えば、他の県の人たちには、とくに子どもたちには、体験させる必要はない。膨大な金と労力を原発のためでなく、再生可能なエネルギーの開発に向けていくべきです。
なぜいま原発稼働?このように大変なことに遭遇していても、まだ、「原発が必要だ」という考えは、どこから来るんでしょう。他の発想をすることができないほど、原発との関わりが長く深かったということなのでしょうか。
でも立ち止まって考えましょう。
地震は止められないけど、原発は人の意志で、行動で止められるはずです。
◇傷はあまりに深い
私たちは、ただ静かに故郷で過ごしたかっただけです。
あの事故以来、われわれは、何もないのです。長い間、慈しんできた地域の歴史も、文化も、それまでの祖先からの財産も、われわれを守っていた優しい自然も。
少し不便でもいい、少し堪えた豊かさでいい、どこに根を張っていけるかなんて考えられません。
子どもやわれわれが、放射能を気にせず生きることのできる自然を大事にした社会こそが望まれます。
どうぞ全国のみなさん。脱原発・反原発に関心を持ち、お心を寄せて下さい。
ささやかでいい、確かな一歩をみんなで踏み出すために力を寄せて下さい。
そして、もう少しの間、寄り添って下さい。傷は、あまりにも深いのです。
3・11福島県集会の私からの訴えと、いたします。ありがとうございました。
以上
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2012/03/15(木) 10:17:20
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パレード・座り込み
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原発収束作業の現場から ある運動家の報告
(車両のサーベイを受けている。サーベイに当っているのは、中国電力から応援にきた放射線管理員。Jヴィレッジ・除染場)
反貧困の社会運動に長年とり組んできた大西さん(仮名)が、現在、福島第一原発と第二原発の事故収束作業に従事している。
その大西さんから、昨年末から今年2月にかけて、お話を聞いた。
〔インタビューはいわき市内。掲載に当たって、特定を避けるための配慮をした。〕
お話が多岐にわたる中で、編集上、4つの章に整理した。
【Ⅰ】【Ⅱ】【Ⅲ】では、高線量を浴びる現場で、放射線管理員として作業に携わっている状況の報告。被ばく労働、雇用や就労、地域との関係などの実態が語られている。
【Ⅳ】では、原発労働者の立場から、反原発・脱原発の運動の現状にたいして、鋭角的な問題提起が行われている。
事故収束作業に従事する労働者へのインタビューや、ライター自身が中に入るという形で書かれたルポはある。しかし、原発に反対する立場から、「『反対運動を継続してこなかった』という自己批判」として、現場に入ったのは、恐らくこの人だけだろう。
それだけに、突きつけられるものがある。
大西さんのとり組みは現在も進行中だ。
【Ⅰ】 被ばくすることが仕事
3・11の衝撃
―― まず、どうして原発労働に入ろうと考えたのですか?
大西: 社会運動をずっとやってきたのですけど、3・11と原発事故という事態に衝撃を受けたということです。
もともと、反原発・脱原発の運動には、チェルノブイリ事故(1986年)あたりまでしか関わっていませんでした。3・11が起こって、「反対運動を継続してこなかった」という自己批判ですね。そして、「自分が関わるとしたら、中途半端には関われないな」という気持ちからです。
また、反原発運動をやる場合、やっぱり原発労働の実態を知らないのはおかしいのではないか。現場に実際に入らないとわからないことがたくさんあるだろう。隠されていることがいっぱいあるだろう。これはもう、働くしかないな。働いている中で調べるしかないな――ということから、原発労働に従事することを決意しました。
さらに言えば、1F〔福島第一原発〕の事故収束から廃炉作業には、これから、数十万人、百万人単位の人が必要になる。そのとき確実に言えるのは、新たな原発労働者の層は、プレカリアート〔※〕といわれている人びと、貧困に陥った若年労働者になります。この人たちが危険な現場に入ったらどうなるのか。僕は、労働運動をやっているので、その観点で、少しでも現場を見ておかなければならないと思って入りました。
〔※プレカリアート:新自由主義の下で、就労も生活も心境も不安定な状況にさらされている労働者の層を指す造語。〕
放射線管理員として
(靴の裏までサーベイを受ける。靴の裏は放射性物質を持ち込みやすい箇所)
―― 大西さんの入った会社の業務内容は?
大西: 人夫出しです。
原発労働の中でもいろんな仕事があります。道路を整備する人もいるし、鳶さんもいるし、配管工もいる。一生懸命サーベイ〔survey 放射線測定〕している人もいます。
その上で、一応、会社にも色があって、土木系に強いとか、鳶系に強いとか、配管系に強いみたいに、ある程度、専門分野があって、それに見合った元請けに付きます。
―― 大西さんの仕事は?
大西: 放管(ほうかん)です。放射線管理員。
現場から戻ってきた作業員や車両のサーベイと除染、それから作業現場のサーベイ。大体、こういう仕事です。
簡単にいうと、そこら中が汚染状態なので、免震重要棟〔対策本部がある〕とかJヴィレッジ〔20キロ圏の境にある出撃拠点〕に、汚染物質をいれないために配置されています。
これは、異常事態ですね。今は、建物の中だけが安全で、あとはすべて放射線管理区域の状態ですから。
昔は原発の建屋の中がとにかく危険で、それが拡散しないように、放管が配置されてサーベイをしていた。
今は逆です。全てが放射線管理区域の状態で、この建物の中に、汚染物質を入れないために配置されているんですね。もちろん免震棟も線量は高いんですけど、外は全て危険だから、建物の中だけでもなんとか守り切る。最後の砦を守る仕事です。
―― 放射線管理員とはどういう資格ですか?
大西: 一応、放射線作業従事者に当るので、その教育を必ず受けなくてはいけないです。 僕の会社は、20年間、放管をやってきた人がいたので、詳しくいろいろ教わりました。 今がどれだけ異常事態かっていうことについても、毎回、毎回、説明してくれました。
ただ、今は、そういう教育受けてない人も放管をやっています。だから、数値の意味を知らないという人もいますね。
(湯本の旅館。『歓迎 日立プラント御一行様』の看板が)
―― 生活していた場所は?
大西: 湯本(いわき市)の旅館ですね。
元々は温泉街だけど、今は、一般客はほとんど泊めていない。あらゆる企業が飯場代りに使っているんです。だから雰囲気が違ってしまっています。
―― 朝は何時に起きるのですか?
大西: 朝は4時半ぐらい。5時位に出発してます。
車は、会社の車だったり、元請けの車だったり。東電のバスで通勤するところもある。
朝6時に二つ沼公園〔Jヴィレッジ直近、東芝などの作業拠点になっている〕に着きます。
そこで、乗り換えて、30分くらいで1F・2F〔福島第二原発〕の中に入って、作業の開始です。
(朝7時前、国道6号線は原発に出勤する車で渋滞する。久之浜・波立海岸)
―― 現場に到着すると?
大西: 交代制ですから、班ごとに、どういうローテーションで、何をやっていくのか、みんなで打ち合わせをします。
まず、どういう交代で、どういう休憩のとり方をするのかというのが一番大きい。
あとは、当日の作業内容の打ち合わせを綿密に。
現場の作業に出ると必ず線量を浴びるので、浴びる前にあらかじめ、「これをこうして、こうして」ということを、あらかじめ事前に想定して、みんなで話し合いをします。実際の作業以上にシュミレーションに時間をかけます。
そうしないと、現場でモタモタしたら、それだけ被ばくしてしまうからです。
現場に着いたら、サッと持ち場に着いて、ビュッと仕事をまとめて、サッと現場を出るという形です。
―― その指示をする人は?
大西: それぞれ一つの作業について、チームリーダー、グループリーダーがいるので、その人の判断で最終的に決まります。例えば、「今日は、ここは線量が高いから、この作業については中止だ」といった判断です。
―― 放管は、「線量が高そうだ」というところに、最初に行くということですね?
大西: そうです。「ここはこれだけの線量がある」ということを、事前に把握して、「今日は向こうの方はだめだから」とか、「今日はここだけだったらいいですよ」ということを作業者に伝えます。
あとは、パトロールって言ってるんですけど、どれだけ放射線があるかっていうのを、隅々まで測っています。
(二つ沼公園が作業員用の駐車場になっている)
着替えが仕事
―― 作業時の服装は?
大西: 1Fのときは、Jヴィレッジの中でタイベックに着替えます。
2Fの場合は、着替えないでそのまま入ります。2Fは、比較の問題ですが、「安全」ですから。
―― 2Fに行くときは着替えないのですか?
大西: これがですね、全くひどい話なんですけど。
もともと管理区域というのは、私物はパンツ一丁以外、一切身に付けてはいけないんです。しかし、今は、2Fは、もう自分の服でそのまま作業してますよ。
1Fも、自分の服はとりあえず脱ぐけど、作業服はそのまんま着て、その上にタイベックを着てマスクしてという感じです。
あれだけの人数と放射線量、それにあれだけの交代制の中で、追いつかなくなっています。服についても、3・11以前と以後では、ほんとに感覚がおかしくなっています。
―― というと3・11以前は?
大西: 原発労働に入って一番最初に何を言われたかというと、「原発労働は服を着るということ自身が仕事だよ」と。服を着替えること自体が、もうすでに仕事の一環に組み入れられているという特殊な仕事という意味です。
3・11以前の話も聞かされました。
服を何回も何回も着替えて、着替えるごとに、だんだん危険な区域のレベルが上がって行く。黄服、青服、赤服と着替えて、A区域、B区域、C区域、D区域という形で、炉心近くに行く。
そのレベルが上がる度に、その前の服を脱いで、危険なところに行くための新しい装備に着替えますが、放管は、その人がそのレベルに見合った装備をしているのかをチェックするのです。
とくに炉心に向かう赤装備のときは、補助員が必要です。補助員が、服や靴下やゴム手袋を順番に装着し、密封するために桃色のテープをぐるぐる巻いて、マスクをはめてやります。
(写真上はJヴィレッジの全景。写真下はサッカー施設として使われていた当時の案内板。Jヴィレッジは、90年代に、東京電力が、福島県にたいして寄贈したもの。プルサーマル受け入れを期待し、その見返りだった)
大西: 逆に脱ぐときも、補助員が、マスクを取って、ヘルメットを取って、アノラックを取って、キムタオル〔紙製のタオル〕で拭いてあげて、手袋も取ってあげて、それから、ようやく自分で脱げるようになったら、自分で脱いでいきます。
こうしてようやく赤服だった作業員と補助員が、同格の汚染レベルになります。そうすると今度は、作業員と補助員が次の区域に行って、そこにも補助の人がいてという具合。これを3回繰り返してようやく表に出ることができます。
装備を最高レベルにするために1時間近くかかります。だから「服を着ること自体が労働」というのです。手袋をはめるのも労働です。手袋だって、綿手袋をして、その上にゴム手袋を2枚します。
また、例えば、汗が出ても拭いちゃだめなんです。放管教育では、眼が一番、被ばくしやすいと教わります。だから、汗は拭けません。安全な場所に行って、補助員が、顔をキムタオルで拭いてあげるのです。
―― まるで宇宙空間に送り出していくような感じですね。
大西: そう、本来、そういう世界のはずですよね。
それが、いまや全域が、炉心付近の状況になっています。例えば、1Fの1号機、2号機、3号機の周辺がもう完全に炉心と同じレベル。
2Fに至っては、もう私服ですから。私服といってもそれぞれの会社の服ですけど。汚染物質が付着した作業服を、家に持って帰って洗わなくちゃいけない状況は異常ですね。
―― 3・11以降は、そういう基準が崩れているということですか?
大西: そう、崩れています。
パチンコ屋で、「ああ~、青靴下はいてるよ。いいのかよ」とか、タイベックを着たままコンビニに行くみたいなことがあります。
普通に、装備が持ち出されてしまっているのです。Jヴィレッジで着替えをしてますから、仕様がないですよね。
タイベックは、放射性物質が付いても、これは捨てるから、ということで着ているんですよね。外の人に迷惑かけないためです。だけど、それを着てそのままコンビニに行ったら、何の意味もないです。
―― どうしてそういうことが起こっているのでしょうか?
大西: 管理することを、東電が投げていると思います。
これだけ膨大な人が、炉心での作業と同じような状態で、働いているわけです。
今までなら、一人を炉心に送り出すのに、宇宙飛行士を送り出すようにやっていたけど、今、その基準でやったら、どれだけの人がいるのか、という問題になって、「もう無理、管理しきれない」と、完全に感覚が麻痺してしまっているように思います。
24時間の稼働
―― 仕事は24時間体制ですか?
大西: 1Fも2Fも24時間、動いてますから。
とにかく稼動している冷却システムに、24時間、人を配置し続けていないと、また大変な事態になってしまいます。
原発の正常運転時でも24時間ですけど、今は、悪化させないために、とにかく人が入り続けないといけない構造になっています。
生産性のない労働なんですけど、それがないと収束もしないという状況なのです。
もしかすると人類初めての作業かもしれないですね。チェルノブイリとはまた違うと思います。
―― チェルノブイリと違うとは?
大西: チェルノブイリの場合は、石棺にしました。しかも作業員が死ぬことを前提に人を投入ました。ソ連という体制もあったと思いますけど。
日本は、いまのところ、石棺という道を選んでいないので、あらゆる手立てを尽くして、冷やして、冷やして、最終的に、30年後、40年後に、核燃料を回収するという壮大な世代を超えた仕事に取りかかっているのです。
―― 現場が24時間稼働だと勤務は?
大西: いまの原発作業は、3交代と2交代と、おおまかに2つのシステムがあります。
放管の作業も、3交代の部分と2交代の部分があります。だいたい14~5時間、現場に拘束されます。もしくは3交代の人は10時間拘束されます。
ただ実働時間はすごく短いです。
―― 実働は短いと。それ以外の時間は?
大西: 待機。休みます。
―― それは被ばく線量との関係で?
大西: そうです。
14時間の拘束であっても、実働が4時間ぐらい。あとは休むのが仕事。服を着るのと同じで、その場所にいること自体も仕事なんです。
要するに、原発労働では、いくつものグループがあって、それが順番に同じ作業をやっていきます。交代制をとるのは、被ばく量を平準化するためです。そのために、たくさんのスペアを用意しながら、人を回転させていくのです。
あと、もし何かあったとき、緊急的に対処できる要員という意味合いもあります。実際3・11のときもそうなりました。
「大きな事故があったら、それなりの対処をしてもらう代わりに、何もないときは労働時間は短いけど、普通の人と同じ給料を払いますよ」、ということです。そういうリスクを背負いながらするのが原発労働です。
(1FおよびJヴィレッジ周辺のサーベイ結果が連日、張り出される)
車両の汚染 1~2万カウント
―― 汚染の状況はどうですか?
大西: ます、1Fの作業に入っている車の被曝量がすごくて、問題になっています。
事故前は、カウント数(cpm=counts per minute 1分間当たりに計数した放射線の個数)で、2,000とか2,500位が基準。いまは、もう6,000が基準。
車の被ばくが、10,000とか20,000ある。
それを、6,000まで下げるのが大変。ふきまくって除染します。
だけど、実は肝心なところを計測してないのです。ラジエーターまわり。あと車の裏。
車が埃を舞いあげて、それをラジエーターで吸気しています。だからほんとはそこを一番やりたいんだけど。それは無理ですよね。
通勤している人は、とにかく終わったら早く帰りたいから、「少し高いんで、ちょっと待って下さい」と言うと、「何やってんだ」と怒鳴られて、ケンカになるなんてしょっちゅうあります。
そういうケンカを防ぐために、徐染をやっている人も、7,000くらいだったら、「まあ、いいや」という風にやっていますね。
(現場から戻ったダンプカーを放管がサーベイしている。汚染が高ければ、その場で高圧洗浄を行う。1F周辺のガレキ撤去作業に使う車両の汚染は激しい。除染しても線量が下がらないため、外に出せない車両がJヴィレッジ付近にごろごろしている)
―― 車両のサーベイと除染はどこで?
大西: 2Fは、構内でやっています。
1Fの場合は、Jヴィレッジの脇の除染場です。そこに一番線量の高いところから車が出てきます。
まずサーベイして、高いところがあったら、とにかく水を掛けたり、拭いたりして、除染します。
―― 除染に使った水は?
大西: 流します、結局。世間では除染と言ってますが、僕らは、笑って「移染だよね」といっています。
―― 汚染水はプールしていると思っていたけど、排水溝から海へ?
大西: それ以外ないでしょう。
―― アレバ社の汚染水処理装置は?
大西: あれはもっと超高濃度の汚染水の話です。そっちは、配管で循環させる装置が稼働しています。それは、炉心にあった水をやっているだけなのです。
それ以外は、流して、最終的には海に行くのです。
被ばくすることが仕事
―― 作業員の被ばくの方は、どういう状況ですか?
大西: 1Fでの被ばく量が、とにかくすごいです。
1Fでは、免震重要棟の外の仮設に、サーベイの拠点があります。
Jヴィレッジで着替えてから、車で30分ぐらいで、この仮設に着きます。ここで、APD〔Alarm Pocket Dosimeter 警報付きポケット線量計〕を受け取ったりして、現場に向かいます。そして、現場から戻ってきた作業員をここでサーベイします。
そうすると、だいたい、水処理関係〔冷却水の循環装置など〕やタービン建屋、ガレキ撤去の作業などが、ものすごく浴びています。
1日、2~3時間の作業で、0・5から1ミリシーベルトです。これが1日の積算の被ばく量です。
さらに、水漏れなどが起こると、その修繕作業で、汚染者が続出します。
タービン建屋なんかに入ったら、1日20分ぐらいで、5ミリシーベルトも浴びてしまいます。
平常時だったら、20ミリシーベルトを浴びたら、東電管内では、仕事はできなくなります。1日で1ミリシーベルトだったら、20日も働いたらおしまい。1日で5ミリシーベルトなら、4日で終わりです。
◇1シーベルトも
大西: タバコ部屋というのがあって、そこは、東電の社員も含めてみんなが一緒に使うところがあります。そこで、ときたま出るのは、「誰々は1シーベルト〔1シーベルトは1000ミリシーベルト〕浴びたよ」とか、「600ミリシーベルト浴びたよ」とか。
1ミリではないですよ。1シーベルトですからね。急性障害が出てもおかしくない数字です。
放管が、全身サーベイをやると、身なりがきれいな東電社員で、そんな危険な作業をしてないはずなのに、ピューと上がるんですよ。内部被ばくで、相当高くふれているのです。おそらく直後の収束作業で内部被ばくしているのでしょう。「歩く放射性物質」になっているわけです。
先日も、2人の東電社員が、原子炉建屋に入りました。現場を見てくる必要があったのでしょう。1人は30代、もう1人は50代でした。それは、もう命がけですよね。
帰ってきた2人にたいしてサーベイをしたんですが、本当に心を込めてサーベイしました。
◇サーベイでも被ばく
大西: 先ほど言ったように、車両の汚染がひどいのですが、その汚染車両の除染作業で、1日1ミリシーベルトも浴びてしまう状況です。
そもそも、Jヴィレッジから1Fに通勤するだけで、被ばくしています。バスで片道30分ですが、往復すると14から16マイクロシーベルトは浴びます。
放管が、1Fでは一番、安全なのですが、それでも1日で0・1から0・2ミリシーベルトです。
たしかに作業している時間は短いですが、被ばく量が高いために、それしかできないのです。
だから、原発労働は、「線量を浴びることが仕事」ということなのです。
◇「ご安全に」
大西: こういう現場ですから、1Fに向かう車の中では、みんな、緊張していますね。そのため、心持ち多弁になります。全面マスクなので、よく聞き取れないんですが。
そして、現場では、「ご安全に」とあいさつします。「いってらっしゃい」という意味で使うのですが、実は、この言葉は、炭坑労働者が使っていた言葉です。危険な現場に行くという意味で、それが引き継がれているのですね。
(身体のサーベイを受ける。Jヴィレッジ・除染場)
放射能焼け
―― 被ばくの影響はありませんか?
大西: 放管ですから、全ての人の顔を見ます。そうすると、結構、「放射能焼け」で、顔が真っ赤な人いっぱいいます。
放射能焼けとは、ベータ線熱傷〔※〕なんですけど、ちょっとずつ被ばくすると、皮膚が攻撃を受け続けるわけですから、弱くなって、赤くなるのです。
それから、ラテックスアレルギー〔※〕でも赤くなります。ゴム手袋を日に何回も変えるのですが、それに付いている粉で、手とか顔をやられています。
〔※ベータ線熱傷: 放射線皮膚障害の一種。皮膚および皮膚の細胞組織が破壊され、火傷に似た症状を発する。
※ラテックスアレルギー: 天然ゴムに含まれる、ラテックスと呼ばれるたんぱく質が抗原となって、引き起こされるアレルギー反応〕
―― 健康診断とかホールボディーカウンターとかは受けています?
大西: 受けてます。1Fと2Fとでは待遇に差があって、1Fの人は1カ月毎に、ホールボディカウンターと電離検診〔電離放射線障害防止規則にもとづく健康診断〕を受けています。2Fの人は、3カ月に1回です。法定は6カ月毎ですが。
眼と指先が被ばくしていないかを、医者がチェックしています。
―― なぜ眼と指先を?
大西: これも法定〔放射線障害防止法〕なのですが、眼を診るのは、放射線で焼けて、角膜が白濁するからです。マスクをしても、ゴーグルをつけても、眼については、放射線を防ぐことができないのです。眼は一番弱く、痛みも感じないですからね。
あとは、指先にケロイドがあるかどうかを見ています。指先は、汚染物質に一番近いからです。手袋を介していますが、ガンマ線は、手袋を透過してモロにくるからです。
放射線管理手帳
―― 放射線管理手帳〔※〕は?
大西: 持っていますよ。ただ、この手帳は、運転免許証みたいに自分で持っているわけはなく、会社が管理しています。
しかも、作るのも会社ですよ。
―― 公的な機関ではないのですか?
大西: 違います。私の場合、申請企業は千代田テクノル〔※〕ですね。
放射線影響協会〔※〕というのがありますが、実際は企業です。
しかも、手帳つくるのに1万5千円ぐらいかかります。
放射線影響協会が、それでお金を回しているのです。労働者のためになっていない団体ということです。
〔※ 放射線管理手帳には、作業員の被ばく歴、健康診断などが記載されている。この手帳で、どこの原発で働いても被ばく量が一元管理されるとされている。
※ 放射線影響協会は、文科省所管の財団法人。「原子力の利用を促進」と目的に明記。同協会の下に放射線管理手帳を一元管理する「中央登録センター」がある。
放射線管理手帳の実際の発行手続きをするのは、「放射線管理手帳発効機関」。これは、電力会社、電機産業、プラント企業、原子力専門企業など。上述の千代田テクノルも。
※ 千代田テクノルは、放射線関連の専門商社。原子力産業そのもの。除染でも専門技術を持っている。〕
◇行方不明の真相
大西: この手帳をめぐっては、次のような話があります。
3.11以降、原発労働者が行方不明だとかで、問題になりましたよね。死んだとか、行方不明だとかいわれていますが、違うんです。
最初は偽名で入る。次に本名で。また偽名で。同じ人が別名で、2回、3回と働いているということです。別人になると、放射線被ばく量がゼロから始まりますからね。
それで、行方不明ということになるわけです。地元にいないとこの感覚が分からないでしょう。原子力村の末端では、こういうことになっているわけです。
【Ⅱ】 中抜きとピンハネ
(いわき市久之浜大久地区にある作業員宿舎。鹿島建設の下請けの作業員が入っている)
―― 大西さんの会社は何次下請けですか?
大西: 3次です。
一番上の発注者が東電。その次が元請け。元請け会社は、東電工業とか、東芝、日立とか、鹿島建設、清水建設などの大手。その次が1次下請け。さらに2次下請・3次下請けは、ほぼ地元の企業。大熊工業とか、双葉企画みたいな名前で、原発周辺でだいたい組をつくっています。組というのは、いわゆる人夫出しですね。
「原発ジプシー」という言い方もありますが、原発労働者は、大部分が、定期点検で全国各地の原発を渡り歩くんですけど、日雇い労働者だけではなくて、それぞれの地元の住民です。
福島や新潟や福井の原発周辺の住民が、原発労働で全国を巡り歩いているのです。そうやって巡り歩く労働者を受け入れる先が、1次・2次の下請け企業です。さらに1次・2次の下請けが抱え切れないというか、すぐに雇用できて、すぐに使い捨てできるような形の3次・4次の下請け会社がたくさんあります。
一番の末端では、親方が2~3人を連れて、現場を移動していく形になっています。福島の中でも移動していくし、定期点検で人が足りなくなったら全国の原発に人を出していく。ということをやっていますね。
―― 大西さんの会社の規模は?
大西: うちの組は10人ぐらいですね。社長も含めて親方が3人です。親方が寄り集まって会社をつくっているんで。それ以外の人たちは、入れ替わり立ち替わりという形です。
―― 組とは?
大西: 親方がいるところを組といいます。
班というのもあります。小さな会社が、別の3次・4次の下に入ったとき、会社自体が、「なんとか班」と呼ばれたりします。
結構、複雑です。東電の現地採用の人、元請けの現地採用の人、さらに下請けの会社の人。みんな学校の同級生なのです。地元の人で、顔見知りなのです。
そういう関係で、仕事を回し合うのです。上になったり下になったり、仕事がなかったら回してという具合に。だから、複雑になるわけです。
(久之浜の作業員宿舎は、プレハブ2階建ての宿舎が12棟。バスでの送迎があり、大きな食堂もある)
―― 人夫出しだと、私が知る範囲では地元の暴力団とかですが?
大西: 組というけど、暴力団ではないです。
僕の友人のいた会社の上は、たしかに暴力団が経営する人夫出しでしたが。
―― 下請けが3次4次5次と行くと、抜かれ方も酷いのでは?
大西: そうです。間に入れば入るほど、どんどん中抜きされていきます。建設労働はみんなそうなんですけど、原発労働はそれ以上。
例えば、東電が、「1人、1日、10万」で出したら、末端では1万5千円になるっていうぐらいの計算ですね。
―― 親方というのは待遇が違うのですか?
大西: それは「抜ける」ということです。親方になったら。
だから僕は親方になるのがいやなのです。
私の友人は、僕よりつらい仕事をやっても、日給8千円。僕よりも賃金は安かったんです。間に2人ぐらい抜く人がいたから。正式には3次かも知れないけど、実質的には5次みたいな会社だったようです。
―― 大西さんはいくらだったのですか?
大西: 9千円~1万円ですね。正規に3次でそうなります。
1次・2次がボコッと抜いているし、自分の親方もとっていますから。
―― そのことをめぐるいざこざは?
大西: ありますよ。あっちこっちで。刺したり、刺されたり。「危険なことだけやらせやがって」と。
ジプシーって言われるのは、そういうことも含めて、あちこちに移っていくからです。あそこがだめだったら次へと。
【取材コラム・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
良く行く飲み屋で、久之浜の作業員宿舎にいるAさんと、何度か会話をした。
Aさんは30代前半、北海道から、仲間と一緒に来ている。
仕事は、1Fの3号機のそば。作業用の道路を造り、配線などを敷設する作業。重機のオペレーターをしているという。
1日、1時間半ぐらいで終わり。「楽だよ」と言うが、線量が高いため。
日当は、1万2千円、プラス3~4万円の危険手当。
それでも、5次請けだから、「ハネて、ハネて」という感じだという。
ただ、Aさんの現在の被ばく量が35ミリシーベルト。たいていの人は、2カ月ぐらいで50ミリシーベルトに達して、それ以上、仕事ができなくなる。
Aさんも、もうすぐ終わりだ。そうしたら、今度は、10キロ圏内の除染作業の方に行こうと思っているという。
Aさんは、「東電さんはよくやっているよ」「いまの待遇に満足している」と、東電や鹿島を弁護していた。
ただ、「いまの被ばく量が35ミリと言われても、それが良いのか悪いのか。どう考えたらいいのかがわからないんだ」と、不安な気持ちを吐露していた。
Aさんは、北海道に彼女を残してきている。「この仕事が終わったら、帰って彼女とドライブに行くんだ」と話していた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・】
(久之浜の作業員宿舎)
―― 労働基準法に照らして現場はどうですか?
大西: すべてダメです。一番最初の段階からダメですね。労働契約書は交わさないですから。人間関係だけで仕事がはじまります。
だから、賃金を払う段になって、何とかを引いて、何とかを引いてと。そうなると、「おい、それは聞いてないよ」ということが起こります。
例えば、東電は、泊まる人には食費を支給しています。だけどその食費をなぜか引かれてしまっています。
東電は、メシと風呂と寝ることに関しては「なし」(=会社持ち)としています。さらに、早出で朝飯が食えないとか、夜遅く帰ってくるから晩飯が食えないというときは、「その飯代も支給しますよ」となっています。
だから東電から元請けに食費としてお金が入って、それが1次下請け・2次下請けにいくんですけど、その段階で何故か消えてるんですよね。「あれ~?」って。それで大もめにもめてる人もいました。
それから交通費も。湯本から往復で100キロです。ガソリン代で千円から2千円が一日で飛んでしまいます。 だけどその交通費が込みになっていたりします。
ひどい話ですけど、それは、そもそも労働契約書を交わしてない時点に問題があるわけです。
悪徳企業
大西: でも、ちょっと次元の違う意味で酷いところがあります。企業名を言うと、アトックス(ATOX)という会社。
元の名前がすごいです。「原子力代行」。代行というのは、「原発における諸雑務、一番下の仕事に人夫出しをしますよ」ということです。
カタカナとかローマ字になっているからごまかされるけど、一番ひどい会社です。ある意味、東電以上。
樋口健二さんの写真集に、「雑巾掛けが一番あぶないんだぞ」という話が出てきますが、その作業をやっているのはアトックス。
―― どういう点が酷いのですか?
大西: 僕ら放管が、作業員をサーベイしていると、とにかく一番無防備で、危険な作業しているのが、アトックス。作業員の線量が一番高いのです。
知っている人は、みんな元請けがアトックスと聞いたら、その会社には行かない。アトックスの人に関しては、地元の人はいないです。
知らない人がアトックスに行く。東京のプレカリアート層になる。
普通に「寮付で、飯が食えますよ」と、雑誌とかホームページに出ている。
もちろん、危険な作業への従事についてなど、一言も書いていない。
たしかに、アトックスでは、技術は必要ないです。いまだに、雑巾掛けですから。
しかも、アトックスは、タイベックも着せないで、低レベルの放射性廃棄物を扱わせたりとかしていている。僕らだったら、危険作業に従事していることをわかっているから、低レベルでも放射性廃棄物を扱うときは、タイベックを着て、ゴム手袋を二重にはめて作業をするけど、アトックスの人は、綿の手袋だけで、タイベックも着ない。そういうことを知らない。もしくは、下手するとゴム手袋とかタイベックを着ることを禁止されてるかもしれない。分からないけど。
だから、放管として、一番気をつけているのは、アトックスの作業員。
他の作業員は、タイベックを着ているから、それを脱いだら、そんなに線量は高くない。だから、そんなに詳しくはやらない。だけど、アトックスの作業員だけは、どの放管も、とにかく、袖口とか、一番汚れやすいところを厳しくやって、すぐに水で洗うようにとか、アドバイスをしています。
(いわき市内にあるアトックスの「福島復興本部」)
◇労働条件引き下げの先兵
大西: 原発専門で人夫出しをしたら儲かるということで、1980年代の派遣法改正のときに、真っ先にそれに目を付けたのがアトックス。それがいまや、日本では一番大きい人夫出し業者。全国区で展開している。
発注元が東電だとすると、元請けが東芝とか日立とかで、その下の1次下請けになる。1次下請けの立場で、全ての業務をこれから抑えようとしている。
人をシステマティックに集めるノウハウを持っているからですね。
ヤクザなんかとかは違う。数年前に問題になった人材派遣会社のグッドウィルみたいな感じと言えば、イメージが浮かぶのでは。
とにかく労賃がむちゃくちゃ安い。そして、元請け企業には、格安で受注しています。タイベックスを着なければ、それで経費が浮きますから。
実は、原発労働者の労賃が、すごくディスカウントしているけど。アトックスの影響がものすごく大きい。
あらゆる元請けに、アトックスが入り込もうとしているので、そのおかげで、どんどん労賃が下がり続けている。除染作業は、アトックスがほぼ独占しようかという勢い。
だから、除染というと、単価の話になって、安ければ安いほど良いかもしれないけど、実は、それが原発の被ばく労働の単価をどんどん押し下げている。
結局、アトックスが、賃金の面でも防護策の面でも、労働基準法や放射線障害防止法の壁を取っ払う役割を果たしている。
冷血ですよね。次から次へと供給できるから、労働者を使い捨てにしている。アトックスの働かせ方は、危険だと感じています。
―― アトックスに雇われている人たちは都市の若年層ですか?
大西: そうですね。一番若いです。ほぼ全員二十歳代。
現代の縮図みたいです。
地元の人はほとんどいない。
現場でも、アトックスの人だけ孤立してますね。かわいそうですよ。
しかも、他の下請けに行ったら、しばらくいればある程度の技術なりが身につくでしょうけど、アトックスにいたら技術も身につかないですから。何年やってもふき掃除、何年やってもごみ片付けです。
―― アトックスの実態はマスメディアには知られてない?
大西: 知られてないでしょう。
――労働運動では?
大西: 多分、僕しか知らない可能性が。原発労働者の間では有名ですよ。アトックスって言ったらもう「あんな危険なことさせてるよ」とか「あそこの除染作業をあんなダンピングの価格で請け負っちまって、おれらどうすりゃいいんだよ」とかね。
【Ⅲ】 地元労働者と新たな貧困層
(湯本の温泉街。人通りはまばらだ)
―― 先ほども少し出ましたが、収束作業に携わっている人たちはどういう人ですか?
大西: 原発労働者の出身は、ほとんどが原発立地周辺の市町村です。いまも収束作業をやっているのは、泊、福島、柏崎、福井、浜岡などの人たちです。
僕の今の実感としては、8~9割ぐらいかなと思うくらい。
なぜそうなっているかというと、自分の地元だから何とかしないと、という気持ちがあります。それから、それで食ってきたから、それ以外の仕事ができない、ということもあります。二重の意味で、閉鎖的な環境で作業が行われているのです。
東京・首都圏という電力の消費地が、福島や新潟のような地方を、ある種の植民地にしたような状況にあると言えると思います。経済的に見ても、歴史的に見ても、東北というのは、低開発になるようにずっと強いられてきた。そういうところに、「雇用を生み出しますよ」という形で提示されたのが原発ということなのでしょう。
◇地元のつながり
大西: 現場にいて感じるのは、現場の労働者が、どの会社にいようと、東電であろうと、みんな顔見知りなのです。
小学校が一緒、中学校や高校が一緒、町が一緒という形で、みんなそこに住んでいる住民。だから、「あいつ同級生、あいつ後輩」という感じです。
東電についても同じです。地元採用枠というのがあって、一生、本社に出ることはなく、出世とは一切関係なく、地元の原発を動かしながら一生を終えるために採用される人です。
危険要員という面もあるでしょう。実際、東電の社員という一括りに非難するけど、いま一番危険な作業を行っているのは、実は地元採用の東電社員かもしれません。
危険な作業というのは、下請けだけではないのです。僕は、東電社員と一括りには、ちょっとできないなと思います。だって、「親戚の息子が東電」「知り合いの兄さんが東電」という具合ですから。
だから、現場では、同じ東電でも、地元採用の東電社員にたいする視線と、東京にいて指令を下すだけの東電社員にたいする視線は違います。
――現場で地元採用の東電社員は?
大西: 以前は、東電の社員というのは、ふんぞり返るのが仕事。作業はしない。地元採用でもそうでした。
地元採用の東電社員は、高校で一番とか、生徒会長をやったという人でしょう。現場で作業するのは、同級生でも「落ちこぼれ」の人という感じです。
いまでこそ、東電の社員も、僕らみたいな協力会社の社員にも、頭を下げて挨拶するようになりました。以前は、「おはようございます」と言っても、無視するのが当たり前だったのに。いまは、向こうから頭を下げて、「おはようございます」と言うんですよね。
(Jヴィレッジ直近のコンビニエンスストア。作業関係者で繁盛している)
◇新たな貧困層
―― 原発立地周辺の人以外だとどういう人たちですか?
大西: 後のことはどうなってもいいという人たちがいます。そういう人たちが、1カ月に何十ミリシーベルトも浴びても構わないという風になっています。
その人たちは、そうなった事情があって、借金を背負ったりで、「一攫千金を得たい」と。千金はもらえないんですがね。それでも、「普通の仕事の倍は稼ぎたい」という人です。
「危険だ。危険だ」と言われながら、その危険がどういうものかという知識を持っていない人、知らせられていない人たちです。
3・11以降、1Fを中心に、そういう新しい層が、危険も知らないで、飛び込んで来ています。
1Fの収束・廃炉の作業には、これから、数十万人、百万人単位の人が必要になります。そのとき、確実に言えるのは、新たな原発労働者の層は、プレカリアートといわれている人びと、貧困に陥った若年労働者になるでしょう。
【Ⅳ】 原発労働の現場と反原発運動とのかい離
(二つ沼公園で待機する2F行きの送迎バス)
―― 原発の現場に入って、労働者の命と権利を守るための方向は見えましたか?
大西: むしろ簡単ではないことが分かりました。
東電から元請けに発注し、その元請の労働者クラスが、自分の同級生だったりするというムラ社会です。そのようなムラ社会の中に、労働運動をもちこむことの難しさがあります。
危険な状況にあるのは確かだけど、声を挙げたら一生食えなくなる、もしくはムラ社会から外されてしまうという道を選べないと思います。
―― 原発事故という形でこの社会の根幹を揺らいでいます。そういう事態の中で、住民運動・市民運動・農民運動などが大きく動き始めています。その全体の前進の力で、原発労働の厳しい現実をも跳ね返す空間を作っていくということではないかと考えますが?
大西: 僕も、いまそういうことも考えています。
ただ、現状だと、それを一緒に作っていくという方向に、反原発運動の側が向いていない。逆に原発労働者が孤立化させるように、運動の側が、世論を形成しているように感じられます。
――それはどういうことでしょうか?
大西: 「東電社員の賃金なんかカットしろ」といったことを運動の側がいいますよね。もちろん東電は悪いですよ。
だけど、そうすると何がカットされるかといったら、東電社員の賃金もカットされますが、作業員の賃金もカットされるのです。
本当にひどい構造なんですよ。運動とか世論がそういう風に利用されてしまっているのです。
例えば、「東電を解体しろ」と言う。そこら辺までは分かります。
でも、東電や協力企業を全て潰してしまったら、実は、原発が動かないという次元の問題ではなくて、収束や廃炉の作業ができなくなってしまうんですよ。
(二つ沼公園に設置された東芝の作業拠点)
まもなく作業員が枯渇
―― 作業ができなくなるとは?
大西: 実は、原発労働者が足りなくっています。
放射線管理手帳をもっている労働者は約8万人。意外と少ないんです。しかも、その内の3万5千人が、もういっぱいまで浴びています。9カ月で半分に減っちゃったんです。
たぶん今のペースで行くと(2012年)夏ぐらいには、原発労働者の人数が枯渇するんです。
そうすると1Fの収束作業ももちろん、他の原発の冷温停止を維持することさえもできなくなる危険があるんですよね。
まして廃炉というのは、1Fの作業で分かる通り、人数がものすごくいる。54機全部を廃炉にするというなら、数百万の労働者が必要です。
――そういう問題として受けとめていませんでした。
大西: 収束とか廃炉とかの作業を、原発労働者がやっているという感覚を運動の側が持っていない、身近なものとして感じていないという気がします。
「廃炉にしろ」と、東京の運動が盛り上がっているんですけど、語弊を恐れずいえば、特定の原発労働者、8万人弱の原発労働者に、「死ね、死ね」って言っているのと同じなんですよね。「高線量浴びて死ね」と。自分たちは安全な場所で「廃炉にしろ」と言っているわけですから。
原発労働者を犠牲に差し出すみたいな構造が、反原発運動に見られると思います。
そういう乖離した状況があるので、福島現地や原発労働者の人と、東京の人が同じ意識に立って反原発・脱原発の方向になることが簡単ではないと感じています。
―― 廃炉というテーマに、自らの問題として向き合う必要があると。
大西: そうですね。廃炉という問題にたいして、みんなが少しずつ浴びてでも作業をするのか、「いや、原発反対なんだから作業もしないよ」というのか。「被ばく労働なんてごめんだ」といってしまうと、では廃炉の作業はどうするのか。東北の人に押しつけるという意味でしかないですね。
希望的理想的に言えば、1人が100ミリシーベルトを浴びるんじゃなくて、100人で1ミリシーベルトを浴びようよと。
しかし、現実的には、みんなが、そういう気持ちになるというわけはいかないと思います。
とすると、2つ道があります。
1つは、原発労働に従事するからには、被ばくするわけだから、「健康の問題について、一生、見ます。もし何かあったときは補償もします。賃金も高遇します」という風にするべきです。もちろん中抜きはありませんよ。準国家公務員みたいな形で雇ってね。
もしくは、2つ目は、徴兵制みたいに、「何月何日生まれの何歳以上の人は、ここで1週間、被ばく作業をして下さい」みたいに強制的にやるか。
後者は、すごくいやなんですけど、でも僕が、実際に原発労働をして思ったのは、これは、反原発運動をやっている人は、全員やったほうがいいんじゃないかなということです。
反原発だけではなくても、もしそこで原発の電気で恩恵をこうむっているんだったら、やるべきなのでないかという気持ちになっています。
東京と福島
―― 東京と福島の関係についても問題を提起されてますね。
大西: そうですね。東京の人びとは、一方的に電力を享受してきた立場で、福島・新潟っていうのは一方的に作って送り続けていく側。福島の人は、一切、東電の電気を使っていません。
そこで問題なのが、圧倒的多数者の東京・首都圏の人たちが、少数の福島・新潟などの原発立地周辺の人びとにたいして、ある種の帝国主義による植民地支配のような眼差しをもっていることです。それは、権力を持っている者、為政者と全く変わらない眼差し・同じような意識です。
それは、運動の側でもそういう眼差し・意識に立っています。それがものすごくこわい。このことに思いが至らなかったら、たぶん反原発運動はおしまいじゃないか。
◇沖縄問題に通底
―― これは、沖縄の側から米軍基地問題で提起されていることと通底しているのでは?
大西: 全くその通りです。僕も、そこにつなげようと思っています。
琉球民族の土地に基地を押し付けるというのはまさに植民地問題なんです。
―― 「基地を東京へ持って帰れ」と、沖縄の人たちが言います。それにたいして、本土の運動の側が、激甚に反発します。
大西: そうなんです。
琉球民族の人口が、だいたい日本民族の百分の一ですね。多数決で言ったら沖縄は一方的に蹂躙される側です。
そういう関係の中で、本土の側は、体制側であろうと反体制側であろうと、沖縄の米軍基地を引き取ろうとは絶対しないです。
そういう意味では、為政者・体制と同じ眼差しで琉球民族を支配してます。
それと同じ構造が、今度は、首都圏が福島や新潟にたいして行っています。
―― そういうことが、無自覚に進められる意識構造が、近代日本の基本構造なのでは?
大西: そうですね。沖縄と東北地方に矛盾を押し付けることで、帝国日本が成り立ってきたわけです。その問題が、こんな形でだけども、ようやく見え始めてきました。
この切り口をどうやって、これまでの運動の本当に反省と転換ということに持っていけるだろうか。それができなかったら、本当にもう大変なことになるなという気持ちです。
(夜の湯本も、灯りはまばら。作業員は、金も時間もないので、あまり外には出てこないという)
「ガレキ受け入れ反対」への異議
―― 全国で、「ガレキ受け入れ反対」が運動化していますが。
大西: 東京や神奈川・千葉で、反原発運動が盛んですよね。
だけど、たとえば、松戸市や流山市は、降り注いだ放射性物質が濃縮された下水の汚泥やコミの焼却灰を、秋田に捨てていたんです。
もともと、首都圏は、産業廃棄物を東北地方に捨ててきた。東北地方は、首都圏のゴミ捨て場。そういう構造になっていました。
松戸市や流山市は、その汚泥や焼却灰が高濃度の汚染物質だということは分かっていたんです。分かっていたけど、国が発表する前に、秋田などに黙って送っていたという問題です。
だけど、松戸や流山の運動は、このことを問題にしていませんね。
―― たしかに、ガレキ問題は、放射能問題を考え始める契機としてあると思いますが、なぜ東京に電力を供給する原発が福島にあったのかとか、汚染と被ばくに苦しむ福島の住民や被ばく労働を担う原発労働者の存在といったことに思いをはせるということがないと、先ほど言われていた「為政者と同じ眼差し」になって行きますね。
大西: そうです。
福島の方に、クソをずーっと貯め続けていて、そのクソが飛び散ってしまった。
東京の人は、「クソが飛んできたじゃないか!」って文句を言っているけど。
「それ、あんたが流したクソでしょ」って。
自分のクソの処理ぐらい自分でやんないと。せめて「いっしょに掃除しましょうよ」というふうになりたいんですけどね。反原発であろうと推進派であろうとね。
ところが、反原発運動をやっている人は、自分たちは被害者で、まったく罪はないという風に思っていますね。
―― たしかに、反原発の人でも、加害の問題を提起すると反発しますね。
大西: そうですね。そこにどうアプローチするか。
「原発を、消極的であれ、積極的であれ、推進してきた側と同じ歩調でいたんだよ」ということを、分かってもらうためにはどうしたらいいのか。
難しいと思うけど。
―― 逆の側からですが、原発も汚染土も東京に持って帰れという憤りが、福島の人びとも心の底にありますね。
大西: もしもですが、「これから第一原発がまき散らした放射能を、全部、東京湾に埋めるんで、東京の人は、気を付けてくださいね」ということをやったら、果たして受け入れるでしょうか、という話ですが、ありえないですよね。
でも、東京の人は、その逆のことを、いとも簡単にやっているのです。傲慢な力を行使していることにすら気づいていないのです。
ところで、『月刊 政経東北』という月刊誌が、福島にあります。その昨年11月号の「巻頭言」で、次のように呼びかけています。
「・・・霞が関の関心は、大震災・原発事故から年金制度改革やTPPなどに移りつつある。補償も除染も震災復興も不十分な中、抗議の意味を込めて、汚染土を国と東電に返す運動を進めたい。送り先は次の通り。・・・」
―― 知っています。実際、この呼びかけに答えてなのか、環境省に土が送られましたね。
大西: そう。だからこういう意識は絶対にありますよ。ダンプに積んで永田町や霞ヶ関かに土をお返しするんだという話は、そこここでされています。
それを弾圧できるのか。それを弾圧するとなると、「そもそも放射性物質をまいた人は弾圧されないのか。おかしいぞ」という問題提起ができるわけです。
◇被害者意識から加害の自覚へ
―― 被害意識から運動が始まるとしても、その意識をどう発展させられるかですね。
大西: そうですね。最初の意識は、被害者であっても構わないと思います。
被害者の自覚も大事です。ただ、そこから、自分は加害者でもあったんだということへの気付きが大事です。
被害者意識に留まったら限界になります。
被害者意識から始まって、加害性に気づいていくのですけれども、実は、さらに、そのあとが重要ではないかと思っています。
昔あったような総ざんげに陥ったら、今度は、責任を不在にしてしまうんですね。
本当の次の段階というのは、「自分たちにも加害責任があるんだ」と気づいたら、「では何をしたらいいのか」というときに、本当に戦争犯罪人を自らの手で裁くことだったはずです。
―― そう。東京裁判ではなく人民裁判。これができなかったのが戦後の敗北の原点。
大西: そうなんです。人民裁判なんです。
一人ひとりと対話して問いかけていけば、「自分たちも共犯者だったんだ」という意識にはなると思います。
だけど、「では誰が悪いんだろう?」ということで、本当の原発推進派が、結局、曖昧にされてしまうということになりかねない。
そこで、3段階目。被害者意識が第1段階、加害者性の自覚が第2段階だとすれば、そこから国民総懺悔ではなくて、「本当の犯罪者をきっちりと人民の手で裁きましょうよ」という動きにもってかなくちゃいけないと思います。
今は、まだ、第一段階の「自分達は被害者だ。ああ、東電ひどい」という形で進んでいる状況です。
―― その点で、運動的にいうと、全国各地の運動は、福島との実体的な交流がまだ弱いという気がします。
大西: そうですね。
福島のひとたちの顔や、原発労働者の顔を思い浮かべて運動をしたら、東京の運動は、被害意識に留まっていることはできないはずです。
同じことですが、廃炉というスローガンが、観念・抽象の世界にどんどん進んでいくなあっという感じがしますね。
―― 東京の現場の人たちと、この問題での討論は?
大西: 僕と意識を共有している人もいます。
その人は頭を抱えていますね。運動が、「ガレキ受け入れ反対、受け入れ反対」と、だんだん感情的になっていることに、「ちょっと違うんだけど」と言っています。
―― そこで運動にかかわっている中心的な人たちの意識や大衆的な論議が重要では?
大西: そうですね。
可能性はあると思っています。
そもそもこれまでの労働運動のあり方自身がそもそも壁があったわけで。そういう壁を突破していく意味でも、この議論は必要ですね。
以上
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